自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

ようこそいらっしゃいました。監督(管理人)の宏鈴法師です。当掲示板は全国どこの話題でもOKですのでどうぞ野球談義・よもやま話をお楽しみ下さい!なお、ご意見ご要望はメールでお願いします。悪しからずご了承くださいませ。


紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
9.19は硬式野球、9.20は軟式野球が開催される予定
なんで近鉄の週末フリーパスで行きます。
観戦記は時間あればカキコしたいです。

近鉄週末フリーパスの紙の企画乗車券は10月で
販売終了します。リンク貼りましたのでご参考に。
https://files.microcms-assets.io/assets/f76cb3f097104533921f6d6262a336ee/e2877a8716e446df9335d7533d8d9e15/oshirase_260916-270331.pdf
2026/09/19(土) 0時00分44秒 No.2627 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(6日目 代表決定戦 紀三井寺球場)
    09:00~ 智弁和歌山- 粉 河  
 ☆☆ 11:30~  田 辺 -和歌 山商

⚾明日の兵庫大会組み合わせ(3日目 1・2回戦)
明石トーカロ球場
 ☆☆ 10:00~   社  -須磨 翔風    
 ☆☆ 13:00~ 須磨 学園-滝 川 二             

ウインク球場
    10:00~  赤 穂 - 星 陵             
    13:00~ 小 野 工-明 石 商     

G7スタジアム神戸
    10:00~ 市 尼 崎- 飾 磨
    13:00~  龍 野 -武庫荘総合

ReFillスタジアム
  ☆ 10:00~  彩星 工科-姫 路 工
    13:00~   高 砂 -須 磨 東                 

ベイコム球場
    10:00~ 高 砂 南-県 伊 丹
    13:00~  洲 本 -篠 山 産

⚾明日の岡山大会組み合わせ(初日 1回戦)
倉敷MS
    10:00~  就 実 - 勝 山
    12:30~ 方谷 学舎-岡山 朝日

エイコン球場
    10:00~ 岡 山 工- 高 梁
    12:30~  美 作 -作陽 学園

✌甲子園 喜怒哀楽 「九学」を全国区にした名将 坂井宏安の「喜」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568845

✌甲子園 喜怒哀楽 県岐阜商ベスト4に貢献 横山温大の「喜」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568830

✌甲子園 喜怒哀楽 高校3年夏の甲子園で65奪三振 辻内崇伸の「喜」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568818

📝実力校ぞろいのBゾーン Cゾーンは鳥取城北が軸 19日開幕、秋季鳥取県高校野球大会
https://www.nnn.co.jp/articles/-/800825?gsign=yes

来春の選抜大会の選考資料となる秋季鳥取県高校野球大会兼第147回秋季中国地区大会県予選は19日、どらドラパーク米子市民球場で開幕し、19チームが熱戦を繰り広げる。上位4チームは中国大会(10月23~25日、31日、11月1日・どらドラパーク米子市民球場ほか)の出場権と来春の県大会のシード権を獲得する。新チームの船出となる大会を展望する。

【Aゾーン】
西部1位の米子東が中心。地区大会の全3試合で2桁得点を挙げた強力打線に加え、バッテリーを中心とした守りも高い。
米子松蔭は堅守を発揮し、5年連続の中国大会出場を狙う。
東部勢同士の対戦となった鳥取西―鳥取東は互いに手の内を知っており、拮抗した試合になりそうだ。

【Bゾーン】
実力校がそろい、激戦必至のゾーン。東部2位の鳥取商は経験値の高い辻を筆頭に、分厚い投手陣を擁する。
対する境は打線がいかに攻略するかが鍵。
西部2位の米子北は夏を経験したダブルエースの小柳、松影に力がある。
1年生主体の米子工は思い切ったプレーで旋風を起こしたい。

【Cゾーン】
鳥取城北が頭一つ抜けている。夏の甲子園を経験した選手が多く残り、投攻守に隙がない。打線は得点力が高く、守備も二遊間を軸に堅い。
米子西は総合力の高さで勝負する。
岩美は投打の中心となる2年生の活躍が不可欠だ。
連合チームは堅実な守備で粘り強く戦い、上位をうかがう。

【Dゾーン】
中部1位の倉吉北がリードする。夏4強の実力を発揮し、地区大会は全試合でコールド勝ちした。活発な打線にそつのない走塁を絡めて攻撃を仕掛ける。
倉吉東はエース村上を中心に、しっかりと守って勝機を見いだしたい。
鳥取育英は小技を使って打線をつなぎ、下克上を狙う。

森岡正博氏が米子松蔭新監督へ
 
秋季鳥取県高校野球大会に向けて米子松蔭の監督が交代し、森岡正博氏が初めて指揮を執る。

【略歴】鳥取市出身。米子商高(現米子松蔭高)卒。高校時代は捕手としてプレーした。卒業後は地元企業に就職。2015年10月から同校で外部指導者を務めており、17年夏と25年春の甲子園出場に貢献した。59歳。

【抱負】選手が思い切ってプレーできる環境づくりを心がけている。レギュラーも控え選手も全員が役割を全うし、一丸となって戦えるチームをつくりたい。一戦一球を大切にして日本一を目指す。

👣明桜・輿石重弘監督が退任 ロッテ山口&オリックス曽谷らが教え子…今月15日付でノースアジア大監督就任明桜・輿石重弘監督が退任 ロッテ山口&オリックス曽谷らが教え子…今月15日付でノースアジア大監督就任
https://news.yahoo.co.jp/articles/9572df8b8ca00cb54cb20399915d50080995a7ae

明桜(秋田)の輿石重弘監督(63)が退任し、今月15日付で系列のノースアジア大硬式野球部の監督に就任したことが17日、分かった。今後は明桜の総監督も兼務する。同校は通常の人事異動の一環であると明かし、「今年は、明桜高校硬式野球部監督としてちょうど10年の節目であり、教頭という教員の要でもあることから、学務に重きを置いていただくとともに、今後は、また違った目で野球の指導を行っていただく」と説明。後任は正式に決まり次第、発表される見通し。

山梨出身の輿石氏は、帝京三の監督などを歴任し、17年4月に明桜の監督に就任。同年夏にいきなり甲子園出場へ導いた。21年夏には同校31年ぶりとなる甲子園勝利を挙げたほか、23年夏にも出場を果たした。明桜での教え子には山口航輝(ロッテ)、曽谷龍平(オリックス)らがいる。また同校は、ノースアジア大監督就任の理由について「輿石監督の力量が買われて、任命されたもの」とした。

📝「金沢の町から人がいなくなった」“高校野球史上最高の試合”死闘の結末で何が起きたか…星稜の名将は「自分の器の小ささがよくわかりました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c36aa5d7fa3a6da25a334857b6b99509852e8b8e

1979(昭和54)年夏の甲子園で行われた星稜と箕島の一戦が「高校野球史上最高の試合」と言われるのは、「ドラマ」という言葉が陳腐に思えるほど、劇的なことが次々に起こったからだ。

16回の攻防がクライマックスだったと言っていいだろう。この回表、星稜はワンアウトから四番の川井直之がデッドボールで出塁。五番の堅田外司昭のヒットでチャンスを広げた。六番が倒れツーアウトとなったが、七番の山下靖がライト前に弾き返して3対2。またリードを奪うことに成功した。あとはこの1点を守るだけだ。

「最後のひとり」のファウルフライが……
 
箕島の打順は四番の北野敏史から。春のセンバツで史上初のサイクルヒットを放った強打者だが、この日は快音を響かせることができない。二塁ゴロに倒れてワンアウト。続く五番の上野敬三が三振し、箕島にはもうあとがなくなった。

六番・森川康弘の打球が一塁側のファウルグラウンドに上がった……。やっと決着がついたというざわめきがすぐに悲鳴に変わった。ファーストの加藤直樹が転倒し、捕り損ねたのだ。加藤は2025(令和7)年に甲子園歴史館で行われたトークイベントで「あの瞬間」をこう振り返っている。

「もう体力の限界に来ていました。フライが上がった瞬間に『捕れる』と思って追いかけたんですけど、気がついたら転んでいて……」

最後のバッターになるところを助けられた形になった森川がフルスイングした打球は、左中間スタンドに飛び込んだ。またも、3対3の振り出しに戻った。星稜・山下智茂監督は言う。

「16回表の山下のタイムリーヒットが出た瞬間に『もう勝った』と思いました。だけど、箕島のライトの守備がすごかったんですよ。ライト線に飛んだ打球を捕ってツーベースにさせなかった。こちらも研究しているけど、箕島もすごいなと思いましたね。

加藤が転がった瞬間は『まあ、仕方がない』と思いました。そのあとにホームランを打たれるとは思ってなかったから。バッターを打ち取ればいい。森川くんはライトヒッターだというデータがあったので、レフト方向にホームランを打たれてショックでした。箕島の底力を思い知らされましたね。同点に追いつかれたことで『加藤は大丈夫かな……』と思いました」

17回は両チームともに三者凡退。残るは18回だけだ。

泣いても笑っても最終回の攻防
 
18回表の攻撃、星稜は三番からの好打順だった。ワンアウトのあと、四番・川井がヒット。五番の堅田が打席にいる時、場内アナウンスが流れた。このまま決着がつかない場合は翌朝8時30分からプレーボールになるという事務連絡だった。

「それを聞いた瞬間、堅田の肩が落ちるのがわかりました。うちには堅田しかピッチャーはいない。明日再試合になったら負けるな……と思いました」

それでも堅田はヒット。ツーアウトから七番・山下がセンター前ヒットを放つも、ランナーはホームに帰れない。満塁のチャンスで代打が三振を奪われて、星稜の勝利はなくなった。18回裏、この日延べ60人以上のバッターと対峙してきた堅田は、足を引きずるようにしてマウンドに向かった。

「猛練習で鍛えてきたといっても、選手たちにもう体力はありません。ギリギリの状態で戦っていましたから。この回、堅田のボールは浮いていましたね」

先頭打者に続き、一死後にこの日ノーヒットの北野にもフォアボールを与えた。ワンアウト一、二塁から五番の上野の打球はショートの頭を越え、二塁走者がホームにヘッドスライディング。4時間近い激闘に幕が下ろされた。

「負けたか……というよりも、生徒がよく頑張ったと思いました。選手たちをほめてやりたい、抱きしめてやりたいというのが、試合後の僕の第一声でした」

エースと心中する気持だった
 
この試合のテレビ視聴率は29.4パーセントだった。

「あとで聞いたことですけど、その時間帯、金沢の町に人がいなかったらしいです。ちょうどお盆やったんですけど、盆踊りで集まった人たちも途中でやめてテレビを見に帰ったという」

これほどの極限の戦いに、もう作戦はなかった。

「堅田と心中する気持ちでした。18回裏に伝令を出して僕の指示を伝えようとしたんです。僕はいつも紙にメッセージを書いて、伝令に持たせる。この時は、『悔いのないように投げろよ』というメモを渡した。それを読めば、少しは落ち着いてくれるだろうと思って。ところが堅田はもう疲れ切ってしまって、それを読むことができなかったそうです。死力を振り絞って投げたということです」

両エースともに最後までマウンドを守り抜いた。石井の投球数は257、19安打を打たれたものの(すべてシングルヒット)、16三振を奪い、3点しか許さなかった。堅田の投球数は208。被安打は12(うち2本塁打)だった。

「うちのほうがヒット数は多かった。それでも負けたんだから、監督の差でしょうね」

星稜が攻め、箕島が追いつくという展開。最後の最後で勝利を手にしたセンバツ王者の指揮官には試合中、ずっと笑顔があった。エラーが出ても“尾藤スマイル”だった。

山下が尾藤スマイルから学んだこと

「あの試合、監督と監督との戦いでもありました。ベンチにいる尾藤(公)さんの表情が見えるんですけど、ピンチでも笑っていましたね。そのことに驚きました。普段の練習や練習試合ではそんなことはありません。笑顔なんかひとつもない。怒ってばっかりですよ。厳しさでは僕よりも全然上です。でも、甲子園では“尾藤スマイル”なんですよね。尾藤さんはミスを許すことができる、度量の大きな監督でした」

箕島に敗れ、尾藤の大きさを思い知らされた山下は自分を変えることを決意する。

「あの試合で、それを見て、自分の器の小ささがよくわかりました。どうして笑うことができるのか——それを考え、研究し続けました。自宅の玄関に大きな姿見を置いて、登校前に10分間、帰宅してから10分間、自分自身とにらめっこをしました。今日のネクタイはどうだろう? 明日は生徒にもらったネクタイで行こうと考えるようにもなりました」

さまざまな種類の本を読み、人の話をよく聞くようにもなった。

「それまでの自分では勝てないと思いいたりました。お医者さんが勉強会を開いてくれたり、経営者の集まりに呼んでもらったり。『これを読んでみたら』と勧められた本を読みました。そうすることで少しずつ成長できたと思います」

自分の成長を実感したことで、生徒との関わりにも変化が生まれた。

「自信がついてきて、自分の心がわかるようになりました。生徒はいつも監督の顔色を見ています。その生徒の表情から、心のなかを覗けるようになったんですね」

あの敗北は山下にとって新しいスタート。星稜が次のステップに上がるきっかけにもなったのだ。

                 〈つづく〉

📝「延長18回と5連続敬遠」の共通点…星稜・山下智茂監督が81歳の今も心に秘める教訓「もしあの試合に勝っていたら、天狗になってクビだったかも」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7c1e00fb041223fe49a392ed3f36a21ea5de2427

1980(昭和55)年は春夏ともに甲子園出場を逃した星稜だったが、その後は甲子園常連校として誰もが認める存在になった。1981年春のセンバツから、5シーズン連続で甲子園まで勝ち上がった。山下智茂監督は当時をこう振り返る。

「(1979年夏の)延長18回を戦って、みなさんに『よくやった』と言ってもらいましたが、やっぱり負けたことは悔しかった。1、2年生はあの試合を経験したことで『次は頑張ろう』と思ったはずです。悔しければやり返すしかない。勝つ喜びを味わいたい。厳しい練習によくついてきてくれました」

それまでのスパルタ練習がさらに激しさを増した。

「目標が明確になりましたからね。日本一になろうと思ったら、箕島みたいなチームに勝たないといけない。それまではひたすら勝つことを目指していたけれど、“尾藤スマイル”を見たり、いろいろな人の話を聞くことで自分自身も変わりました」

しかし、甲子園にたどりついても、勝利が遠い。

育てる野球に変えるために
 
1989年1月7日に昭和天皇が崩御。元号が昭和から平成へと変わった。

「勝つ野球から(選手を)育てる野球にしようと考えました。練習の厳しさは同じですけど、グラウンド以外のことを変えましたね。たとえば、広島遠征の時には平和記念資料館を見学したり、海軍兵学校があった江田島まで移動して、自分たちと同じ10代の若者がどんな気持ちで戦争に行ったのか、平和を考えさせるようにしました」

野球とは直接的には関係ないように思えるが、そうすることで選手の取り組み方が変化していった。

「自分で考えることで、いろいろなことに気づくことができる。そうなると、野球のプレーも変わってきますよね。野球をする喜びも改めて感じるようになったようです」

星稜の躍進の原動力になる松井秀喜が入学したのが1990(平成2)年4月だ。その打棒の強烈さから“ゴジラ”の異名をつけられる松井は、1年生で四番を任された。初めて出場した1990年夏の甲子園は2回戦で敗退したが、翌年夏の甲子園で準決勝進出、1992年春のセンバツでベスト8入りを果たした。最後の夏は、2回戦で明徳義塾(高知)に敗れた。松井が5打席連続敬遠されたことが社会問題になった。

「8月16日は僕にとって特別なんですよ。箕島に延長18回で負けたのも、松井の5敬遠で負けたのもその日だから」

40代半ばを過ぎて、山下はこう考えるようになっていた。

「野球は人がするもの。やっぱり人間力を鍛えないと勝負には勝てない。心を磨かないと野球はうまくならないんです。そういうことに気づきました。

私生活が乱れていたらミスが起こるし、勝負に勝てない。星稜の野球も変化しましたし、それで教えることが楽しくなりました。昔は監督がガンガン怒っていたけど、僕が勉強して変わったことで生徒も変化していった。生徒をもっと喜ばせなきゃと思うようになりましたね」

もし“延長18回”に勝っていたら
 
箕島との延長18回の死闘で敗れたからこそ気づけたこと、そして変化の結果として星稜の甲子園での躍進があった。

「もしあの試合に勝っていたら、天狗になって監督をクビになったかもしれない。『勝負は勝ちゃええんや』と思い込んでいた可能性もあります。そういう意味で、自分を変えてくれた試合でした」

厳しさは以前と同じでも、選手へのアプローチが違った。

「厳しいのは厳しいですよ、そこは変わらず。指導者に大事なものは情熱と愛だと思うんです。それが前に出てきたような気がします」

あの日に生まれた星稜と箕島との絆。山下はのちに両校メンバーによって行われた交流戦で起こったあるシーンをよく覚えている。

「うちが2対1で勝っている場面で僕がマウンドに上がって、代打で尾藤(公)さんが出てきた。打球がピッチャーとファーストの間に上がったから、加藤(直樹)に任せたんですよ。落としそうになりながら、加藤がキャッチしました。試合のあとに尾藤さんがこう言ったんです。『今日は加藤くんに乾杯だ! 』と。加藤は泣きながら、ものすごく喜んでいました。『あの時のあれはエラーじゃない、転倒だ』と尾藤さんが言ってくれたことで、加藤は救われたと思います」

