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☟硬式野球部員は10年連続減 日本高野連
https://news.yahoo.co.jp/articles/a9bd11da6fd21c4e7c43336fb0157a9c44e13b1a

日本高野連は3日、本年度の全国の野球部員数と加盟校数(5月末現在)を発表し、硬式の部員数は昨年度より1326人少ない12万7031人で、10年連続の減少となった。加盟校数は20校減の3798校。

部員数は31道府県で減り、最も減少したのは愛知の130人、次いで静岡の116人、福岡の112人だった。

部員数最多は東京の9133人、最少は鳥取の736人。1年生が進級して3年生になった時の残留の割合を示した「継続率」は、89.7%だった。

軟式の加盟校数は昨年度から6校減って381校。部員数は44人増えて7716人となり、3年ぶりに増加した。

📝参加28校紹介、パンフレット販売 第106回全国高校野球福井大会
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASS723S2XS72PGJB001M.html

7月11日に開会式を迎える第106回全国高校野球選手権福井大会のパンフレットを販売しています。

参加28校の集合写真や校歌のほか、部員名、出身中学などを載せました。昨夏の福井大会の戦績も巻末に収めました。

A4判、32ページ。ローソンやファミリーマート、勝木書店の一部店舗で、税込み501円でお求めいただけます。大会開会式や試合のある日は、各球場で税込み500円で販売する予定です。

📝元コンビニ店長が甲子園準優勝へ! 明豊・川崎絢平監督の若者コミュニケーション術
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8eb19f300633f6f78df3d2151578ce601b5a351

時代が令和になり、高校野球にも新たな風が吹き始めている。生徒たちを𠮟りつける指導法は淘汰され、選手たちの自主性を重んじる、褒めて伸ばすといった方向に変わりつつある。大分県にある明豊高校を2012年秋から率いているのが川崎絢平監督。2021年の春の甲子園では準優勝に導くなど結果を残している。野球著作家のゴジキ氏が、異色の経歴を持つ川崎監督を紹介します。

◇選手時代はエリートコースを歩んでいた

選手時代に強豪校・智弁和歌山で過ごした3年間で、優勝・ベスト4・ベスト16を経験し、名将・高嶋仁氏の下で学んだ川崎絢平氏が、大分県・明豊高校の監督に就任すると、同校は2019年から特に安定した強さを見せている。2019年は監督としてセンバツ初出場でベスト4、2021年はセンバツ準優勝という優れた結果を残した。川崎氏就任時と前任者の明豊の甲子園成績は次の通りになる。

・和田正氏就任時:1勝1敗、夏の甲子園に1回出場。
・川崎絢平氏就任時:12勝8敗、春の甲子園に4回(交流試合含む)、夏の甲子園には4回出場。春の甲子園準優勝1回。

就任後、明豊の成績は伸び続け、2019年センバツでは、横浜の及川雅貴(現・阪神タイガース)を攻略して勝利し、勢いそのままベスト4を記録する。2021年のセンバツでは、「チーム史上最弱」と言われていたが、球数制限が設けられて初めての大会ということもあり、京本真(現・読売ジャイアンツ)・太田虎次朗・財原光優の投手陣と鉄壁の守りを活かしたチームビルディングで勝ち上がった。

また、小園健太(現・横浜DeNAベイスターズ)を擁する市立和歌山や、その年の夏に準優勝した智弁学園(奈良)に勝利し、畔柳亨丞(現・北海道日本ハムファイターズ)擁する中京大中京を下すなど、準優勝したチームに相応しい強さを見せた。この大会で明豊は、史上初となる5試合連続無失策を記録するなど注目度が急上昇した。

一気に明豊を強豪校に引き上げた川崎氏は、選手時代エリートコースを歩んでいた。しかし、智弁和歌山から立命館大に進んだあと、社会人野球の名門チームに入社が決まりかけていたときに、受け入れ側の都合で話がなくなってしまう。そこで、和歌山のスーパーチェーン「マツゲン」に入社し、地元のクラブチーム和歌山箕島球友会でプレーを続ける。

このスーパーでの経験が、後の指導者人生の礎となる。大学までは申し分のない野球人生だったが、初めて野球以外の世界に触れることで、考えや視点が変わる機会になっただろう。

また、マツゲンを退社後、コンビニチェーン・ローソンの店長を務めることになり、店長として何より苦労したのが「アルバイトの管理」だった。突然、バイトの店員が休んだときの対応をどうするか。

