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☝部員5人から36人に急増 まちをあげて野球部強化、地域の元気に
https://news.yahoo.co.jp/articles/b4086bf71f11add8919a40a0935bdfb506d10037
おらがまちの野球部をつくりたい――。山々に囲まれ、人口は4万人を割り込んだ兵庫県丹波篠山市で、高校の野球部を通した地域活性化への取り組みが進んでいる。
丹波篠山市の出身選手では、明石商を経て2020年にプロ野球ロッテにドラフト2位で入団した中森俊介投手(22)がいる。市内中学の有望選手が市外の高校へ入学している状況だ。
21年春、同市に学校がある篠山産業高校の部員は5人まで減り、連合チームを組んで大会に出場した。市や篠山産で野球部だった卒業生は「選手が市外に流出しないためにも、中学生の受け皿を作りたい」と考えた。
全国でも名のある監督を呼び込もうと白羽の矢を立てたのは、神村学園(鹿児島)と創志学園(岡山)を甲子園に導いた長沢宏行監督(71)だった。
長沢監督は、西宮市出身で市西宮を卒業していたが、父親は旧西紀町(現在の丹波篠山市)の出身だ。また、長沢監督はソフトボールの指導者だったころに中学生を対象にしたキャンプを市内で開いた縁があった。
そこから猛アピールした。野球部OB会が、長沢監督に嘆願書を渡したり、酒井隆明市長が直接会いに行って就任を要請したりした。長沢監督は、ほかの複数の高校から監督就任を要請されていたというが、「僕も公立の出身。自分の力が公立でも通用するかどうか、試してみたい」と篠山産への赴任を決めた。その決意を聞いた市長は涙を流して喜んだという。
長沢監督は22年10月、市の特別職「スポーツ振興官」となり、篠山産の監督に就任した。市が雇用した指導者が、県立高校の部活動に関わるのは珍しいケースという。
長沢監督の就任は効果を発揮した。チームの今夏の部員数は3年生5人、2年生13人、1年生18人と36人になった。今春の県大会では、夏の甲子園に2年連続で出場している社と対戦し、敗れはしたが中盤まで競った。結果は32強入りして、今夏はシード権を得た。
市内に住む酒井風雅選手(2年)は、中学3年生のころ、県外の強豪私学への進学を考えていた。だが、強くなっていて家から近い篠山産へ進学した。「打撃や守備、走塁の様々な技術を監督から教えてもらえる。選んで良かった」と話す。チームの状況については「入学してからレベルが上がり、一つにまとまってきた。多くの地元の方々が試合を見に来てくれて、応援されていると感じています」と笑顔を見せた。
野球部だった卒業生たちも全力でチームを支えている。遠方から入学した部員のために、昨年11月から下宿の運営を始めた。学校から自転車で約10分の場所にあった民間宿泊施設を借り上げた。OB会のメンバーら約10人が毎晩交代で泊まり込んで管理している。現在は神戸市、西宮市などの1、2年生9人が利用している。
下宿は木造2階建てで、48畳の大広間があり、夜には素振りやシャドーピッチング、筋力トレーニングができる。ダイニングキッチンも備えていて、料理の得意な卒業生が朝食や夕食をつくっている。食事はバリエーションを増やし、特に栄養面に気をつけて調理している。
OB会長の神山一郎さん(70)は「少しでも甲子園に近づけるように、OB会としてもできる限りのサポートをしていきたい」。長沢監督は「全国でも珍しい取り組みではないか。OBの方々の母校愛は素晴らしい。とても感謝しています」と話す。
下宿には、地元住民から米や野菜、シカ肉などの差し入れが届く。神戸市灘区出身の柏木唯人選手(1年)は「山や田んぼなど自然が豊かで空気がおいしくて、落ち着いた環境で野球に集中できる。自転車で登下校中に住民の方が『頑張ってね』と声をかけてくれるのがうれしい」と言った。
長沢監督は、今夏のチームについて、県外の強豪校と練習試合で接戦ができるようになり、着実に力がついてきたと感じている。「強くて勝てるチームに育て、中学生に選んでもらえるチームにしたい。甲子園へ行けるような土壌をつくりたい」と力を込めた。
篠山産で野球部だった市教委職員の辻川貴志さん(46)は「高校野球を通じた地域活性化を目指して、市としても最大限のバックアップをしたい」と言う。
篠山産は12日、御影―伊川谷の勝者と初戦を迎える。同じブロックには、昨夏4強の滝川二やシードの明石などがいる。
💢滋賀・石部高野球部でいじめ、「重大事態」認定後も継続 最終報告書まとまる
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc42017ee095b7c56ac9ddbef85c5d4544eac2f2
滋賀県立石部高校の野球部で令和5年9月、いじめ防止対策推進法の「重大事態」に認定されるいじめがあり、弁護士や臨床心理士など外部委員を含めた調査委員の最終報告書がまとまった。報告書では、被害生徒(3年)が1年のころからいじめが始まり、認定後も継続していたことが判明した。県教委は「報告書の公表については被害生徒側の意向も確認し、検討する」としている。
■1年生から始まる