星稜と箕島との「高校野球史上最高の試合」から47年が経った。監督だった尾藤は2011年にこの世を去り、あの時の選手たちは60代半ばにさしかかった。

81歳の今も高校野球の指導を
 
山下は2005年9月に星稜の監督を勇退、野球部名誉監督に就任した。尾藤の後任として甲子園歴史館顧問をつとめながら、81歳になった今もまだ、高校野球の指導を行っている。

「昭和、平成、令和と3元号にわたって、高校野球の指導ができることを幸せに思います。一生懸命に野球をやってきてよかったなと。最後に、自分がお世話になった高校野球に恩返しがしたい」

現在は、母校である石川県立門前高校野球指導アドバイザーの肩書も持つ。

「能登半島の西部にある門前に住む知人から『町おこしをしてくれんか』と頼まれました。野球で勝つことも大事ですけど、町の人たちに喜んでもらえることがうれしい。『山ちゃん、よう頑張っとるな』と声をかけてもらいます。月曜日には幼稚園に行って、小さい子に野球を教えています」

80歳を過ぎても、高校生を相手にノックを打ち、バッティング練習ではピッチャーもつとめる。

「バッティングピッチャーをしないと生徒の調子がわからないんですよ。『ここは得意なコースだけど、ここが苦手だな』というのも。指導を始めて3年なんですけど、はじめはマイナスなことばかりを言っていました。『こうしちゃダメ、あそこがダメ』だと。去年の秋にそれじゃいかんと思い、言葉のかけ方を変えたんですよ。『ここを打ってみたら』『こうすればいいぞ』と言うようにしたら、1年生大会で準優勝しましてね。いい結果が出て驚きました」

指導者がかける言葉の強さを実感する日々だ。

「やっぱり言葉っていうのは大事なんだなと思います。プラスの言葉をかけることでいい結果が生まれる。たったひと言で生徒は変わるんですよ。特に能登の子は素朴です。純粋だから、アドバイスを素直に聞く。だから、めちゃくちゃ伸びるんですよ」

教壇から離れても、山下は根っからの教師だ。

「教師というのは、金は貯まらんですよ。だけど、僕にとって財とは人なんです。生徒があって指導ができるんだから、生徒を大事にしないといけない。特に補欠の子を大事にしないとチームは強くならないと思います。若い監督さんは補欠をほったらかしにするから、問題が起こる。

野球をする以前に大事なのは、あいさつ、しつけ、教育ですね。食べること、グラウンド以外の生活態度、言葉遣い。そういうことを教えていくうちに野球で勝てるようになります」

今も毎日鍛えていますよ
 
100年を超える歴史を持つ高校野球は時代とともに変化してきた。これからも変わっていくことだろう。

「高校野球のいいところは残しながら、変えるべきところを変える。歴史や伝統などは大事にしてほしい」

山下の朝は早い。高校生を指導するために、健康に気を配っている。

「朝4時45分に起床してランニングをします。寮にいる生徒がその時間に素振りをしたり、シャドウピッチングをしたりしているのを見ます。監督だった僕が元気でいないと、OBたちは顔を見に来てくれませんから。健康管理に気をつけながら、いつでも相談に乗れるようにしないと。毎日、スポーツジムに行って、ウエイトトレーニングやって、プールで鍛えていますよ」

80歳を過ぎても、若い時と考えることは同じだ。

「守備を鍛えるのはノックですからね。ノックも昔のようにはいきません(笑)。ミスした時には『ごめん、ごめん』と謝ります。いいノックを打ちたい。少しでも長く野球をやりたいと思っています」

「高校野球史上最高の試合」から47年。時間は過ぎても、名将の野球への思いは変わることがない。
2026/09/18(金) 21時48分19秒 No.2626 編集 削除
💢甲子園 喜怒哀楽 「九学」を全国区にした名将 坂井宏安の「怒」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568842

💢甲子園 喜怒哀楽 県岐阜商ベスト4に貢献 横山温大の「怒」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568827

💢甲子園 喜怒哀楽 高校3年夏の甲子園で65奪三振 辻内崇伸の「怒」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568812

📣「トラックと観客席近く、選手の息づかい感じて…」2028年・国民スポーツ大会に向けて長野県が松本市に整備、新「陸上競技場」公開…1万5000人余りの観客収容…空港と競技場両方を見渡せる大屋上
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b40469678bd95802cee01a138922d94abd38495

2028年の国民スポーツ大会に向けて県が松本市に整備した新しい陸上競技場が報道関係者に公開されました。新しい競技場は国内・国際大会の公認を得た9レーンの全天候トラックを備え、1万5000人余りの観客を収容できます。国民スポーツ大会に向けて松本平広域公園の競技場を建て替えたもので総工費は177億円。陸上競技専用で、トラックと観客席は3メートルほどの近さです。

(県建設部都市・まちづくり課・三宅隆徳さん)「一番の特徴は、トラックと観客席が近く、選手の息づかいを感じていただけること」

また、空港と競技場両方を見渡せる大屋上や、フィニッシュの瞬間を見届けるアルプススタンドなど開放的な造りとなっています。
さらに、冬の間もトレーニングができるようにと、全国でも珍しいという棒高跳びの屋内練習場や、130メートルの屋内トラックが設けられています。

陸上競技場は9月26日のオープニングイベントで一般公開されます。

📝「部員8人で甲子園? とバカにされて」山下智茂が名門・星稜を築きあげるまで「生徒にトイレへ呼び出されて、スパルタの仕返しかと覚悟したら…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3cb0cbaf528e8c18b8977118bb8525e27a436cb7

1979年夏、箕島と「高校野球史上最高の試合」を戦うことになる星稜。その舞台への道のりは楽なものではなかった。当時の監督、山下智茂に話を聞いた。

箕島高校(和歌山)野球部の栄光の歴史は尾藤公監督によって始まったと、1979(昭和54)年に春夏連覇を果たしたエース・石井毅は言った。同様に、星稜高校(石川)野球部の礎を築いたのが山下智茂だということに異論を唱える者はいない。

1945年2月、石川県生まれの山下は門前高校から駒澤大学に進んだものの、野球部のレギュラーは遠かった。大学卒業後、金沢市にある星稜の社会科教諭になり、野球部監督も任された。

部員8人で甲子園なんて…とバカにされて
 
しかし、野球部専用のグラウンドもなく、部員はわずか8人だけ。当時は公立高校の受験に失敗して星稜に入る生徒も多かった。

「星稜には、裕福な家で育った頭のいい子が多いんですけど、校門に入る時にうつむいている生徒が多かった。自信がなかったんでしょうね。だから、胸を張れるようにしないといかんと思いました。それで、『3年で甲子園に行く』と全校生徒の前で宣言しました」

ところが、生徒たちからは山下が期待したような反応はなかった。

「部員8人でそんなことができるわけない……とバカにされましたよ」

野球という競技は9人が揃わなければ試合ができない。生徒たちの冷淡な反応も仕方がないところだろう。夢を語るにしても荒唐無稽すぎると思われたのかもしれない。しかし、山下は有言実行の男だった。

監督に就任したのが1968年4月。2年後には北陸大会で準優勝するチームをつくりあげた。甲子園に初めて出場したのは1972年夏。宣言よりも1年遅かったが、見事、甲子園に星稜の名を刻んだ。

「まだ弱いチームだったので、僕は超スパルタでガンガンやったんです。一生懸命に練習に打ち込む姿をほかの生徒たちも見てくれていたんでしょうね。雪の季節に朝からグラウンドの雪かきをしていると、ヤンチャな生徒たちがスコップを持ってきて手伝ってくれました。女子生徒たちはトイレや教室の掃除を自主的にしてくれるようになりました。学校全体が明るくなりましたね」

実はその1年前の夏にも甲子園出場のチャンスがあった。石川大会の準々決勝で金沢錦丘、準決勝で金沢市工を下して福井代表との決定戦に臨んだ星稜は、準決勝で福井商業に大勝したものの、決勝で美方に1対3で敗れた。

生徒たちにスパルタの仕返しをされるかと思いきや

「あの当時は、石川県と福井県で戦って、1校しか甲子園には出られなかった。決勝で負けたあと、生徒たちが『トイレに来てください』と言うわけですよ。当時、僕はスパルタ指導をしとったもんですから、『これは仕返しをされるかな』と思って覚悟したんですけど、みんなに胴上げをされました」

甲子園には届かなかったが、星稜にとって大きな大きな一歩だった。

「あの時の感動は忘れられんですね。もっと頑張ろうと思いました」

山下は尾藤の2学年下だ。1968年に甲子園初出場を決めた尾藤より少し遅れて同じ全国のステージに立ったが、1970年春のセンバツを制し日本一監督となった尾藤の背中はまだ見えない。

「箕島野球の強さを支えていたのはやっぱり練習量じゃないですか。あの時代、甲子園に出てくるチームはどこもスパルタでしたけど、箕島の練習を見たら本当にすごかった。選手はみんなユニフォームを泥だらけにして監督に向かっていく。監督と勝負をしていたんでしょうね。そうして強い精神力ができあがっていったんだと思います」

1972年夏の甲子園で、星稜は1回戦で北見工業(北北海道)を下して全国初勝利をあげた。1976年夏に2度目の甲子園出場を果たし、2年生エースの小松辰雄の好投でベスト4まで勝ち上がる(準決勝で桜美林〈西東京〉に敗退)。しかし、そのあとは甲子園に出場しながらも3大会連続で初戦敗退が続いた。

「1979年も、春には川之江(愛媛)に負けました。夏の目標は日本一になった箕島を倒すことでした。だから、それまで以上のスパルタ練習をやりました。箕島に勝てないと思ったから」

センバツで1回戦負けしたチームが日本一になるためには練習しかない。

「谷村誠一郎(現星稜野球部部長)という生徒が当時マネージャーをやっていて、保護者会の会長はそのお父さんで、北陸電力に勤める人。『このままでは勝てんから、選手たちがボイコットするくらい厳しい練習をします』と事前に話をしました。『センバツに出たから夏はもういい』という気持ちでは困る。その荒療治がうまくいって、チームがいい方向に進んでいきましたね」

甲子園に行きたい、から甲子園で勝ちたい、に
 
サウスポーの堅田外司昭は1年生からマウンドに上がるエース。ほかにも実力を備えた選手が揃っていた。春になって、のちに中日ドラゴンズなどで活躍する音重鎮が新入生としてチームに加わった。

「将来的に伸びるだろうという力のある子は、1年生の時から試合で起用しました」

その頃には、山下が掲げる目標は大きくなっていた。

「甲子園に出る前は甲子園に行きたいという気持ちでしたけど、そのあとは甲子園で勝つチームをつくりたいと思うようになるんですよ。もっと上を目指したい、甲子園で優勝したいと」

箕島が春のセンバツで優勝する前から、山下は箕島をターゲットとして考えていた。

「石井(毅)くんが1年生の時に招待試合をしたことがあるんです。尾藤さんは『いいピッチャーを投げさせるから』と言っていました。まだ彼がアンダースローになる前。その試合はノックアウトしたんですけど、2年生になって本当にいいピッチャーになった。やっぱり、尾藤さんには選手を見る目、先見の明がありますね。だから、正月にうちの生徒に宣言したんですよ、『今年は打倒・箕島、打倒・石井で行くぞ』と」

夏の石川大会の準決勝で金沢商、決勝で輪島を下して甲子園出場権を得た。

キャプテンが「箕島とやりたい」と
 
組み合わせ抽選会の前、キャプテンとの会話を山下はよく覚えている。

「弱いところを引っ張ってこいと言ったんだけど、(キャプテンの)山下靖は箕島とやりたいと言う。僕は『それは決勝でいいから』と。どうせ抽選だから当たるはずないと思ったら、(1試合)勝ち上がったら箕島と対戦する組み合わせになりました」

初戦となる2回戦で宇治(京都)を下せば、札幌商業(南北海道)と箕島の勝者と戦うことになる。

「石川県だけじゃなくて、雪国の子って、性格がおとなしいんですよ。でも、甲子園に来て『箕島とやりたい』と言えるようになったかと思って、ものすごくうれしくなりました」

8月12日に行われた宇治との2回戦。堅田が宇治打線を抑えて完封勝利。13日に登場した箕島は札幌商業に7対3で勝利を挙げた。
星稜の選手たちが切望した箕島戦は8月16日、第4試合で行われることになった。

                 〈つづく〉

📝「野球観、人生観を変えてくれた」箕島との“延長18回”を星稜・山下智茂監督はどう戦ったか…サヨナラ危機で出た奇跡のプレーに「私もびっくり」
https://news.yahoo.co.jp/articles/449826be7052fd09b740607e831c984b7814c7e0

1979(昭和54)年8月、星稜の監督として指揮をとった山下智茂は34歳だった。

「僕の野球観、人生観を変えてくれたのがあの延長18回でした。いいゲーム、ライバルとの出会いによって、人間は大きく成長していきますからね」

星稜の先発はエースの堅田外司昭、箕島はもちろん石井毅だった。

アンダースローの石井の攻略法とは?
 
この年が明けた時点で「打倒・箕島」「打倒・石井」を掲げた山下は、石井攻略法を温めていた。

「アンダースローのボールをどうやって打つかということを研究しました。バッターボックスの前寄り、ベースに近づいて立って、デッドボール覚悟で打ちにいく。石井くんはアンダースローだけど、ボールに勢いがある。だから、流そうとしたらファウルになるんです」

当時の動画を確認すると、石井のストレートの球速表示は120キロ程度だが、実際は違ったという。

「いやいや、145キロくらいは出ていたんじゃないですか。だから、セカンドの頭を狙ったら振り遅れてファウルになる。キレがあって、バッターの近くでピュッと伸びてきました」

先手を取ったのは星稜だった。4回表に五番・堅田のレフト前ヒットで1点を先取。その裏、箕島は六番・森川康弘のライト前ヒットで同点に追いつき、1対1のままで9回が終わった。
延長戦に突入する時、甲子園球場の照明が点灯し、ナイトゲームになった。両校の選手たちはのちに「照明が点いてワクワクした」と口を揃えた。

「甲子園ではどんなことがあっても対応できるように、いろいろな準備をしました。たとえば雨が降っても試合が続くことがありますよね。当時、金沢に照明設備はあまりなかったんだけど、そういうところを借りて練習したこともあります。しっかりとした準備をして生徒を戦わせるというのは、指導者の役割だと思うんです。あの日、3万人以上のお客さんが入っていて、照明に照らされた甲子園球場はものすごくきれいで、最高の気持ちでした」

堅田は失点した4回以外、箕島打線にチャンスをつくらせない。しかし星稜打線も9回までに7安打を放ちながら9三振を奪われ、石井を打ち崩すことができなかった。

実力伯仲のまま試合は延長戦へ
 
本来、9回でゲームセットとなるはずなのに、終わりの気配は見えなかった。

「石井くんも堅田もコントロールがいいし、テンポよく投げ込んでいく。少しも長いと感じなかったですね」

延長に入ってからは先攻の星稜が攻めては、箕島が追いつく展開となった。

「箕島の守備がうまいんですよ。三遊間を抜けたと思ったらそこにショートがいる。データも分析され、かなり研究されていたと思います」

10回、11回と石井からヒットを打ちながら得点できなかった星稜にチャンスが巡ってきたのが12回だった。ワンアウトから六番・音重鎮がヒットで出塁、七番のキャプテン・山下靖がフォアボールを選んで一、二塁。八番の石黒豊の打球を箕島のセカンド・上野山善久がエラーして、待望の1点が入った。なおも、ランナーは一、三塁にいる。もう1点加えれば勝利が近づいてくる。
山下が選手に送ったサインはスクイズだった。しかし、九番の若狭徹がそれを見落とし、ランナーはタッチアウト。その後、若狭が三振に打ち取られて追加点は奪えなかった。

あとひとりで勝利の場面で、まさかの……
 
それでも膠着状態の試合で、相手のミスによる1点を加えた星稜は絶対的に有利だ。あと3つのアウトを取れば王者を倒すことができる。堅田は疲れも見せず、テンポのいいピッチングを続ける。12回裏、八番、九番を打ち取り「あとひとり」となった。そこで迎えたのが強打のキャッチャー、嶋田宗彦だった。試合を振り返る時、山下が最も印象に残る場面に挙げたのが嶋田のこの打席だ。

「1点を取って、ツーアウトになった時点で『もう勝ったな』と思いました。試合後のインタビューのコメントを考えていたくらいです。それがダメでしたね。のちのち(箕島監督の)尾藤(公)さんと話したら『俺もそうだった』と言っていました」

しかし、試合はまだ終わっていなかった。嶋田は打席に入る前に「ホームランを打ってきます」と尾藤に宣言し、言葉通りに同点ホームランをかっ飛ばしたのだ。
12回表のピンチの場面、スクイズを防ぎ、三振を奪ったあと、キャッチャーの嶋田はボールを地面に叩きつけるようにしてマウンドに投げ返したと石井が証言する。失点したことに対する悔しさや苛立ち、嶋田の負けん気の強さがその動きに表れていた。