頭ごなしに叱責しては関係が気まずくなる。川崎氏は気持ちよく働いてもらい、信頼関係を構築するための努力を惜しまなかった。コンビニ勤務で今どきの若者との距離感の取り方、コミュニケーション術を学んだのだ。

ローソンの店長を務めながら、地元の中学生のコーチをしていると、智弁和歌山のコーチを頼まれる。母校の恩師、高嶋氏が「中学生を見てるなら、うちでやってみいひんか」と手を差し伸べた。

そこで3年間、のちにプロで活躍する岡田俊哉(現・中日ドラゴンズ)や西川遥輝(現・東京ヤクルトスワローズ)らを育てた。智弁和歌山でのコーチの仕事を終えてからコンビニに戻り、深夜業務もザラだったそうだ。

しかし、家庭の事情もあり大分に転居する。大分ではパソコン教室に通い、仕事を探していた最中、大分東リトルシニアの球団会長に拾われるかたちで、投球解析ソフト販売代理業務を始めつつ、大分東リトルシニアのコーチとしても野球の現場に携わることになる。

その後、球団会長に「お前はこんなところにいる人間じゃない。ちょっとあちこち聞いてみるから」と言われ、まもなく「明豊が指導者を探しているらしい」と明豊に入ることになる。それから2012年の夏が終わったタイミングで監督に就任し、“川崎の明豊”が徐々にでき始める。

◇「認めて伸ばす」コミュニケーション術

川崎氏は、練習で「普通」をとことんやり切ることを重視する。目新しい取り組みではなく、「普通」のことを地道に積み重ねることでチームが徐々に力をつけ、就任後7年経ち、明豊は本格的に花開いたのだろう。川崎氏は、特別なことをやるよりも、「普通」のことをどれだけ突き詰めてやれるかが大事だと考えている。

また、智弁和歌山で過ごした選手時代に反復練習を繰り返しており、その経験から当たり前のことをしっかりやるのが重要である、と意識している。だからこそ、「凡事徹底」を指導方針に掲げ、あれこれ手を広げるよりも、「投げる、打つ、守る」といった基礎の反復練習を第一に取り組んだ。

川崎氏の選手達に対する指導法は、「認めて伸ばす」ことだ。褒めるよりも認めることにより、選手の自主性を伸ばすのである。さらに、「これをやれ」と押し付けることは、反発心を抱く選手が出てくると予想されることから、選手とコミュニケーションを取るときは、ワンクッションとなる言葉を入れて伝えることを意識している。

具体的には、「お前にしかできないことって、こういうことでしょ」や「お前のこういう部分を期待しているから、お前がいないとみんなが困る」と一言添えているようだ。その一言により、選手たちは「俺のことを見てくれている」と安心する。このように接することで、選手たちはモチベーションを維持し続けることになるだろう。

川崎氏のコミュニケーションを見ると、現在の学生に向けて非常に効果的な接し方をとっていることがわかる。

また、選手やスタッフとの距離感も意識しているようだ。選手たちにとって、何が一番必要なのかを重要視しながら、コミュニケーションを取っていくのである。スタッフを含めたコミュニケーションの場合は、指導者によって選手のフォームに関する意見が割れると戸惑わせるリスクがある。

そのため、専門領域で役割分担を設けることや、異変が起きた場合はすぐに報告をしてもらうなど、選手たちを第一に考え、スタッフとの連携を構築している。

さらに、川崎氏は保護者との関係性も大事にしている。まず最初の段階で明豊のルールを伝える。

具体的には、練習を見学するのは自由だが、見学できるスペースは限られているということ。また、「練習中は子どもさんに声を掛けないでください」ということもお願いしているという。こうして、保護者のケアもしながら選手を第一に考えて、強いチームをつくっていることがわかる。

◇情を挟んでいたら甲子園で勝てない

実戦の戦い方に関しては、常に接戦を意識したプランニングや、試合後半で勝負することを意識している。川崎氏は、常に4-3や3-2といった接戦をイメージして試合に入る。相手との力量の差は関係なく、9イニングを戦うことを想定し、試合終盤の7~9回をどうやって攻め、守り抜くかをシミュレーションしているのだ。

さらに、最初から「想定外」を意識し、試合に臨んでいる。最終的に1点でも上回ることを意識するため、想定すべきなのは大差ではなく僅差の試合なのだ。特に、好投手と相対したとき、僅差で勝つプランを再現することが求められる。

また、明豊といえば継投策のイメージが強いが、2番手以降の投手は、イニングの頭からの継投を意識しており、走者がいないベストな状態で100%の力を出せるように起用している。