報告書によると、昨年8月、硬式野球初心者の被害生徒が試合後にミスを部員から責められ、以降、学校や部活を休むことが増えた。同9月5日、朝から行方不明となり、同日夕、野球部顧問に「いなくなりたい」とラインで連絡。同日午後5時半ごろ、自宅マンションの6階で見つかり、聞き取り調査の結果、いじめが発覚した。
加害生徒も含めた調査では、被害生徒は1年時から、練習中のグラウンドや部室で、試合や練習でのエラーについて、野球経験のある加害生徒から、「しっかりやれよ」「エラーしたなら練習しろよ」などと頻繁にいわれ、強い口調でいわれることもあった。
■止まらないいじめ
被害生徒が2年になっても言動によるいじめは続いた。そして、昨年9月に発覚。しかし、同9月12日にいじめ防止対策推進法の「重大事態」に認定した後もいじめは止まらなかった。
認定後は、学校は加害生徒への指導をしているが、同15日には、被害生徒が野球部内でいじめを受けていることを部外に広められ、翌10月4日には、体育の授業中に「一緒にするのはいや」といわれるなどし、言動で苦痛を感じさせられた。
また、同12月11日には、野球部のライングループから、本人の許可なく退会させられた。登校をいやがる被害生徒の様子に異変を感じた母親が気付き、いじめがわかった。
■「報告書は公開を」
同高校の遠藤彰校長によると、「今は落ち着いている」といい、いじめはなくなったという。
報告書では、学校の問題点として、「被害生徒や保護者が深刻な状況であることの認識に欠け、迅速で組織的な対応ができなかった」と指摘。その上で、「いじめの共通理解の徹底」「職員間での情報共有」などの再発防止策を示した。
一連のいじめで、被害者側にも関わらず、「周りから白い目で見られた」という被害生徒の保護者は、「学校は加害生徒側にどんな説明、指導をしたのか。加害生徒にいじめの認識がなく、平然としている。加害生徒の家族までが加担してくる時点で、いじめはなくならないんだと絶望を感じた」という。その上で、最終報告書の公開について、「非公開は加害生徒の擁護でしかない。いじめ根絶のためにも公開してほしい」と話していた。
■いじめ防止対策推進法の「重大事態」
第28条で、「いじめにより当該学校に在籍する児童等の生命、心身又は財産に重大な被害が生じた疑いがあると認めるとき」「いじめにより当該学校に在籍する児童等が相当の期間学校を欠席することを余儀なくされている疑いがあると認めるとき」は、学校の設置者や学校は、「重大事態」として、速やかに組織を設け、事実関係を明確にするための調査をするとある。
📝<高校野球連載「3年力」> 菰野のベースコーチ3年生主将 チームの精神的支柱
https://news.yahoo.co.jp/articles/44a62cf279bad11b157b666c22d2b985f10ad6a0
今年5月、岐阜県で開かれた春季東海地区高校野球大会で、2001年以来となる決勝に進んで中京大中京(愛知)に1点差で敗れ、準優勝した菰野。23年ぶりの春の東海大会決勝に先発出場したのはエース左腕の榮田人逢を始め全員が2年生だった。
春の勢いそのままに、08年以来の全国高校野球選手権出場を目指すこの夏。主力に下級生が多いチームで精神的支柱でもある3年生の山口拓真主将は、三塁コーチとして裏方に徹する覚悟だ。
ベンチでは誰よりも大きな声を出す。試合前、緊張しているチームメートを見つけたら積極的に声をかける。指導陣からの信頼も厚いキャプテンだ。
名古屋市内の中学に通いながら津市の硬式野球チームで活動していた当時、本職は投手だった。西勇輝投手(阪神)ら好投手を多く輩出する野球部に憧れて菰野高校に入学したが、現実は厳しかった。
肩の故障もあって早々に投手の道を諦め、内野手での定位置獲得を目指した。ベンチ入りメンバーにはとどまり続けたが、才能豊かな下級生たちとのレギュラー争いは熾烈。ベンチを温める日々が続く中、野球部主将に推薦されたが「プレーで何も見せられない」自分に務まるのか、不安が募った。
迷いを吹っ切ったのはベンチ外となった同学年の仲間の思いを感じたからだ。試合では応援に回り、自分たちや下級生たちのため、声を枯らしてくれた。「(試合に)出ていない3年生がいる中でベンチに入れさせてもらっている。その人たちの分までできることをやりたい」。高校最後の春、自らベースコーチになることを決断した。
三塁コーチは自身の判断、指示が得点に直結する。「1点入るか入らないかの場面で重要な役割がある。そこにしっかり責任感を持って、練習試合の時から試合の流れ、ランナーの状態を見ながら判断を磨いている」。
「3年生のためプレーする」と言ってくれた2年生の主力メンバーたちの思いにも応えたい。「自分のできることを全力でやる。その背中を後輩たちにも見てほしい」と願っている。
👣宗像が記録的大雨の影響で本番前の練習できずも最後まで意地見せる
https://news.yahoo.co.jp/articles/97172cc4ba6fda4be11824dd2efbfba20e3e0ec8
<高校野球福岡大会:戸畑5-2宗像>◇3日◇2回戦◇福岡県営筑豊緑地野球場
宗像が最後まで意地を見せた。0-5の8回。先頭から4連打でこの回2点を返した。最終回は2死走者なしから一、二塁と好機を演出。1発同点の場面も、横山叶和外野手(3年)のバットは空を切った。
試合前の2日間は記録的な大雨の影響で学校は臨時休校。本番前に満足のいく練習ができず、宗像市には「避難指示」が出されたほど。