「それは知りませんでした。でも、気持ちの強い選手でしたからね。そうじゃなかったら、追い込まれた場面で宣言通りにホームランを打つことなんかできないでしょう。本当にすごかったですね」

あれほどの逆境で実力を発揮することが今の高校生にできるかどうか。昭和の野球で培われた反発力、メンタルの強さが打たせたホームランだったように思える。

「センバツ優勝チームだし、『星稜に負けるものか』という気持ちがあったんでしょうね」

サヨナラ負けの大ピンチに出たミラクルプレー
 
14回裏、今度は星稜が追い込まれた。ライト前ヒットを放った箕島六番の森川が送りバントで二塁に進み、ディレードスチールで三塁を奪う。ずっと攻め込んでいた星稜にとって、サヨナラ負けの大ピンチ。ここで「まさか」のプレーを見せたのが、サードの若狭だった。ユニフォームを汚しながら立ち上がりベースを離れた森川に、ボールを隠し持っていた若狭がタッチ。“隠し玉”でピンチを免れたのだ。

「いつも“隠し玉”の練習はしていました。長打を打った選手が油断して、ボールから目を離すことがあるから。内野手が脇の下にボールを隠して『持ってないよ』という仕草をすれば相手を欺くことができる。そんなことを冗談めかして言ったこともありました」

あの緊迫した場面で飛び出した“隠し玉”に選手も監督も、球場の観客も驚かされた。

「スキがあれば狙えとは言っていたものの、あの場面でできる若狭がすごかった。塁審が『アウト! 』と言ってから、『あいつ、やりよったな』と思いました」

内心では山下も「本当にびっくり」
 
古い動画を確認すると、ベンチに座る山下は拍手をしながら「うん、うん」とうなずいているが、内心では驚いていたという。

「練習で成功しても、甲子園で、ましてやあの場面でうまくいくことはなかなかないですよね。本当にびっくりしました」

2年生の若狭はその日、その回まで5打席連続三振を喫していた。ここしかないという場面で飛び出したファインプレーだった。

                 〈つづく〉

⚾SHIONOMISAKIさんへ
先日は、北海道道南遠征お疲れさまでした。こっちは普通に半袖シャツで身動きが取れますが、あっちの方は上っ張りがもういるのかもしれないですね・・・・・。
そして、東京レジスターズは初耳です!一生見ることのないチームだと思いますが、思い切って首都圏に独立リーグ設立したんですね。。。
初代カンドクも最初は盛り上がりましたが、目の肥えた関西のファンがわざわざ地方球場に足を何度も運ぶことなく廃れてしましましたが、、、向こうは巨人・ヤクルトがいるし、社会人・大学・後攻なども強豪ぞろいでわざわざ独立リーグを観戦に行く東京モンがいるかどうか?????

山梨球団がどうなったのかは分かりませんが、またBCリーグは10球団を超える数になりそうですね。僕は来年、チャンスがあれば岐阜球団を観たいと思ってますが・・・・・。

さて、秋季三重大会ですがたぶんご承知の通り9/19までは ①9:00~ ②15:00~となっております。約4時間のインターバルで入れ替え制もあるらしく、第1試合終了後は一旦全員強制退場させられ再度14時開門の折に朝に購入したチケット提示して再入場できるとか・・・・・。夏の紀三井寺でははっきり確認していませんが、そのまま荷物置いてどこかに消えたり、そのまんまスタンドで待機していた客もいたはずだが・・・・・。

もう大丈夫と思いますが、僕が四日市に足を運んだ折は球場着いたら貼り紙あり「第2試合は16時開始に変更となりました。開門予定は15時です」とかまされ2つとも8回コールドながら18時52分終了だったかなあ・・・急いで近鉄四日市駐輪場までケッタ(三重弁で自転車のこと)漕いで帰りました・・・・・。日曜以外は20時返却ですが、鈍行で帰りたかったので。近鉄電車は運賃高いし!

とりあえず、津市営球場の周辺には津新町駅からの商店街を中心に飲食店が充実しており、松菱百貨店もあるし、津城跡公園・その隣の図書館・津観音・四天王寺・津なぎさまち港など観光や散歩コースもあるので適当に時間は潰せるかと。

21日・23日・26日は ①10:00~ ②14:00~となりますね。僕は準決勝観戦予定なんで、第1試合終了後に津は『ぎょうざ と うなぎ』が名物なんで久しぶりにうなぎ食べに、松菱の北側にある『つたや』で食べられたらと。まさかの第1試合3時間ゲームとかなったら、近所のファミリーマートで弁当に切り替えかも、、、、、

なんとか台風が関東方面に逸れそうなんでとりあえずホッと一息。あとは27日の雨予報が気がかりですが、春に続いて秋も奈良大会4試合観戦できたら。コールド多発地区なんでまた2試合あるいはそれ以上7回で終わるかもしれませんが、、、日没が早くなるのでナイター点灯に期待します!

⚾岩手さんへ
朝から晩まで快晴とは羨ましいですね・・・。今日もこっちは午前中晴れでしたが昼過ぎには曇り空に変わり、9月に入り1日中晴天の日はあったかどうか・・・・・。それでも、半袖で充分過ごせる蒸し暑さだし、晴れたら本当に熱いので街を歩いていると冷房の効いたコンビニに意味もなく立ち寄ってしまいますね(笑)

ずっと2週間天気予報やゴゴスマを中心に毎日天気予報は見ておりますが、9月に入りとにかく雨マークが多すぎるので・・・・・。なんとかギリギリ回避できたり、雨の中傘を差しながらスコア付けして凌いでいるといった感じですね。屋根のないG7スタジアムで20分ほどの通り雨は辛かった・・・・・。午前中は晴れて熱かったし、厳しい観戦環境ではありますね。

とりあえず、明後日の明石トーカロは問題なさそう。屋根がないので熱さに気を付けたいところですね。23日の津は雨が降りやすい地域なんで警戒はしております。先日、したためた観戦記では雨の3時間ゲームで第2試合は到着前に中止発表されてしまったし、、、、、、津は約1年4ヶ月ぶりの来場になりますね。そこまでブランクがあるような気がしないですが。

春は松阪 夏は二部制の四日市 そして秋は津に行けたら満足です。伊勢は明倫商店街が焼けてしまったし、昨秋愛知との交流試合で出かけたのでまた来年になるかな?屋根があるので二部制の夏も対応できそうですが帰りの足が一番のネックですね・・・・・。遅くなれば往復近鉄特急に乗らなアカンし、夜ご飯は夏と同様近鉄電車の車内でファミリーマートの冷やしうどんすすって時間短縮を図り最終電車とのシビアな戦いとなるので。。。。。

P・S 最近はYouTubeがあるので、生観戦できない人も少しは楽しめるかも?!と思いますが、僕は自分が観戦していない球場の兵庫大会の試合でも軽くしか見てないので・・・。ブラスバンドが来ているかどうかを確かめるくらいかな?
2026/09/17(木) 22時18分40秒 No.2625 編集 削除
 何日振りかな?
🌄から日の入りまで太陽が出ていたのは、たまに晴れていても10~15分位☔が降り出す事がたたありましから、おかげで何度かびしょ濡れなりました。
 管理人さんの今後の予定を拝見しました。
 天候だけですね、不安要素は体調管理は申し分ないと思いますから!
 9月中は2,3日置き位だね!
いつもながらうらやましいかぎりです。
2026/09/17(木) 19時35分21秒 No.2624 編集 削除
SHIONOMISAKI

三重県大会

編集済
令和8年度 秋季地区大会開催日程
リンク検索しました。私事だけど9.19なら行けるかな?
近鉄特急のポイントがあるので津まで片道使おうかな?
シルバーウイーク初日、早朝の近鉄特急はまだ空席
あるので。週末フリー乗車券購入なら9.19と9.21
使えるね。検討します。
2026/09/16(水) 23時34分25秒 No.2623 編集 削除
第3話 エース・桑山先発完投でいざ三重決戦へ

5/24 春季東海大会 2日目第2試合 ダイムスタジアム伊勢 津田学園(三重①)-豊川(愛知①) 13:04~15:45 

    一二三四五六七八九十計HE
豊  川000010020 342 平野、中西、田原-近藤
津  田10100004X 650 桑山-伊藤

        第一試合
        三  重8
        岐 城 北5

 第1試合で三重が勝ち、続く第2試合で津田学園が勝つとめでたく地元で三重対決が行われるのだが・・・・・。
津田学園は二日前の開幕戦で雨の中、中京相手に大苦戦を強いられながらも3時間ゲームを制し、エース・桑山も終盤投げて逆転勝ちに大きく貢献した。
豊川は初戦雨で流したが、昨日17-7でコールド勝ちして伊勢に乗り込んできた。やはり近年は強力打線を看板に勝ち上がってくるだけに手ごわい。

佐川監督はここでエース・桑山を先発に抜擢。夏に向けて三重県にはいない強打のチーム相手にどこまで通用するかを試したいところだろうか?豊川は背番号10の平野が先発。
津田学園は口ラッパの応援だったが、豊川は遠路はるばる太鼓1つ持っての応援だった。

グラウンドは全面人工芝にリニューアルされ、外野席はコンクリートの打ちっぱなしでザブトンと弁当・水筒もって外野席で昼ご飯。スタンドを反時計回り一周して40分ほどのインターバルを経てプレーボール。試合開始は予定よりも32分遅れの13時04分だが終了はいつになるのか?????

試合は豊川が先攻でプレーボール。桑山投手は豊川の強力打線を三者凡退で抑える完璧なピッチング。その裏、津田学園は1死後に2番・古田がセカンド内野安打で出塁。相手の先発・平野投手は初回から146kmの剛速球を投げ込んできただけに手ごわそうだ。3番・田北7球粘ってショートゴロゲッツー崩れ。しかし4番・恵土がフルカウントからセンター前ヒットを放ち1・3塁として5番・石井の初球まさかのワイルドピッチでラッキーな先取点が転がり込んできた!

先取点を許した豊川はこれで火が点いたのか?1死後5番・北田がセンター前ヒット。6番・中神はスライダーに三振を喫したものの7番・林朔はレフト前ヒットで2死1・2塁。8番・近藤は追い込まれてからしぶとく粘ってファール連発し、9球目快心の打球を放つもファーストライナー・・・。しかし、平野投手は力任せの剛速球だけではなくフォームなど変化球を織り交ぜ津田学園の下位打線を翻弄し三者凡退に抑え流れをつかみかけた。

3回表豊川はメイデンのマネをしたのか?執拗に走者がいない場面で初球セーフティーバントの構えや実際にバントして揺さぶりをかけるも何もさせてもらえず三者凡退。
その裏、津田学園は9番・伊藤のセンター前ヒットに四球でチャンスを作り、手堅く送って1死2・3塁でクリーンアップトリオを迎え、3番・田北フルカウントからセカンドゴロを放ちスクイズと同じ形で渋く2点目。しかし、なおも続く2死3塁のチャンスは4番・恵土外角146kmの剛速球に手が出ず見逃しの三振・・・。初戦は中京相手に終盤まで苦しんだ津田だが今日は2点リードで序盤を終えた。

4回表豊川はクリーンアップトリオの登場だが、3・4番に2年生コンビはフライアウトに倒れ、5番・北田はフルカウントからスライダーに三振で三者凡退。その裏、津田学園も平野投手の前に三者凡退に抑えられこの分だとコールドの心配はないだろうと!

5回表反撃の機会を伺う豊川はまず先頭打者に代打・八木を起用しいきなり初球バントをかますもファール・・・。カウント2-2からまさかの振り逃げで出塁。ここはバントでも不思議ではないが、長谷川監督は強攻を命じキャッチャーフライ。1死1塁から8番・近藤は3球目・5球目にエンドランを仕掛けるもいずれもファールで7球粘って空振り三振も盗塁成功で2死2塁。
9番・平野投手をそのまま打席に立たせて初球まさかの三盗。そしてカウント2-1からまさかのパスボールでノーヒットながら1点を返した!そして5球目ファールを打った直後に佐川監督がタイムを要求。微妙な間合いに???と感じたが、警戒しすぎたのか四球。2死1塁ながら初球まさかのバントの構えを見せた1番・林優だが1-1からサードフライ。
1点差に迫られた津田は2死から1番・田中が左中間ツーベースを放ち中押しのチャンスをつかむも2番・古田サードフライで整備に入った。

前半を終えて2-1と津田学園が1点リードだが、エース・桑山が先発して投げ続けているだけに安心感はある。暴投と内野ゴロの間に2点をもぎとり逃げ切り体制に入ったが、5回のパスボールによる1失点が余計だったか・・・。1点差なら何かの拍子にスキができて追いつかれる可能性もあるし、豊川は強力打線が看板なんで100球を超えてくる終盤に少しだけ不安がなくもない。早く追加点を奪って安心したいところだが、相手の背番号10・平野投手はエース格なのか?安定感はあるので牙城を崩すのは至難の業だ。
しかし、5回終了2-1というロースコアながら東海大会らしく1時間26分を消化している・・・津田学園はよほど3時間ペースのロングゲームがダイスキなんだろうか???

6回表豊川は2番からの好打順。1死後3番・上江洲が粘って四球をもぎ取り4番・長谷川が一発放り込むとあっという間に3-2逆転だが、意識しすぎたのか?初球ライトフライ。両翼91、2mの津と違って伊勢は97、5mあるのでなかなか一発を打つのは難しい。ならばと1塁走者盗塁を決めて一打同点のチャンスを作るも5番・北田ショートゴロで同点ならず。
その裏、津田学園も3番からの攻撃で活路を見出したかったが相手野手の好守もあり3人で攻撃を終え1点差のまま終盤に突入。

1点を追う豊川は7回またもや先頭打者がバントの構えを見せるトリッキーな動きを見せ、フルカウントからデッドボールをもらった。7番・林朔2ボールとなり、1球待って四球狙いもあり得たが、素直にバントで送って1死2塁。8番・近藤は2-2からエンドランを仕掛けファール。そして6球目も連続エンドランを仕掛けたがまさかのセカンドライナーダブルプレー・・・・・。
できればもう1点取って楽な展開にしたい津田はその裏2死から8番・桑山投手自ら左中間へツーベースを放つも9番・伊藤ショートフライで4回以降ホームが遠かった・・・。

そして8回表豊川は先頭の平野投手に代打・木村を起用して勝負手を打ってきた。期待に応えて木村はレフト前ヒット。当然バントの場面で初球からしてきたがサードの野選で無死1・2塁と願っておないチャンス到来!2番・裏も当然バントのサインは出ていたが、2球連続ファールで追い込まれしゃーなしに打たせて空振り三振。しかし3番・上江洲が1ストライクから打った瞬間それと分かるレフトへの特大ホームランを放ち4-2となるはずだったが、、、、、逆転3ランを放ち舞い上がってしまったのか?ゆっくり走ればいいものを猛然と塁上を駆け抜けなんと1塁走者を追い越してしまった・・・・・・・。信じられないボーンヘッドでホームランは取り消しとなり2者生還は求められたもののバッターランナーアウトで3-2と。
さらには代打の関係で投手交代を余儀なくされ2番手でエース・中西が満を持して登板したが、、、、、1番からの攻撃でいきなりストレートの四球・・・・そして2番・古田のキャッチャー前送りバントがエラーを誘い同じように無死1・2塁。佐川監督もバントのサインを出し続けたが、こちらも2球ファールで追い込まれしゃーなしに打たせたらなんとボール球の連続で無死満塁!!!
長谷川監督は辛抱たまらずエースをベンチに下げ3番手・田原を送り込んだが無死満塁の大ピンチでリリーフを告げられても・・・。カウント1-1から痛恨のワイルドピッチで労せず同点に追いついた津田学園。さらにここから連続四球で押し出して勝ち越し!6番・正木はショートゴロ正面でホームゲッツーかと思われたが、ショート・林朔これを後ろに弾く2点タイムリーエラーで6-3となってしまった・・・・・。まだまだコールドには点差があるので遠慮なく攻めたかったが、送りバントがファーストフライとなり、下位打線も打ち取られ6-3で最終回へ。

9回も桑山投手はマウンドに上がり、先頭にショート内野安打を許したものの、6番・八木快心の打球もピッチャー正面のゴロでダブルプレーなど結局3人で攻撃を終え桑山投手9回152球3失点の熱投で三重高校との決勝戦が実現した。

試合時間2時間41分。試合終了は15時45分と長い長い3日間の旅が終わりを告げた。初日の雨さえなければ、この日はゆっくり後泊で岐阜・養老鉄道の旅を楽しむところだったが、入れ替えざるを得なかった。朝から桑名のヤドを出て伊勢まで足を伸ばしロングゲーム2つ見て宝塚まで大移動と長い長い3日間。。。
津田学園は2試合連続観戦する運びとなり、評判高い桑山投手を2度見ることができたし結局夏も優勝して3回戦進出したわけで強さを見せつけた。

豊川も幻のホームランがあり強打の片りんは見せつけたが、投手交代でバタバタしてしまい競り負けてしまった・・・。もう1年早くDH制が導入されていたら試合の行方は変わっていたのかもしれない。