加えて、継投策には「情」を挟まないように意識しているようだ。具体的には2017年夏の甲子園3回戦の神村学園戦。試合には勝ったが、継投策が失敗して苦しい試合になった。

あの試合で先発した佐藤楓馬には、8回に「このイニングで最後だから、力を振り絞って頑張れ」と伝令を飛ばし、佐藤はリードを守ったまま投げ切った。

しかし、「まだ投げたいです」と佐藤が主張してきたため、それに応えるように「わかった! じゃあ行け」と言って9回のマウンドに送り出した結果、9回に3点差を追いつかれてしまった。

この試合で、監督と選手、指導者と生徒とのあいだの「情」は大事だが、情に流されて勝てるほど甲子園は甘くないとも感じたのだろう。以降は、早めの継投を意識し、「実際に早いタイミングで投手を代えて後悔した、というイメージはあまりないんです」と話す。

一方、「逆に“遅れたな”と思って後悔したことは何度もあります。神村戦は迷って代えなかったことが失敗だったので」ともコメントするように、「迷ったらすぐに代える」という継投策になったのだ。

プロ野球の世界でも継投策は非常に難しい。高校野球の最適解を見つけ出して、早め早めの継投を意識したあと、川崎氏率いる明豊は甲子園でも勝てている。多くの高校が継投策や投手の複数人起用に苦しんでいるなかで、過去の経験が結果に結びついているのだろう。

✌57人の3年生全員がベンチ入り 高田商と奈良大付が特別な試合
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASS733W0KS73POMB005M.html

第106回全国高校野球選手権奈良大会が7月7日に開幕する。各チームが夏に向けて準備に追われる中、奈良県橿原市の佐藤薬品スタジアムで6月20日、高田商と奈良大付の3年生による記念試合があった。高田商28人、奈良大付29人の3年生全員がベンチ入りし、特別な試合を楽しんだ。

部員数の多い両校は10年ほど前から、3年生のための記念試合を続けている。確実に夏のメンバーに入る選手は応援に徹し、これが最後の試合になるかもしれない選手に声援を送る。奈良大会の公式戦の舞台となる佐藤薬品スタジアムで、公式戦さながらに電光掲示板に選手や審判の名前も入る。

今年は6月18日に予定していたが雨でグラウンドの状態が悪く、試合は2日間、延期された。別のチームが練習のために予約していたが、「記念試合のためなら」と譲ってくれた。

午後6時にプレーボール。持参したスピーカーで選手の名前が読み上げられ、ベンチとスタンドから大声援が飛び交った。

高田商は九回裏、左翼線への二塁打で出塁した永井貴誠が、安田卓真の三塁打で生還。永井はチームメートに頭をなでられながら、照れくさそうにベンチに戻っていった。ここぞという場面での長打に永井は「応援に背中を押されて、バットを振った。ベンチに入れるか分からないが、最後までやりきりたい」と話した。

試合は14―2で奈良大付が勝利した。奈良大付の西倖輝は八回表、代打で打席に。腰のケガでプレーができず1年の秋から学生コーチとしてチームを支え、この夏の大会では記録員を務める。三振に倒れたが、西は「やめようと思ったこともあったけど、好きな野球と関わっていくため、スコアラーをやらせてもらうことにした。相手校の分析でチームに貢献したい」と意気込んだ。

試合が終わると両校の選手はマウンドに駆け寄り、肩をたたいたり、握手を交わしたりして互いの健闘をたたえた。その後、記念撮影し、それぞれの夏への決意を新たにした。

🎁母校で指導して17年目 奈良・高田野球部の田渕監督に育成功労賞
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASS7340Z8S73POMB00NM.html

高校野球の発展や選手の育成に尽力した指導者を日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する「育成功労賞」に、奈良県内からは高田高校野球部監督の田渕太さん(62)が選ばれた。県上位に入るチームを作り上げ、他校の指導者に影響を与える模範的な指導を続けてきたことが評価された。

母校の高田高で野球を指導して今年で17年目。受賞を受け、「賞をいただけてありがたいが、自分なんかがもらっていいのかな」と話す。

高校では遊撃手を任され、1979年の第61回選手権奈良大会では智弁学園高を相手に、2番手投手としてマウンドに立った。

試合は敗れたが、次は監督として戻ってきたい。そう心に決めて、大阪体育大に進み、84年の春に山辺高山添分校に赴任した。未経験の生徒を集めて軟式野球部を作った。

広陵高(現=大和広陵高)野球部の責任教師を経て、2008年に母校に赴任。野球部の責任教師を6年間務めた後、14年に監督に就任した。

田渕さんの在学時は十数人だった野球部は、約80人に増えていた。部員たちはグラウンドでぎゅうぎゅうになりながら練習に明け暮れていた。

忘れられない試合は赴任2年目の夏。序盤で8点リードしたものの、エラーをきっかけに11点取られる逆転負けを喫した。まさかの展開に「大量得点した次のイニングがカギだった。どっちが1点をとるかで、流れができてしまう」と気づかされた。今でも攻撃がうまくいった後は、ミスを出さないように、どう選手に伝えるか神経をとがらせている。