同校周辺は土砂災害、冠水などの被害も出た。門岡弘監督(46)は「部員に大きな被害はなかったです」と明かし「初戦ってことで硬さもあった」と振り返った。
🔥ドラフト指名漏れ→独立リーグ→現役引退→中古車販売→NPBへ最後の挑戦 落合秀市「人生で一番野球漬け」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ddbacce3eb70f642d8b8100afe33c8d5836a5386?page=1
── あの落合秀市が、練習を再開したらしい。そんな噂が流れたのは、昨年の12月頃だった。
【高校時代にドラフト指名漏れ】
落合秀市とは、高校時代から球界をざわつかせてきた元ドラフト候補である。和歌山東高では最速148キロを計測し、「紀州の剛腕」と評するメディアもあった。同世代の佐々木朗希(大船渡→ロッテ)、奥川恭伸(星稜→ヤクルト)、西純矢(創志学園→阪神)、及川雅貴(横浜→阪神)の4投手が「BIG4」と並び称されたが、落合を「BIG4に匹敵する素材」と高く評価するスカウトもいた。
しかし、2019年のドラフト会議で落合の名前は呼ばれなかった。指名漏れした原因については、落合の素行の悪さを指摘する声もあった。だが、当時の落合を取材してみて、素行の悪さというより内面的な幼さが原因に思えた。
趣味のBMXやスケートボード、愛読していた漫画『キングダム』について語るほうが、野球の話題よりも熱を帯びた。グラブに何か刺繍を入れようと思い立ち、「王騎将軍」「ンフフ、お見事です」とオーダーしたという。『キングダム』のお気に入りのキャラクターと、そのセリフだった。
一見すると無気力な雰囲気なのに、不思議と愛嬌がある。常人には理解しがたい感性と、ピッチングにおける天賦の才。それはプロ野球という最高峰の舞台で生きるように思われた。
その一方で、練習をまともにしようとしなかった中学時代については、「干されとったんです」とあっけらかんと打ち明けた。和歌山東でも米原寿秀監督、南佳詞部長などの指導スタッフが辛抱強く接し、落合を野球に向き合わせていた。野球に対する熱量を思えば、落合がドラフト候補になったこと自体が快挙と言ってよかった。
ドラフト指名漏れのあと、落合は学校関係者に「野球はもういいです」と伝え、「野球断念」と報じられもした。だが、のちに「その時の気分で発言してしまう」と振り返ったように、深い考えで意思表示したわけではない。やがて関西独立リーグ・兵庫ブルーサンダーズ(現・兵庫ブレイバーズ)への入団が発表された。
同じく独立リーグの四国アイランドリーグplusやルートインBCリーグを選ばなかった理由を聞くと、落合はこともなげにこう答えた。
「だってイヤじゃないですか、遠いのって」
和歌山東の米原監督は、いつも落合の身を案じつつ厳しい言葉を口にしていた。落合が独立リーグ入りした直後には、こんな苦言を呈している。
「『プロに行きたい』と言ってるのも、まだほんまに頑張ろうと思って言ってるわけじゃないですから。『お金がほしい』という目的が第一にある。それは別に悪いことじゃないけど、一時の金を目指してやってるだけ。本当に野球が好きやったら、続けるやろうけど」
入団直後からコロナ禍の影響を受け、球団の活動がストップする。落合は慣れない自炊やアルバイトに取り組みながらプレーしたが、結果は残せなかった。2年目は同一リーグ内の06BULLSに移籍したが、6月には退団している。
【独立リーグ退団からの空白の3年】
あれから3年近くが経ち、落合の高知ファイティングドッグスへの入団が発表された。落合はなぜ野球界に戻ってきたのか。5月下旬、私は高知市営野球場へと向かった。球場入口の関係者受付で記帳していると、ちょうど落合が通りかかった。
「お久しぶりです」感情は読み取りにくかったが、不思議と気まずさはない。ユニホーム姿を見られた感慨はあったものの、ほんの数カ月前に会ったばかりのような感覚があった。球場の一室で落合と膝を突き合わせ、まずは高知に入団した理由から聞いた。
「野球から何年も離れてみて、やっぱり野球が好きというのと、野球で頑張って上に行きたいという気持ちが強くなったので高知に来させてもらいました」
3年前、落合は「野球に対して完全に気持ちが切れてしまいました」とボールを置いた。野球から離れて、何をしていたのか。
「最初に建設業をやって、次に中古車販売の会社で働いていました。中古車の会社に行ったのは、いつか自分でクルマ屋さんをやりたいと思ったからで」
だが、中古車販売店で働いた落合は、「職場のおっちゃん」と呼ぶ男性からこんな言葉をかけられたという。
「クルマ屋は歳をとってからでもできる。でも、野球は若い時しかできないんやから、野球をやったら?」
その男性は、落合がプロスカウトから注目されるほどの投手だったことを知っていた。男性の熱心なアドバイスに、落合の心は野球へと傾いていく。恩師の米原監督に相談すると、「グラウンドにおいで」と言ってもらえた。落合は再びグラウンドに立ち、練習を再開する。
高知ファイティングドッグスへの橋渡しは、顔の広い米原監督がしてくれた。もはや「遠いからイヤ」という甘い考えはなかった。落合は「NPBを目指すんやったら、四国(アイランドリーグ)かBC(リーグ)が一番近いと思ったんで」と振り返る。
【失意の落合を救った元阪神の守護神】
だが、落合は高知に入ってすぐ、壁に直面する。体力テストでチームメイトのレベルの高さを痛感させられたのだ。