三重と岐阜の空気をたっぷり吸って、まだそのほとぼりが冷めないうちに中四日で今度は倉敷の中國大会へ。悲しいかな2023年から春季中国も秋同様2球場に分割して開催されてしまったので1日4試合観ることができず前年だった。しかし、めったに足を運ばない倉敷市営球場に行ける運びとなり、さすがに今回は過去3度観戦してすべて点灯試合という幸運に恵まれたが、春の長い日照時間で海星だったのでナイターには縁が無かったものの、ブラスバンドの応援を堪能できた。それは次回の講釈で。

チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 本塁打 犠打 犠飛 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
豊  川 平 野  7  27 111  5   0  1  0  1  0  6  0  2  2
豊  川 中 西  0/3  3  13  0   0  1  0  2  0  0  0  3  1
豊  川 田 原  1   6   18  0   0  0  1  2  0  0  0  1  0

津田学園 桑 山  9  34 152  5   1  2  0  2  1  7  1  3  1

                         (完)  
                     
                 🌟新シリーズのお知らせ🌟 
            春季中国大会🔥岡山県勢VS中国4県王者🔥in倉敷       
5/31 春季中国大会 初日開幕試合 倉敷市営球場 創志学園(岡山②)-南陽工(山口)
2026/09/16(水) 22時57分36秒 No.2622 編集 削除
📝前 説・・・『チーム宏鈴』結成22年11ヶ月

8月の1ヶ月間・・・のべ人の方々から閲覧履歴があり1469アクセスしていただき感謝申し上げます。

さて夏の甲子園は4年連続有観客開催で声出し応援もOKで台風接近で一部日程が狂い予定より1試合多い、4日間13試合をスタンドで観戦(2試合は外野席)し、史上最強と思われた2025に“劣るとも勝らない”猛暑で疲労困憊ながらも熱中症を回避でき何よりでした。

選手権大会閉会式後の8月下旬は紀三井寺の2代目カンドク薄暮ナイター~明石トーカロの軟式高校野球走り夏の疲れはここの観戦記よろしくたまっていく一方。そして9/5舞洲の大阪シティ信用金庫スタジアムで西九条からレンタサイクル借りて近畿学生野球3試合観戦。秋季兵庫大会が12日開幕し、初日はベイコム(尼崎記念)2日目の13日はG7スタジアム(神戸サブ)に足を運びました。
来年よりも再来年に数多く行くであろう宿泊観戦を見越して今秋の宿泊観戦は見送りで年内はオール日帰り観戦。

それでは現時点での今後の予定を発表・・・・

  19日  明石 トーカロ  兵庫大会2回戦        夏Vの社と夏4強の須磨学園の新チーム目当て
  21日  ウイ ンク  兵庫大会3回戦        約5か月ぶりに姫路に足を運んで播州の風を感じたい
  23日  津 市 営  三重大会準決勝        二部制の三重大会。中抜けして昼ご飯は津うなぎを食べたい
  26日  トーカロかウインク  兵庫大会準 々        まだ球場・時間は後日決定ゆえにトーナメント見て吟味する 
  27日  さとやくS  奈良大会準 々        春に続いて8時30分から準々決勝4試合観戦を楽しみに

10月 3日  マイネット皇子山  滋賀大会最終日        滋賀国体以来1年ぶりに琵琶湖を見たい
   4日  紀三 井寺   和歌山大会二次予選最終日   今年最後の僕だけの聖地巡礼
   10日  あ や べ  近畿大会出場決定戦      初の試みとなる企画。3位校4校の対戦で今まで縁が無かった日東精工スタジアムに初見参
17日~11/1  わかさ京都  近畿大会観戦         春は1回戦しか近畿大会観れなかったので、4年ぶりに全試合観戦予定

ざっとこんな感じで考えておりますが、天候に左右されるので、まだまだ流動的ですが願わくば、11/1無事に西京極で閉会式を見物して「壬生温泉 はなの湯」で湯治して冬に備えられたらと・・・・・。

みんなで飲もう!  おいしい水。

💙しつこく💚しぶとく💜泥臭く💛 「誰からも愛される」というよりも「誰かに慕われる」掲示板目指してアットホームな雰囲気でやっていきたいのでお願いします!!

📝(9/16 2回戦詳細試合結果)第79回秋季東海地区高等学校野球三重県大会
https://mie-kouyaren.com/wp-content/uploads/2026/09/464fd4b7259c03cde683b9d2ac5b6b6e.pdf

📝令和8年度 秋季岡山県高等学校野球大会組合せ表
https://www.okayama-hbf.com/uploads/202609/20260916_967365756aaa7d3614fcd.pdf

9月19日(土)から10月10日(土)まで秋季岡山県高等学校野球大会がマスカットスタジアム・美咲エイコンスタジアムを会場に行われます。

🎤甲子園 喜怒哀楽 高校3年夏の甲子園で65奪三振 辻内崇伸の「哀」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568806

🎤甲子園 喜怒哀楽 「九学」を全国区にした名将 坂井宏安の「哀」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568836

🎤甲子園 喜怒哀楽 県岐阜商ベスト4に貢献 横山温大の「哀」
https://sports.yahoo.co.jp/video/player/27568824

📝甲子園Vの智弁和歌山の軌跡紹介 スポーツ伝承館で「優勝展」始まる
https://news.yahoo.co.jp/articles/658b8bc849699b9ea6e74069ea3f130c9e335062

和歌山市本町2丁目のフォルテワジマ3階「わかやまスポーツ伝承館」で15日、「智弁和歌山優勝展」が始まった。第108回全国高校野球選手権大会で5年ぶりの優勝を果たした智弁和歌山の活躍ぶりを紹介している。

甲子園では、初戦の社(兵庫)から決勝の健大高崎(群馬)までの計5試合を戦った。各試合の象徴的な場面の写真パネルと共に試合内容の経過が添えられており、優勝までの軌跡をたどることができる。

江川哲二館長(63)は「智弁和歌山の功績をたたえつつ、高校野球の魅力が伝われば」と話した。ほかにも選手のプレーやアルプススタンドの様子の写真パネルも展示。実物の優勝盾や優勝メダル、ヘルメットなども間近で見られる。

この日、午前11時ごろに訪れた市内在住の高校野球ファンという50代男性は、展示品をスマートフォンで撮影していた。「和歌山の高校が甲子園で優勝してくれたことがうれしい」と話した。

10月18日まで。午前10時~午後7時(最終入館は午後6時半)、入場無料。問い合わせは同館(073・423・2215)。

📝29歳で名門・東邦の監督に 選手のひと言で気づいた「自分の野球を示す」大切さ【東邦・山田祐輔監督】
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/2026090600004-spnavi

100年を超える歴史を持つ高校野球。今春からピッチャーの代わりにバッターが打席に立つDH(指名打者)制が導入された。現在の9イニング制を7イニング制に変更することも検討されている。高校野球はどう変わるべきなのか?――若くして監督を任され、チームを甲子園に導いた指導者に、今後のあるべき姿、指導法について聞く。


信がなかった母校での指導
 東邦(愛知)を1989年春のセンバツで日本一に導いたのは阪口慶三監督。2019年には、森田泰弘監督がセンバツ制覇を果たした。2020年4月から、この名門の指揮官を任されたのは、29歳だった山田祐輔監督だ。

「コーチとして東邦に戻ってきた時から『いずれは監督に』とは言われていましたので、覚悟は決めていました」

山田は東邦の主将として2008年夏の甲子園に出場し、ホームランを放っている。卒業後に立教大学に進み、レギュラーとして活躍。一般企業で3年間勤務したのち、2016年にコーチとして母校に戻ってきた。

「当時、大阪勤務だったので、甲子園にも応援に行きました。藤嶋健人(中日ドラゴンズ)が1年生の時ですね。『やっぱり野球はいいな』と感じました。トレーナーや森田監督から勧誘を受け、東邦に戻ることに決めました」

学校職員として勤務しながらコーチをつとめた。2年かけて教員免許を取得したのちに教員になった。

「コーチになった時、指導することに自信がなかったんですよね。野球の世界から3年も離れていましたから。『(現役時代はキャッチャーだったことから)キャッチャーとバッティングの指導は自由にやっていい』と言われたんですけど、自分がやるのと人に教えるのは全然違うので」

山田がサンプルにしたのが東京六大学で対戦した選手たちだ。2学年上には斎藤佑樹(早稲田大学→北海道日本ハムファイターズ)、1学年上には野村祐輔(明治大学→広島東洋カープ)ら、ドラフト1位で指名を受けるスター選手がたくさんいた。

「東京六大学は本当にレベルが高く、プロでも活躍する選手たちがたくさんいました。伊藤隼太さん(慶應義塾大学→阪神タイガース)は、所属チームは違いましたけど、中学校の先輩です。あの時代の六大学でプレーできたことが今の指導にもつながっています」

「監督が何をしたいのかがわからなかった」
 
指導者としての経験が乏しく、イチから教えることができなかったと山田は言う。

「だから、この生徒は伊藤さんに打ち方が似ているからここを変えよう――そういう修正しかできなかったですね」

コーチ1年生として、ゆっくりと歩み始めた。

「指導者としてはまだまだ。『今、できることは何か』と考えた時に、自分がやるべきことは、監督の目が行き届かないところをしっかり見ることだと思いました。会社勤めをして、挨拶をはじめとした礼儀、準備の大切さを学んだことが活きました」

それから4年で監督に就任した29歳。センバツで5度の優勝を誇る名門を率いる重責は、あまりに大きかった。

「東邦の監督として、勝つことは使命だと思っています。ただ、選手とどう向き合うか、選手と一緒にどうやって戦っていくかを考えていました」

監督就任1年目、その年の3年生の言葉が今も心に残っている。

「吉納翼(早稲田大学→東北楽天ゴールデンイーグルス)がいた学年なんですけど、夏の大会が終わったあと、ある選手に『監督が何をしたいのかがわからなかった』と言われました。グサッと刺さって、何も言えませんでした。監督としてのキャリアがなくても、『こういう野球をやる!』というものを示さないといけない。そこから自分の意見や方針を打ち出しました」

そして山田は「応援されるチームになる」という目標を掲げた。

選手のミスには寛容

2022年秋、東邦は愛知県大会を勝ち上がり、東海大会を制し、翌春のセンバツに出場した。

「もっと早ければよかったんでしょうけど、監督になって3年目で甲子園に出ることができてほっとしました」

東海王者としてセンバツに臨んだ東邦は1回戦で鳥取城北(鳥取)に6-3で勝利。2回戦では高松商業(香川)に競り勝ち、3回戦で報徳学園(兵庫)に延長10回、タイブレークで敗れた。山田は監督として初めて出場した甲子園で2勝を挙げた。

「初戦はどうしても(体が)硬くなるので、内容よりも力を出してくれればと思って、選手たちに『エラー3つまではOK』と言いました。積極的にいこうと、みんなで決めました」

甲子園で「エラーは3つまでOK」と言う監督は珍しい。

「ピッチャーが打ち取った打球を、いかにアウトにするかが課題。基本に忠実に、アウトにできる打球を確実にアウトにする。頑張った結果のミスはいい。だからエラーは3つまで想定内です。バッティングに関しても、きれいな当たりでなくても“しょぼいヒット”でいいんです」

山田が選手たちのミスに寛容なのは、自身の体験があるからだろう。

「もともとイップスを持っていました。大学に入ってからもよくなって、3年生でレギュラーとして使ってもらったんですけど、4年になってイップスがキツくなって……」

イップスとは、思うように体が動かせなくなる症状のことを指す。野球の場合、送球の場面であらわれることが多い。故障からくることもあるし、プレッシャーが影響することもある。

「イップスの影響もあったし、後輩にいいキャッチャーがいたこともあって、試合に出る機会が減りました。自主練習にも熱が入りませんでした。リーグ戦の最後の試合で打席に立たせてもらったんですけど、ピッチャーが投げるボールは見えていたけど打てなかった。それを今でも後悔しています」

打てなかったことに対してではなく、あきらめたことに対する後悔だった。

これまでの東邦とは少し違う路線
 
野球エリートが集まる強豪だから、実力があってもレギュラー争いから脱落する選手が出てくる。70人もいる部員を同じ方向に向かせるのは監督だけではできない。その難しさを、山田自身は選手時代から経験していた。

「下級生の時から、キャプテンを任されることはわかっていたので、監督の思いを仲間たちに伝える役割をしていました。練習はキツいし長い。だから『抜けるところは抜こうぜ』という選手もいます。でも、『監督を信じてやってみよう』と言っていました」

キャプテンとして監督の意向を汲んで、時には嫌われ役も買って出た自負もある。

「森田さんはものすごく厳しかったんですけど、高校時代、私は毎週のように食事につれていってもらい、いろいろな話を聞くことができました。もちろん『怖い』とも思っていましたけど、グラウンドの外では普通に面白いおじさんだったので(笑)。監督との距離が近かった分、頑張ることができました」

コーチになってから恩師を支える立場になり、監督として一本立ちをした。愛工大名電、中京大中京、享栄など強豪がひしめく愛知の高校野球。東邦はこれまで猛練習で甲子園への道を切り開いてきた。「鬼の阪口」の異名を取った阪口が礎を築き、後任の森田がその流れを汲んだ。しかし、山田は少し違う路線を進んでいるように見える。

東邦高校、立教大学でレギュラーとして活躍し、一般企業での勤務を経て野球指導者となった36歳の青年監督は今、何を思っているのだろうか?

📝「7イニング制には反対」名門率いる30代監督が考える、これからの高校野球【東邦・山田祐輔監督】
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/2026090700011-spnavi

選手との信頼関係を築く難しさ
 
監督に就任したあと、選手に「何をしたいのかがわからない」と言われた山田は、「応援されるチームになる」という目標を掲げ、わずか3年で甲子園出場を果たした。監督として甲子園初勝利を挙げたあと、こう語っている。

「スタンドでたくさんの方に応援していただけました。気持ちいいですね。応援してくださる方に楽しんでいただけるように、と思っています。素晴らしい応援の中で、選手は力を発揮してくれました」

しかし、その後は聖地から遠ざかっている。甲子園出場を期待される名門にとって、3年のブランクは大きい。

「センバツに出たときは、石川瑛貴(中日の石川昂弥の弟/現・東海大)というキャプテンがいて、みんなをまとめてくれました。言いにくいこともしっかり指摘できるキャプテンでした。中心選手との信頼関係ができれば強いチームになると思うんですけど、それが難しくて……」

学校から練習場まではバスで移動しなければならない。教職員であるコーチたちが校務のため、練習に参加できないこともある。

「自分の考えをチーム全体に浸透させるのに時間がかかっていました。思うように選手を引き上げることができなくて……」

山田は、選手との信頼関係を築く難しさを感じている。

答えが見つからない「タイブレーク制」の対応
 
2018年、延長戦でのタイブレーク制が採用された。投手の投球数制限(1週間で500球以内)が導入されたのが2020年、低反発の新基準バットが導入されたのは2024年3月。2026年度のシーズンインからDH制が採用された。100年以上の歴史を誇る高校野球は少しずつ、確実に形を変えている。

「DHに関しては、思ったよりも抵抗感なく使えています。守備に難があって、なかなか出番のなかった選手にもチャンスを与えることができます。ピッチャーが打席に立たないことは、体力的に楽だと思います」

延長戦でのタイブレーク制が導入されて8年が経つ。山田は2023年春のセンバツ、3回戦で報徳学園にタイブレークで敗れた経験がある。

「もうタイブレークに違和感はありませんが、気持ちとしては嫌ですね。考えることがめちゃくちゃ増えました。僅差で7、8回を迎えた時点でいろいろなシミュレーションをすることになります。打順の巡りがどうか、バント要員を残しておこうとか」

2025年夏、豊橋中央と対戦した愛知大会決勝では苦杯をなめた。

「3対3で延長に入って、10回表を0点で抑えて、その裏に犠牲バントに失敗して無得点。11回表に3点を奪われ、2点を取り返したんですけど、5対6で負けました。負けたあと、9回までにもっとやるべきことがあったんじゃないかと思いました」

1対3とリードされた9回裏に2点を取って同点に追いついた東邦だったが、押し切ることができなかった。

「そのとき、ヘッドスライディングをした選手がケガをしてしまいました。治療してもらっている間に、代走を出して盗塁を仕掛ければ、アウトになっても次の回は三番打者から攻撃を始めることができたのに……終わって冷静になればわかるんですけど、そのときには手を打つことができませんでした」

タイブレーク制は、ノーアウト一、二塁からのスタートとなる。バントでランナーを送ってワンアウト二、三塁になれば得点のチャンスができる。しかし、緊迫した場面でバントを決めることがどれだけ難しいことか。

「いろいろな仮説を立てたんですけど、なかなか『これだ!』というものがありません。試合の流れ、打順の巡りなどさまざまな要素があるので」

タイブレーク制の導入直後はバントを選択する監督が多かったが、フライになったり、ランナーがアウトになったりするケースもある。この夏の甲子園の3回戦で智辯和歌山(和歌山)が見せた“ブルドッグ”(前進守備のサインプレー)など特殊な守備隊形も増え、バントではなく、強攻策を選択する監督も増えた。定石が通用しにくい場面こそ、監督の腕の見せどころだということもできる。

