自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
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💢甲子園に“名物おじさん”復活 2023年夏を最後に一度は足が遠のくも…「急にみたくなった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a3febcf83a8fa7a1fb88e494ccf6c931ada2b6c

かつて甲子園大会全戦をラガーシャツ、黄色いキャップ姿で観戦し有名に

第98回選抜高校野球大会は3月31日に決勝が行われ、大阪桐蔭が7-3で智弁学園(奈良)に勝利。春夏通算10度目(春5度・夏5度)の全国優勝を果たした。実は今大会では、かつて甲子園名物として知る人ぞ知る存在だった“ラガーさん”が秘かに復活し、全31試合観戦を達成していた。

かつて春夏を通じ、高校野球の甲子園大会全試合で、鮮やかな柄のラガーシャツと黄色いキャップ姿の男性がネット裏最前列で観戦し続けていることに、テレビの実況中継の視聴者が気付きはじめ、いつしか“ラガーさん”の通称で有名になっていた。

本名・善養寺隆一さん。甲子園で高校野球を初めて観戦したのは、剛腕・渡辺智男投手を擁する伊野商(高知)が準決勝でKKコンビ(清原和博内野手と桑田真澄投手)のPL学園(大阪)を破り、決勝でも帝京(東京)を下して優勝した1985年春の選抜だった。高校野球に魅せられたラガーさんは、甲子園大会を毎年、開幕から閉幕まで、夜は球場8号門前に寝袋にくるまって徹夜で並び、全試合を当時自由席でだったネット裏最前列で観戦するようになった。都内の自宅と甲子園の往復は、専ら深夜バス。大会期間中は、知人宅を間借りして荷物置き場と休憩用に当て、風呂は銭湯を利用してきたという。

そんなラガーさんに大きな変化が訪れたのは、2016年の春の選抜だった。ネット裏席前方に「ドリームシート」が設けられ、小・中学生を公募の上で無料招待するようになり、ラガーさんは定位置を追われる格好になった。2021年の選抜からは全席指定となり、「俺は昭和生まれのアナログな人間なので、インターネットをうまく扱えず、思うようにチケットを取れない」というラガーさんは、慶応(神奈川)が107年ぶりの優勝を飾った2023年夏を最後に、甲子園から足が遠のいていた。

今大会の観客動員は全席指定席化以降最多の39万5800人に上った
 
ところが今大会、「正月から中学野球をずっと見ていた流れがあって、開幕前に急に見たくなった」。難問のチケット取得は「何人かの友だちがネットで取ってくれた。みんなに感謝です」と頭を下げる。そのお陰で連日、ネット裏の前方から中段付近の席で観戦することができた。

テレビ中継に映ることはなくなったが、「球場のトイレに行く時などに、昔ほどじゃないけれど、多くの方々に声をかけてもらったり、写真を頼まれたりする。うれしいね」と頬を緩める。

決勝については「やっぱり大阪桐蔭は強かった。バスターやエンドランを絡めて、試合巧者ぶりを発揮したよね。智弁の杉本(真滉)投手(3年)はこれまでずっといいピッチングをしてきたけれど、少し疲れていたのと、大阪桐蔭の打線に研究されていたために、打たれてしまったね。ストレートを狙われていたものね」と玄人はだしの評論を披露した。
そんなラガーさんは現在59歳で、8月には還暦を迎える。親の代からの印刷業を数年前にやめ、貸店舗と家賃収入で生計を立てているという。

「甲子園に来ると、体力もお金も使う。ただ、お金はあの世までは持って行けないからね。生きているうちに楽しまないと。体力が続く限り、また来たいかな。俺のライフワークだから!」と力を込めたラガーさん。

主催者発表によると、今大会の観客動員は計39万5800人に上り、全席指定となった2021年以降では最多だった。甲子園のスタンドに帰ってきたラガーさんの念力が、人知れず大会を後押ししていたのかな……。

✌<センバツプレーバック・和歌山>耐久(2024年) 「新時代」を創った躍進
https://news.yahoo.co.jp/articles/33e09e8011b33c87fa6f255a7d55be79ebbbdd57

新型コロナ感染拡大で見送られていたセンバツでの甲子園練習が5年ぶりに再開され、新たな時代の始まりを感じさせた。存在感を見せたのが、創部119年で甲子園初出場を果たした耐久だった。

学校創立は江戸時代の1852(嘉永5)年でペリー来航より早い。野球部創部も1905年と伝統があり、プロ野球選手も輩出してきた。だが、これまでは聖地に届かなかった。
しかも前年夏の和歌山大会では初戦敗退。そこから悔しさを胸にした新チームが秋の県大会で初優勝し、40年ぶりに出場した秋季近畿大会でも4強に進出する躍進を見せた。

原動力となったのは秋の公式戦全9試合で完投した冷水孝輔投手だった。1回戦の中央学院(千葉)戦でも一回に先制を許したが、力強い直球と多彩な変化球で五回まで追加点を許さなかった。だが、大会前に体調を崩したことが影響したのか、六回に4長短打を許して3失点。七回の打席で利き腕の右ひじに死球を受け、八回には無念の交代となった。

耐久は4点を追う七回、白井颯悟選手、中啓隆選手の安打と死球で2死満塁とし、岩崎悠太選手が四球を選び、押し出しで1点を返した。九回に代打攻勢で勝利への執念を見せたが、1―7で初戦敗退に終わった。一方、中央学院は勝ち進み、春夏通じて初の4強入りを果たした。

チームカラーのえんじと白に染まった応援席は人文字の「T」を形成して後押し。「応援団賞」の最優秀賞に選ばれた。現在も監督として指揮を執る井原正善さん(42)は「選手は心強かったのではないか」と振り返る。現在のチームでも2年前の甲子園出場が励みになっているという。

☝「辞めたいと毎日思う」重圧を上回る「一人でも多く、この舞台に立たせたい」情熱…高校生の成長を見守るほほえみ
https://news.yahoo.co.jp/articles/7af0d3f7b3c8b6465aa2b6209e4893661331d2e8

選抜高校野球Vの大阪桐蔭部長 有友 茂史さん 61

一時3点差を追いつかれた白熱の決勝を、「きょうは誰がヒーローになるんやろな」と見つめていた。選手たちが春夏通算10度目の甲子園大会優勝を決めると、「高校生は思いもしないプレーや成長を見せてくれる」とほほえんだ。

奈良・天理高で甲子園を目指したが、3年夏は県大会初戦で敗退。天理大を経て大阪桐蔭野球部のコーチになった。甲子園への思いには区切りをつけ、「ただ教師になりたかっただけ」だったという。しかし、1990年、母校が出場した甲子園の応援席で情熱が再燃した。「自分も生徒をここに連れてきたい」

98年、ともにコーチをしていた西谷浩一さん(56)が監督に、自身は部長になった。チームが勝てば勝つほど、部の予算管理などの事務が増えた。グラウンドに立つ時間は短くなったが、落ち込む選手を見つけてはフォロー。今大会中も無安打でうつむく選手に気づき、「落ち込んだままなら、俺が代わりに試合出るぞ」と笑わせた。

全国から集まる選手を育て、勝利を期待される重圧は大きい。「辞めたいと毎日思う」と笑うが、それを上回る情熱は変わらない。「一人でも多く、この舞台に立たせたい。まだまだやるで」

👣智弁学園・井元康勝部長が退任メッセージ「もう、100点。ここまで監督が連れてきてくれて感謝」岡本和真にはおわびも
https://news.yahoo.co.jp/articles/a484d9c15f86c0bf09c84964b4ce08bd32dce935

第98回センバツ高校野球大会で準優勝した智弁学園(奈良)の井元康勝部長(75)が、31日の決勝を最後に退任し、同校の教諭を退職した。小坂将商監督(48)とは33年間の付き合い。高校3年間は担任教師を務め、指揮官が就任3年目の2008年から部長として支えてきた。教え子のブルージェイズ・岡本和真内野手(29)との思い出も語りながら、戦い抜いたナインに拍手を送った。

43年の教員生活の最後の日を甲子園で過ごした。しかも決勝。井元部長は「まさか、こんなことに。ホンマに劇的なこと」と、聖地の景色を目に焼き付けた。惜しくも敗れたが、笑顔で「夏、優勝せえよ」と、選手の肩をたたいた。

「もう、100点。粘りも諦めない気持ちも強かった。ここまで監督が連れてきてくれて、感謝だけ」

83年に赴任。93年に入学した小坂監督の在学3年間は、野球部員がそろうクラスの担任だった。指揮官の就任3年目からは18年間の二人三脚。自身に野球経験はないものの、75歳まで勤めた理由は明確だ。

「小坂が立派な社会人になって戻ってきたから。教え子やけど、もう盟友よ」

95年夏に甲子園4強。思い出の学年の小坂主将は、印象的な生徒だった。

「担任として、厳しい野球部の監督との間に入る役目。フォローして、悩みを聞いて。小坂を叱ったこともあるけど、しっかりした子。誰かが悪さをすると『僕も同罪です』と一緒に怒られた。個性豊かな代を、うまくまとめていたなあ」

今では部の伝統の野球ノートは元々、小坂監督の1年時に「教室」で始めた。当時は、担任と生徒の交換日記。毎日メッセージを添えて返した。

「いつもノートを見れば、変化が分かる。びっしり書く子が急に1行になったら、何かあったんやなと」

過度な上下関係の撤廃を始めたのも、この世代。今年1月、その29期生による慰労会が開かれた。指揮官から「先生との出会いで、ここまで来られました」と感謝の言葉。井元部長の座右の銘「人生、意気に感ず」と記されたTシャツも贈られた。今大会もおそろいのTシャツで応援した29期生。試合後も激励に宿舎を訪れ、食事をともにした。
何人もプロを輩出し、「岡本も村上(阪神)も、やっぱり並外れた努力家。岡本はポワーンとしているように見えて、本当によく練習した」と回想。昨年秋に「お体を大事にしてください。メジャーで頑張ってきます」という連絡があったが、“おわび”もある。

「入って来た時に声が小さくて、何度もあいさつのやり直しをさせた。今思えば、えらい失礼やな、メジャーリーガーに(笑)」

今後は非常勤の職員。「パートのおじいちゃん」として顧問を続けるが、本来は65歳で退くつもりだった。指揮官の慰留が続き、プラス10年。「一番幸せ。一番思い出に残る試合」と、感無量のフィナーレだ。

◆井元 康勝(いもと・やすまさ)1950年5月30日、和歌山・橋本市生まれ。75歳。橋本高、大阪府立大を卒業。自動車部品工場での技術職などを経て、83年に理科の教諭として智弁学園に赴任。03年4月から1年間、野球部長を務め、08年4月に復帰。春夏16度甲子園に出場し、16年春に優勝、21年夏に準優勝。

👣阪神才木の恩師、須磨翔風・中尾監督が神港橘に転任 兵庫高校野球の指導者ら新天地へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/e46b5e99d2ae8770130d92ef1bf55ffa6f9680cd

高校野球で須磨翔風を17年間率いた中尾修監督(60)が、1日付で神港橘に転任する。阪神の才木浩人投手や中日の福敬登投手、楽天の安田悠馬捕手をプロ野球界に送った育成力に定評があり、新天地でも生徒と白球を追う。

中尾監督は神戸工(現・神戸科技)、日体大卒。34歳で神戸西に着任し、野球部長となった。市須磨との統合によって須磨翔風が新設された2009年に監督に就任した。
春秋の兵庫県大会で準優勝した経験を持ち、近畿大会では秋8強、春4強の実績がある。準優勝した19年の春季県大会が印象深いといい、「3回戦で28連勝中だった明石商に競り勝つことができた」と振り返る。

昨秋の県大会では16強にとどまるも、地区大会では後に近畿王者となる神戸国際大付に善戦。「チームを夏まで見届けたかった気持ちはあるが、ゼロから野球部を築き上げられたのは幸運だった。神港橘でも野球の喜びを選手に伝えたい」と語る。

また、長田の監督として16年春の選抜大会に出場した永井伸哉顧問(54)は、夢野台から神戸に異動する。夢野台では顧問の一人として、昨夏の兵庫大会16強入りに貢献。「現場に出る機会は少なかったが、若い指導者を見守る気持ちだった」といい、データ分析でチームを支えた。

新天地では部長として、長田でともに甲子園の土を踏んだ西岡大輔監督と組む。監督と部長の立場を入れ替えた再タッグに、「筑波大の後輩でもある西岡さんと、もう一度甲子園を目指したい」と尽きない情熱を明かした。

☟山梨学院・菰田 手術受けていた 1回戦で左手首を骨折、早期回復へ決断
https://news.yahoo.co.jp/articles/cc17279cbf79a88e185770fa1adf826d3abe855d

第98回選抜高校野球大会で8強入りした山梨学院の菰田陽生主将(3年)が、30日までに大阪市内で左手首の手術を受けていたことが31日、分かった。チームは現在休養中で4月2日から夏に向けて練習を再開し、菰田も早ければそこから参加する予定だ。夏までには間に合う見通しで、医師の指示通り慎重にリハビリを進めていく。

今秋ドラフト上位候補の二刀流にアクシデントが起こったのは3月22日の長崎日大との初戦だった。初回の第1打席に自身甲子園1号をマークしたが、五回、一塁の守備で捕球の際に打者走者と交錯して左手首を負傷。「左橈骨(遠位端骨折」と診断を受け、早期回復のために手術を決断した。吉田洸二監督(56)は「リハビリを焦らずにしっかり取り組まないと、後に残ったらいけない。ゆっくりやりなさいと伝えたい」と着実に段階を進める方針を明かした。

📝大阪桐蔭「平等な競争」から生まれる強さ 西谷浩一監督“叱るのではなく気づかせる”指導法 あえて何も言わず選手同士で口論させることも 「褒めて伸ばす」ことはせず
https://news.yahoo.co.jp/articles/887acb2d1285843f200e8ae50eecbad5faabc521