「メディシンボール投げでチームの最下位くらいやったんです。周りの人に比べて力がなくて、めちゃくちゃ焦りました」
そんな落合に手を差し伸べてくれる人物がいた。今季に入団したばかりのラファエル・ドリスである。ドリスは2016年から2019年までNPBの阪神に在籍し、通算96セーブを挙げた元クローザーである。野球にあまり関心がなかった落合でも、ドリスの存在は知っていた。
チーム関係者を通じてコミュニケーションをとるなかで、落合はドリスに心酔するようになっていった。
「ドリスさんはケガしやん(しない)トレーニングとか、体が強くなるトレーニングをめっちゃ教えてくれます。トレーナーの竹澤(慧)さんやったりドリスさんやったり、いろいろとアドバイスをもらって、いい環境なんでよくなっている感じがあります」
「『ドリスさん』と呼んでいるの?」と尋ねると、落合はコクリとうなずいた。落合のいじらしい一面を見たような気がした。
ドリスにも落合の潜在能力について尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「落合はナチュラルにいいものを持っています。ただ、3年も野球をやってきていないので、まだ力を発揮しきれていません。チームで力をつけてアピールしていけば、まだまだ伸びるはず。2~3年後にはNPBで活躍できるピッチャーだよ」
入団時に141キロだった落合の最高球速は、トレーニングを積んだ今は最速149キロまで向上している。落合は感慨を込めて、こう語る。
「がんばった分、結果が目に見えているので楽しいです」
それでも、3年間のブランクを埋めるのは容易ではない。「ブランクを感じますか?」という質問に、落合は「めっちゃ感じます」と答えてこう続けた。
「その日その日の調子がバラバラすぎて、まずは安定させることが大事だと感じます。悪いなりに抑えるピッチングをしたいですね」
完璧に抑え込んだ日があったかと思えば、1イニングも投げきれない乱調の日もある。落合は悪戦苦闘を重ねながら、実戦経験を積んでいる。
【人生で一番野球漬け】
高知での新生活について尋ねると、落合は「カツオのタタキがおいしいです」と笑いつつ、こう続けた。
「とりあえず今は、NPBに行くことしか考えていません。人生で一番野球漬けですね」
落合の笑顔を見て、私は「こんなふうに笑う子だったかな?」という思いを抱いた。今までの落合は、よくも悪くも人のことを心の底では信用していない雰囲気があった。だが、目の前の落合の無垢な笑顔には、そんなムードが微塵も見られなかった。
思わず、「変わったね」という感想が口をついた。すると、落合は「めっちゃいろんな人に『大人になったね』って言われます」と答えた。迷惑をかけ続けてきた米原監督に対する思いを聞くと、落合は「お世話をしてもらったので、NPBに行くところを見せたいです」と神妙に語った。
「今さら遅い」という考え方もあるだろう。落合自身、悔いも抱えている。だが、前を向いて戦うしかない。最後に落合はこんな言葉を口にした。
「あの時から今くらいの気持ちで頑張れていたらな......と思うことはあります。でも、いろんな経験もできたので。もう一回、野球を頑張ろうと思います」
後日、和歌山東の米原監督に会う機会があった。開口一番、「高知に行ってきました」と告げると、米原監督は「いい顔になっとったでしょう?」と答えた。こちらの感想をピタリと言い当てられたような気がした。
「向こう(高知)に行きたいですと言い始めた時の表情が、カゲがとれたというか、いい顔をしとったんです。『僕にはやっぱり、野球しかない』という顔やった。だからこっちも『1年だけ勝負しろや』と言ったんです」
現在の和歌山東には、谷村剛というドラフト候補がいる。谷村目当てで視察したスカウトと名刺交換しながら、米原監督はこんな言葉を添えている。
「高知で落合秀市が復活しましたんで......。ぜひ見てやってください」
時間を巻き戻すことはできない。だが、落合秀市は野球選手である前に、人間である。ひとりの人間として必要な時間を過ごした男が、今やどんなボールを投げ込むようになったのか。四国の地で、ひとりでも多くの野球ファンに見てもらいたい。
⚾岩手さんへ
岩手はやはり今年も花巻東が筆頭候補なんですね。野球がものすごくコスいから多少投手力が劣っても、序盤は力でねじ伏せてノーシード校を圧倒し、大会終盤には狡猾なやり口で相手よりも1点多くとって進撃するイメージでしょうか??
盛岡大付の脳筋野球は依然と大きく変わって甲子園初戦は無類の強さを誇っているので、近畿勢と早い段階では当たって欲しくないですね。
水沢商は名前すら知らないですが、大船渡は佐々木がミソをつけたので、、、一関学院は甲子園に出たら強いイメージはありますね。
専大北上は昔は強かったけれど、ドラフト裏金問題で高野連から一時除名されてからこっちでは全く名前を聞かないですね・・・・・。
最後に卒業した小学校の動向まで把握されているんですね!
僕は卒業した小中学校の後輩のことは無関心なんで・・・全く知らないですね。高校は野球部と女子サッカー部は逐一、洞察してますが(笑)
P・S 今日のウインク球場は124人の観衆を集めて堺が姫路に11-4で勝利とのことです。
試合時間3時間18分なんで20時18分終了だったら天気良すぎたので日没が19時過ぎゆえに遅くとも6回頃から点灯したのかな?