「厳しい場面を想定したバント練習はもちろんやります。負けたら甲子園に行けないという、地方大会のほうがプレッシャーはかかるのかもしれませんね」

「7イニング制」には反対

昨年12月、「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」の最終報告書が高野連理事会に報告された。報告書では「速やかに全ての公式戦で7イニング制を採用すべきである」とされたが、高野連は現在も導入の是非について議論を続けている。

「意見を言わせていただけるならば反対です。監督として戦ってみて、8回、9回の重みを感じています。やはり、『野球は9回』という考え方がありますね。生徒には9イニング制で野球をやらせてあげたいです」

強豪私立に比べて戦力的に劣る、ある公立校の監督からは「うちにもワンチャンあるので、7イニング制に賛成」という声も出ている。

「タイブレーク制もそうですけど、そういう意見が出ることも理解できますが、誰のため、何のための7イニング制なのか、疑問が残ります」

ここ数年、気温上昇の影響で、選手たちの健康被害が懸念される。夏の甲子園大会に限らず、地方大会でもさまざまな暑さ対策がなされ、効果を上げていることは間違いない。
南北海道大会、北北海道大会の準決勝と決勝は、北海道日本ハムファイターズの本拠地であるエスコンフィールドHOKKAIDOで行われている。愛知大会の決勝の舞台は、中日ドラゴンズの本拠地、バンテリンドームだ。西東京大会、東東京大会の準決勝、決勝が東京ドームで開催されたこともある。

「私は高校時代にプレーしていますし、監督としても指揮をとらせていただいたので甲子園球場の素晴らしさはよくわかっています。でも、7イニング制にする前に、もっといろいろな意見を戦わせるべきではないでしょうか」

現在は49校が出場し、全48試合が“聖地”と言われる甲子園球場で行われている。たとえば、1、2回戦はドーム球場で開催し、ベスト16以降の15試合を甲子園で行うことを検討してみてもいいだろう。
これからの高校野球の「最適解」を探す時間はまだある。

大事にしている選手とのコミュニケーション
 
山田がコーチになったのが25歳、監督になったのは29歳のときだった。1年1年、選手たちとの年齢差、ギャップは大きくなる。

「やはり、コミュニケーションを取ることが大事だと考えています。たくさん話をしますし、厳しいことを言ったあとにはしっかりフォローするようにしています。でも、こちらの言葉が響かないことが増えているような気がします」

“昭和の高校野球”では、厳しい指導が珍しくなかった。東邦も猛練習で知られた。しかし令和の今、暴力や言葉の圧力で選手を従わせることなど許されない。

「大事なのは、生徒ひとりひとりと信頼関係を築けるかどうか。部員は70人いるので、監督ひとりで全員を指導することは難しい。監督以外にコーチも部長もいますから、誰かの言葉が響いてくれればいい。生徒に関することをスタッフで共有して、指導に当たれればいいと考えています」

今年から、山田の教え子がコーチとしてチームに加わった。

「ものすごく頑張ってくれているので、その効果が秋に出るんじゃないかと思っています」

⚾岩手さんへ
今日は意外と小雨が17時前まで降り続き、難儀しながらも昆陽池サイクリング強行しましたが・・・。大阪は最高気温23、2度とラジオで聴きましたが普通に半袖ポロシャツでちょうどよい感じでしたね。気温はともかく湿度がかなり高いはずなんで体感はまだ夏かなあ・・・。

今年は一番熱かったのが7月で8月以降は雨が多かったので、、、、、ただ9月でもごくたまに晴れると熱いですよ!最新の天気予報見たら2週間連続雨予報が一転して全部晴に変わっておるし30度前後の日はまだまだ続きそうですが、熱中症の危険のピークは過ぎたと思いますね。

さて、三重大会ですが今日の松阪の天気は知りませんが13時開始でなんとか試合こなしたようで・・・。松阪商はまだ地元なんでいいですが、桑名工の選手たちは3日連続遠路はるばる松阪まで試合があると思いながら朝早く起きてコンディション整えてどこかで中止の報を受けてまた桑名に帰ると・・・・・。
とりあえず予備日全部使って軌道に乗せたので、今の予報通りだったら26日に日程終了できるかと。

しかし兵庫はシルバーウイーク5日間全部試合をぶち込んでいるけれど、奈良は2週間空きを作って27日に準々決勝8時30分から4試合とこれが働き方改革でしょうか?

ゲリラ豪雨は怖いですね。四日市駅前の地下駐車場も水没したし、千葉・富山・石川・福井あたりが激しかったらしいですね。一昨日と昨日は姫路周辺が1時間110mmの豪雨が襲ったとか!?
同じ兵庫県でもこっちはそこまで降らなかったし甲子園もナイターやってましたね。

アジア大会は全く興味ないのでTV観戦しないし、結果も興味ないですがアレのおかげでこの夏愛知大会20年ぶりにナゴヤドームで試合できたし、悲願のスタンド入りも果たせたのでちょっとは感謝せなアカンのでしょうね・・・・・。

大阪桐蔭吹奏学部は、、、あまり好きにはなれないですね。顧問の先生がイキっている?!ので。
2026/09/16(水) 22時45分11秒 No.2621 編集 削除
 今年は、去年より暑い日が続く傾向とか言っていたのにね!
 西日本はまだ〃30度以上あるのかな?東日本の方は☔が降る日ばかりですが、四国、九州のダムの一部はカラカラとかうまくいかないね。
 今日もニュースで見ましたが、掛川でゲリラ的雷雨発生している映像見ました。
 愛知県内も、そうすると三重県内もかな?
 3日続けて雨天中止なのかな?せっかくの2部制もね!
 試合がサッパリ消化出来ず運営側は恨み節?シルバーウィークで試合消化した所も、熱帯低気圧が明日には台風になりそうで、週末から月曜あたりに東海か関東に上陸かも?☔☔☔☔なので雨天中止ばかりかもね!
 アジア大会に水分補給!
読売テレビなのかな?大阪桐蔭吹奏学部の事やっていました。
 
2026/09/16(水) 21時30分21秒 No.2620 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
📝令和8年度 秋季地区大会開催日程
https://www.jhbf.or.jp/topics/detail/621

💢本日(9/15)の試合について
https://mie-kouyaren.com/2026/09/15/%e6%9c%ac%e6%97%a5%ef%bc%889-15%ef%bc%89%e3%81%ae%e8%a9%a6%e5%90%88%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6/

【ドリームオーシャンスタジアム】

雨天、順延となりました。→9/16(水)松阪商業 対 桑名工業 開始予定未定

💢加盟校7割が反対する7回制導入が本当に最適解なのか? “岐路”に立つ高校野球はどう変わるべきか 「命を守るために仕方がない」が広まる現場の空気
https://news.yahoo.co.jp/articles/0276e3195a9e8c68738414fd00e77df7db93b560?page=1

7回制が一気に現実味を帯びている理由

延長戦でのタイブレーク方式導入、球数制限、従来よりも低反発化した新基準の金属バット、甲子園大会でのVTR検証など、近年の高校野球ではあらゆる改革が行われている。
その中で、現在最も大きな議論となっているのが、7イニング制の導入だ。2024年8月に暑さ対策の一環として日本高野連がワーキンググループを設置。2025年12月の検討会議において「2028年春の第100回記念選抜大会をめどに全公式戦で7イニング制採用が望ましい」とする最終報告書が提出され、一気に実現化が現実味を帯びた。

ただ日本高野連が行った加盟校へのアンケートは約7割が反対、一般のファン向けにインターネット上で行われたアンケートでも約9割が反対となっている。今年5月と6月に行われた有識者と指導者を交えた意見交換会においても、大阪桐蔭の西谷浩一監督が断固反対する意見を述べて話題となった。先述した最終報告書の通り、このまま2028年春から7イニング制が導入となれば、現場の納得感が得られないままのスタートとなることは間違いないだろう。

筆者も取材現場において、あらゆる指導者、関係者と7イニング制について話をする機会も多いが、全面的に賛成という意見を聞かない。代わりによく聞かれるのが、「導入前提で議論が進められている」「野球の根本となるルールに手を入れる前にできることは他にもあるのではないか」という2点だ。

前述した加盟校、一般向けのアンケートの結果を見ても、7イニング制の導入に対して積極的に賛成する割合は圧倒的少数である。それでも導入を白紙に戻すような論調は全く出てこない。また、西谷監督のように表立って反対意見を述べることは望ましくないという空気感も感じる。「9イニングでやりたいのはみんな同じだが、命を守るためには仕方ないから導入するしかない」というストーリーが最初から決まっているように感じている関係者は非常に多い印象だ。

全てを多数決で決める必要はもちろんない。だが、十分な賛同が得られないまま物事を進めることは、後々に様々な問題を生み出す可能性は高いだろう。

見直すべきはコスト面?
 
とくに気になるのが、「野球の根本となるルールに手を入れる前にできることは他にもあるのではないか」という懸念だ。最終報告書の一部を抜粋すると、以下のような記述がある。

「高校野球は学校教育活動の一環である部活動として行うものであり、生徒の学業の妨げにならないという前提の上で、全国大会開催にあたっては長期休業中に行うべきであると考える」

「また、全国高等学校野球選手権大会および選抜高等学校野球大会は1924(大正13)年8月の甲子園球場開場以来、100年以上にわたって同球場を会場としてきた。甲子園は「聖地」とも呼ばれ、高校野球そのものを指す代名詞にもなっているのみならず、他の文化的活動、イベントなどでも「〇〇甲子園」といった呼称が広く浸透している。歴史的、社会的な見地から、今後も甲子園球場において両大会を開催することが望ましい」

単純に要約すると、学業の妨げとならないために春休みや夏休みの長期休業中を利用し、これまでの歴史を築いてきた甲子園球場で行う使用は変えないということだ。この点に議論の余地は本当にないのだろうか。例えば、時期については全試合を一気に行うのではなく、何度かに分けることで長期休業期間以外に行うことも可能なはずだ。そうすれば、真夏に試合を行う必要はなくなってくる。
また、甲子園球場での開催についても、全試合を行うのではなく、分散して早朝や夕方に行えば、ある程度は暑い時期でも選手、関係者、観客への身体的負担を減らすこともできるだろう。

そして、こういった抜本的な改革を行う際に重要になってくるのは、大会を運営するコスト面だ。当然ながら大会期間が延びれば、選手、関係者の滞在費が必要となる。また、甲子園球場以外を使用するとなれば、当然使用料も増える。ただ、逆を言えば、潤沢な資金があれば、そういった異なる運営方法も可能になってくるのだ。となると、まず改革すべきは、高校野球における財政面ではないだろうか。

高校野球と大学野球は日本学生野球憲章によってあらゆるルールが定められているが、特に厳しいのが、商業利用についてだ。学生を商業的に利用して利益を得ることは望ましくないという考え方も分からなくはないが、現状のようにコンテンツとして大きくなったことを考えると、今以上の収益増加は可能なはずである。

一つ例を挙げれば大会の放映権だ。これだけ多くの注目を集める大会でありながら高野連は放映権料をNHKから受け取っておらず、伝統的に無料で提供し続けている。仮に他の配信サービスなどに有料で提供しようとすれば、かなりの金額を得られる可能性は高い。また、ここ数年は大会の入場料も値上げしているが、一日通し券の販売となっており、午後の試合は空席が目立つことも多い。この点も売り方を変えれば、利益の最大化に繋げられるはずだ。

まず暑さ対策が必要なのは確かであり、7イニング制の導入も対策方法の一つではある。だが、それで全てが解決するわけではない。他のやり方をもっと幅広く検討して、それにかかる費用などを算出することも行うべきで、そのためにより収益を上げる方法も考えるということも重要ではないだろうか。世間一般にも波及するほど影響力が大きくなり、伝統もある高校野球だからこそ、より多くの人が納得する形で議論が進められていくことを望みたい。

📝「よく来れましたね?」池田高校“甲子園優勝メンバー”に再取材…徳島へ“越境入学”した男の告白「まるで仙人だった」初めて蔦文也と対面した衝撃
https://news.yahoo.co.jp/articles/ab8974612d1df593b59bb010842e11dd7e9dd660

名門・池田高校はなぜ甲子園から“消えた”のか?  蔦文也は本当に名監督だったのか、それとも――?  “高校野球界最大の謎”を追ったミステリーノンフィクション『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』(著:田中仰)発売即重版になるなど、反響を呼んでいる。

今回は同作品の第4章から、一部を抜粋して紹介する。1986年春の甲子園優勝メンバー、森桂一郎の証言。

二〇二五年一二月、わたしはある男に会うために高松にいた。彼と初めて出会ったのは、同年一一月、池田のグラウンドだった。そのときわたしは、野球部監督の井上力に苦言を呈されていた。
井上とわたしの間に気まずい沈黙が流れているときに、グラウンドへ現れたのが森桂一郎だった。井上と高校時代の野球部同期である。

「キウイ畑で…」森桂一郎の再取材
 
わたしがあの記事を書いた記者だと知ると、森は「よく、来れましたね?」と言った。やや気後れすると同時に、そのあっけらかんとした、裏表のない率直な反応にわたしは好感を持った。噓がない人だと思えたからだ。森との雑談のなかで、「今さら故人を汚さないでほしかった」という記事に対する不満が伝わってきた。だが一方で森は「川原コーチがいなければ僕らの代は優勝できなかった」という事実も認めていた。

当事者でありながら、学校とも川原とも適度な距離があり、どちらの利害関係にも絡めとられていない森から、蔦と金についての考えを聞いてみたいと思った。森は取材を了承してくれた。取材場所は畑だった。

「妻がキウイ畑をやっているので畑に来ていただけるとゆっくり話ができると思います」

ショートメッセージにはそう記されていた。高松駅から内陸方面へ車で一〇分ほど。朝八時半に到着したキウイ畑で、森は枯れ枝を焼いていた。白いメッシュキャップとペールブルーのロングTシャツが、煤で汚れている。小柄だが筋肉質で引き締まった身体が、一九八六年に甲子園で優勝した「三番ショート」の面影を残していた。

森はキャンプ用の椅子をわたしにすすめた。開口一番、「なぜ僕に話を?」と森は言った。面と向かってきっぱりと「よく来れましたね?」と言われたことが小気味よかったからだと伝えると、森は声を上げて笑った。そして、水を入れた鍋を薪の上に置きながら「なんでも聞いてください」と言った。

「まるで仙人のよう…」池田へ越境入学
 
森は神奈川県平塚市の出身だ。中学時代、強豪シニアクラブの主力であった森は、地元の名門校に進学することもできた。だが、甲子園のテレビ中継を見ていたときに、自分が目指すべき高校は遠く離れた徳島にあることを知った。決め手は、プレー内容というよりも試合後の映像だ。インタビューに応じる蔦の風貌に目を奪われた。

「まるで仙人のようだった」と森は回想する。

うまくなりたい、甲子園に出たいという願望以上に、この男の近くにいれば自分は成長できるのではないか。そんな直感が森にはあった。
蔦と初めて対面したのは中学三年のとき。半ば押しかけるようにして池田高グラウンドへ行き、自分のプレーを蔦に見てもらった日だった。簡単な挨拶を交わした蔦が何を話したのか聞き取れなかった。その理由が森の緊張によるものだったのか、蔦の阿波弁によるものだったのかは定かではない。

日本で最も野球が強い高校、その名物監督が目の前に立っている事実が、一四歳の少年を圧倒していた。池田を受験するためには徳島県内の中学を卒業する必要があったため、祖父母とともに引っ越して、徳島・三加茂中学に転校した。そして一九八四年に池田へ入学した。

新入部員の“運命”が決まる日
 
入学直後の四月には、レギュラー組と控え組への振り分けが行われる。全体練習が終わった後、一年生だけ残されて、一四〇キロの高速スライダーにセットされたバッティングマシーンの打席に立たされる。その様子を蔦は黙って見ていた。

基準は遠くに飛ばせるか、その一点であったと森は言う。この振り分けによって、新入生二五人のうち半分は、レギュラーになる可能性が消えた。彼らは補助要員やマネージャーに回され、主力争いに復帰することはなかった。森はさも当然といった調子で話した。

「監督は生殺与奪の権を握ってますからね。何かしでかすと、スタメンを外されるだけなので」

蔦と二人で話した記憶はない。森に許された返答は、「はい」か「いいえ」の二択ですらない。「はい」だけだった。
蔦は必ずしも野球を通じて子どもを教育しようとは思っていなかっただろうと、森は考える。

「あの人は先生だけど、プロを経験した選手でもあった。その側面が多分にあると思います。使える子は、素行が悪かろうが使う。勝つことが大事だから。結果さえ出してくれれば使うというスタンスだったんじゃないかな」

森が生活した「池田町」

「レギュラー組と控え組の扱いは、完全に違いましたか」とわたしは訊いた。

「違いましたね。控え組の生徒は、蔦さんから名前を呼ばれることすら、ほとんどなかったんじゃないかな。生徒に直接指導することもない。レギュラー以外の選手には無関心だったと思う」

森が鍋の湯を、ティーバッグが入ったコップに注いでいく。

「井上監督は、蔦さんが県外出身者を好まなかったと言っていました」
「だから僕も外様の意識はありましたよ。同学年は徳島市内出身の奴らが多かったし。OBになっても、その一線はある気がします」