「今の子らは仲が良いけれど」
 
大阪桐蔭OBである海老根優大(現・SUBARU)は、自身の代である2022年に達成した「最後の日本一」の背景に、西谷のチーム作りを挙げる。
中学3年時、NOMOジャパンとU-15侍ジャパンに選出されたスーパー中学生だった海老根は、1年秋よりメンバー入りし、2021年のセンバツでもベンチ入りしたが、2年の夏にメンバーを外れた。

「同級生の松尾(汐恩、現・横浜DeNA)は入ったんですが、『松尾が夏に集中している分、お前は秋以降の新チームに集中して、仲間を引っ張ってくれ』と。もちろん、悔しかったですけど、西谷先生の言葉というのはノートに書いてくださった文字でも重みが違うし、自分も新チームに集中するべきだと腹をくくることができました」

大阪桐蔭の強さを、海老根は「平等な競争」と端的に表現した。

「入学した直後から、シートバッティングで先輩のボールを打たせてもらえますし、ベンチ入りできなかった選手もB戦(※メンバー外の選手や下級生を中心に起用し、実戦の機会を与える練習試合。同校の慣例となっている)などで打席数が確保され、チャンスを与えられる。結果が出れば翌日の打席数が増えることもありますし、反対に結果が出なければ翌日は守備だけということもある。引退するまで競争が続くからこそ、選手たちが腐らないんだと思います」

高校野球は夏が終わると新チームがスタートし、センバツ切符の懸かった秋季大会が行なわれる。11月には明治神宮大会があり、同月30日まで対外試合を可能とする日本高野連の規定がある。大阪桐蔭ではこの晩秋の時期の対外試合で徹底的な競争を選手に課す。チーム作りにおいて大事な時間だ。再び西谷が語る。

「秋季大会のメンバー発表の時に、ベンチを外れた選手に対して『11月には必ずチャンスを与える』と約束します。11月30日までしか対外試合ができないので、11月の平日にナイターで試合を組んだり、近大附属さんや京都国際さんと近くの球場を借りて試合をしたりします。プロ野球におけるフェニックスリーグのような位置づけです」

既に3年生は引退しているため、部員は約40人。そのうち、秋季大会でベンチ入りしながら出場機会の少なかった10人と、ベンチ入りできなかった20人の計30人が主な出場メンバーだという。

「とにかく公式戦の経験が少ない30人に実戦経験を積ませることを目的とします。反対に秋の主力はうちのグラウンドでじっくり練習をして、全体の底上げをしていく。フェニックスリーグで指揮するのはコーチ陣で、僕は本体の練習を中心に見ながら、試合の様子を途中から覗きに行ったりします」

この時期、西谷は特殊な言い方で高校生の競争心を刺激する。

「今の子らは僕らの時代と違って、本当に仲が良い。全体練習後の自主練習も同じポジションの同級生とやったりする。『むしろ仲が悪くなるぐらいやれ』とか、『お互いに上手くなったら、どちらかが試合に出られないんだぞ』と言います。僕の考えが小さいのかもしれませんが、あくまで個人を鍛える時期なので仲良くする必要はないし、『チームの和なんてこの時期は考えなくていい』と伝えています」

選手同士で口論させる
 
メディアの前では温厚な印象を受ける西谷だが、教え子たちに対しても声を荒らげ、厳しい言葉を投げかけることはめったにないという。再び、海老根の証言だ。

「昔は違ったのかもしれませんが、僕らの世代の先生はいつも優しかった。問題が起きた時に、先生が怒って解決するのは簡単なんですけど、それでは生徒の成長はない。だから先生はあえて何も言わずに、選手同士で口論させることもありました。器が大きく、すごい指導者だなと思います」

だからといって、「褒めて伸ばす」ようなこともしない。オリックスの森友哉は、高校時代に「西谷先生に褒められたことは一度もありません」と話していた。西谷はこう回想する。

「森に対しては5の4(5打数4安打)でも怒っていた。5の5を打てる可能性のある子だったからです。もちろん、誰にでも5の5を求めるわけではありません」

2018年に大阪桐蔭を卒業した後、早稲田大を経て2021年にドラフト2位で横浜DeNAに入団した徳山壮磨は、「西谷先生ほど観察力が鋭く、教え子の心にスッと入ってくる言葉で表現する指導者はいない」と話す。

「一度、なぜ甲子園を目指すのかという話になったことがあった。西谷先生は甲子園を『野球が一番上手くなれる場所』と説明し、『日々の練習が足し算で上手くなるとするならば、甲子園での経験はかけ算で野球が上達するんだ』と話してくれた。実際に2017年のセンバツでは、宇部鴻城(山口)、静岡、東海大福岡と試合を経るごとに自分が上達するのを実感し、自信を得ていきました」

今回のセンバツでも、昨春王者の横浜(神奈川)と共に、大阪桐蔭は優勝候補の一角ではあるだろう。MAX153キロの吉岡貫介に身長194センチという大型左腕の川本晴大、埼玉西武のおかわり君こと中村剛也の長男である勇斗もメンバー入りし、スタメンでの出場もあるかもしれない。しかし、組み合わせ抽選会の日に例年ほど前評判が高くないことを指摘されると、西谷はこう返した。

「ええ、うちは所詮、B評価ですから(笑)」

最多勝監督もスポーツ紙記者の評価を意外にも気にしている様子だった。西谷の通算勝利数がこの春、75に達した時、大阪桐蔭の10回目の日本一は達成される。全国より有望選手を集め、日本一の競争を課す西谷に対し、勝利至上主義の権化のような印象を抱いている人もいるかもしれない。しかし、私の考えでは、それは大きな誤解だ。
野球ノートを活用しながら、野球よりも大事な社会に出たあとの道を説き、叱るのではなく、気づかせるのが西谷の指導の基本だ。誰よりも聖地で勝利をあげながらつくづく西谷は技術屋ではなく、教育者なのだと思う。

📝今春は沖縄尚学、横浜も初戦敗退…なぜ「センバツで波乱が多発」? ベテラン指導者が明かす“意外なワケ”「選手たちがホッとしてしまうんです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8bf13559e54c022f3a5ee51e34292db0db7b0f5f

今年も春のセンバツ甲子園で熱戦が続いている。そんな中で、意外にもセンバツでは優勝候補といわれる強豪チームが序盤で姿を消すケースも多い。今大会も前評判の高かった沖縄尚学や横浜といったチームが初戦で敗れる波乱もあったが、実はそこには外からはなかなか見えない要素も影響するのだという。あるベテラン指導者に聞いた、その「意外な理由」とは。

センバツ高校野球が行われている甲子園球場には、野球界のさまざまな方たちがやって来る。久しぶりの思わぬ再会があって、「ご無沙汰しております」「いやいや、こちらこそ」と、そんな光景がネット裏のスタンドのあちこちで、そして、スタンド下の取材エリアで、この目にとまる。
高校野球の甲子園という場は、人と人の危うくなりかけたご縁が、もう一度結び直される場所なのだ。そういう意味合いもあって、「聖地」という称号が名付けられたのではないか。

甲子園で再会…あるベテラン指導者の「言葉」
 
そんな中、私にも、「ご縁の結び直し」の機会が巡ってきて、ある高校野球指導者の方と、10年以上の隔たりを経て再会することができた。今も指導者として高校野球に携わりながら、時折、春、夏の「甲子園」に乗り込んでくることもある「現役」である。その方との語らいの中に、このようなくだりがあった。

「センバツを見てると、勝ち上がっていけそうなチームが、意外とあっさり姿を消してしまうこと、あるじゃないですか」

なぜセンバツには「波乱」が多いのか?
 
昔……そう「20世紀」の頃のセンバツは、確かに出場チームにも強弱があった記憶がある。だが、ここ20年ほどは、いうなれば強豪同士の試合がほとんどを占めるようになった。
なので、勝者も敗者もどちらも「強豪」なのだが、試合内容として「あれっ、もっと粘れたんじゃないかな」というまさかの“あっさり敗退感”が残るゲームは正直、時々はあるように感じる。

「私も『えっ、もう負けちゃうの! 』って思うことが時々あるんですけど、これ、どうしてだと思います?」

そんな疑問に答えあぐねていると、ここから――まったく想定外の話が始まった。

            <次回へつづく>
2026/04/01(水) 22時19分58秒 No.2353 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

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⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(決勝戦)
最終日決勝戦 智弁学園(奈良)-大阪桐蔭(大阪) 12:30~14:52
          一二三四五六七八九十計HE
      大阪桐蔭012000400 7110
      智弁学園001101000 361

大阪桐蔭は4年ぶり5度目の優勝🏆

☝77歳老将の衰えぬ頂点への思い 引き際は「楽しくなくなったら」…往復2時間通勤も苦にせず
https://news.yahoo.co.jp/articles/e26aafaccdd2a9e6a44ac8b7ed9d7825ae2ef439

茨城出身で竜ケ崎一、藤代、常総学院の監督を歴任し、2008年から現職

第98回選抜高校野球大会で、専大松戸(千葉)は29日に行われた大阪桐蔭との準決勝に2-3で惜敗。今大会中に77歳11か月で選抜最高齢勝利監督の記録を更新した持丸修一監督は、監督生活初の全国制覇を射程圏内にとらえていたが、春夏通算9度の優勝経験を誇る大阪桐蔭に一歩及ばなかった。

準決勝に進出した4校のうち、専大松戸以外の大阪桐蔭(春4度、夏5度)、智弁学園(春1度)、中京大中京(春4度、夏7度)はいずれも過去に優勝経験があった。持丸監督は「ウチだけ優勝経験がない中で、なんとか頑張ってみようと思っていたのですが……子どもたちは勝ちたかったと思うので、なんとかしてやりたかった」と苦笑した。

「後手、後手になっちゃった。もうちょっと勇気を与えてあげられたら、もっといいゲームができたのかなという気がして、それが残念です」。持丸監督がそう振り返る通り、初回に一塁手のタイムリーエラーで先制点を許し、4回の攻撃では9番打者・長谷川大納外野手(3年)が高いバウンドの適時内野安打を放って同点に追いついたが、7回に突き放された。

8回の攻撃では、1死から二塁走者の吉岡伸太朗捕手(3年)が相手の不意を衝いて三盗を成功させ、苅部礼翔内野手(2年)の左越え適時二塁打で再び追いつく粘りを見せた。それでも、その裏の守備で1死三塁から内野ゴロの間に決勝点を奪われた。

「経験の差なんですかね……しっかり捕れる打球を捕れなかったり、逆に捕れないような打球を捕られたりね」と大阪桐蔭の底力を痛感。「何回もこういう経験をして、頂点に立てるようにしてもらいたいです」と吐露した。

持丸監督は茨城県出身で、母校の竜ケ崎一、藤代、常総学院の監督を歴任し、全て甲子園出場に導いた。2008年に甲子園未出場だった専大松戸の監督に就任し、ここでも春3度・夏3度“聖地”に導いてきた。2023年春にベスト8入りを果たし、今大会で過去最高を上回る準決勝まで駒を進めた。

「子どもたちの気力、楽しさに釣られてグラウンドに行くのが楽しい」

4月17日には78歳となる。残る標的は全国制覇以外にないだろう。持丸監督自身「悔しいまま終わりにしたくない」と本音が漏れる。

「子どもらがいるからこそ、グラウンドに立つ勇気を持てる。子どもたちの気力、楽しさに釣られて、グラウンドに行くのが楽しいです」と選手たちへの感謝を口にし、「楽しくなくなったら、辞めるべきでしょうね」と付け加えた。

いまだに毎日、茨城県取手市の自宅から千葉県松戸市のグラウンドまで、車で往復2時間の道のりを運転し通勤している。健康法を聞くと、「散歩とか食事よりも、希望を持つことではないでしょうか。何でもいいし、1つでいいから、希望を持って生きていければと思います」という答えが返ってきた。

「こういう舞台をどんどん踏んでいければ、(全国制覇が)近づくと思いますし、踏めなければ遠いまま終わってしまうと思います」と述懐した老将。今年の夏にもう1度、勝負をかける。

🎤【馬淵史郎 我が道30】あと3年 監督としての集大成でもう一度全国制覇を
https://news.yahoo.co.jp/articles/1cbe20a1cfc833da77941965c2014c742c160506

高校野球の7回制導入に賛成、反対の意見がぶつかり合っている。「絶対反対」「9回戦ってこその野球だ」という主張には、昭和の時代から野球に打ち込んできた者として共感する部分は多い。一方で暑さ対策、高校生の健康対策を優先すべきという声も無視はできない。

時代に応じて高校野球は変化してきた。33年(昭8)の中京商と明石中は延長25回を戦い抜いた。69年(昭44)の松山商と三沢の延長18回引き分け再試合は、中学時代に興奮しながら見ていた名勝負だ。延長戦の制度は変遷を経て、延長10回からタイブレークという形に至っている。そして現在行われている選抜大会からはDH制も導入された。次は7回制が焦点だ。

高校野球には可変と不変のものがあると思っている。甲子園を目指して、青春を懸けて、厳しい練習に取り組む。それを学校や地域の人たちが応援する。その姿が不変のものでなければいけない。7回制も野球というスポーツの根幹に関わる。9回を戦うから、多くのドラマを生んできた。現状では「7回制は最終手段。他にやるべき改善点はある」というのが、私の考えだ。

選手の負担軽減のため、試合時間を短縮し、出場機会を減らさないように考えたい。DH制も投手だけと制限せず、他の選手に適用することを考えてもいい。高校生の投手では打力もいい例は多い。現にソフトボールのDH制は野手でもOKだ。臨時代走など高校野球特別ルールがあるのだから、一考に値するはず。また時間短縮では、選手交代などを監督が直接、審判に伝えることを認めていいのではないか。伝令役の選手を仲介して、結構ムダな時間を使っている。高野連を中心に現場の声、ファンの意見も集約しながら、世界の見本になる日本野球のスタイルをつくってほしい。7回制論議より野球の魅力を広げ、競技人口を減らさない努力をすることが急務だと思う。