7回10点差のコールド規定があり、6回表終了7-0で観戦していたら焦っていたと思いますが、6回裏に4点反撃して腰を落ち着けて観戦できたのかなと。
水曜日ゆえに ぽん吉 定休日でマクドナルドで夜ご飯食べて、平日ダイヤでも苦戦しながら帰宅していたのかなと。
とりあえず土曜日の伊勢は雨は降らなさそうですが、熱中症警戒アラートが心配ですね・・・・・。
金曜・日曜が35度で土曜は33度・・・・・でもアレは湿度7割気温1割で数値を決めるらしいので単純に気温が低いからと言って油断できないですから、、、、、
快晴なのに球場到着したら「熱中症警戒アラートの数値が高いから本日中止!!」なんて言われたら、その場で倒れてしまいそうです。。。
大会前からこの熱さなんで、梅雨明けしたら愛知大会の中盤以降は連日中止で最後は予備日なしでゴリゴリの日程を組むのか注視しておきます(笑)
https://news.yahoo.co.jp/articles/b4086bf71f11add8919a40a0935bdfb506d10037
おらがまちの野球部をつくりたい――。山々に囲まれ、人口は4万人を割り込んだ兵庫県丹波篠山市で、高校の野球部を通した地域活性化への取り組みが進んでいる。
丹波篠山市の出身選手では、明石商を経て2020年にプロ野球ロッテにドラフト2位で入団した中森俊介投手(22)がいる。市内中学の有望選手が市外の高校へ入学している状況だ。
21年春、同市に学校がある篠山産業高校の部員は5人まで減り、連合チームを組んで大会に出場した。市や篠山産で野球部だった卒業生は「選手が市外に流出しないためにも、中学生の受け皿を作りたい」と考えた。
全国でも名のある監督を呼び込もうと白羽の矢を立てたのは、神村学園(鹿児島)と創志学園(岡山)を甲子園に導いた長沢宏行監督(71)だった。
長沢監督は、西宮市出身で市西宮を卒業していたが、父親は旧西紀町(現在の丹波篠山市)の出身だ。また、長沢監督はソフトボールの指導者だったころに中学生を対象にしたキャンプを市内で開いた縁があった。
そこから猛アピールした。野球部OB会が、長沢監督に嘆願書を渡したり、酒井隆明市長が直接会いに行って就任を要請したりした。長沢監督は、ほかの複数の高校から監督就任を要請されていたというが、「僕も公立の出身。自分の力が公立でも通用するかどうか、試してみたい」と篠山産への赴任を決めた。その決意を聞いた市長は涙を流して喜んだという。
長沢監督は22年10月、市の特別職「スポーツ振興官」となり、篠山産の監督に就任した。市が雇用した指導者が、県立高校の部活動に関わるのは珍しいケースという。
長沢監督の就任は効果を発揮した。チームの今夏の部員数は3年生5人、2年生13人、1年生18人と36人になった。今春の県大会では、夏の甲子園に2年連続で出場している社と対戦し、敗れはしたが中盤まで競った。結果は32強入りして、今夏はシード権を得た。
市内に住む酒井風雅選手(2年)は、中学3年生のころ、県外の強豪私学への進学を考えていた。だが、強くなっていて家から近い篠山産へ進学した。「打撃や守備、走塁の様々な技術を監督から教えてもらえる。選んで良かった」と話す。チームの状況については「入学してからレベルが上がり、一つにまとまってきた。多くの地元の方々が試合を見に来てくれて、応援されていると感じています」と笑顔を見せた。
野球部だった卒業生たちも全力でチームを支えている。遠方から入学した部員のために、昨年11月から下宿の運営を始めた。学校から自転車で約10分の場所にあった民間宿泊施設を借り上げた。OB会のメンバーら約10人が毎晩交代で泊まり込んで管理している。現在は神戸市、西宮市などの1、2年生9人が利用している。
下宿は木造2階建てで、48畳の大広間があり、夜には素振りやシャドーピッチング、筋力トレーニングができる。ダイニングキッチンも備えていて、料理の得意な卒業生が朝食や夕食をつくっている。食事はバリエーションを増やし、特に栄養面に気をつけて調理している。
OB会長の神山一郎さん(70)は「少しでも甲子園に近づけるように、OB会としてもできる限りのサポートをしていきたい」。長沢監督は「全国でも珍しい取り組みではないか。OBの方々の母校愛は素晴らしい。とても感謝しています」と話す。
下宿には、地元住民から米や野菜、シカ肉などの差し入れが届く。神戸市灘区出身の柏木唯人選手(1年)は「山や田んぼなど自然が豊かで空気がおいしくて、落ち着いた環境で野球に集中できる。自転車で登下校中に住民の方が『頑張ってね』と声をかけてくれるのがうれしい」と言った。
長沢監督は、今夏のチームについて、県外の強豪校と練習試合で接戦ができるようになり、着実に力がついてきたと感じている。「強くて勝てるチームに育て、中学生に選んでもらえるチームにしたい。甲子園へ行けるような土壌をつくりたい」と力を込めた。
篠山産で野球部だった市教委職員の辻川貴志さん(46)は「高校野球を通じた地域活性化を目指して、市としても最大限のバックアップをしたい」と言う。
篠山産は12日、御影―伊川谷の勝者と初戦を迎える。同じブロックには、昨夏4強の滝川二やシードの明石などがいる。
💢滋賀・石部高野球部でいじめ、「重大事態」認定後も継続 最終報告書まとまる
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc42017ee095b7c56ac9ddbef85c5d4544eac2f2
滋賀県立石部高校の野球部で令和5年9月、いじめ防止対策推進法の「重大事態」に認定されるいじめがあり、弁護士や臨床心理士など外部委員を含めた調査委員の最終報告書がまとまった。報告書では、被害生徒(3年)が1年のころからいじめが始まり、認定後も継続していたことが判明した。県教委は「報告書の公表については被害生徒側の意向も確認し、検討する」としている。