関東から池田へ進学した部員は、同じ学年に森を含めて二人いた。森は蔦寮、もう一人は寮近くのアパートに下宿していた。各学年一〇人程度のレギュラーを優先して入寮させていたようで、主力組はほぼ全員、蔦寮で生活していた。

「徳島市の球場で試合がある場合、地元が市内周辺の人は前日に家へ帰るんですよ。でも僕は寮から出発する。朝、川原さんが運転するマイクロバスに乗って球場へ向かいました。そういうところからも、自分が外様であることを感じていたのかもしれないですね」

                〈中略〉

森との問答を当時の練習環境に向けた。練習を見ていたのは誰だったのか。

                〈つづく〉

📝甲子園優勝→遠征先が“高級肉”を…「どこへ行ってもキャーキャー」池田高校“最後の優勝メンバー”が明かす蔦文也、その人気の凄まじさ
https://news.yahoo.co.jp/articles/5ed535f7ef4f311568d1640d9bfb728d3af3034e

森との問答を当時の練習環境に向けた。練習を見ていたのは誰だったのか。

池田黄金期を支えた“ある男”
 
グラウンドにいたと森が記憶する大人は四人。蔦と川原、白川の後任の高橋由彦、そして一九七九年夏の準優勝チームの捕手でのちに蔦の後任監督となる岡田康志だった。
技術的な指導は川原が担った。高橋は筋力トレーニングをメインで担当し、大学を卒業したばかりの岡田は蔦のサポート役を担った。

「いろんな取材先で、川原さんは極めて優秀なコーチだったと聞いています」
「それは間違いないです。あの人がいなかったら梶田(茂生/当時エース)もあそこまで成長していなかったでしょうし、僕らの優勝はなかった」
「ただ川原さんは無名だった時代の池田野球部OBで、卒業後は就職しています。どこかで体系的に野球を学んだキャリアを持つわけではないですよね」
「ご自身で研究されていたみたいです。部員と川原さんで一緒にプロ野球を見ることがあったんですが、川原さんのプレー解説がすごく的を射ていた。そのプレーを選んだ理由とか、試合展開の読みも。だから僕らは無条件で信用してましたね。チームの連携プレーもすべて川原さんが教えていました。ノックもギリギリのところを打ってきてキツかった。蔦さんのノックは疲れてるフリしてごまかせましたけど」

川原の顔が頭に浮かんだ。取材でわたしの質問に答えながらも、「お前がどんな答えを求めているかわかっているぞ」と見透かすようなあの鋭い視線を。

「蔦さんはグラウンドにいたのですか」

「蔦さんはグラウンドにいたのですか」わたしは訊いた。
「僕らの頃は、基本的にいたと思います。下の世代がごちゃごちゃ言っているみたいな、現場から手を離している感じじゃなかったですね」森は答えた。

「森さんの体感で、九割は現場にいましたか」
「僕らの頃は。唯一覚えているのは、(春の甲子園をかけた)二年秋の県大会の試合途中で講演へ行ってしまったこと。大差で勝っているのを見て『じゃあ俺行くわ』って」

九割いた、という言葉にわたしは首をひねった。森に会う前、池田の校舎にある野球資料室で、一冊のノートを読んでいたからだ。
表紙に黒ペンで書かれた「59年」「選抜辞退」「中村主将」「新チーム宮内時代」という言葉から、八四年度の野球部のノートだったと推測される。
選手名や練習メニューといった内容に加えて、「1月の講演」というページを見つけた。そこには一月三日、四日、九日……と計一四日間は講演会に行っていたことが記されていた。

森の言うとおり蔦が九割方グラウンドにいたとすれば、近隣の市区町村、県の講演会が中心で、放課後の練習がはじまる一五時までにはグラウンドへ帰ってきていたのだろうか。
一方で森は「僕らの頃は」とも言った。他の代で現場から離れていた可能性を残す話し方だった。

毎週末遠征、すき焼き…
 
いずれにせよ、森がいた三年間は池田が全国屈指の強豪校であった時代だ。同級生に、のちに社会人野球・日本生命の監督を務めた梶田、プロ野球・大洋ホエールズでプレーした松村高明という二人の好投手がいた。三年時には、春の甲子園で優勝している。

「僕らの時はお金がかかってないんですよ」と森は言う。

森がいた時代、遠征費は減った。池田が有名になったことで、相手校が経費を負担する招待試合が増えたからだ。全国の高校が池田との対戦を熱望した。毎週末の遠征は、そのほとんどが招待試合に代わった。

土曜午後に授業が終わると、その足で空港や駅へ向かった。沖縄、長野、群馬……。毎週末をホテル泊で過ごすような生活だった。
夕食にはすき焼きやしゃぶしゃぶといったご馳走が供された。相手校からの接待である。一般の高校生が食べることのないような、高級な肉も頻繁に出された。

甲子園出場時には、グローブとスパイクが支給されていたと森は記憶する。「たぶん後援会が払ってくれてたんじゃないかな」メーカー担当者がレギュラー組のグローブとスパイクの型をとり、それが甲子園で使われた。橋川がいた一九七九年から森の時代にかけて、一気に池田のブランド化が進んだ。

甲子園優勝、池田に三つの変化
 
次の三つの変化がその証左だ。

一つ目が、蔦の講演会である。池田の甲子園夏春連覇を経た一九八三年春、蔦は定年退職している。講師として引き続き教壇に立ったが、それを境に、講演会の回数は増えていった。「夏春連覇から一気に増えた」という川原の証言とも合致している。
二つ目が、招待試合の増加だ。交通費や宿泊費は相手校の負担で、さらに行った先々では、蔦も選手もさながらスター扱いを受けた。
三つ目が、部員数の激増だ。橋川の時代は「オール徳島」だったのが、森のように県外から入部を志望する生徒も出てきた。

それにしてもだ。甲子園の影響力の凄まじさを思わずにはいられない。

「甲子園で優勝して、周囲からもてはやされて。子どもたちは平静でいられるものですか」とわたしは訊いた。

「それが夏、初戦で負けた原因ですよ。僕がエラーして負けたんです。そもそも春の甲子園優勝が望外の結果だった。間違えて優勝してしまったという気すらしている。優勝以降、爺やんは僕らに対してすごくゆるくなった。練習も追い込んでなかったし、天狗になっていた。どこへ行ってもキャーキャー言われたしね」

取材後半にかけて、森は蔦のことを「爺やん」と呼ぶようになっていた。当時の部員が陰で使っていた蔦のあだ名だ。高校卒業と同時に、森は野球をやめた。首都圏の強豪大学に進学することもできたが、都内の銀行への就職を決めた。
自分は何者かになれるだろう。そんな自信が社会に出たばかりの森にはあった。しかし、何年経っても、仕事に熱くなれなかった。

                 〈つづく〉

📝「甲子園で燃え尽きて…」池田高校の優勝メンバーが明かす“苦悩の人生”その後「無性に苦しかった」「縁もゆかりもない高松に引っ越して楽に」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e3ee27ebcbf523a35f9e66545886d9c899600357高校卒業と同時に、森は野球をやめた。首都圏の強豪大学に進学することもできたが、都内の銀行への就職を決めた。

「甲子園の光はまぶしすぎた」
 
自分は何者かになれるだろう。そんな自信が社会に出たばかりの森にはあった。しかし、何年経っても、仕事に熱くなれなかった。
営業成績で同期に負けた。悔しく思いながらも、どこか頑張りきれない自分がいた。それでも甲子園よりも熱くなれる何かが、いつか眼前に現れるものだと信じていた。
たかが高校野球を引きずるなんてあまりに馬鹿すぎやしないか。何度も自分に言い聞かせた。だが現実に、甲子園よりも森を熱くするものはなかった。

「甲子園の光はまぶしすぎた」と森は言った。
だがわたしはこう思う。日本で最も愛された野球部で優勝したことが、まぶしすぎたのだ。その後の人生がやけに色褪せて退屈に感じられるほどに。

僕ね、と森が切り出した。「二〇代、三〇代のとき、無性に苦しかったんですよ。田中さんはそういうのないですか」

わたしは答えに詰まった。自分の口から話さなかったが、森は甲子園で二本の本塁打を放っていた。優勝校の主力であった。森のように鮮烈な成功体験をわたしはもっていない。だからすこし考えて「焦燥感のようなものですか」と話を促す相槌にとどめた。

「そうです。それが四〇歳になったくらいから、一気に楽になったんです」
「それは何が変わったからだと思いますか」とわたしは訊いた。

「なんであんなに苦しかったんだろう」

「五年前に縁もゆかりもない高松に引っ越してきました、今の妻と一緒に。引っ越した理由は、監督をやっている(井上)力のところに顔を出せるというのもあったし、もう一つが、彼女がやりたいと言ったこの農業なんです。バリバリ働いて家を建てても満たされない感覚があったけど、今は不思議と充実感を覚える。それに、生き方ですかね」

「生き方?」

「今の妻に出会うまで、自分主体で生きてきました。でも彼女がやりたかった農業に自分も携わるようになって、人に引きずられていくという生き方があることを知った。それで一気に気持ちが楽になった。三〇代までなんであんなに苦しかったんだろうって考えたとき、『俺が、俺が』っていう生き方を変えたのが大きいような気がします」

森は再び蔦の名前を出した。「爺やんが酒を飲んでいたのも似た理由だったんじゃないかって思う。狂おしいまでに甲子園を追い続けた。一心不乱になって。特攻隊の経験もあったと思う。生き残ったのに何者にもなれない。そんな自分が腹立たしくて、狂ったように甲子園を目指したんじゃないかな」

蔦と森の間には明白な違いがある。主役であり続けなければならないという強迫観念から脱した森、主役であり続けた蔦。その差だ。しかも、何者かになったとして、そこに何があるかは、何者かになった人間にしかわからない。森が甲子園で浴びた何倍もの熱狂を、まばゆい光を、蔦は浴びた。無名の二〇年間を経て神様になった先に、蔦が見たものを想像すると、なにか空恐ろしいような気もした。

「蔦さんは私財をなげうって、というイメージだから」

「爺やんも野球部が大きくなって、いろんなことがコントロール不能になって、混乱しちゃった部分もあったのかもしれない。初出場、初優勝まではやりきれる。ただその先は、落ちていくしかないのを知りながら、足搔かなきゃいけないわけだから」

「蔦さんを告発しようとした部員がいたことは知っていましたか」とわたしは訊いた。
「知らなかったですね」と森は言った。

「蔦さんのことを、現場を放って金儲けに走るような人間ではないと思いますか」そう尋ねると、森の語気が少し強くなった。
2026/09/15(火) 22時20分29秒 No.2619 編集 削除
☟本日、9/14(月)試合について
https://mie-kouyaren.com/2026/09/14/%e6%9c%ac%e6%97%a5%e3%80%819-14%ef%bc%88%e6%9c%88%ef%bc%89%e8%a9%a6%e5%90%88%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6/

【ドリームオーシャンスタジアム】

雨天、順延となりました。→9/15(火)松阪商業 対 桑名工業 11:00開始予定

【津球場公園内野球場】

現在、雨天グラウンド不良のため見合わせていますが、本日実施予定です。

9/14(月)高田 対 鈴鹿 試合開始時間未定

悪天候が継続された場合、本日の試合を明日へ順延する可能性もございます。

📝(9/14 2回戦詳細試合結果)第79回秋季東海地区高等学校野球三重県大会
https://mie-kouyaren.com/wp-content/uploads/2026/09/e89b2165e5db98bbf9cf3cc4495f3321-1.pdf

結局、4時間19分遅れのプレーボールで延長10回タイブレークの激闘だった模様です!!

📝令和8年度 鳥取県高等学校野球連盟 強化試合のお知らせ
https://tottori-hbf.jp/data/data-r8/2026-101011-main.jpg

令和8年10月10日(土)・10月11(日)に中京大学附属中京高等学校を招待校として強化試合が行われます。

📝令和8年度 島根県高等学校秋季野球大会 二次・三次大会組合せ
file:///C:/Users/Owner/Downloads/R8syuki2_3.pdf

📝葛藤しつつも…熊本代表・有明高校 連続逆転劇で初出場 甲子園ベスト8に!「旋風のあとで」
https://news.yahoo.co.jp/articles/57b59c28bb72c8af554ff31a08947544a6bbd35e

被災2日で甲子園へ

準々決勝の健大高崎戦、延長タイブレークの末に敗戦し、涙を流すナイン。会場からは温かい拍手が送られた
甲子園に旋風が起こるのは、いくつかの条件が整った時だ。初出場校には初戦から温かい声援が送られ、そんな学校が終盤に試合をひっくり返して勝ち上がれば、グラウンドに″見えない力″が働いているような錯覚に陥る。

8月18日、インタビュールームの隅で、私立有明高校(熊本)の中野賢哉部長は選手以上に大粒の涙を落としていた。

「本当に生徒たちが頑張ってくれて、素晴らしい時間を過ごさせてもらいました。この涙は嬉し涙ですけど、悔し涙でもあるかもしれない。子どもたちが一生懸命戦っている姿をもう見られないという寂しさが勝ります」

有明ナインは7月28日に起きた熊本地震の2日後に地元(荒尾市)を出発し、初の甲子園では逆転に次ぐ逆転を見せた。被災地の代表校の勇姿は、しだいに日本中を有明ナインの味方に変え、ベスト8に進出するころ、それは旋風となった。健大高崎(群馬)との準々決勝は9回まで0対0と拮抗した展開だったが、タイブレークに突入した10回に1点を奪われ力尽きた。高見一茂監督はこう振り返る。

「熊本大会から苦しい試合の連続で、(今春のセンバツに出場した)準決勝の熊本工業戦のようにリードしていても逆転されそうな試合がたくさんありました。守備でどうにかカバーしながら、粘り強くなんとか勝ち上がることができた。甲子園に来てからはたしかに、不思議な力が働いているような感覚はありました」

甲子園1回戦の立命館宇治(京都)戦は6回まで0対3という劣勢の展開だった。50m走が5秒8という俊足で、好打者の1番・永田晴輝が9回二死満塁から走者一掃の逆転二塁打を放ち、チームを勝利に導いた。永田は振り返る。

「初の甲子園はやっぱり緊張しましたが、少しずつ慣れていきました。最後は『自分で決めてやる』という気持ちでした。たくさんの方が応援してくれて、とにかくそれに応えることができてよかった」

有明ナインの葛藤

九州対決となった続く長崎日大戦も先制を許しながら逆転勝利した。そんな有明にアクシデントが起きたのは、3回戦・東日本国際大昌平(福島)戦の試合前練習だ。
有明の投手陣は主に先発を任される工修哉と試合を締めくくる斉藤遼汰郎の二枚看板だった。ところが、素振りをしていた選手のバットが先発を予定していた工の左手甲を直撃し、急遽、先発を回避せざるを得なくなったのだ。チームを救ったのは、9回をわずか109球で1失点完投した背番号「1」の斉藤だ。

「動揺がなかったといえば嘘になりますが、一番悔しい思いをしているのは工ですから……自分らしいピッチングはできたと思います」(斉藤)

準優勝した健大高崎に善戦するも、有明はベスト8で甲子園を去った。8月19日に″帰熊(きゆう)″した際は、学校関係者ばかりだった出発時とは違っておよそ500人もの市民の出迎えがあった。翌日に県知事を表敬訪問した時には、『くまモン』にも歓迎された。高見監督は震災からの怒濤の日々をこう振り返る。

「学校のある地域は、震源地に近いところに比べれば被害は少なかった。それなのに甲子園にやってくれば、『大変だったでしょう?』とみなさんにご心配をいただく。私たち以上に苦しんでいる方々がたくさんいらっしゃるのに、親身になって応援していただけることが、申し訳なく感じることもありました」

高見の言葉を聞いて思いだしたのは’24年の元旦に起きた能登半島地震の直後、センバツに出場した日本航空石川の中村隆監督だった。同校は県外出身者が多く、ほとんどが帰省していた。

被災者に違いないものの、家族が県内で生活しているわけではない。それなのに復興のシンボルとしてマスコミから期待を寄せられ、支援物資も続々と届く。その厚意をどこまで享受していいのか——中村や日本航空石川ナインには、そんな悩みが去来していた。高見が続ける。

「甲子園に出場するにあたって、たくさんの支援物資が学校や宿舎に届きました。余った飲料水は、お世話になっているスポーツ店を通じて、断水して水を飲むこともままならないような学校に送っています。

また被害の酷い地域からうちに練習試合に来た学校にも、飲料水を持ち帰ってもらうようにしています。いただいたご厚意を、復興に立ち向かっている熊本の球児に還元することぐらいしか、私たちにできることはないと思っています」

旋風を起こし、復興のシンボルとしての役割は果たした。有明ナインは前を向き、新チームの練習はスタートしている。掲げる目標は「全国ベスト4」。つまり、この夏の先輩たちを超えることだ。

📝「現実を突きつけられたわけだから」敗れた福島の絶対王者・聖光学院で“新チーム”が始動…神様にそっぽを向かれた常勝軍団はどう変わる?
https://news.yahoo.co.jp/articles/7b092258c9b3ebfd2ca436fd488df63e6617d46f