私も昨年11月で70歳になった。多くのOBや各地の指導者に、古希を祝っていただいた。自分の中では「あと3年、監督として身を賭して取り組む」とこれからの野球人生を考えている。これからの3年間で、自分の監督としての集大成となるチームづくりに取り組み、もう一度、全国制覇を果たす。それが夢だ。これからも選手たちと暑い日も寒い日も一緒になって白球に向かっていく。今回の選抜出場は果たせなかったが、明徳義塾は夏に向けて準備をしている。同時に野球の底辺拡大は自分にとっても大きなテーマだ。今年1月にも練習場を開放して、少年野球教室を行った。できることから、一つずつやっていきたい。

高知の山奥のグラウンドでは今日も選手たちが汗を流している。野球というのはある日突然うまくなる瞬間がある。これからも、そうした瞬間に数多く立ち会っていきたい。

☝“常勝”大阪桐蔭を築いた西谷“浩一パパ”の深い愛情と洞察力
https://news.yahoo.co.jp/articles/a9d481cf6b0b0d01e41d75eaf18efd37ae427f44

<センバツ高校野球:大阪桐蔭7-3智弁学園>◇31日◇決勝◇甲子園

大阪桐蔭が7-3で智弁学園(奈良)を下し、22年以来4年ぶり、春夏通算10度目の優勝を決めた。西谷浩一監督(56)は「優勝と準優勝は全然違う」と決勝無敗で頂点へとけん引。勝負師でありながら、選手への深い愛情と洞察力で常勝軍団を築き上げた。敗れた智弁学園はプロ注目のエース左腕、杉本真滉投手(3年)が1週間500球の球数制限にあと3球に迫る大車輪の働きも一歩及ばなかった。

いつもはノックバットを握る分厚く大きな手でフライパンを握った。慣れない手つきで卵焼きを作ると、丁寧にお弁当箱に詰め込んだ。22年、夫人が体調を崩し、約1カ月間、浩一パパが家事を切り盛りし、奮闘した。一番手がかかったのは当時15歳と12歳の娘さんのお弁当だった。

料理なんてやったこともない。どうやってこの苦境を乗り切るか。考えたのは“コンビニ弁当”。練習帰りにこっそりコンビニ弁当を購入。娘たちよりも早く起き、丁寧にお弁当箱に詰め、黙って持たせた。2~3日たった頃だったろうか。娘さんが声をかけた。「お父さん、分かってるで」。その視線の先には、コンビニ弁当の殻。「いつもは選手にウソはアカンって言うてるのにね」と苦笑いを浮かべた。

翌日からは料理に取り組んだ。初めて作った卵焼きは、見た目は不細工でも!?味は抜群。愛情たっぷりのお弁当に娘さんたちは「ありがとう。おいしかったで」と毎日喜んで残さず食べてくれたという。

OBたちの西谷監督評は「監督というよりも先生」「温かく見守ってくれる」「常に謙虚」。22年主将の青学大・星子天真内野手(4年)は「娘さんがいるから、僕らのことは息子だと思ってくれているのかも」と話した。だから選手たちへの愛情は深い。怒るのは私生活や取り組み、ウソをついたりごまかした時だけ。失敗にも「人間一度くらい失敗はある」と決して突き放さずチャンスを与える。「いい選手を集めている」と周囲に言われるが、実は選手の性格まで見て、大阪桐蔭での成長を願い共に甲子園優勝を目指した。

素材と味付け。そしてたっぷりの愛情。浩一パパの最高の調理で、大阪桐蔭はこれからも強くあり続ける。

🔥「優勝以外は何も残らない」 智弁学園の小坂監督が決めた覚悟
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASV3Z7THMV3ZPOMB00KM.html

「甲子園で優勝」という目標を口にし始めたのは一昨年のことだ。普段は派手な言動は好まない。2006年に母校の智弁学園の監督に就任して以来、公言は避けてきた。
理由は「指導者としてのマンネリ化」だ。38歳で16年春の選抜大会を制した。全国屈指の強豪校を率い、岡本和真選手や村上頌樹選手らプロで活躍する教え子も多い。

甲子園に出場すれば、優勝候補と見なされる。だが選抜優勝以降、勝ちきれない状況が「マンネリ」に映った。悔しさから今でも鮮明に思い出す試合がある。21年夏の決勝の智弁和歌山戦。もともと智弁和歌山で野球をやりたかった。甲子園での戦績も先を行く存在だった。「自分にもプライドがある。絶対に負けたくない」。しかし、結果は完敗。優勝旗を選手に持たせることができなかった。

一昨年の春、実力ある新入生がそろって入部した。「この子たちでダメならそれが自分の引き際だろう」。甲子園で優勝する覚悟が決まった。
今大会で当時の新入生が主力の3年生として出場した。準々決勝の花咲徳栄戦。序盤に大量得点を許したが、大会史上最大となる8点差を逆転した。「鳥肌が立ちました」。試合後にそう語った。

有言実行まであと1勝。「優勝以外は何も残らない。1回戦負けと似たようなもの」。10年ぶり2度目の優勝を見据える。

👣3元号で甲子園勝利、聖隷クリストファー上村敏正監督が退任へ「夏、甲子園に行き、私の役目は終わったかなと」
https://article.yahoo.co.jp/detail/5e7200732907aab9a9fe1e34169e0af7ab0cca3b

聖隷クリストファー高野球部の上村敏正監督(68)が3月いっぱいで監督を退き、兼務していた同校校長の職務に専念する。
野球部スタッフには昨秋の東海大会準決勝を終えた段階で説明し、選手には春季静岡県大会予選が始まる直前の3月16日に伝えたという。監督としての采配は3月15日の練習試合が最後。3月20日から始まった県大会予選はベンチに入らず、後任の田中公隆副部長が指揮を執っている。

昨夏の全国高校野球選手権静岡大会で優勝し、甲子園での戦いを終えたころから徐々に気持ちを固めていたという。

「夏が終わって、冬まで休みなく両方(校長と監督)を務めるのは苦しいなと思ってました。両方をきちんとやらないと済まないタイプなので」

野球部スタッフからは「せめて夏までは」と慰留され、ベンチに入ると采配を任せようと思っても「気になって口出ししてしまう」。
葛藤もあったが、最後は「(エースの)高部(陸投手)がいる間に渡してやらないと、というのが強かったですね」と、新体制へのスムーズな移行を考慮した。

浜松商高3年の夏に捕手として甲子園の土を踏んだ。指導者となり、母校の監督として夏は1984、1988、1990年、春は1985、1986、1990、1993年の計7回、掛川西を率いた2009年春も聖地に導いた。一度は現場を退いたが2017年秋に聖隷の監督として7年ぶりに現場復帰。昨夏、計9度目の甲子園出場を果たした。昭和、平成、令和の3元号で甲子園勝利。「頭とハートを使う」緻密な野球を信条とし、〝小粒〟でも徹底力で強豪を上回るチームを毎年作り上げた。

2022年は、秋の東海大会で準優勝し、選抜出場が有力視されながら落選。チームの総合力より個々の力を重視するような選考理由が物議を醸し、全国に波紋を広げた。
「本当はその時に辞めようと思ったんです。でも女房に反対されてね。『今辞めたら選手が困る。せめて(2022年の)夏までは続けるべき』って言われたんですよ」と振り返る。
昨夏の戦いを終えた後、体調を気遣う家族からも退任を後押しされたという。「(昨年の)夏、甲子園に行けて、私の役目は終わったかなと思いました」と静かに語った。

👣東播磨・福村監督が母校去り明石南へ転任 高校野球 兵庫の公立2校を甲子園に3度導く
https://news.yahoo.co.jp/articles/1fdf5a5091ee672ba4fa4fbbeaa977c2be6be7cd

2021年春の選抜高校野球大会に出場した東播磨の福村順一監督(53)が、1日付で明石南に転任する。機動力野球を代名詞に、加古川北時代にも春1度、夏1度の聖地を経験した指揮官は「選手たちが望むなら、そういう舞台を目指してやりたい」と話した。

東播磨OBの福村監督は天理大卒業後に保健体育科教員となり、社の部長を経て03年に加古川北の監督に就任。08年夏の西兵庫大会を制して同校初の甲子園に導き、11年春には選抜大会で8強入りを果たした。
14年から率いた東播磨では、20年秋に初の近畿大会出場。21世紀枠で春夏通じて同校初の甲子園出場を果たした。

30日の春季県高校野球播淡地区大会で最後の指揮を執った福村監督は「夏まで指導してやれず残念な思いもあるが、子どもらの頑張りで濃い時間を過ごせた」と母校での12年間を振り返った。
明石南は1979年夏に甲子園出場経験がある。「また新鮮な気持ちで全力疾走を心がけ、常に県ベスト16以上を狙えるチームをつくりたい」と語った。

☟高野連・井本事務局長 相次ぐ球児の〝SNS不祥事〟に苦悩「一般の生徒さんや周りの人たちには…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/bfa5a6592f7e99cf42c56fafb1dd5d34246762a6

高校野球界で部員による不適切事案が相次いでいる。日大三(東京)では部員が女子生徒にわいせつ動画を送らせて拡散したなどとして警視庁に書類送検され、延岡学園(宮崎)でも少女の裸の動画を録画して拡散する事案が発生。SNS利用や学校生活における規範意識のあり方が改めて問われている中で、日本高野連の井本亘事務局長(54)の見解を聞いた。

――高校野球界で事件が相次いでいる

井本事務局長 当然あってはならないこと。この件で今のところ改めて通達を出すという予定はないです。ただ紙を配るだけで終わりとなっていい状況ではないと思っていますし、影響力のある専門家などから講演を行ってもらうなど、対策を練らなければならない。「悪いことすんな」と言われたからやらないでおこうというのは寂しいことですが…。しっかり考えないといけないことだ思っています。

――野球部員以外が発端となるケースもある

井本事務局長 一般の生徒さんや、クラスメートから出回る場合もある。だから何もやってない子たちも自分たちに来る可能性を認識して、発信や拡散はしない、という強い意志を持っていてほしい。我々高校野球連盟として野球部員に対して訴えていかないといけないですが、一般の生徒さんや周りの人たちには我々(の訴え)が及ばない。そこから影響を受けたらどうするべきなのか、すごく難しい問題だと感じています。

――真面目に取り組んでいる部員にも悪影響が及ぶ

井本事務局長 学生スポーツ全体が〝スポーツだけできたら何しても許される集団〟に見られるんじゃないかなと。子供の頃から自分が好きなもの、得意なものは何かというところで野球が大好きで、自分の道を切り開きたいと頑張ってる子もいる。一方でちゃらんぽらんで野球しかやってないほんのわずかの子たちと一緒に見られてしまう。それは我々としてはすごく悲しいというか…。

――動画などが拡散されると、完全に消えることはない

井本事務局長 デジタルタトゥーの被害を受けたら、一生傷は消えないですし。またSNS上がクローズで〝何をしてもいい〟と勘違いしている。便利さや自由を手に入れたけど、履き違えたらダメだと。自由という権利があるなら責任という義務が発生する。みんなきちんと理解をしてないんじゃないかなと感じます。

――今大会は順調に進んでいるが

井本事務局長 毎年問題が起こってしまっているのは、非常に残念としか言いようがないです。まずは大会が無事に終わるように努めていきたいです。

📝昨夏の甲子園で屈辱の初回5失点KO 「子どもだった」高川学園・木下瑛二が絶対エースへと覚醒
https://news.yahoo.co.jp/articles/14541a4caaeafbf08be05fbfe7195fec4690026f

昨年夏はまだ幼さを残していた右腕が、大人の雰囲気を漂わせながら甲子園のマウンドに帰ってくる。高川学園(山口)のエース右腕・木下瑛二は、昨秋の中国大会から独自のルーティンを取り入れた。マウンドに上がると、深く目を閉じ、大きく深呼吸をする。最上級生としての自覚。かつてひとり相撲で自滅した姿を微塵も感じさせない、凜とした立ち姿に確かな成長の跡がうかがえた。

「深呼吸をして、『自分はできる』と思って毎回マウンドへ立つようにしています。(2年夏の甲子園は)やはり子どもだったというか、幼かったと思います。野手にイライラしてしまったりすることも多く、エースになって周りを見る大切さがわかりました」

【昨夏の甲子園で初回5失点KO】

全国の高校野球ファンにとって、「木下瑛二」という名はまだ馴染みが薄いかもしれない。だが、そのポテンシャルは間違いなく世代屈指だ。香川県高松市出身。小学6年時には阪神タイガースジュニアに選出されたエリートである。中学時代は硬式チームの高松庵治ヤングストーンズで名を馳せ、鳴り物入りで高川学園の門を叩いた。
178センチの体躯から投げ込む直球の最速は146キロを計測。カーブ、スライダー、チェンジアップの精度も高く、1年秋から背番号10ながら主戦格として活躍し、昨夏の山口大会では全5試合に先発。チームの4年ぶり甲子園出場に大きく貢献した。

将来の目標は「高卒でのプロ入り」。その言葉に違わぬ実力を持ちながら、昨夏の甲子園では精神面のもろさを露呈した。日大三(西東京)との3回戦。木下は初回に5安打を浴び5点を失うなど、わずか2/3回で降板。大観衆の前で、自分の投球が通用しない焦りから制球を乱し、勝負を急いでは痛打を浴びる。野手を信じる余裕はなく、マウンドで孤立していた。