■1年生から始まる
報告書によると、昨年8月、硬式野球初心者の被害生徒が試合後にミスを部員から責められ、以降、学校や部活を休むことが増えた。同9月5日、朝から行方不明となり、同日夕、野球部顧問に「いなくなりたい」とラインで連絡。同日午後5時半ごろ、自宅マンションの6階で見つかり、聞き取り調査の結果、いじめが発覚した。
加害生徒も含めた調査では、被害生徒は1年時から、練習中のグラウンドや部室で、試合や練習でのエラーについて、野球経験のある加害生徒から、「しっかりやれよ」「エラーしたなら練習しろよ」などと頻繁にいわれ、強い口調でいわれることもあった。
■止まらないいじめ
被害生徒が2年になっても言動によるいじめは続いた。そして、昨年9月に発覚。しかし、同9月12日にいじめ防止対策推進法の「重大事態」に認定した後もいじめは止まらなかった。
認定後は、学校は加害生徒への指導をしているが、同15日には、被害生徒が野球部内でいじめを受けていることを部外に広められ、翌10月4日には、体育の授業中に「一緒にするのはいや」といわれるなどし、言動で苦痛を感じさせられた。
また、同12月11日には、野球部のライングループから、本人の許可なく退会させられた。登校をいやがる被害生徒の様子に異変を感じた母親が気付き、いじめがわかった。
■「報告書は公開を」
同高校の遠藤彰校長によると、「今は落ち着いている」といい、いじめはなくなったという。
報告書では、学校の問題点として、「被害生徒や保護者が深刻な状況であることの認識に欠け、迅速で組織的な対応ができなかった」と指摘。その上で、「いじめの共通理解の徹底」「職員間での情報共有」などの再発防止策を示した。
一連のいじめで、被害者側にも関わらず、「周りから白い目で見られた」という被害生徒の保護者は、「学校は加害生徒側にどんな説明、指導をしたのか。加害生徒にいじめの認識がなく、平然としている。加害生徒の家族までが加担してくる時点で、いじめはなくならないんだと絶望を感じた」という。その上で、最終報告書の公開について、「非公開は加害生徒の擁護でしかない。いじめ根絶のためにも公開してほしい」と話していた。
■いじめ防止対策推進法の「重大事態」
第28条で、「いじめにより当該学校に在籍する児童等の生命、心身又は財産に重大な被害が生じた疑いがあると認めるとき」「いじめにより当該学校に在籍する児童等が相当の期間学校を欠席することを余儀なくされている疑いがあると認めるとき」は、学校の設置者や学校は、「重大事態」として、速やかに組織を設け、事実関係を明確にするための調査をするとある。
📝<高校野球連載「3年力」> 菰野のベースコーチ3年生主将 チームの精神的支柱
https://news.yahoo.co.jp/articles/44a62cf279bad11b157b666c22d2b985f10ad6a0
今年5月、岐阜県で開かれた春季東海地区高校野球大会で、2001年以来となる決勝に進んで中京大中京(愛知)に1点差で敗れ、準優勝した菰野。23年ぶりの春の東海大会決勝に先発出場したのはエース左腕の榮田人逢を始め全員が2年生だった。
春の勢いそのままに、08年以来の全国高校野球選手権出場を目指すこの夏。主力に下級生が多いチームで精神的支柱でもある3年生の山口拓真主将は、三塁コーチとして裏方に徹する覚悟だ。
ベンチでは誰よりも大きな声を出す。試合前、緊張しているチームメートを見つけたら積極的に声をかける。指導陣からの信頼も厚いキャプテンだ。
名古屋市内の中学に通いながら津市の硬式野球チームで活動していた当時、本職は投手だった。西勇輝投手(阪神)ら好投手を多く輩出する野球部に憧れて菰野高校に入学したが、現実は厳しかった。
肩の故障もあって早々に投手の道を諦め、内野手での定位置獲得を目指した。ベンチ入りメンバーにはとどまり続けたが、才能豊かな下級生たちとのレギュラー争いは熾烈。ベンチを温める日々が続く中、野球部主将に推薦されたが「プレーで何も見せられない」自分に務まるのか、不安が募った。
迷いを吹っ切ったのはベンチ外となった同学年の仲間の思いを感じたからだ。試合では応援に回り、自分たちや下級生たちのため、声を枯らしてくれた。「(試合に)出ていない3年生がいる中でベンチに入れさせてもらっている。その人たちの分までできることをやりたい」。高校最後の春、自らベースコーチになることを決断した。
三塁コーチは自身の判断、指示が得点に直結する。「1点入るか入らないかの場面で重要な役割がある。そこにしっかり責任感を持って、練習試合の時から試合の流れ、ランナーの状態を見ながら判断を磨いている」。
「3年生のためプレーする」と言ってくれた2年生の主力メンバーたちの思いにも応えたい。「自分のできることを全力でやる。その背中を後輩たちにも見てほしい」と願っている。
👣宗像が記録的大雨の影響で本番前の練習できずも最後まで意地見せる
https://news.yahoo.co.jp/articles/97172cc4ba6fda4be11824dd2efbfba20e3e0ec8
<高校野球福岡大会:戸畑5-2宗像>◇3日◇2回戦◇福岡県営筑豊緑地野球場
宗像が最後まで意地を見せた。0-5の8回。先頭から4連打でこの回2点を返した。最終回は2死走者なしから一、二塁と好機を演出。1発同点の場面も、横山叶和外野手(3年)のバットは空を切った。
試合前の2日間は記録的な大雨の影響で学校は臨時休校。本番前に満足のいく練習ができず、宗像市には「避難指示」が出されたほど。