夏の甲子園開幕前、各地の地方大会では強豪校の敗退が相次ぎ、福島でも絶対王者・聖光学院がまさかの敗退を喫した。これまで折に触れて聖光学院のグラウンドを訪れてきた筆者には、そこだけ世間とは別の時間が流れているように感じられるという。まるでスタッフや選手たちが放つ覇気によって作り出された、透明なドームがグラウンド全体を包み込んでいるような独特の「聖光ドーム」。新チームが始動した今、その中では何が起きているのか。

聖光学院は福島大会で負けた翌日から、すぐに新チームの練習を始めたという。監督の斎藤智也は「新チームに救われたよ」と振り返る。

「23日に負けて、24日には始動した。甲子園で負けたときは帰ってきてから2日間くらい休ませてよ、って甘えちゃうときもあんだけどね。でも、よかったよ。県で負けて休んだりしたら、切り替わらないし。休んで1人でボーッとしてたりしたら、余計におかしくなっちゃう」

「甲子園は、もう天国だから」
 
ただし、気候はまた別の話だ。2000メートル級の山々からなる吾妻連峰などに囲まれた福島盆地の名物、蒸し暑さには辟易としていた。

「甲子園よりぜんぜん暑いからね。福島は湿気があるからモワッとしてるのよ。発汗量がすごいんだわ。サウナみたい。だから、こっちで残って練習している選手たちには悪いけど、甲子園に出たいっていうのは、この福島の暑さを避けるためっていう大目標もあってね。大阪いったらグラウンドの割り当ての関係で、2時間しか練習できないでしょ。野球のこと考えないでいいってなったら、甲子園は、もう天国だから」

いかにも斎藤らしい、お茶目な本心が顔を出した。

「NHKつけたの、今日が初めてだよ」
 
部長の横山博英は斎藤とは違った。スタッフ小屋に入ってくるなり、テレビが甲子園中継を流しているのに気がつくと「見たくない、見たくない」と言って奥の部屋へ行ってしまった。横山は敗戦以降、まだ一度も高校野球を観られずにいた。

「NHKつけたの、今日が初めてだよ。天気予報見なきゃいけなくて」

チャンネルをNHKに合わせると、高校野球が目に入ってしまう可能性がある。だから、意識的に避けていたのだという。

「目にすると、辛いよね」
 
横山の表情には、まだはっきりと「無念」と書かれていた。

「ぜんぜん切り替えられてないですよ。引きずってる。すごくいい子が多いチームだったしね。その中に自分の息子もいたし。絶対、勝たせたかったチームだから。負けたのは痛恨の極み。切り替えられないよね。切り替えちゃいけないでしょ」

しかも、東日大昌平戦の最後の打者、「5番・捕手」の横山孝侑は自分の息子でもあった。

「今、聖光って検索すると、息子が最後、一塁ベースに飛び込んだ静止画が出てきたりする。そこはやっぱり、親の感情も入っちゃうんでね……。目にすると、辛いよね」

神様はどこへ行ったのか――
 
敗因に関して、横山の中でも整理がついていることと、呑み込めないことがせめぎ合っているようだった。

「自分たちの中には、ここまでのチームになれば負けないという基準があって、それをクリアしているのに負けたという経験がなかった。だから、より衝撃だったんです。なんなんだろう、この結末は、って。やることをやったチームにはいつも言ってたんですよ。聖光には神様がついてるぞ、って」

神様はどこへ行ったのか――。そう言いたげだった。

「正義は絶対勝つなんてことはない」
 
とはいえ、横山の中では、うっすらと答えは出ているようでもあった。横山はミーティングで、選手たちにこんな風に問いかけたことがあるそうだ。

「正義の反対って、何だと思う?」
選手の多くが「悪」と答えた。しかし、横山はこんな答えを用意していた。

「僕も何かの記事で見たんですけど、『正義の反対は、別の正義だぞ』って。聖光は自分たちなりの正義を貫いて、ここまで結果を出してきた。ただ、それは自分たちが考える正義であって、俺らから見てやり方や考え方が違うんじゃねえかと思えるチームにも、そのチームなりの正義があるんだぞ、って。だから、これだけやったのに何で負けたんだっていう思いはわかるんだけど、一生懸命やってるのはうちらだけじゃないわけですよ。正義は絶対勝つなんてことはない。だって、正義と正義がぶつかったら、どちらかが負けるわけで。それが戦争でしょ? 厳しい勝負の世界も同じだと思うんですよ。自分たちも県内では勝ってますけど、甲子園では何度も負けてるわけですし。甲子園なんて、それぞれの正義を貫いてきたチームの集まりじゃないですか。この夏は、昌平の正義を認めるしかないと思うんです。他を認めることができるってのも、大事じゃないですか」

3年生がいるとは気づかないほど……
 
この日、グラウンドでは2人の3年生が練習に参加していた。横山の息子である孝侑と、「7番・レフト」の十文字陽生だ。十文字は東日大昌平戦で、先制点につながる唯一の長打を放ったバッターでもある。2人とも大学で野球を続ける予定だという。3年生がいるとは聞いていたものの、練習中はまったく気づかなかった。2人とも丸刈りで、人一倍声を張り上げていたせいだ。現役部員なのかなと思ってしまったのだ。

部長の横山が彼らの代のことを「私生活も、練習も、練習試合も、公式戦も、全部マックスでやれる選手たちだった」と評していたが、それは引退しても変わらないのだろう。

三角に折られたトイレットペーパー
 
孝侑はやや照れながら言った。「自分たちの代は、トイレのスリッパはきれいにそろえる、トイレットペーパーのはしは三角にきちんと折るという小さいところから大事にしてやってきた。負けは負けなんですけど、そういう積み重ねてきたことをこれからも続けることが大事かなと思っていて。自分たち63期は43人いるんですけど、大学行く人も、就職する人も、ここで学んだことを1人でもできなくなったときが本当の負けだと思うんで。トイレを出るときに、ふと気づいたら、三角に折るとか……目の前のことを疎かにしないようにやっていきたいなと思っています」

聖光の寮のトイレ、聖光が利用した宿泊施設のトイレの紙の先端はきれいに折られていることが容易に想像できた。そして、その延長線上に、日々の些細なことですらゆるがせにしない、修道的とも言える野球があった。

「男なら、潔く負けを認めて」
 
濃い眉と強い眼差しをたたえた十文字は、まるで映画に出てくるヒーロー役の修行僧のような雰囲気を漂わせていた。

「95パーぐらいは、もう吹っ切れました。男なら、潔く負けを認めて、前に進むしかないんで。自分が成長するための試練だと思います。福島大会の決勝も、あえて観に行きました。甲子園も全部、観るつもりです。観てると悔しくなるんですけど、この負けを絶対、忘れないようにというか、植え付けてやろうと思ってます。それがモチベーションになるので」

十文字は大学で4年間、聖光で過ごしてきたときと同じように野球をやり切り、プロ野球選手になるのだと将来の夢を語った。横山も十文字もタイプは違うが、まさに聖光で過ごした約千日を体現したようなプレーヤーである。

リクエストの「寿司」
 
練習後、炎よりも熱いのではないかと思わせる横山部長もさすがに音を上げていた。

「選手たちに『暑いと思っただけで体感温度、5度上がるからな』って言ったんだけど、やっぱり、暑い! 暑いわ」そして、冷たいお茶を勢いよく腹の中に流し込んだ。

この日、聖光の練習は昼過ぎに終わった。横山は孝侑と十文字を連れて、食事に行くのだと嬉しそうに話していた。2人のリクエストは「寿司」だった。「この夏は、焼き肉ばっかり食ってるんで」と十文字は笑った。

「父親、してきます!」そう言って横山は帰って行った。

うといさいはいさいとう――。こんな回文を作ってくれた知り合いがいるのだと斎藤は明かす。

「ほら、俺、疎い方だから。現状維持がいいとは思ってねえけど、性格的に斬新なタイプじゃねえし、どんどん進化していくタイプでもねえし。でも、若いコーチの中に革命的なのがいっぱいいっから。この器具がいいとか、この食事がいいとか。そこは任せてっから。そういう意味ではすっごい進化してると思うよ」

聖光は変わるのか?
 
聖光の秋の支部予選の初戦は8月31日だ。安達と二本松実業の勝者とぶつかる。斎藤の口調が熱を帯びる。

「どっちかっていうと、ワクワクしてるよ。一度、自分の中にあった基準を排除しなきゃなんねえっていう現実を突きつけられたわけだから」

斎藤は変わるつもりなのだろうか。だが、こんなことも言う。

「最終的には誰がミスしても泣きながら包容してあげられる、そういうチームになればいいと思ってる。そら、多少、汚い言葉を使っちゃうときもあるよ。でも訴えられるような指導はしてないってプライドはあっから」

これぞ斎藤節である。神様にそっぽを向かれたとき、彼らはどうするのか。その答えは、すでに出ているような気もした。
福島の夏は暑かった。しかし、「聖光ドーム」の中は相変わらず、それ以上の熱気で満ちていた。

⚾岩手さんへ
歴史の史実に関してはいかんせん昔過ぎて細かいことは間違えて流布されてきたかもしれませんが。。。。。今やっているNHK大河ドラマでもイロイロ物議を醸しているらしいですが、何が真実なのか捏造なのかは全く分からないですね。

さて、新チームも本格的に動き出し・・・我が母校はやはりというべきか、、、、、またしても夏に続き無名の公立高校に苦杯をなめた模様で恥ずかしいですね。。。。
1-8のコールド負けではなく9回までできてよかったかもしれませんが。いったいどこと対戦したら公式戦で1~2つ勝つことができるのか?分からないですね。早く監督を交代して欲しいですが、僕が卒業してちょっとした間にやってきた教員が四半世紀居座り続けているのでこのままあと十数年は・・・・・。

岩手さんのところは連合チームなんで難しい面が多々あると思いますが、9回逆転サヨナラ負けは辛いですね。勝ちがすぐそこまで見えていただけに選手はかなり悔しいと思います。
昨日は、ごくたまに県大会出場してくる雲雀丘学園と初めて校名を聞く西宮苦楽園を楽しみにしてましたがいずれも延長タイブレークで勝利しました。

雲雀丘にしろ苦楽園にしろロースコアの競った展開での監督さんの采配の凄みを観たかったですが、いずれもオーソドックス系で選手任せなところがあり、終盤に満塁からまさかのエンドランを仕掛けてバッター空振り3塁走者タッチアウトなんてシーンもありましたが、最終的にどちらも部員16人のチーム相手に勝てたので。
よくよく考えたら、監督の采配に凄みがあればもっと県大会常連となって兵庫や近畿の高校野球ファンに名前が知れ渡るのでしょうが・・・・・。

雲雀丘学園は私学でブラスバンドとチアガールの応援団を大挙動員して頑張ってましたが、、、エースが履正社中学だったか?大阪のすぐ隣にあるので選手は集まりやすいでしょうが、なかなか・・・。順当に行けば21日ウインク姫路で淡路三原との試合観戦予定ですがどうなることか。。。。。

しかし、昨日は朝だけ熱かったけれど、第1試合でライトが第2試合でレフトがともにファールフライをダイビングキャッチ試みた際に足を攣り3分ほど中断しましたね。

そして国体ですが、従来は12校で4日間ゴリ押し日程でしたが、高野連が3連戦を避けたい意向で休養日を挟むことになり8校に減らされましたね・・・。オマケに昨年から7イニング制でやっておるし、2年連続前売りコンビニ販売の全席指定で、、、気軽に観戦しにくい環境になっております💢

ベンチ入り数年前までは16人でしたがいつの間にか18人に拡張したのは知らなかったですね。国体を県選抜チームでどいうのも名案かもしれませんが、事前に選手を招集してある程度練習せなアカンし、学校を数日間抜け出して青森まで行かなアカンので現実的には難しいのかも???やはりどこの監督さんも秋の大会~センバツを睨む大事な時期なんで、、、自軍の選手(1・2年生)や秋の公式戦をほったらかして、引退した選手たちの面倒は見たくないのがホンネかなと?!

11月に県選抜チームを組んで近隣県と1日2試合限定で試合してますが、あれが現状限界かなと。。。
2026/09/14(月) 22時19分23秒 No.2618 編集 削除
 大変勉強になりました。
織田信長ね!安土城が、岐阜の名付け親じゃなかった?
 信長、秀吉、家康は浜松も色々史跡などで見るしね。
 脱線するが、聖徳太子、仁徳天皇陵、イイクニ作ろう鎌倉幕府(1192年)足利尊氏像等私が小中高の歴史・日本史で習った事が数年前から別な表記や、1192年が1185年とかだいぶ年号が変わっているんだね!

 野球の事に変わって、言葉足らずだったかな?ここ数年「年間60日」前後なんだね!
 私が全然カンセンしていない事もあるからか今年の7月中のカンセンが多かった印象なんだけど、いつも通りなんですね。
 国体の参加校が12→8になった事でベスト8で参加できたのが、ベスト4+開催県、残り3校は地域性なのかな?
 ベンチ入り18人なんですね。
私の個人意見ですが、公開競技だよね!選抜チームでいいじゃないと思うだけどね!例えば和歌山だったら一和歌山の丹羽君とか三重宇治山田の山本君とかね!甲子園の再現みたいつもりでファンが毎年開催県に行っているね!ブラックさんと73番さんはよく東北地区には行ったが、ネット裏改革?でヨコシマに蛍光帽子、哀川翔さんみたいな眼鏡だったかな?
 まだ〃各地に行っているのかな。

母校は残念でしたね。
 私のとこも同じですが、秋は連合チーム数は同じですが、夏までのチームで1校は三年生が引退で、部員が無く休部なり2校が盛岡地区の学校と連合チームになり、他の2校と母校と県南地区の3校で6校連合チームで、今回沿岸地区では無く県南地区に移動になりました。そして私の地区はもう1校が県北地区の学校との連合チームで外れ参加校減り、県大会出場枠が4→3になりました。
 母校の連合チームは、初戦敗退で、敗者復活戦は、4-2のリードで9回裏に3失点で、予選敗退しました。
 ただ例年より単独チームで夏の試合で出場して選手が多く内野の連係プレーなどはよかったみたいだね。
 コールド負けかと思ったが、予想上回る頑張りでした!
2026/09/14(月) 20時42分20秒 No.2617 編集 削除
⚾今日の和歌山大会一次予選試合結果(5日目 2回戦)
紀三井寺球場・・・・那  賀6-0近大新宮・熊  野3x-2串本古座(10回タイブレーク)    
上富田球場・・・・・田  辺9-2紀 北 工(8回)・和歌山商6-2向  陽
マツゲン有田球場・・和歌山東5-0日高中津・高 野 山13-0橋  本(5回)

⚾今日の兵庫大会試合結果(初日 1回戦)
明石トーカロ球場・・・神院大付10-0明 石 南(5回)・相 生 産4-3鳳鳴氷西
ウインク球場・・・・・加古川西7-1尼崎双星・報徳学園7-0西 宮 東(8回)
G7スタジアム神戸・・雲 雀 丘2-1明 石 北(10回タイブレーク)・苦 楽 園4x-3津  名(11回タイブレーク)
ReFillスタジアム・・・御  影5-4甲  南・神港学園3-0三田学園

⚾主な試合結果
大阪大会2回戦 豊  島11-6大商学園

💢【連絡】第79回秋季東海地区高等学校野球岐阜県大会
https://ghbf.asfsite.jp/news/entry-8328.html

本日の中津川公園野球場の第1試合は、5回終了後に降雨のため継続試合となりました☔
それに伴い、2試合目も雨天順延となっています。

📝僕のタイブレーク球場観戦歴
① 15年 4月25日 佐藤薬品S  畝 傍 9-3奈良 大付(13回) 先攻勝利
② 15年 5月31日 倉敷 MS 創志 学園4-2松 江 商(13回) 先攻勝利
③ 18年 8月 6日 甲 子 園 佐久 長聖5-4旭 川 大(14回) 先攻勝利
④ 18年 8月12日 甲 子 園  済 美 13‐11 星 稜 (13回) 後攻勝利
⑤ 18年10月 3日 福井 県営  近 江 13‐12日 大 三(10回) 後攻勝利 (国体)
⑥ 18年10月13日 明石 トーカロ 報徳 学園3-2  社  (13回) 先攻勝利
⑦ 19年 5月 6日 皇 子 山 彦 根 東8-7 綾 羽 (13回) 後攻勝利
⑧ 19年10月26日 コカコーラ  矢 上 6-3 盈 進 (13回) 先攻勝利
⑨ 21年 7月23日 紀三 井寺 智弁和歌山3-2初芝 橋本(13回) 後攻勝利
⑩ 22年 3月20日 甲 子 園  近 江 6-2長崎 日大(13回) 先攻勝利
⑪ 22年 3月25日 甲 子 園 金光 大阪4-3木更津総合(13回) 後攻勝利
⑫ 22年 4月 9日 シティ 信金S 奈良学園大4-2神 戸 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑬ 22年10月 2日 ウイ ンク   社  4-2 育 英 (13回) 先攻勝利
⑭ 22年10月15日 倉敷 MS 周南公立大3-1環太平洋大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑮ 22年10月15日 倉敷 MS 東 亜 大2-1吉備国際大(10回) 後攻勝利 (大学)