「感じたことのない変な感覚に陥って、心の中で"やばい"と思っていました」

1学年先輩の背番号1・松本連太郎と支え合って勝ち上がってきた夏。帽子に書いた「2枚看板」の文字を見る余裕すらなかった。

「松本(祐一郎)監督さんからは『まだまだ自覚がない』と言われました。それまで連太郎さんに支えてもらった部分が大きかったので、新チームからは自分がエースの自覚を持ってやっていかないといけないと思いました」

新チーム発足後、背番号1を背負ったが、「エースの自覚」は気負いへと変わる。昨秋の山口大会、準決勝の桜ヶ丘戦でタイブレークの延長10回表に味方が2点を援護してくれながら、3点を失い6対7で逆転サヨナラ負け。3位決定戦の山口鴻城戦では6回4失点と力尽き、まさかの4位に終わった。中国大会が山口開催ということもあり、ギリギリで出場権を得られたことが唯一の救いだった。

「(山口大会では)三振ばかりを狙った子どものような投球をしていました。まだエースらしくない部分がありました」

【42年ぶり選抜出場の立役者に】

中国大会前の10月23日には刺激を受ける出来事があった。高川学園OBの立石正広(創価大)が3球団競合の末、阪神にドラフト1位で入団。「自分もプロ野球選手になりたい」──。ドラフト上位でプロに行くためには何をすべきか。導き出した答えは「周囲への感謝」だった。

「野手に声をかけて、信じて打たせてとるというのが一番だと実感しました。周囲を冷静に見ることができるようになりました」

中国大会1回戦では、広島王者の広陵に対して打たせてとる投球に終始。終わってみれば8対2で完投勝利を飾り、強敵を退けた。準々決勝の鳥取城北戦は5回コールドで無失点完投。そして準決勝、勝てば2季連続甲子園出場に大きく近づく下関国際戦を迎えた。

松本監督も「本当によく我慢した」と唸るほどの変貌。再三走者を出しながらも、投げ急ぐことなく、要所を締める。それまでなら力でねじ伏せようとしていた場面でも、キレのある130キロ台後半の直球と変化球を低めに集めて凡打の山を築いた。終わってみれば2対1で完投勝利。山口王者を3安打に封じ、前身の多々良学園時代以来、42年ぶり2度目の選抜出場を手中に収めた。

「新チーム結成からずっと選抜出場を目標にやってきて、この一戦が大切だと思っていました。走者を出しながらでしたけど、しっかり一つひとつ焦らないで投げることができました」

スタンドには強豪のサッカー部員が大挙して応援に駆けつけていた。かつては周囲が見えなくなるほどに自分の世界へと入り込んでいたが、その存在、その声援はマウンド上でしっかりと確認することができた。

「サッカー部を含めて応援に来てくださった方々に勝利をプレゼントしたいという思いで投げました」

かつて、マウンド上で野放図に振る舞っていた姿はもうない。ひと冬超えて、技術的な成長はもちろん、精神面でも大人になって聖地に戻る。

「全国にはまだまだ通用しないと思っています。しっかりと体をつくって、全国レベルを相手に自分の実力をぶつけられるようになっていきたいです」

甲子園のマウンドでも深く目を閉じ、大きく深呼吸をする。木下は周囲への感謝を胸に、昨夏のリベンジへと挑む。
2026/03/31(火) 22時28分02秒 No.2352 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

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⚾明日のセンバツ甲子園組み合わせ(最終日 決勝戦)
☆☆☆ 12:30~ 智弁学園(奈 良)-大阪 桐蔭(大阪)

💢広陵高校野球部・中井哲之前監督「降格&減給処分」の真相を理事長が明かす 新学期の受験者数減少と「新1年生部員半減」の事実も認める【集団暴行問題の余波】
https://news.yahoo.co.jp/articles/e12976d33df704dea81de6855044f0c1363a6271?page=1

98回目のセンバツがクライマックスを迎え、全国の学校が夏を見据える一方、広島の名門・広陵高校野球部で昨年1月に起きた集団暴行問題は収束の気配を見せない。甲子園通算41勝の中井哲之前監督は退任したものの謝罪の言葉はなく、理事と副校長の立場に留まってきた。だが、4月1日の新年度より副校長から参与に降格し、減給処分になることが筆者の取材で分かった。

事件は昨年7月末に発覚し、同校は夏の甲子園1回戦勝利後に出場を辞退。既に被害者は転校し、加害生徒もこの春に卒業を迎えたものの、現在も第三者委員会の調査は続き、加害者のひとりが被害者の親権者を名誉毀損で刑事告訴する事態にも発展している。

同校の飯盛豊理事長に確認の電話を入れると、こちらが名乗る前に「柳川さんですね?」と一言。昨夏より問題を追及してきた筆者を警戒し、予め番号を自身の携帯電話に登録していた様子だ。

「新年度より中井氏が副校長から参与となり、校長と共に減給処分になるのは事実ですが、詳細は控えさえてください」

しかし、事件への中井氏の関与や、被害生徒側が主張してきた中井氏のパワハラの疑いに関して学校は見解を公にしていない。何を理由とする降格であり減給なのか。

「一連の問題が起きたことに対する監督不行届等、いろいろなことが挙げられますが、本人が現在、体調不良で学校には来ておらず、私も詳しくは話せていないんです」

さらに、ある野球部関係者は「事件の影響で新年度の受験者が激減している」と明かした。2025年度は2コース500人の募集定員に対し、倍以上の受験者がいたが、2026年度は大きく下回ったという。飯盛理事長にぶつけると、受験者数減少の事実を認めた。

「残念ですけれども、今後、幹部らがはっきり(減少の要因を)調べていく必要があるでしょう。野球部ばかりの責任でもないでしょうし……」

学校の対応の遅さに、中学生や保護者が不信感を抱いたのではないか。

野球部員も昨夏の時点で164人という大所帯で、一学年の部員数は50~60人が通例だったが、2026年度の入部予定者は例年の約半数となるという。事件を受け、進学を予定していた有望中学生が進路変更した影響もあるはずだ。飯盛理事長が言う。

「入部者が減ったのではなく、今後は部員数を30人以内にしていこうという学校の判断です」

大所帯では指導者の目が行き届かず、部員が共同生活を送る寮でのトラブルの温床となりかねないというのが判断の理由だろうか。

「まだ公表をしていないことを、良い記事を書いてくれるならともかく、あなただけにこれ以上、お話しする必要はないし、義理もないでしょう。いずれにせよ(中井氏の責任問題について)すべては第三者委員会の調査結果が出てからとなります」

そう言って飯盛理事長は電話を切った。数時間後――。地元紙である中国新聞で中井氏の参与降格と、給料月額2割カットが報じられた。筆者の直撃を受け、慌てて学校側は一部を公表したのだろう。
広陵に、そして高校野球界に、中井氏の居場所はなくなっている。名門再建に向け第三者委の調査結果が待たれる。

📝<センバツプレーバック・和歌山>箕島(2009年) 殊勲の一打、27年ぶり8強
https://news.yahoo.co.jp/articles/9c55e0f10155a791d58028b9c53797c0e6d28bd0

春夏連覇を含む通算4回優勝の県立高、箕島が18年ぶりの春に挑んだ。1回戦で大分上野丘を7―3で破ると、2回戦では、前年の明治神宮大会を制した慶応(神奈川)を降した開星(島根)が立ち塞がった。箕島の主力は前回出場時の1991年に生まれた3年生で、古豪復活を印象付ける大会となった。

延長にもつれた一戦は、六回までに3点ずつを取り合い、七回以降は我慢比べに。後にプロ野球・阪神入りする糸原健斗選手が3安打と非凡さを見せた開星打線に対し、箕島の先発、森本俊投手は再三走者を許しながらも最少失点でしのぐ粘投。一方、味方打線も六~十回を無安打に封じられた。

均衡を破ったのは十一回だった。1死三塁で7番・沼大輔選手への3球目。「球種は分からなかった」と無我夢中でスイングすると、中前への浅い飛球が適時打となった。甲子園9打席目にして初安打が殊勲の一打に。27年ぶりに8強入りし、松下博紀監督は「選手たちが輝いて見えた」とたたえた。

2勝を挙げた箕島は準々決勝で、後にプロ野球・広島で活躍した今村猛投手を擁し、大会で初優勝する清峰に2―8で完敗。「あんな球は初めて見た」という選手もいたほどの140キロ台の直球と鋭いスライダーに、八回まで4安打無得点に封じられた。

東尾修さん(西武など)や吉井理人さん(近鉄など)らを輩出した名門も、センバツ出場はこの2009年が最後。現在は耐久や有田中央を率いた北畑清誠監督が就任し、豊富な練習量で徹底的に選手を鍛え上げる伝統を引き継ぐ。現チームは昨年、秋季近畿地区大会県2次予選で4強入りするなど力を蓄えている。

🎤馬淵史郎 我が道29】バント練習は打撃にも生きる
https://news.yahoo.co.jp/articles/efb96338eda7dbacb946a5997b7a1fcb97c3ba4f

春夏合わせて甲子園には39回出場させていただいた。歴代1位だという。90年(平2)の明徳義塾監督就任時には「せっかく監督をさせてもらえるなら、一度は出たい」と思っていた甲子園にこれだけ多く出ることができたのは、幸運なことだと思う。1回出たら2回、30回出たら31回行きたくなる場所。それが甲子園だ。

全国の高校野球の球児たちが目標としてきた甲子園で、歴代4位の55勝を記録し、02年(平14)夏には全国制覇も経験できた。だが、長く監督をしてきて感じるのは「勝ちは偶然、負けは必然」という言葉だ。勝つために毎年毎年、選手たちと苦しい練習に取り組んできた。体力も精神力も全てを注ぎ込む。だが、勝負というのは、頑張ったから必ず勝てるというものではない。こうすれば勝てるという甲子園必勝法というのは存在しない。逆に準備が足りていなかったら、まず勝てない。それが野球だ。

野球というゲームは小さいことの積み重ねだ。練習では0・1秒の重みを選手に伝えているが、小さいことをいかに大切にするかで強いチームはつくられる。特に甲子園という舞台では小さいミスが勝敗を分ける。やはり普段からの練習が一番大事になる。甲子園に出ることを目標にした練習ではなく、甲子園に出て、さらに勝つための練習ができるかどうか。これは苦しく、厳しい。だからこそ、勝った時の喜びは格別なのだ。

一方で野球は四分六でも勝てるスポーツだ。強い相手でも、しっかりと作戦を立て、相手の戦力、弱点を調べて対策すれば、勝機はある。戦力的に三対七でも四分六にした上で、最後は五分五分で戦えるように準備する。甲子園55勝はそうして築いてきた。

小さいことで重視しているのは、やはりバントだ。「3アウトで攻撃が終わるのに、バントでアウトを与えたら損」と考える人もいるが、甲子園に出てくる代表チームには簡単には勝てない。接戦に備え、1点を確実に取ることが必要だと自分は考える。東京から高知より、大阪から高知の方が近い。一塁から二塁、二塁から三塁へと本塁に近づいてこそ、得点の可能性は高くなる。
バントも初球からしちゃいかん。1球目がストライクでも引いて見逃し「何かやってくるのでは」と相手を警戒させる。ボールだったら、次も見逃す。一球でも多く相手に投げさせることが、終盤に生きてくるのだ。

13年(平25)夏は瀬戸内・山岡泰輔(現オリックス)を攻略するために、全ての打撃練習をスライダーをバントすることだけに切り替えた。「打って勝とうと思うな」とバントを繰り返したからこそ、高速スライダーに対応できた。やればやるだけうまくなるのがバントだ。大事なのはタイミングと目線。バントができれば、打撃も良くなるのだ。

☝智弁学園の結束強めた小坂監督の〝ゴチ会〟 訪れた店にナイン感動「初めてのやつもいた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/fe60eb3208c993c57aa00b454c703277e9ee5fa0

第98回選抜高校野球大会の第10日(29日、甲子園)で準決勝が行われ、第1試合で智弁学園(奈良)が中京大中京(愛知)に2―1と競り勝ち、10年ぶりの決勝進出を決めた。同点で迎えた8回に4番・逢坂(2年)が右翼線に勝ち越しの適時二塁打を放ち、エース左腕・杉本(3年)が7安打、1失点の力投を見せて打線の奮起を呼び込んだ。

小坂将商監督(48)は「杉本は研究されて苦しい投球だったけど、変化球をコーナーに投げ分けてバッテリー中心に守り切れた。チームとして総合力が上がったと思う」と選手の成長に目を細めた。

指揮官として一人ひとりに気を配り、選手を驚かせ、喜ばせてきた。傷んでいるグラブを目にすればすぐに新品をプレゼント。バットが折れれば、仕様を聞いた上で新たに調達してきた。しかも一度だけではなく、ナインは「僕らのことをちゃんと見てくれている証拠。とても感謝しています」と頭が上がらない。さらに、今大会中も〝プレゼント作戦〟が発動された。指揮官が「何か欲しいものはないか」と聞いたところ、選手たちが思案した結果「コメダに行きたい!」と主将を通じてリクエスト。休養日に宿舎近くの喫茶チェーン店「コメダ珈琲店」に複数班に分かれて繰り出し、カツサンドやホットドッグをパクついた。

選手の一人によると「モノをねだると監督の手を煩わせることになるので、みんなで行けるお店をお願いしました。コメダめちゃおいしかったっす。僕らは寮なので普段食べることはできないですから。初めてのやつもいました」と楽しい時間を過ごしたそうだ。気になる支払いは「監督がどこからかやって来て払ってくれたっす」(同)。食事終わりを見計らってレジに現れ、精算して去って行ったという。

残すは大阪桐蔭との決勝(31日)のみ。小坂監督の〝粋な計らい〟に応え、ナインが結束を強めている。

☟【今年のPL学園の受験者は「わずか2人」】PL教団に「4代目教祖」誕生 OB会長の桑田真澄氏が待望した状況になるも「野球部復活」への道は険しいまま
https://news.yahoo.co.jp/articles/21fa53e48cc0dd9b69058e072323b3b0efc78406?page=1