田渕さんがグラウンドに行くと、球児から笑顔で「こんにちは」と歯切れのいいあいさつが聞こえてくる。「自分が野球をしていたときよりも、今の子どもたちのほうが立派に頑張っている」と目を細める。「学年が上がるたびに成長していくこの子たちを、これからも見ていきたい」

7日にある全国高校野球選手権奈良大会の開会式に先立ち、さとやくスタジアムのグラウンドで育成功労賞の表彰を受ける。そして、その開会式では教え子の北山颯馬主将が選手宣誓をする予定だ。

「一生に一度あるかないかの巡り合わせ。楽しみですね」

☝野球で経済効果1億円 「全国初」のまち、期待する高校野球の底力
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASS6X10VWS6XPTQP00BM.html

「ナイスバッティング!」「今のは惜しかったなあ」

6月上旬の週末。徳島県阿南市の山間にある球場で、市民ら1300人が高校野球を見て、わいていた。春夏9回の甲子園優勝を誇る大阪桐蔭と、県内4チームが対戦する「高校野球招待試合in阿南」が開催された。

今春の選抜大会で、公立校として唯一8強入りした地元の阿南光が3―2で競り勝った。

「阿南光の活躍のおかげで、今年はさらに盛り上がったんじゃないですか」。満足げに語るのは、市産業部「野球のまち推進課」で課長を務める大川康宏さん(54)。県外の強豪校を招いた試合は、今年で3回目だ。

主催は県高野連だが、企画したのは市だった。2010年に誕生した同課は、市役所に「野球」の名がつく全国初の例とされる。大きな観光地がなかった市が07年、ナイター設備があるJAアグリあなんスタジアムが完成した際、野球による町おこしを狙った。当時、小学生や社会人ら100近いチームが活動しており、野球の文化が根づいていた。

市の試算では野球関連の事業による経済効果は年間1億円に上る。特に、球場利用代と市内ホテルの宿泊費、阿波踊りを一緒に楽しむ宴会代などをセットにした1泊2日の「野球観光ツアー」が、県外の中高年の草野球チームに人気だ。

民間からの寄付金を原資に、22年から招待試合が始まった。今回の企画で、市が計上した予算は180万円。岩佐義弘市長(53)は「高校生がいずれプロや県外の社会人チームで競技を続けたとしても、いつか野球熱の高い地元に帰ってくれるかもしれない」と、長期的な目線でも効果を期待する。

阿南市の人口は、徳島市に次いで県で2番目。ただ、1980年の8万2710人をピークに減少が続き、今年5月末時点で6万8419人となった。阿南光は、少子化に伴う学校再編で、新野と阿南工が統合して2018年にできた。

「市全体からのバックアップを感じる。この時期に、全国トップチームと戦えたのは大きい」と高橋徳監督(41)。選抜前には優先的に市内の球場や室内練習場を使用させてもらった。

監督は22年春に就任した際、「県南の力で勝つ」と決めた。自身は県北部の鳴門市出身だが、幼児向け野球教室を開くなど地域を挙げて野球振興を図る阿南市に来て、身近に才能ある子どもがあふれていると感じた。

実際、選抜大会で活躍した3年生のエース吉岡暖(はる)や主将・井坂琉星ら主力の多くが、中学時代に全国優勝した「ヤング阿南シティホープ」のメンバーだった。

県内の野球部員数は、20年度に1千人を割った。部員減に悩むチームも多い中、阿南光にはこの春も1年生19人が入部。選手44人のうち県南地域の出身者は40人となった。森河丈志・県高野連理事長(56)は「子どもが減る中で、市の協力は非常にありがたい。これからも地域とつながりを強化したい」と話す。

自治体が野球をサポートし、選手たちの活躍が市民を盛り上げる。躍進した選抜大会で吉岡は言った。「はたから見たら、どこやねんて感じでしょ。『阿南』の名前を全国に広げられたら」。この夏、さらに地元を元気にするつもりだ。