同校周辺は土砂災害、冠水などの被害も出た。門岡弘監督(46)は「部員に大きな被害はなかったです」と明かし「初戦ってことで硬さもあった」と振り返った。
🔥ドラフト指名漏れ→独立リーグ→現役引退→中古車販売→NPBへ最後の挑戦 落合秀市「人生で一番野球漬け」
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── あの落合秀市が、練習を再開したらしい。そんな噂が流れたのは、昨年の12月頃だった。
【高校時代にドラフト指名漏れ】
落合秀市とは、高校時代から球界をざわつかせてきた元ドラフト候補である。和歌山東高では最速148キロを計測し、「紀州の剛腕」と評するメディアもあった。同世代の佐々木朗希(大船渡→ロッテ)、奥川恭伸(星稜→ヤクルト)、西純矢(創志学園→阪神)、及川雅貴(横浜→阪神)の4投手が「BIG4」と並び称されたが、落合を「BIG4に匹敵する素材」と高く評価するスカウトもいた。
しかし、2019年のドラフト会議で落合の名前は呼ばれなかった。指名漏れした原因については、落合の素行の悪さを指摘する声もあった。だが、当時の落合を取材してみて、素行の悪さというより内面的な幼さが原因に思えた。
趣味のBMXやスケートボード、愛読していた漫画『キングダム』について語るほうが、野球の話題よりも熱を帯びた。グラブに何か刺繍を入れようと思い立ち、「王騎将軍」「ンフフ、お見事です」とオーダーしたという。『キングダム』のお気に入りのキャラクターと、そのセリフだった。
一見すると無気力な雰囲気なのに、不思議と愛嬌がある。常人には理解しがたい感性と、ピッチングにおける天賦の才。それはプロ野球という最高峰の舞台で生きるように思われた。
その一方で、練習をまともにしようとしなかった中学時代については、「干されとったんです」とあっけらかんと打ち明けた。和歌山東でも米原寿秀監督、南佳詞部長などの指導スタッフが辛抱強く接し、落合を野球に向き合わせていた。野球に対する熱量を思えば、落合がドラフト候補になったこと自体が快挙と言ってよかった。
ドラフト指名漏れのあと、落合は学校関係者に「野球はもういいです」と伝え、「野球断念」と報じられもした。だが、のちに「その時の気分で発言してしまう」と振り返ったように、深い考えで意思表示したわけではない。やがて関西独立リーグ・兵庫ブルーサンダーズ(現・兵庫ブレイバーズ)への入団が発表された。
同じく独立リーグの四国アイランドリーグplusやルートインBCリーグを選ばなかった理由を聞くと、落合はこともなげにこう答えた。
「だってイヤじゃないですか、遠いのって」
和歌山東の米原監督は、いつも落合の身を案じつつ厳しい言葉を口にしていた。落合が独立リーグ入りした直後には、こんな苦言を呈している。
「『プロに行きたい』と言ってるのも、まだほんまに頑張ろうと思って言ってるわけじゃないですから。『お金がほしい』という目的が第一にある。それは別に悪いことじゃないけど、一時の金を目指してやってるだけ。本当に野球が好きやったら、続けるやろうけど」
入団直後からコロナ禍の影響を受け、球団の活動がストップする。落合は慣れない自炊やアルバイトに取り組みながらプレーしたが、結果は残せなかった。2年目は同一リーグ内の06BULLSに移籍したが、6月には退団している。
【独立リーグ退団からの空白の3年】
あれから3年近くが経ち、落合の高知ファイティングドッグスへの入団が発表された。落合はなぜ野球界に戻ってきたのか。5月下旬、私は高知市営野球場へと向かった。球場入口の関係者受付で記帳していると、ちょうど落合が通りかかった。
「お久しぶりです」感情は読み取りにくかったが、不思議と気まずさはない。ユニホーム姿を見られた感慨はあったものの、ほんの数カ月前に会ったばかりのような感覚があった。球場の一室で落合と膝を突き合わせ、まずは高知に入団した理由から聞いた。
「野球から何年も離れてみて、やっぱり野球が好きというのと、野球で頑張って上に行きたいという気持ちが強くなったので高知に来させてもらいました」
3年前、落合は「野球に対して完全に気持ちが切れてしまいました」とボールを置いた。野球から離れて、何をしていたのか。
「最初に建設業をやって、次に中古車販売の会社で働いていました。中古車の会社に行ったのは、いつか自分でクルマ屋さんをやりたいと思ったからで」
だが、中古車販売店で働いた落合は、「職場のおっちゃん」と呼ぶ男性からこんな言葉をかけられたという。
「クルマ屋は歳をとってからでもできる。でも、野球は若い時しかできないんやから、野球をやったら?」
その男性は、落合がプロスカウトから注目されるほどの投手だったことを知っていた。男性の熱心なアドバイスに、落合の心は野球へと傾いていく。恩師の米原監督に相談すると、「グラウンドにおいで」と言ってもらえた。落合は再びグラウンドに立ち、練習を再開する。
高知ファイティングドッグスへの橋渡しは、顔の広い米原監督がしてくれた。もはや「遠いからイヤ」という甘い考えはなかった。落合は「NPBを目指すんやったら、四国(アイランドリーグ)かBC(リーグ)が一番近いと思ったんで」と振り返る。
【失意の落合を救った元阪神の守護神】
だが、落合は高知に入ってすぐ、壁に直面する。体力テストでチームメイトのレベルの高さを痛感させられたのだ。
「メディシンボール投げでチームの最下位くらいやったんです。周りの人に比べて力がなくて、めちゃくちゃ焦りました」
そんな落合に手を差し伸べてくれる人物がいた。今季に入団したばかりのラファエル・ドリスである。ドリスは2016年から2019年までNPBの阪神に在籍し、通算96セーブを挙げた元クローザーである。野球にあまり関心がなかった落合でも、ドリスの存在は知っていた。
チーム関係者を通じてコミュニケーションをとるなかで、落合はドリスに心酔するようになっていった。