多くの高校野球ファンにとって、春夏の甲子園の季節となれば思い出されるのが在りし日のPL学園(大阪)硬式野球部だろう。春夏あわせて7度の全国制覇に加え、巨大な人文字と荘厳な吹奏楽で絶大な人気を誇った同校が2016年に活動を休止してから、間もなく10年になろうとしている。2026年に入って2月も下旬に差し掛かった頃、PL学園とその母体であるパーフェクトリバティー教団(以下、PL教団)の取材を続けてきた私のもとに、関係者から一本の連絡が入った。

「どうやら4代教祖が決まったようです」

2020年12月5日にPL教団の3代教祖である御木貴日止氏が63歳で亡くなって以降、5年あまりの間、不在となっていた教祖がとうとう誕生したというのだ。成り手となったのはそれまで教主代行という立場にあった3代教祖の妻、美智代氏とのことだが、教団ホームページを確認してもそれらしき情報はない。

教団は「4代教祖誕生は事実であります」
 
さっそく教団の渉外課に連絡を入れると、美智代氏が4代教祖になったことを認めた。

「2月22日付けで4代教祖が誕生されたのは事実であります」

PL教団の教勢拡大に尽力した2代教祖・御木徳近氏が死去した1983年に貴日止氏は25歳で3代教祖となり、同年に美智代氏と結婚した。だが、当初は教祖一族の反対に遭い、美智代氏が表舞台に顔を出さないことを条件に結婚が認められ、三男二女に恵まれた。しかし、2007年に貴日止氏が脳の疾患で倒れると、美智代氏が教団神事にも顔を出すようになり、その後は教務総長という立場で教団内の実権を握るようになっていく。かつて教団の布教を担った元教師は話す。

「信者の高齢化が進み、信者数が減少するなか、美智代さんは教団運営のスリム化をはかるために200以上あった教会の統廃合を進めてきました。そうしたなかで、美智代さんのもとで2代さん(徳近氏)が作ったものはどんどんなくなっていった。その代表的なものが、PL学園の硬式野球部です」

PL学園の野球部では2013年2月に上級生の下級生に対する暴行事件が発覚し、以降は野球経験のない校長が監督を務めることに。2014年には新入部員の募集を停止し、野球部は2016年7月をもって事実上の廃部となった。もちろん、不祥事を繰り返してきた野球部の体質にも問題はあるが、OBらを野球部から遠ざけ、廃部への道を推し進めたのも美智代氏というのが大方の見方であった。

「誰にアプローチしたらいいのかわからない」
 
桑田真澄と清原和博のKKコンビが5季連続で甲子園に出場し、立浪和義らが春夏連覇を達成した1980年代に絶大な人気を誇った野球部の復活を願う声はいまだに大きい。だが、野球部の復活の前に、生徒数が激減して学校が存続の窮地に立たされていることも筆者は報じてきた。

2025年度の在校生は高校が3学年あわせて39人。中学は同35人だ。そして今年度の高校受験者数は国公立コースが20人の外部募集に対して併願者がたったの2人だけで競争倍率は0.10倍という目も当てられない数字に。92人募集の理文選修コースにいたっては専願も併願もゼロ。ひとりもいないのだ。もちろん、PL学園中学からの内部進学者はいるはずだが、それも数名だろう。

野球部のOB会長を務める桑田真澄氏(現・オイシックスCBO)は一昨年の1月に開かれた懇親会において、野球部復活の道については「すべては4代教祖が誕生してから(動き出す)」と話し、復活に向けて希望を捨てていないことを明かした。だが、今年の懇親会ではややトーンダウンし、「生徒数の推移を見ると、学校の存続の危機にある。野球部のOB会としても、いったい誰にアプローチをしたらいいのかわからない状況です。(野球部復活の)決断を待つしかない」と声を落とした

待望の4代目は誕生した。だが、野球部復活の光明は見出せない。

📝【大阪桐蔭の強さの秘密】「心から野球をしろ」西谷監督と選手とのコミュニケーションツールは「野球ノート」 そこに書かれた言葉
https://news.yahoo.co.jp/articles/7d1fcfc91dafb7dc770976774d325cf19570aac2

春のセンバツ高校野球で紫紺の大優勝旗を目指す常連校・大阪桐蔭に対しては、全国から有望な選手を"集めすぎ"だとの批判が絶えない。一方、世代が変わっても結果を残し続ける同校が「球児をどう育てているか」に光が当たることは意外にも少ない。西谷浩一監督(56)は、令和の高校球児に何を、どう伝えているのか。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が迫った。【前後編の前編】

センバツに向けて宣言「10回目の日本一を狙いにいこう」
 
大阪桐蔭の監督である西谷浩一にとって、年末から正月にかけた1週間は、年間を通して唯一、グラウンドを離れて野球と距離を置く時間だ。今年も例年通り、家族と淡路島でゆっくり過ごそうとしていた。しかし―─。

「眠る前につい手帳を開いて、ケガ人の様子はどうか、ピッチャーの頭数は揃うだろうか、と考えてしまう。(今春から)DHが導入されますから、メンバー選考もこれまでとは(様相が)違ってくるかもしれません」

2026年の初練習の日、学校のある大阪府大東市の野崎観音に参拝した西谷は、センバツに向けてこう宣言した。

「大阪桐蔭として10回目の日本一を狙いにいこうと選手に伝えました」

西谷が1998年に監督に就任して以降、大阪桐蔭は28年間で春4回、夏4回の全国制覇を遂げ、西谷の甲子園通算勝利数は歴代最多となる70勝に達した。稀代の名将でありながら、西谷はメディアの前では常に謙虚な回答に終始し、自身の記録や数字に対する執着心を口にすることはない。だからこそ、優勝回数にこだわる発言は意外でもあった。

「(前任の長澤和雄監督が)1991年夏に初出場・初優勝したあと、なかなか甲子園に届かなかった。2000年代に入って出られるようになり、2010年代にはけっこう勝たせてもらいました。2020年代に入った時に、『先輩たちを超えるような10年にしよう』と当時の選手に伝えましたが、2022年の春を最後に日本一から遠ざかっていますし、昨年1年間、甲子園には出られなかった……」

西谷は「生意気な言い方ですが」と続けた。「2大会出ていなかったわけですが、僕自身はもっと長らく出ていないような気がしていますし、この子たちは"甲子園に飢えている代"です」

大阪桐蔭は寮の部屋数の関係上、野球部員を一学年約20人に限った少数精鋭の軍団だ。中学時代に日本代表を経験したようなエリート球児が全国より集まり、時には「選手を集めすぎ」という批判の声も上がる。しかし、私はそうした意見に強い抵抗を覚える。中学時代の実績や身体能力に長けた選手の頭数を揃えれば甲子園で勝てるわけではないだろう。個の力を集結させ、日本一の競争を促し、集団の力として結束させることが指揮官の役割であり、西谷の突出した才覚なのだ。

主将のノートに綴った「心から野球をしろ」
 
藤浪晋太郎(現・横浜DeNA)や森友哉(現・オリックス)らを擁し、同校初の春夏連覇を達成したのは2012年。以来ずっと安定的に甲子園に出場し、白星をあげている。高校野球の歴史においてこれほど長期にわたって一時代を築いた学校はないだろう。時代が移り変わっても、西谷が球児を甲子園に導き続ける秘訣とは何か。

令和の高校野球ではスマホを使って監督と選手がやりとりをしたり、クラウドサービスを使って部員が練習内容を共有したりする学校も珍しくない。そんななか、大阪桐蔭には携帯電話禁止の校則があり、練習や寮生活で不可欠とされる携帯電話を所持できなかった(今春より解禁予定)。それゆえ、西谷と選手のコミュニケーションツールは、実にアナログな「野球ノート」だ。選手たちは全体練習や自主練を終えた夜にペンをとり、翌朝、担当の選手が各人のノートを集めて西谷に提出する。

「昨日の練習で良かったことや悪かったこと、今日の練習でやりたいことなどを書いてもらいます。本来は1対1で選手と話したうえで練習に臨んだほうが良いに決まっているんですが、現実的には難しい。選手たちが今何を考えているのかを知るための最低限の情報入手手段が野球ノートです」

授業の合間に西谷が目を通し、コメントを添える。3学年(約60人)が揃う春から夏にかけてはひとり1分と計算しても1時間はかかるだろう。

「もっとかかります。ただ、授業や来客などによって読めない日がどうしてもある。その時は練習の前に『ごめん、今日は読めてない』と選手たちに謝ってから練習をスタートさせます」

今年のチームの主将で、二塁手の黒川虎雅は言う。

「野球ノートに西谷先生からの返信として、『心から野球をしろ』と書かれていたことがありました。ただ野球をするだけじゃなく、感謝の気持ちを込めながら練習と向き合う。その言葉は自分の中で刺さりました」

西谷は黒川のノートに書いた一節について次のように解説した。

「メンバー発表の前にもなると、結果ばかりを求めてイライラしたり、"メンバーを外れそうだ"とマイナスなことばかりをノートに書く選手がいます。バッティング練習で納得がいかないと、ふて腐れるような態度をしてしまう選手もいる。打撃投手を務めてくれた後輩や守備に就いてくれた選手に失礼だと諭し、『野球をやっているのではなくやらせてもらっているんだよ』という意味を込めて『心から野球をしろ』と伝えています」

精神面の助言だけでなく、技術的なアドバイスをノートにしたためることもある。内外野を守り、四番を任される谷渕瑛仁が話す。

「自分は(打ちたいという)欲が出てしまうと、内側でバットを振ることができず、身体が流れてしまう癖があることを指摘されました。『欲を出さずにセンター中心のチームバッティング』とずっと言われています」

2018年のチームには、部員をまとめる主将の中川卓也(現・東京ガス)や副主将の根尾昂(現・中日)らによる「幹部ノート」も存在した。個人のことは書かず、チームとして進むべき方向性を意見交換するノートだ。西谷が語る。

「常に幹部ノートを設けているわけではなく、主将がしっかりし過ぎていて、主将を支える幹部らが心許ない時なんかに活用します。今年のチームは必要性を感じていないのでやっていません」

高校野球は毎年、選手が入れ替わる。チーム作りも毎年同じではない。

            (後編に続く)
2026/03/30(月) 22時35分43秒 No.2351 編集 削除
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お知らせ

編集済
⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(準決勝)
10日目第1試合 智弁学園(奈良)-中京大中京(愛知) 11:01~13:04
          一二三四五六七八九十計HE
      中  京001000000 172
      智弁学園00000101X 261

10日目第2試合 大阪桐蔭(大阪)-専大松戸(千葉) 13:38~15:32
          一二三四五六七八九十計HE
      専大松戸000100010 262
      大阪桐蔭10000011X 391

🎤【馬淵史郎 我が道27】棚ボタを得るためすべきこと 苦労も努力もなしに得られることなんて人生にはない
https://news.yahoo.co.jp/articles/22cc27199585d462bb1dee277d79e092c4e9297f

よく聞かれる質問がある。「高校野球の監督として、それだけ勝利にこだわるのはなぜなのか」。確かに勝つことにはこだわってきた。戦う前に負けてもいいと思うなら、監督失格だと今も思っている。ただ、それはいわゆる「勝利至上主義」とは違う。勝てば、それでいい。勝つことだけが目的。それは自分が目指す高校野球とは違う。

高校野球の基本は教育の場。そこは変えてはいけない部分だ。だからこそ、明徳義塾の監督をしながら、教壇にも立ってきた。高校野球の目標は甲子園で日本一を達成することだが、目的は人間づくりに他ならない。毎日毎日、暑い日も寒い日も、厳しい練習を行うのは、子供たちの将来にこれが必ず生きると信じているからだ。

高校野球の監督にとっての最大の勝利とは何か。3年間、厳しい練習を続けてきた子供たちが、人生の壁にぶち当たった時に「あの夏に苦しい練習をしてきたんだ。このくらい何だ」と乗り越える力を奮い立たせてくれることだ。強い相手、高い壁を前に「負けてもいいや。仕方ない」と諦めてほしくない。だからこそ、甲子園に向けて頑張ったことを、何物にも代え難い人生の経験にするために、苦しい日々の練習があるのだ。

明徳義塾の野球部は全寮制。「脱出するにはヒッチハイクするしかない」と言われる山奥で子供たちは3年間を過ごす。携帯は禁止だし、近くにはコンビニもない。厳しい環境だ。だからこそ、指導者として大事にしているのは、立派な子供にしてほしい、と教育を明徳義塾に任せる決断をした親の気持ちを決して忘れることなく、向き合うことだ。

毎朝6時半に起床、点呼、朝礼から一日が始まる。憂うつな朝を迎えていないか、悩みを抱えていないか。朝一番の表情に表れる変化を感じ取るために、監督も朝から見守る。87年(昭62)にコーチとして明徳義塾に来てから、これは欠かすことがない日課だ。入部当初を除いては、練習用ユニホームに名前を大書することもない。顔と名前、動きの特徴、そして性格。100人を超える野球部員の全てを監督もコーチも頭に叩き込んでいる。

子供たちによくするのは「棚からボタ餅」の話だ。「棚ボタ」は苦労せずに、思いがけない幸運に恵まれるという例えにされることが多い。でも苦労も努力もなしに「棚ボタ」を得られることなんて、人生にはない。

「棚からボタ餅」を手にするためには、いつ落ちてくるか分からないボタ餅を手にするために、棚に一番近いところにいないといけない。常に近いところにいる。それが努力であり、準備だ。「そんなん落ちてこないだろ」と後ろで腕組みしているだけの人間には「棚ボタ」は巡ってこない。前に出ようとする子供たちの努力を指導者もしっかり見なくちゃいけない。