📝夏の地方大会、『下剋上』が起きやすい都道府県は?2000年以降の結果からランキング化
https://news.yahoo.co.jp/articles/5899571d02cf3b17205ea099c2e25c98ac3bfa06?page=1

夏の甲子園への出場をかけた地方大会が、今年も全国各地で始まる。都道府県代表の切符をつかむために一つも負けられない戦いで、強豪校が安定して勝ち続けている地方もあれば、番狂わせが起きやすい地方もある。各都道府県の最近の傾向はどうなのか。2000年以降の結果からランキング化した。(コロナの影響で独自大会だった2020年は除外)

◆1強
1位 福島(聖光学院18回)
2位 和歌山(智弁和歌山17回)
3位 高知(明徳義塾16回)
4位 宮城(仙台育英14回)
5位 滋賀(近江12回)

まず、強豪校が圧倒していて番狂わせが少ない都道府県はどこか。00年以降で、一つの高校が最も多く優勝していたのは福島。聖光学院が13連覇を果たすなど圧倒的な強さを誇っていた。和歌山と高知が続き、この3県は過去23年で甲子園の出場校が各4校と最少だった。

2年前の仙台育英による「白河の関」越えが記憶に新しい宮城は、同期間で仙台育英と東北の2校だけで計19回の優勝を占める。他に複数回優勝した高校がない。

滋賀は近江が5連覇中で、近年は公立の八幡商や北大津が優勝から遠ざかっている。神奈川でも横浜が12回優勝しているが、うち2回は枠が増えた記念大会で、他にも東海大相模と桐光学園が各4回、慶応3回と複数の優勝がある強豪が多いことから次点とした。他には10年代以降に限れば、栃木で作新学院が10連覇を果たしている。

◆2強
1位 奈良(天理10回、智弁学園10回)
2位 青森(八戸学院光星11回、青森山田8回)
3位 岩手(花巻東9回、盛岡大付9回)
4位 埼玉(浦和学院11回、花咲徳栄7回)
5位 福井(福井商10回、敦賀気比7回)

2強はやはり、天理と智弁学園の奈良。00年以降は互角で、両校以外に複数回優勝した高校がない。青森は00年代に青森山田が強かったが、10年代からは八戸学院光星が圧倒しており、2強というよりは覇権が移り変わったといえる。これは福井の福井商と敦賀気比も似たような傾向だ。

岩手は2強以外にも一関学院が3回、専大北上が2回と続き、00年以降はこの4校が優勝を独占。埼玉も2強以外に聖望学園が3回、春日部共栄と本庄一が各2回優勝しており、他の学校は優勝できていない。

◆3強
1位 鹿児島(樟南9回、鹿児島実6回、神村学園6回)
2位 徳島(鳴門9回、鳴門渦潮6回、徳島商5回)
3位 山形(酒田南8回、日大山形6回、鶴岡東5回)、山梨(山梨学院8回、東海大甲府6回、日本航空5回)、石川(星陵8回、遊学館6回、金沢5回)

三つ巴の傾向が最も強かったのは鹿児島で、この3校以外には06年の鹿児島工、14年の鹿屋中央の優勝があるのみ。徳島の鳴門渦潮は統合前の鳴門工と鳴門第一も含めての数字だが、統合後の優勝は1回のみ。10年代からは鳴門の強さが目立っている。

3位に並んだ3県のうち、近年でも三つ巴の傾向が残っているのは山梨。山形は00年代に強かった酒田南に代わり、10年代からは鶴岡東と日大山形の2強の傾向に。石川も近年は星陵の1強に近づきつつある。

◆群雄割拠

では優勝の行方が最も読めない都道府県はどこか。00年以降で地方大会での優勝校の数、同一校による優勝回数と連覇の数、さらには初優勝を果たした高校の数から比較した。

優勝校の数が最も多かったのが、07年に甲子園で公立の佐賀北が「がばい旋風」を起こした佐賀、18年に白山による奇跡の「下剋上」が話題を呼んだ三重、近年は公立校の活躍が目立つ兵庫の各13校。これらの中では佐賀が、一つの強豪校による優勝や連覇が最も少なかった。

だが、ノーマークの学校が優勝する波乱の起きやすさに着目した場合、00年以降で三重は甲子園初出場を果たした高校が9校もあった。ドラマにもなった通り「下剋上」が起きやすい舞台だったといえる。珍しい例が宮崎で、00年以降で優勝校は計11校だが、同期間で連覇がゼロ。宮崎での連覇は63年と64年の宮崎商までさかのぼる必要がある。
2024/07/04(木) 21時50分11秒 No.1259 編集 削除