「ドリスさんはケガしやん(しない)トレーニングとか、体が強くなるトレーニングをめっちゃ教えてくれます。トレーナーの竹澤(慧)さんやったりドリスさんやったり、いろいろとアドバイスをもらって、いい環境なんでよくなっている感じがあります」
「『ドリスさん』と呼んでいるの?」と尋ねると、落合はコクリとうなずいた。落合のいじらしい一面を見たような気がした。
ドリスにも落合の潜在能力について尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「落合はナチュラルにいいものを持っています。ただ、3年も野球をやってきていないので、まだ力を発揮しきれていません。チームで力をつけてアピールしていけば、まだまだ伸びるはず。2~3年後にはNPBで活躍できるピッチャーだよ」
入団時に141キロだった落合の最高球速は、トレーニングを積んだ今は最速149キロまで向上している。落合は感慨を込めて、こう語る。
「がんばった分、結果が目に見えているので楽しいです」
それでも、3年間のブランクを埋めるのは容易ではない。「ブランクを感じますか?」という質問に、落合は「めっちゃ感じます」と答えてこう続けた。
「その日その日の調子がバラバラすぎて、まずは安定させることが大事だと感じます。悪いなりに抑えるピッチングをしたいですね」
完璧に抑え込んだ日があったかと思えば、1イニングも投げきれない乱調の日もある。落合は悪戦苦闘を重ねながら、実戦経験を積んでいる。
【人生で一番野球漬け】
高知での新生活について尋ねると、落合は「カツオのタタキがおいしいです」と笑いつつ、こう続けた。
「とりあえず今は、NPBに行くことしか考えていません。人生で一番野球漬けですね」
落合の笑顔を見て、私は「こんなふうに笑う子だったかな?」という思いを抱いた。今までの落合は、よくも悪くも人のことを心の底では信用していない雰囲気があった。だが、目の前の落合の無垢な笑顔には、そんなムードが微塵も見られなかった。
思わず、「変わったね」という感想が口をついた。すると、落合は「めっちゃいろんな人に『大人になったね』って言われます」と答えた。迷惑をかけ続けてきた米原監督に対する思いを聞くと、落合は「お世話をしてもらったので、NPBに行くところを見せたいです」と神妙に語った。
「今さら遅い」という考え方もあるだろう。落合自身、悔いも抱えている。だが、前を向いて戦うしかない。最後に落合はこんな言葉を口にした。
「あの時から今くらいの気持ちで頑張れていたらな......と思うことはあります。でも、いろんな経験もできたので。もう一回、野球を頑張ろうと思います」
後日、和歌山東の米原監督に会う機会があった。開口一番、「高知に行ってきました」と告げると、米原監督は「いい顔になっとったでしょう?」と答えた。こちらの感想をピタリと言い当てられたような気がした。
「向こう(高知)に行きたいですと言い始めた時の表情が、カゲがとれたというか、いい顔をしとったんです。『僕にはやっぱり、野球しかない』という顔やった。だからこっちも『1年だけ勝負しろや』と言ったんです」
現在の和歌山東には、谷村剛というドラフト候補がいる。谷村目当てで視察したスカウトと名刺交換しながら、米原監督はこんな言葉を添えている。
「高知で落合秀市が復活しましたんで......。ぜひ見てやってください」
時間を巻き戻すことはできない。だが、落合秀市は野球選手である前に、人間である。ひとりの人間として必要な時間を過ごした男が、今やどんなボールを投げ込むようになったのか。四国の地で、ひとりでも多くの野球ファンに見てもらいたい。
⚾岩手さんへ
岩手はやはり今年も花巻東が筆頭候補なんですね。野球がものすごくコスいから多少投手力が劣っても、序盤は力でねじ伏せてノーシード校を圧倒し、大会終盤には狡猾なやり口で相手よりも1点多くとって進撃するイメージでしょうか??
盛岡大付の脳筋野球は依然と大きく変わって甲子園初戦は無類の強さを誇っているので、近畿勢と早い段階では当たって欲しくないですね。
水沢商は名前すら知らないですが、大船渡は佐々木がミソをつけたので、、、一関学院は甲子園に出たら強いイメージはありますね。
専大北上は昔は強かったけれど、ドラフト裏金問題で高野連から一時除名されてからこっちでは全く名前を聞かないですね・・・・・。
最後に卒業した小学校の動向まで把握されているんですね!
僕は卒業した小中学校の後輩のことは無関心なんで・・・全く知らないですね。高校は野球部と女子サッカー部は逐一、洞察してますが(笑)
P・S 今日のウインク球場は124人の観衆を集めて堺が姫路に11-4で勝利とのことです。
試合時間3時間18分なんで20時18分終了だったら天気良すぎたので日没が19時過ぎゆえに遅くとも6回頃から点灯したのかな?
7回10点差のコールド規定があり、6回表終了7-0で観戦していたら焦っていたと思いますが、6回裏に4点反撃して腰を落ち着けて観戦できたのかなと。
水曜日ゆえに ぽん吉 定休日でマクドナルドで夜ご飯食べて、平日ダイヤでも苦戦しながら帰宅していたのかなと。
とりあえず土曜日の伊勢は雨は降らなさそうですが、熱中症警戒アラートが心配ですね・・・・・。
金曜・日曜が35度で土曜は33度・・・・・でもアレは湿度7割気温1割で数値を決めるらしいので単純に気温が低いからと言って油断できないですから、、、、、
快晴なのに球場到着したら「熱中症警戒アラートの数値が高いから本日中止!!」なんて言われたら、その場で倒れてしまいそうです。。。
大会前からこの熱さなんで、梅雨明けしたら愛知大会の中盤以降は連日中止で最後は予備日なしでゴリゴリの日程を組むのか注視しておきます(笑)