🎤【馬淵史郎 我が道28】70センチ動く 勝利に近づくための0・1秒
https://news.yahoo.co.jp/articles/a28a418bf197ab98aa398636761a243818af91e8

明徳義塾が目指す野球は、常にいろんなことを考えて取り組む細かい野球だ。パワー重視とは違う。高知の山奥という立地、環境もあるから、中学から注目されているような大型の選手はなかなか来ないということもあるが、まずは「動ける」ということに重きを置いている。

野球は0・1秒の差で決まるスポーツだ。塁間(27メートル431)を足が速い選手は4秒前後で走る。1秒でだいたい7メートル。0・1秒で70センチ動くことになる。70センチも違ったら、アウトとセーフはそこで変わる。1回のまばたき、一瞬の球の握り直し。そこで得点や失点、勝敗までが動いてくる。普段の練習から0・1秒にこだわることが、勝利に近づくための鉄則だ。

走者を置かずに、ゆっくり捕って、ゆっくり投げて、ミスなくできましたという練習では本番では通用しない。いかに実戦に即した形で守れるか。0・1秒の重み、怖さを感じてこそ、守備は上達する。だからこそ、守備練習ではやかましく言うよ。

攻撃のパターンは限られている。走者を置いた状況では普通に打つか、バントするか、盗塁か、エンドランか、このくらいだろう。でも、守備のパターンは無数にある。走者一塁でどんな打球が飛ぶか。内野ゴロなら併殺が取れるかどうか。外野への長打コースなら、カットの中継がどこで入って、相手の進塁をどこまで防ぐか。あらゆる状況を想定して、野手は自分で最善の動きを判断しないといけない。練習でできなかったことを、試合でできるわけがない。だから守備練習に費やす時間は必然的に増える。これで終わり、ということはない。

投手については、一番重視するのはバランスだ。フォームのバランスがいい子が体力をつけたら伸びる。投手も野手も投げ方がぎくしゃくしているのだけは直せない。投げ方が良ければ、130キロ台でも十分。パワーやスピードは体が出来上がれば、バランスのいいフォームから出てくる。右投手なら右の爪先からリリースまで下半身から順番通りにつながっているかどうかを見る。バランスが良ければ、コントロールだってついてくるのだ。

内野でうまい選手を置く順番は遊撃―二塁―一塁―三塁の順だと思っている。センターラインに関わる遊撃、二塁は要になるのはもちろんだが、一塁の守備能力が低いと、リスクは高い。ワンバウンドの後逸は試合の流れを変えることが多い。

打撃は守備練習をしっかりやる中で、自然と理にかなった動きに近づく。02年(平14)夏に全国制覇したチームは冬から春にかけて、ほとんど打撃練習はしなかった。ノックはむちゃくちゃやった。その結果が夏の甲子園、6試合で7本塁打。打撃は数打ちゃ当たるというものではない。守備と打撃は表裏一体だ。

📝初戦25連敗の選抜21世紀枠に賛否「伝統進学校や過疎地域の希望の光」「野球の評価は野球でするべき」それぞれの言い分
https://news.yahoo.co.jp/articles/6bd20063d2460158ec233d27e05ff2edf44adeb2

この春も大きな「壁」を越えることができませんでした。甲子園球場で開催中の選抜高校野球大会。「21世紀枠」として出場した長崎西、高知農はともに初戦で敗れ、同枠として出場したチームはこれで、一般枠選出校との初戦で25連敗という不名誉な数字となったのです。甲子園で取材中のスポーツ紙記者は言います。

「25連敗は確かにインパクトがありますが、県内屈指の伝統進学校でもある長崎西は、アルプススタンドに集結した大応援団の声援をバックに、近畿の強豪・滋賀学園と互角のシーソーゲームを演じるなど、4-5で敗れたものの大健闘でした。高知農は日本文理に1-8で負けましたが、4回の『1点』には場内が大歓声に包まれたものです。高知農の2年生捕手・山本滉壬朗は3度の盗塁阻止で甲子園を沸かせました」

そして、こう続けるのです。

「21世紀枠反対派は『どうせ勝てないんだからやめちまえ』『だったら秋の大会で勝ち上がったチームを一般枠で選んだ方がマシ』と言いますが、現場で取材を重ねていると、『21世紀枠』の尊さを実感するんです。長崎西や高知農といった特色ある公立高校は、限られた条件の中で野球道に突き進んでいますが、実際問題、強豪私学に阻まれ、実力で甲子園切符をつかむのは容易ではありません」
「伝統進学校や過疎地域でも、甲子園に行ける。そんな希望の光として、21世紀枠はあっていいと思います。夏の選手権大会と違って、選抜大会はあくまで招待試合。独自の選出方法があってよいでしょう」

一方、甲子園の取材歴が長いスポーツライターは、「野球の評価は野球でするべき」だと、同枠の存在に異を唱えます。

「選抜甲子園大会の価値は大きなものがあり、出場した選手にとっては大学の推薦入学にもプラスに働きます。そんな大きな大会でありながら、21世紀枠2校の選出基準は不明確で、落選した高校にとっては『ウチはなぜ落ちたのか』が全く理解できません。ならば公平性の観点から、しっかりと野球の技量で選出、不選出を決めた方がフェアでしょう。21世紀枠については、再考の時期に来ていると思います」

これほどまでに議論が活発化するのも、選抜甲子園大会が人々にとって楽しみなコンテンツであるからでしょう。来春には連敗を止める21世紀枠選出チームが出てくるのか。注目です。

🔥智弁学園「日本一で送り出してあげたい」退任する井元康勝部長のために決勝進出狙う
https://news.yahoo.co.jp/articles/119e4f57fc23be54f39a9e0becc5a4c57b3ef017

3月末で退任する部長と有終の美を飾る。智弁学園が28日、準決勝を前に同校グラウンドで調整を行った。井元康勝部長(75)が今月末でのべ20年間の部長生活に幕を閉じる。主将の角谷哲人捕手(3年)は「日本一で送り出してあげたい」と決意を口にした。

03年4月から1年間部長を務め、08年から復帰。16年センバツ初制覇や21年夏の甲子園準優勝を部長として支えた。06年に就任した小坂将商監督(48)とともにブルージェイズ岡本や阪神村上らを育て、同校の規定で本年度末で部長を退くことになった。

昨秋は腰の手術で入院し、ベンチに入れなかった。エース杉本真滉投手(3年)らが「井元先生を甲子園に連れて行こう」と奮起。センバツへたどり着いた。角谷は「寮生活や学校生活で気が緩んだらしっかり怒ってくださる」と感謝。あいさつやマナーなど野球以外の面でも指導を受けた。

プロ注目左腕杉本も「自分が入ってきてからずっとお世話になってる。感謝と恩返しする気持ちでプレーする」と決意。杉本は今大会3試合、26イニングで1失点。防御率0・35と圧巻投球が続く。この日はキャッチボールやトレーニングで調整した。「疲れは全然ない。元気です」ときっぱり。日本一で部長へ最高の恩返しをする。

📝決勝進出の智弁学園、エース杉本真滉の気になる投球数は… 「1週間500球」球数制限あるセンバツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/85ac0a5c5c0a1d4e63f8a7ae2eaf976027324a24

◇29日 第98回センバツ高校野球大会準々決勝 中京大中京1―2智弁学園(甲子園)

 弁学園(奈良)のエース左腕・杉本真滉投手(3年)が中京大中京(愛知)との準決勝で137球を投じ、1失点完投した。「1週間500球」の球数制限により、31日に予定されている決勝で投じられるのは残り131球となった。

今大会は救援登板した準々決勝を除き、先発した3試合は全て完投。20日に行われた花巻東(岩手)との1回戦は9イニングを3安打完封。球数は129球だった。「中4日」で迎えた25日には神村学園(鹿児島)との2回戦で延長10回まで投げきり、143球で1失点完投。27日には花咲徳栄(埼玉)との準々決勝で3回に救援登板。89球を投じ、7イニングを無失点に抑えた。

決勝では1回戦の129球はノーカウント。2回戦以降の369球が球数制限の対象となる。31日の決勝が1日でも順延した場合、25日の2回戦の球数がリセットされる。準々決勝の89球、準決勝の137球を合わせると226球で、決勝では274球を投じられる。

🎤接戦続く大阪桐蔭・西谷監督「なぜ痩せないんだろう」 
https://news.yahoo.co.jp/articles/f93bdc1ed9f4da04bd52e2d2d13feb144e8ea565

選抜高校野球大会は第10日の29日、阪神甲子園球場で準決勝があり、大阪桐蔭は専大松戸(千葉)に3―2で勝ち、4年ぶりに決勝に進んだ。31日の決勝で智弁学園(奈良)と対戦する。
大阪桐蔭・西谷浩一監督の準決勝後の主なコメントは次の通り。

◇大阪桐蔭・西谷浩一監督

<持丸修一監督が作ったチームはどうでしたか>

しぶといチームでした。(相手投手陣の)対策はしましたけど、なかなか打てなかったのが正直なところです。粘り合いでは勝てたのかなと思います。

<主将の黒川虎雅選手に今大会初安打が出ました>

彼が打ったことで、ベンチも盛り上がったと思います。

<7回1失点だった先発の吉岡貫介投手については>

前回(先発した三重との2回戦)は思うようにいかなかったですが、(今日は)いいところまで投げてくれました。
八回からは(川本晴大投手に)継投だと思っていたので、でも(八回表に)1点取られましたので、やっぱり(専大松戸は)しぶといなと思いました。

<今大会はここまで接戦を勝ち切っています>

苦しい試合ばかりで、なぜ痩せないんだろうと思います。

<センバツの決勝は4年ぶりです>

昨年1年間、卒業生が良いチームを作ってくれたんですけど、(2025年春、夏と)甲子園になかなか来られませんでしたので、「2年分頑張ろう」と今はやっています。
卒業生に良い報告ができると思いますし、とにかく「日本一になろう」と毎日毎日、子どもたちと言い合ってきましたので、決勝を戦えることの喜びを感じています。
智弁学園さんはピッチャーもバッターもいいですから、苦しい試合になると思いますけど、最後の最後まで粘り抜けるか、そこだと思っています。

👣77歳の専大松戸・持丸修一監督「生徒らはもっと悔しい…悔しさを肥やしに」大阪桐蔭に惜敗で初の決勝進出逃す
https://news.yahoo.co.jp/articles/c4bbd415bc8ea4f128042bb2ce87e6ba53494042

初の甲子園4強入りを果たした専大松戸(千葉)は、強豪・大阪桐蔭と激突。惜しくも勝利には届かず、春夏通じて初の決勝進出を逃した。2度のビハインドを追いつく展開も、4回途中から2番手登板した3年生のエース・門倉昂大が8回に勝ち越し点を献上した。善戦じゃ満足できない。1点差での惜敗で春の聖地を去ることになった持丸修一監督(77)は、白星に導けなかった采配を悔やんだ。

「子どもたちは勝ちたかったので、何とかしてあげたかったが、一歩及ばずで。子どもたちはそういうチャンスをもらったのに、与えられなかったのは残念です…やっぱり経験の差なんですかね。大舞台の経験の差で、ボールをしっかり捕れたところが捕れなかったり、捕られないようなボールが捕られたりね。何度もこういうことをこれからも経験してくれて、頂点に立つようにしてもらいたいですね」

大会前から、ナインにはこう伝えてきた。

「この春のセンバツは、終わりじゃないんだぞ。始まりなんだ」

あくまで勝負は夏。センバツはそのための大きな学びを得る場。だからこの悔しさを糧に、さらに強くなる。こう本音を漏らした。

「悔しさを出せないところが、悔しいですよね。生徒らはもっと悔しいわけですから。俺が悔しいというよりも、悔しさを肥やしにして、さらなる成長を遂げてくれるようなね」

春の戦いを終えて、ナインにかけたい言葉は-。そんな問いにこう答えた。

「ご苦労さん、ありがとうとか、そういう言葉しかないですよね。だからって、ありがとうだけで終わらないで、もう少し大きなありがとうを言えるような選手になってもらいたいです」

春はあくまで通過点。経験を力に変え、激戦区・千葉の熱き夏を勝ち抜く。

📝春のセンバツ「DH制」導入でどう変わる? 「“第二の大谷翔平”が出てこない」懸念も
https://news.yahoo.co.jp/articles/29884b536c212085c89b1adc86a23f4af569b6d5

緊張感の高い展開

熱戦が展開中の高校野球センバツ大会。昨年までと異なるのはDH(指名打者)制が導入されたことだ。東京六大学野球も4月11日開幕の春季リーグから、9人野球最後の砦となっていたプロ野球のセ・リーグも来年のシーズンからDH制に移行し、日本野球が大きく様変わりする。

セのDH制導入に賛成するのは、現役時代はパで活躍し、セではコーチ経験のあるプロ野球OB。

「セで打撃コーチを務めていた頃、相手の攻撃が7番から始まるイニングは気を抜いていた。多くは9番に投手が入り、点を取られる可能性が非常に低いから。DH制導入で打線に切れ目がなくなり、より緊張感の高い展開が増えると思う」

セでは、一昨年まで阪神監督を務めた岡田彰布氏が「DH制では采配の妙味、醍醐味がなくなる」と主張するなど、導入の機運は盛り上がらなかった。投手に打順が回るタイミングを勘案しながら、いつ投手に代打を出し、いつ継投するかといった駆け引きに面白さがあるというわけだが、前出のOBは一刀両断する。

「セ在籍が長い人ほどそう言うが、野球は将棋やチェスとは違う。投げ、打つことに集中すればいい。WBCも五輪もDH制。セだけが“ガラパゴス化”することに百害あって一利なし」