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⑯ 23年 3月28日 甲 子 園 報徳 学園5-4 東 邦 (10回) 後攻勝利
⑰ 23年 3月29日 甲 子 園 報徳 学園5-4仙台 育英(10回) 後攻勝利
⑱ 23年 4月16日 ダイムS伊勢 皇 學 館4ー3昴 学 園(10回) 後攻勝利
⑲ 23年 5月 1日 HMF神戸 関西国際大5-2天 理 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑳ 23年 5月13日 わかさ京都 京都 国際2-1龍谷大平安(10回) 後攻勝利
㉑ 23年 7月17日  浜 山  出 雲 工9-8 安 来 (10回) 後攻勝利
㉒ 23年 7月28日 紀三 井寺 市和 歌山5-4和歌 山北(11回) 後攻勝利
㉓ 23年 8月 6日 甲 子 園 土浦 日大8-3上 田 西(10回) 先攻勝利
㉔ 23年 8月13日 甲 子 園  山 陽 4-3大垣 日大(10回) 後攻勝利
㉕ 23年 8月16日 甲 子 園  慶 応 6-3 広 陵 (10回) 先攻勝利
㉖ 23年 8月26日 紀三 井寺  那 賀 6-2 桐 蔭 (10回) 先攻勝利
㉗ 23年 9月10日 G7スタジアム  彩星 工科4-3篠山 鳳鳴(10回) 後攻勝利
㉘ 23年10月15日 福井フェニックス 敦賀 気比11-5帝京 長岡(10回) 先攻勝利
㉙ 23年10月22日 シティ信金 京都 国際3-2 田 辺 (10回) 後攻勝利
㉚ 23年10月22日 シティ信金 京都外大西7-5彦根 総合(10回) 先攻勝利

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㉛ 24年 3月18日 甲 子 園 八学 光星5-3関 東 一(11回) 先攻勝利
㉜ 24年 3月18日 甲 子 園 熊本 国府2-1 近 江 (10回) 後攻勝利
㉝ 24年 3月22日 甲 子 園 報徳 学園3-2愛工大名電(10回) 後攻勝利
㉞ 24年 3月27日 甲 子 園 青森 山田6-5 広 陵  (10回) 後攻勝利
㉟ 24年 4月27日 紀三 井寺 市和 歌山6-3 田 辺 (10回) 先攻勝利
㊱ 24年 4月29日 ウイ ンク 須磨 翔風5-3神戸学院付(11回) 先攻勝利
㊲ 24年 5月 3日 HMF神戸 大阪体育大6-5甲 南 大(10回) 先攻勝利(大学)
㊳ 24年 5月 6日 マイネット皇子山 八 幡 商3-2比 叡 山(10回) 先攻勝利
㊴ 24年 5月19日 長 良 川  菰 野 6-5県岐 阜商(10回) 先攻勝利
㊵ 24年 7月22日 紀三 井寺  田 辺 9-8新宮/新翔(10回) 後攻勝利
㊶ 24年 8月 7日 甲 子 園 智弁 学園9-6岐阜 城北(11回) 先攻勝利
㊷ 24年 8月17日 甲 子 園  大 社 3-2早稲 田実(11回) 後攻勝利
㊸ 24年 9月 8日  高 砂  神 戸 一6-5 滝 川 (11回) 先攻勝利
㊹ 24年 9月28日 明石  トーカロ 東洋大姫路10-4神戸国際付(10回) 先攻勝利
㊺ 24年10月27日  浜 山  米子 松蔭4-3 盈 進 (11回) 後攻勝利
㊻ 24年11月 9日 甲賀 市民  河 南 3ー2 天 理 (11回) 後攻勝利(軟式)

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㊼ 25年 3月18日 甲 子 園 健大 高崎3-1明徳 義塾(10回) 先攻勝利
㊽ 25年 3月26日 甲 子 園 浦 和 実12-4聖光 学院(10回) 先攻勝利
㊾ 25年 4月26日 岡山 県営 福 山 大7-4川崎医療大(10回) 後攻勝利(大学)
㊿ 25年 4月27日 ウイ ンク 明 石 商5-4神戸学院付(10回) 先攻勝利
51 25年 5月11日  GOSANDO  履 正 社4-2関大 北陽(11回) 先攻勝利
52 25年 6月 1日 倉敷 MS 創志 学園2-1岡山 東商(10回) 先攻勝利
53 25年 7月 6日 わかさ京都 京都 文教9-8京都すばる(10回) 後攻勝利
54 25年 8月 6日 甲 子 園  開 星 6-5宮 崎 商(10回) 後攻勝利
55 25年 8月 7日 甲 子 園 津田 学園5-4 叡 明 (12回) 後攻勝利
56 25年 8月 9日 甲 子 園 佐 賀 北5-4青藍 泰斗(10回) 後攻勝利
57 25年 8月24日 紀三 井寺  向 陽 8-7 海 南 (10回) 後攻勝利
58 25年10月 6日 わかさ京都 龍谷大平安2-1 乙 訓 (11回) 後攻勝利
59 25年11月15日 ウイ ンク  天 理 2-1あべの翔学(10回) 先攻勝利(軟式)

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60 26年 3月19日 甲 子 園 八学 光星15-6 崇 徳 (10回) 先攻勝利
61 26年 3月25日 甲 子 園 智弁 学園2-1神村 学園(10回) 先攻勝利
62 26年 4月11日 ならっきー 奈 良 北3-2 奈 良 (10回) 先攻勝利
63 26年 5月31日  浜 山  創志 学園4-3 開 星 (10回) 後攻勝利
64 26年 7月25日 倉敷 MS 岡山学芸館3-2 山 陽 (10回) 後攻勝利
65 26年 8月09日 甲 子 園 鳴門 渦潮2-1八王子実践(10回) 後攻勝利
66 26年 9月12日 ベイ コム 滝 川 二4-3関西 学院(10回) 後攻勝利 
67 26年 9月13日 G7スタジアム 雲雀丘学園2-1明 石 北(10回) 先攻勝利
68 26年 9月13日 G7スタジアム 西宮苦楽園4-3 津 名 (11回) 後攻勝利

📝古川投手ら18人登録 国スポ出場の三重高野球部 来月3日から
https://news.yahoo.co.jp/articles/4ced33cc50d80df095929dc5ea050127d28779ff

10月3日から青森県で開催される日本スポーツ協会主催の第80回国民スポーツ大会(旧国民体育大会)特別競技・高校野球に出場する三重県松阪市久保町の私立三重高校野球部は11日、登録メンバー18人を発表した。20人登録だった〝甲子園メンバー〟からは2人が外れる形となったが、主要選手が名を連ねた。

大会は青森県の弘前市運動公園野球場で開催され、7イニング制で行われる。出場校は今夏の甲子園で準決勝に進出した4校と開催県の1校、準決勝進出校以外の所属地区から3校の計8校。三重高は甲子園で準々決勝まで勝ち進む戦いぶりなどが評価され、2014(平成26)年の第69回大会以来、12年ぶりの出場を決めた。
 
今回登録されたメンバーには最速149キロを誇りながら、けがで甲子園のマウンドに立てなかった古川稟久投手(3年)や、甲子園で内野手の要として堅守を発揮した遊撃手・秋山隼人選手(同)と二塁手・水野央清選手(2年)に加え、中継ぎとして好投した船橋昊投手(同)らが名を連ねた。
 
沖田監督は「青森県で開催されますが、人生において数多く行くことのできる場所ではないと思うので、良い思い出となる大会にしたい」と意気込んでいる。
 
すでに抽選会は実施され、三重高は甲子園準々決勝で0―7で敗れた天理(奈良県代表)と初戦を戦う。
出場校は三重高と天理高のほか、智辯和歌山(和歌山県)、健大高崎(群馬県)、花巻東(岩手県)、横浜(神奈川県)、有明(熊本県)、青森山田(青森県)の計8校。補欠校は仙台育英(宮城県)と英明(香川県)の2校。

📝「攻略の糸口が見つからない」福島の常勝軍団・聖光学院の5連覇を阻んだ背番号「17」…“敗軍の将”が語った「あの日」の誤算
https://news.yahoo.co.jp/articles/d89b1fdd991003e86e7461e51f290407ce6ffdce

夏の甲子園開幕前、各地の地方大会では強豪校の敗退が相次いだ。福島でも、絶対王者・聖光学院が準決勝で東日大昌平に敗れ、まさかの敗退を喫した。これまで折に触れて聖光学院のグラウンドを訪れてきた筆者には、そこだけ世間とは別の時間が流れているように感じられるという。スタッフや選手たちが放つ覇気によって作り出された、透明なドームがグラウンド全体を包み込んでいるような独特の空気。筆者が「聖光ドーム」と呼んできたその空気は、これまでどんな困難に直面しても変わることがなかった。

その異質と言ってもいい不変さは2020年、全世界がコロナ禍に見舞われたときもそうだった。その年の夏、甲子園がなくなった。しかし、彼らの野球に対する熱量は少しも変わらず、福島県が開催した独自大会を制している。やはり「聖光ドーム」の中だけは、世間とはまるで違う空気が流れているように感じられた。

「聖光イズム」を全うする
 
部長の横山博英は当時、「甲子園より価値のあるものを提示してやるしかない」と語っていたものだ。

「あのとき、周りがみんな『甲子園がすべてじゃねえんだ』って言ってたでしょう。僕らもよく言ってたんです。でもね、あれは甲子園があるから言えたんです。うちらは、どこよりも気持ちであるとか、考え方を大事にしてきたという自負がある。だから、こんなときこそ、甲子園があったとき以上の気持ちで高校野球をやり切る。それしかない。今ほど指導者の力量が試されているときはないんじゃないですか。甲子園はなかったけど、聖光で3年間できてよかったって言って欲しい。でないと、僕らの負けになりますから」

彼らは勝利と同じかそれ以上に聖光イズムを全うすることを目指している。形として残るものではなく、目に見えないものを信じている。福島出身ながら、聖光学院のそんな求道的なスタイルが苦手で、前監督の佐々木順一朗時代の仙台育英に進んだある選手がこんな話していたことがある。

「中学時代の僕は擦れていたんで。自分を壊してまで、あんな風に野球に打ち込むことはできないと思っていたんです。でも、高校に入ってからは、見え方がぜんぜん変わりました。否定の目線じゃなくて、尊敬の眼差し。そこまで野球に熱くなれるって、すごいな、って。育英はどちらかというと緩かったので。あそこだけ、軸が違うんです」

軸が違う。その表現も、わかる気がした。だから、いつ、どこで、何が起きようとも聖光は聖光なのだ。

「気になるっちゃ、気になるからね」
 
バックネット裏のスタッフ小屋の中のテレビでは、甲子園の1回戦が流れていた。私が取材に来ているからだろうか、音はミュートになっていた。監督の斎藤智也は話しつつ、時折、テレビの方に目をやる。

「まあ、気になるっちゃ、気になるからね。テレビの真正面に座って、さあ、いよいよ始まるぞ、っていう見方はしないけど、今は、3年生の進路の関係で、電話が多いから。電話を待ちつつ、ついでに観るみたいな感じかな」

福島大会の決勝は、聖光を破った東日大昌平がその勢いのまま学法石川に10―7で勝利し、初となる甲子園への切符を手にした。その試合も斎藤はテレビで観ていたという。

「昌平を応援してた、というのとは少し違うけど。でも、照沼は、うちのときのような投球をすれば甲子園でも通用すると思ってたから、投げさせてやりてえな、みたいなのはあったかな」

照沼佑崇。東日大昌平の本格派右腕で、福島大会の段階では背番号は「17」だった。同大会で大活躍し、甲子園ではエース番号を与えられている。身長は173センチだが角度のあるMAX148キロのストレートと、小さく曲がり落ちるスライダーが主な球種だった。彼が聖光の5連覇を阻んだ張本人である。 聖光は4回までに照沼から計2点を奪ったものの、最終的には2安打に抑え込まれ、2−3で敗れた。斎藤はからりと言う。

「納得だね。照沼を褒めるしかない。『終盤の聖光』って言われることもあるけど、こっちの執念が上回るというより、相手が勝手に悪い魔法にかかって崩れちゃうこともあったんだよ。急におどおどし始めて、手元が狂ったり。でも、照沼はそれがなかった。5回以降、うちはノーヒットだもん。しかも、無四球。あれだけ攻略の糸口の見つからないピッチングをされたことは県内では、ほとんどなかったんじゃないかな」

自信が裏目に……
 
今年の聖光は春の東北大会で優勝している。つまり、東北王者でもあった。練習試合では選抜大会でベスト4入りした専大松戸のエース門倉昂大や、この夏の甲子園で仙台育英を8強入りに導いた先発の柱・古川諒弥、また準優勝に貢献した健大高崎のエース・石垣聡志なども攻略してきた。横山はその自信が裏目に出てしまったのかもと悔いる。

「あの日の照沼が良過ぎたというのは間違いないんだけど、これまでどんなにいいピッチャーでも打てちゃってたからな。やれちゃってたから、ダメだったときの引き出しが少なかったのかもしれない。あとで選手たちに照沼の印象を聞いたら、真っ直ぐと変化球の軌道がまったく同じで、見極められなかったって言ってましたね。結果的に見たら、このチームは問題がなかったことが問題だったのかも。そこは難しいけどね」

エースの証明
 
取材に訪れた日の翌日は、甲子園における東日大昌平の1回戦に当たっていた。斎藤は本気とも冗談ともつかないような口調でこんな話をしていた。

「うちのときとは違うじゃねえかよ、ってなるのだけは嫌だな。うちとやったときの方がぜんぜんよかったじゃねえかよ、みたいなのは」

照沼の出来についてである。しかし、その心配は杞憂に終わる。照沼は1回戦の白樺学園戦は1失点で完投、続く2戦目の青森山田戦は2失点で完投と、聖光戦のときと勝るとも劣らない投球内容を披露。3戦目の有明戦は8回途中、右ふくらはぎの痙攣が悪化し、1アウト一、二塁としたところで降板したものの、そこまでは0点に抑える好投を見せていた。その後救援が打ち込まれ、最終的にチームは1−4で敗れたが、甲子園での照沼は打たれて降板したことは一度もなかった。

照沼が甲子園の3試合で投じた計349球は、東日大昌平が、あの聖光を破ったことが決してフロックでなかったことを力強く証明していた。

                《続く》

⚾岩手さんへ
関西は昔から仏教は栄えてましたね。浄土真宗の親鸞・蓮如や弘法大師などなどいにしえの時代から今に語り継がれているので・・・・・。
比叡山と高野山は特に信仰心が篤いだろうし、比叡山は織田信長に焼き討ちに遭いましたが、不滅の法灯は健在なんで。

高野山は何度か日帰りで観光してますが、趣のあるいいところです。冬は寒すぎて行けませんが、春・秋はちょうど良いですね。ただ、一部の宿坊が便乗値上げは寂しい話ですね。。。

キリスト教系は県内では神戸国際大付・仁川学院といったところですが、女子校でも百合学園あたりが制服に十字架あるはずなんでおそらくは・・・。マリアの園幼稚園も併設しているし!
そう考えると、聖心ウルスラや聖光学院あたりもそうなんでしょうね。

しかし、高野山高校はしょっちゅう監督が交代しているイメージが強いですね。和智弁が4年前の夏に初戦敗退した時は中央大学監督だった伊藤 周作監督だったし、神戸弘陵軟式野球部の橋爪監督も一時期指揮を執ってましたね。今の植監督はスキンヘッドで風貌は怖いですが、堀越に初戦敗退した時のエースだったのかな?

ちなみに僕は21世紀になってからはコロナ騒動の数年を除いて、だいたい年間60前後の日数球場通いしているので、、、あまり変わらないですよ。
ただ昔は高校野球オンリーでしたが、独立リーグが関西にできたし大学野球や軟式野球もごくたまに足を運んでいるので。。。。。

P・S 昨日は1年ぶりにベイコム(尼崎)今日は3年ぶりにG7スタジアム(神戸サブ)に行きました。今日は14時過ぎから20分ほど雨が降り難儀しましたが・・・・・。
なんと・・・足掛け2日間で3試合連続延長タイブレーク観戦できるという幸運に恵まれましたね!!

昨日は15時28分今日は15時26分とかなり遅くまで逗留でき、HMF神戸で大学野球していたのでG7スタジアムから約10分歩いて関関戦覗いてきました。まだ6回裏途中で早くも入場口の門番は撤収していたので1200円払うことなく、、、8回表途中までお邪魔して板宿の喫茶店でくつろいでました。

今年はあまり延長に縁が無くコールド多発のイメージが強かったですが、8月末の紀三井寺カンドクナイターの11回(タイブレークなし)を含めると2ケタ延長観戦になってました・・・。
表にまとめると、、、たしかに。あの崇徳が10回表に9点取られたことはすっかり忘れてました(笑)。
浜山で開星が2点リードを自滅で2度も追いつかれ最後は延長サヨナラ負けして野々村監督がブチ切れまくって三位表彰式が数分遅れて、過度な暴言を理由に謹慎1ヶ月喰らった試合は鮮明に覚えてますが!!
2026/09/13(日) 22時41分52秒 No.2616 編集 削除