計り知れないメリット
 
セに先駆け、導入したのが高校野球だが、ここまでの大会序盤では、DHとなった打者に目立った活躍はなく、対戦する両校ともDHを使わない試合も。

「3月22日の大垣日大―近江戦は、大垣日大のエース、竹岡大貴投手が延長10回、188球を投げ抜きましたが、同校はDH不在で竹岡投手が4番打者。投手専念なら負担が減ったかもしれませんが、まだまだDHが浸透するには時間もかかりそうです」(スポーツ紙のアマチュア野球担当記者)

とはいえ、「高校野球の監督からはDHに反対する声はほぼ聞こえてきません。夏の大会に熱中症対策の給水タイムが導入されている昨今、投手の打撃時の死球や走塁中のけがなどのリスクを減らせるメリットは計り知れない」(同)

投手が打撃、バント、走塁の練習に割いていた時間を投手練習に当てることによって、レベルアップが望めるという見方もある。ただし、懸念されるのは、大谷翔平(ドジャース)のような二刀流の可能性を秘めた選手の芽を摘むことにならないか、との点だろう。

「大谷の恩師である花巻東・佐々木洋監督は昨冬から、選手個々の適性を見極めつつ、投手に専念する子と投打両方やる子を分けて練習させているそうです」(同)

WBC準々決勝で野球日本代表「侍ジャパン」が敗れた今、DH制導入の流れが日本野球の一層のレベルアップにつながるか。
2026/03/29(日) 22時18分28秒 No.2350 編集 削除
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お知らせ

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⚾明日のセンバツ甲子園組み合わせ(10日目 準決勝)
 ☆☆ 11:00~ 中京大中京(愛 知)-智弁 学園(奈 良)
 ☆☆ 13:30~ 専大 松戸(千 葉)-大阪 桐蔭(大 阪)

📣【中村順司の目】センバツ4強に勝ち残ったチームを分析 智弁学園は杉本君の回復力がカギ
https://news.yahoo.co.jp/articles/4befac76ae5614bbc0437086bbe144f792359cf5

1回戦から強豪対決がめじろ押しだった大会で、4強にふさわしい力を備えたチームが勝ち残った。紫紺の大旗をかけた最終盤。楽しみな2試合が続く。

智弁学園は準々決勝で、強豪の花咲徳栄(埼玉)を相手にまさかの8点差をひっくり返した。圧倒的な攻撃力が、大黒柱の杉本君を支える。もともと力がある上に、勢いを得ていっそうチームが活気づいた印象。あと2勝を取るには、ここまで全3試合に登板し26イニングを投げている杉本君の回復力がカギになる。

一方の中京大中京は、好投手2人を擁する。右の安藤君、左の太田君という両輪をそろえ、3試合すべて継投で勝ってきた。迷いなく継投に入れるのも、2人に安定感があるからだろう。

大阪桐蔭は、2回戦・三重戦、準々決勝・英明(香川)戦と2戦連続で1点差の接戦をものにして4強に勝ち上がってきた。過去の大会では大差で相手を圧倒する試合が目立ったが、三重戦は延長10回タイブレーク、英明戦は終盤8回に勝ち越した。バントを封じるシフト、ノーミスの本塁好返球など、随所で鍛え上げられた守備力を発揮。さすがの底力だ。ただ英明戦で、同点の6回に救援し最後まで投げきった川本君の疲労がどこまでのものか。三重戦に先発し、5回途中で降板したエース吉岡君の復調が待たれる。

専大松戸はエースの門倉君、4番の吉岡君と、攻守の軸2人がいい活躍を続けている。門倉君は全3試合、通算22回1/3を投げて自責0(失点1)。完封→救援→完投と大車輪の働きだ。吉岡君は3試合連続安打で5割5分6厘、3打点と好調。ともに攻守の安定感をチームにもたらしている。準決勝は好ゲームになるだろう。

今大会から指名打者制が始まった。選手たちの活躍の幅が広がり、いい制度だと思う。ただ指名打者を任される立場の選手も、しっかりと守備力を鍛えながら打力を磨いていってほしい。打力を伸ばすだけでは、長く野球を続けることは厳しい。PL学園(大阪)を指導していたときから、選手たちには「どの世界に行っても30歳までは野球を続けような」と話してきた。走攻守しっかり鍛えた上で、指名打者のエキスパートになってほしい。

佐野日大(栃木)の出場で、孫(中村盛汰主将=3年)の安打も見ることができた。忘れられない春になった。

🎤【馬淵史郎 我が道26】大阪桐蔭にもう一度勝ちたい 甲子園での対戦成績は1勝2敗
https://news.yahoo.co.jp/articles/793ace031f48259cdb1d7157d2adf799220b9bd1

甲子園でもう一度対戦してみたい。強く思っている相手が大阪桐蔭だ。明徳義塾は甲子園での対戦成績が1勝2敗。負け越したままでは終わりたくない。

大阪桐蔭とは12年(平24)から夏の甲子園で3年連続対戦をした。12年は準決勝で0―4。13年は3回戦で5―1で勝利。そして14年は2回戦で当たり、3―5で敗れた。12年は藤浪晋太郎(現DeNA)に対して2安打零敗。記録の上では完敗だったが、大会前の招待試合では4―1で勝ったこともあっただけに、打てない投手ではなかったという記憶が残る。対戦した歴代の投手ではNo・1は松坂大輔(本紙評論家)という自分の評価は揺るがない。

強い相手と対戦する時には、相手チームとその中のキーマンにいかにプレッシャーをかけ続けられるかが試合の分かれ目になる。13年の勝利はその好例だ。大阪桐蔭のキーマンは森友哉(現オリックス)。捕手でもある森に守りでも攻撃でもプレッシャーをかけていったら、相手はガチガチになるとにらんでいた。

初回のチャンスに三盗に失敗した森は、2回1死二、三塁でリードが大きかった三塁走者を刺そうとして、悪送球のミスで明徳義塾は同点。さらに2死一、三塁から9番の岩見昂が勝ち越しの2点三塁打を打った。大阪桐蔭も油断していた。9番で高知大会での打率も0割ということで、外野は思い切り前に出ていた。でも、0割でもバントなどをしっかりできる能力があるから、岩見はレギュラーになっていた。ここが盲点になった。

森に対しては岸潤一郎(現西武)がしっかり内角を攻めた。チームとしても打球方向を分析して、一、二塁間を狭め、二塁を深く守らせた。8回2死二塁での打球も痛烈だったが、結果は二ゴロ。相手にツイてないと思わせることも野球では大事になってくる。

大阪桐蔭の西谷浩一監督のスカウティングに懸ける熱意は多くの人が知っている。いい選手がいると聞けば、どこにでも姿を見せるという評判だ。ただ、その影響もある。多くの学校が負けじと選手集めの競争に参加しているが、入るまでが勝負ではなく、入ってから育てることが高校野球の目指す姿だと思う。

「明徳義塾も同じ野球学校」と思われるかもしれない。確かに全寮制で全国から生徒を受け入れているが、中学生の獲得競争には長く参加していない。高知の山奥の学校だ。明徳義塾で野球をしたいという思いがなかったら、環境的には3年持たない。保護者や親戚、先輩からの縁で入学する例が実は多いのだ。

西谷監督は甲子園での勝利数、優勝回数でも歴代トップ。彼にしか分からない苦労もあるはず。だからこそ、高校野球のこれからのリーダーとして、大阪桐蔭が目指す野球はこれだ、というものをどんどん見せてほしい。多くの球児たちのお手本になる野球を期待している。

📣アルプスでたった1人…強豪校を支える女子応援団長 夏に向けた“切なる願い”
https://news.yahoo.co.jp/articles/20df1a0db480862cf35f4f3bd8027d285caf63c6

山梨学院のアルプスで奮闘した1人の女子団長部員「本当にやりがいがある」

アルプスで奮闘した山梨学院の応援団長・藤巻好加さん【写真:神吉孝昌】

第98回選抜高校野球大会は27日、準々決勝が行われ、第2試合では山梨学院(山梨)が専大松戸(埼玉)に1-2で破れ、準決勝進出を逃した。そんな中、山梨学院の三塁側のアルプスで大声を張り上げ、奮闘する1人の応援女子生徒がいた。


4月で新3年生になる藤巻好加さんは、1年生の時に前団長・遠山侑那さんの応援する姿に憧れて入部。その遠山さんは去年の夏に応援部から引退したため、今は藤巻さん1人で活動している。

「プレッシャーで不安になることはありましたが、前の団長さんも一人でやっていた時期があったので。見習って私も頑張ろうっていう気持ちの方が強いです」

普段の活動も、音楽を流しながら1人で活動する日々。「肩のキレとか、声の大きさだったりを気をつけて、こだわって練習をしています」。たった一人の応援団としての誇りを持って練習を重ねてきた。まもなく4月に入り、新入生が入る季節になる。藤巻さんも新入部員の勧誘へ、準備が余念がない。「興味がある人は、私が着ている袴を着てもらう体験をしてもらうかなと思っています」。仲間を増やす、“秘策”は着々と進めている。

「本当にやりがいあるものなので、一緒にやってくれる人がいたら嬉しいです」

NHKの中継でも紹介され、友達からは連絡がくるなど反響があった。「準決勝、決勝も応援を続けたいです」。その願いは届かなかったが、確かに山梨学院ナインの後押しになったはずだ。

📝山梨学院・吉田監督が明かす育成方針「メジャーが狙う菰田陽生ら、プロに行く子は最初から無理はさせません」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/385774

26日、投打の軸を欠きながらも大垣日大(岐阜)を倒し、準々決勝に駒を進めたのが山梨学院(山梨)だ。今秋ドラフトで1位候補の菰田陽生(3年)が、長崎日大(長崎)との初戦で一塁守備時に、走者と接触して左手首を骨折。それでも大垣日大戦ではベンチ入りし、主将としてチームを盛り上げた。

身長194センチと恵まれた体格で、投げては最速152キロ、打っては高校通算36本塁打。スカウトの間では「プロでも二刀流がこなせる」と評判だ。千葉西シニア時代はメジャー10球団が視察に訪れたこともあったが、本人は高卒でのメジャー入りを否定。吉田洸二監督(56)は、「ウチにもかなりの数のメジャースカウトが来ましたが、NPB志望を発表してからは減りました(笑)。(直接メジャーに)行かないのに1球団1球団ずつ話を聞くのは大変だったので……」と話す。

近年、山梨学院には全国から続々と有望中学生が集まっている。菰田に加え、左腕エースの桧垣瑠輝斗(3年)不在でも勝ち続けるのは、選手層が厚いからこそだろう。そんな山梨学院の選手集めを支えているのがプロ顔負けの練習施設だ。吉田監督が言う。

新築の寮、酸素カプセル、充実のブルペン、砂場

「野球部寮は3棟あり、2棟はここ5年以内の新築です。風呂も大きく、酸素カプセルやトレーニングルームも完備しています。4人1部屋で、洗濯機も部屋ごとに1台。洗濯の順番待ちがないので、先輩後輩のいさかいなどは起きません。学習机も1人1台あります」

施設をつくる際、吉田監督もいくつか要望を出した。

「まずブルペンの充実です。屋外、室内練習場、球場にそれぞれあり、一度に10人が投球練習できます。ブルペンの横には50メートル×10メートルほどの砂場をつくってもらいました。ここで走り込みをするとインナーマッスルを鍛えられるし、シンスプリント(脛骨の骨膜の炎症)も防げる。他にウチが自慢しているのがメディカルサポートの充実です。学校近隣に体のメンテナンスをしてくれる施設や治療院が多いのです」

一方、菰田のようなプロ注目選手が増えることで、「勝ちたいけど無理をさせられない」という葛藤が生まれないか。

「『次のステージに行く子』には最初から無理をさせません。菰田も入学当初から『プロで活躍する』と思っていたので、ゆっくりと才能を伸ばす方針です。今大会でケガをしましたが、順調な成長曲線を描いていますよ。もちろん、『高校野球で完全燃焼したい!』という子には、頑張ってもらっています。扱いが違うことで文句は出ません。誰かが欠場すれば、誰かが試合に出るチャンスが生まれますから」

☟甲子園常連校の「寄付のお願い」が物議、同校が明かした“投稿削除の理由”とリアルな金銭事情
https://news.yahoo.co.jp/articles/096a79f4590b796ccfa9daea1177aab530ac4d09

3月19日に開幕した春のセンバツ甲子園。大会8日目の26日には、優勝候補と評される大阪桐蔭高校が三重高校を6-5で下し、準々決勝に駒を進めた。同日、宮城県代表で甲子園常連の東北高校が香川県代表の英明高校と対戦し、3-6で敗北を喫した。3回戦で甲子園を去ることになった東北高校だが、試合結果以外でも注目を集めている。

私立常連校が「寄付のお願い」

「東北高校の公式Xで、野球部への“寄付”を呼びかけたのです。《寄付を募っておりますが、まだ十分には集まっておりません》とし、そのうえで、《勝ち進むにつれ、野球部や応援団の宿泊費・交通費の負担も大きくなっています。選手たちの挑戦を支えるため、皆様の温かいご支援をよろしくお願いいたします》と綴られていました。

“#拡散希望”とも記していたことから、資金問題が重大化している様子が伺えます」(スポーツ紙記者)

この投稿はすでに削除されているが、呼びかけ方に対し、ネット上では、

《公立ならわかるけど、私立ですよね》
《東北高校ほどの常連校ならだいたいの費用は想定できているべきでは。応援は予算の中でできる範囲のことをできる範囲ですればよいと思います》
《なんか言い方が・・・ 「まだ、十分に」って、今まで寄付してくれた方に対する感謝の気持ちが全く感じられないんだが・・・》
など、疑問や批判の声が上がる中、

《野球部だけ特別扱いする文化はなんでやろな》
《野球だけ何で応援団がいるんですか?他の部活なんて全国大会でも応援団なんて来ませんよ》
と、甲子園特有の文化に対する意見も見られた。

東北高校運営の学校法人に聞く
 
こうした声を同校はどう受け止めているのか。東北高校を運営する学校法人南光学園に問い合わせてみると、

「私立学校は、寄付行為を基本として運営されている公益法人です。株式会社で言うところの定款に基づく営利団体とは異なります。甲子園出場に係る経費は、常連校と言われる学校でも難しい課題であります。東北の地から関西へ選手派遣・応援体制を準備していくことは通常の学校の人件費及び運営経費とは異なり、一個人または一学校の負担では対応できない状況であり、広く協賛をお願いしております」とのこと。

寄付金については、次のように説明する。

「前述のご協賛でいただいた寄付については、クラウドファンディングでの私的団体または任意団体とは異なり、私立学校法に基づく寄附行為として扱われ、学校管理下のもとでの教育活動として、税制上も寄付金控除を受けられる受配者指定寄付金制度または特定公益増進法人の指定を受けた証明書により経費控除の対象となっております。経費については、教育研究経費として学校法人会計基準に基づいた会計処理をしており、甲子園出場に関わらず、公認会計士の監査を受け適正・適法に行政官庁であります宮城県に決算関係は提出しております」(前出・学校法人南光学園担当者、以下同)

つまり、法律に基づいた“公式な学校の寄付”であり、使い道も厳しく管理・監査されているということだ。投稿を削除した理由については、

「前述のとおり広く協賛を募り負担軽減を目的として掲載いたしましたが、一部の方にはこちら側の意図が伝わりづらく誤解を招く恐れがありましたので削除致しました」

私立の強豪校であっても、甲子園出場に伴う費用負担は重い。甲子園文化の発展・存続のための転換期が訪れているのかもしれない。

☟勝って困ることはありますか?選抜高校野球。東北勢2校が金銭的支援のお願い。8強入りした八戸学院光星。初戦突破の東北も。1試合当たりの費用は2千万円。決勝へ行けば1億円
https://sports.yahoo.co.jp/official/detail/2026032600051-spnaviow

【これはnoteに投稿されたセイノさんによる記事です。】

勝って困ることはありますか?選抜高校野球は8強入りする学校が出てきた。その中で、東北の2校が異例のお願いをしている。金銭的支援だ。青森の八戸学院光星高と宮城の東北高。1試合当たり費用が2千万円かかるという。決勝へ進めば総額1億円。甲子園で戦うのも楽じゃない。

八戸学院光星は選抜開幕日の19日にいきなり初戦。広島の崇徳に15-6で大勝した。5日後の2回戦では滋賀学園に5-4で競り勝ち、勝負強さを見せて8強入りした。
2年ぶりに春の甲子園に帰ってきた八戸学院光星。そして甲子園で8強入りするのは2023年夏以来。ただ、選抜で8強入りするのは2012年までさかのぼる。この時は準優勝に輝いた。2011年夏から3季連続甲子園準優勝という日本一に限りなく近づいていた。その後は8強入りしても、なかなか準決勝へ進むことができなかった。今回8強入り。その先へチームの意気は高まっている。

その中で、同校のSNSで異例のお願いが出された。資金援助だ。1試合2000万円かかるという。この額に驚きだが、近年の物価高、そして中東情勢の悪化による原油価格の上昇も影響しているのだろう。同校は決勝まで進むと1億円かかるとも伝えている。準々決勝、そして準決勝翌日は休養日となっているため、滞在が長くなってしまうのも一因だろう。夏の甲子園に比べると、選抜は相対的に認知度が低い。寄付金もなかなか集まらないのかもしれない。それでも、お金はかかる。

初出場、あるいは久しぶりの甲子園ともなれば、卒業生らからの寄付も集まるだろうが、強豪ゆえに甲子園に出ることに「当たり前」感があるかもしれない。スペシャル感がないために寄付が集まらないのではないか。あるいは物価高の影響で、寄付に回せる余裕がないとも考えられる。そして、この厳しい懐事情は宮城の東北高も同じだ。3年ぶり21回目の選抜出場を果たした。2003年夏にはダルビッシュ有投手が2年生エースとして活躍。甲子園準優勝を果たした。翌春にも8強入りしている。メジャーリーガーのレジェンド投手が輩出した高校でも金銭面の苦労を強いられている。

今回、23日の初戦で新潟の帝京長岡を5-1で下して2回戦進出。8強入りをかけて、26日に香川の英明と対戦する。東北も25日にSNSで寄付のお願いを出した。「勝ち進むにつれ、野球部や応援団の宿泊費・交通費の負担も大きくなっています」と実情を伝えている。

勝ち上がると、金銭面で厳しくなる。「嬉しい悲鳴」とはいえない厳しい状況だ。選手たちにはプレーに集中してほしい。勝てなかった理由が、お金の不安というのでは、あまりにも切なすぎる。選手たちが全力プレーできる環境を。東北勢の資金の悩みが解決することを願ってやまない。

📝“怪物”の始まりか…大阪桐蔭・川本晴大がセンバツで刻んだ「衝撃の9回」
https://news.yahoo.co.jp/articles/51d3932cbc19f578ce6fe4769f328e4c6b58e122?page=1

第98回選抜高校野球大会、1回戦最後のカードとなった大阪桐蔭と熊本工の一戦で、球場の空気を一変させる投球があった。大阪桐蔭の背番号10を背負った左腕、川本晴大(2年)。新たな“怪物候補”の誕生を強く印象づけた。

自分のピッチングができた
 
川本は埼玉県出身。小学6年時には年末に行われる12球団ジュニアトーナメントで西武ライオンズジュニアに選出され、中学ではU15侍ジャパンに選ばれ、U15W杯で世界一も経験している。大阪桐蔭では1年秋から投手陣の一角に定着すると、近畿大会でも2試合に先発して12回を投げて1失点と見事な投球を見せ、チームの選抜出場に大きく貢献した。

この日も先発のマウンドを任されると、5回まではノーヒットピッチングを披露。6回ツーアウトからレフト前ヒットを打たれ、9回を一人で投げ切り被安打3、14奪三振、150球の熱投で完封勝利を飾った。試合後、川本はこの日のピッチングをこう振り返っている。

「ずっと目標にしてきた甲子園のマウンドだったので、初戦からこのように投げることができて、とてもうれしい気持ちです。初回は緊張もありましたが、抑えていくにつれてだんだん緊張もほぐれて、自分のピッチングができたかなと思います。(150球、14奪三振については)こんなに投げたことはなかったので疲れましたが、最後まで自分のピッチングができたので良かったです」

川本の特徴としてまず目を引くのが「192cm、95kg」という高校生離れした体格だ。比較的上背のある選手が少ないこともあり、整列した時にも川本が完全に頭一つ抜けているように見える。そしてその恵まれた体格がピッチングにしっかりと生かされているのが、大きな長所である。

今日は最後まで川本に任せよう
 
この日、初めて川本の投球を見たというNPBスカウトも興奮した様子でこう話してくれた。

「素晴らしかったですね。投げているボールは3年生も含めて今大会でも1、2でしょう。あれだけ大きいのにバランス良く縦に腕が振れて、右足にもしっかり体重が乗っている。バッターは相当速く感じていると思います。コントロールはまだアバウトですけど、四球で自滅するほどではなく、最後まで球威も落ちませんでした。このまま順調にいけば来年は手がつけられないピッチャーになるかもしれませんね」(セ・リーグ球団スカウト)

奪った14個の三振のうち、実に11個の決め球がストレートであり、相手打線をいかに球威で圧倒していたかがよく分かるだろう。ストレートの自己最速は146キロとのことだったが、この日は球場表示で最速147キロをマークし、バックネット裏で計測していたNPBスカウトのスピードガンでは151キロもあったという。2年生の春ということを考えるとこの数字だけでも驚きだが、この日のピッチングは、そんな数字以上にインパクトがあったことは確かだろう。

一つ気になったのは150球という球数で、本人もこれほど投げたことはなかったと話していた点だ。その点をチームを指揮する西谷浩一監督に聞くと、こう答えてくれた。

「どうしても球数が多くなる子なので、当然その点は気にしていました。なるべく球数は抑えたかったのですが、あそこまでいってしまったというところですね。ただ、脚をしっかり使って投げることができていたので、今日は最後まで川本に任せようと思って送り出しました」

川本も冬の間に重点的に取り組んできたのは下半身のトレーニングと話している。ただ試合展開に任せるのではなく、これまで取り組んできたことや、フォームに乱れがなかった点などの裏付けがあっての150球完投だったと言えるだろう。

新たな怪物候補
 
そして、この起用法については川本の成長を促すという狙いもあったようだ。西谷監督はこう続ける。

「生徒には常々、甲子園は一番成長できる場所だということを話していて、川本にもさらにこの場で成長してほしいという思いもありました。キャッチャーの藤田(大翔・3年)とも相談して、まだ大丈夫ということを言っていたので、最後まで任せました。練習でも多く投げることはしてきましたし、秋よりもずいぶん成長したと思います」

コメントに登場した藤田にも話を聞いたところ、「元々球数は多いピッチャーで、投げていく中でどんどん良くなることも多いので、最後まで行けると思ってリードしていました」と話していた。高校野球では2020年から1週間で500球の球数制限が導入され、プロ野球と同様に100球前後で降板するケースが増えている。しかし状態を見極めながら成長の機会と考えて、あえて多くの球数を投げた経験は川本にとってプラスとなった部分も大きいのではないだろうか。

甲子園で刻んだ150球の完封は、単なる好投にとどまらない。新たな怪物候補が、その輪郭をはっきりと示した一戦だった。
2026/03/28(土) 22時12分45秒 No.2349 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(準々決勝)
9日目第1試合 中京大中京(愛知)-八戸学院光星(青森) 8:31~10:13
          一二三四五六七八九十計HE
      中  京100010000 250
      八学光星100000000 131

9日目第2試合 智弁学園(奈良)-花咲徳栄(埼玉) 10:47~13:22
          一二三四五六七八九十計HE
      花咲徳栄620000000 8111
      智弁学園01323300X 12151

9日目第3試合 山梨学院(山梨)-専大松戸(千葉) 13:54~15:47
          一二三四五六七八九十計HE
      山梨学院010000000 170
      専大松戸10000001X 272

9日目第4試合 大阪桐蔭(大阪)-英明(香川) 16:18~18:12 17:48点灯 7回裏から
          一二三四五六七八九十計HE
      英  明200000100 392
      大阪桐蔭10100101X 454

☝<センバツプレーバック・和歌山>和歌山東(2022年) 延長十一回の波状攻撃
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8226928fb32f238b37ddead3c799f391b39fcff

春夏通じて甲子園初出場の和歌山東は初戦に延長十一回の接戦を制した。1回戦の相手は倉敷工(岡山)。三回に1点を先制された後、六回には併殺の間に山田健吾選手が本塁を踏んでチーム初得点を挙げ、同点とした。エースの麻田一誠投手は制球力抜群。打たせて取る投球がさえて投手戦が続いた。だが、八回にピンチを迎えると、今度は小刻みに投手をスイッチする「猫の目」作戦で相手の攻撃をかわし続けた。

辛抱が実ったのは延長十一回。先頭の瀬村奏威選手が中前打を放つと打線がつながり、森岡颯太選手の右前適時打で勝ち越した。そこから此上平羅主将、橋本晃成選手らが次々と快音を響かせ、この回だけで一気に7点を奪った。結果的に8―2の会心の勝利となり、米原寿秀監督は「野球部の新しい1ページを刻んだことは褒めたい。応援してくれた人たちに校歌を聴かせられて良かった」と話した。

勝負どころでの波状攻撃にアルプスはグラウンドと一体となり、歓喜に沸いた。その中には友情応援に駆けつけた和歌山商の吹奏楽部員らがいた。チームカラーが「青」だったことから、奈良大付が使用しているオリジナルの応援曲「青のプライド」の使用許可を事前に得て、延長十一回で披露。好機をもり立てる「魔曲」となった。

2回戦では浦和学院(埼玉)に0―7で敗れたものの、初の大舞台で初勝利の成果は大きかった。

🎤2026年春のセンバツ 監督突撃インタビュー
「最初は怖かったですよ(苦笑)」 大垣日大・高橋監督が先代の名将・阪口慶三氏との苦楽を語る
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/385659

高橋正明監督(大垣日大/岐阜/43歳)
 
明日26日の2回戦で山梨学院(山梨)と対戦するのが大垣日大(岐阜)だ。指揮を執る高橋監督は24年1月、阪口慶三前監督(81)の後を託された。甲子園出場35回、センバツで優勝するなど通算40勝34敗の名将の後を継いだプレッシャーはないか。指揮官を直撃した。

──監督は熊本出身。有明高(熊本)を経て、岐阜聖徳大に進学し、大垣日大で監督になった経緯は?

「当時、有明高の比屋根吉信監督の教え子の方が、岐阜聖徳大で監督をされていたので、その縁ですね。もともとは岐阜教育大という名称でしたが、名前を変えるに当たって野球部を強化しよう、という流れがありました」

──大学時代は学生コーチもしていた。

「3年生くらいからですかね? まあ、ノックを打ったり、投手の練習メニューを組んだり、マネジャーに近いこともしていました。夏休みは大学の練習も休みになるので、その時期は母校の有明高に戻って練習を手伝っていましたよ」

──夏休みに遊ぶ暇もなかったと。

「あの時は母校もコーチがおらず、監督から『手伝ってくれ』と言われて……。でも、将来は高校野球の指導者になりたいと思っていたので、まったく苦ではありませんでした」

──大学卒業後は大垣日大でコーチ。きっかけは?

「ちょうど、阪口先生が東邦を辞められて、大垣日大に来た時ですね。教員で、バスの運転や寮監をできる人材を探していた。そこで『こういう子がいますよ』と、僕が紹介されました。最初はコーチで、副部長も19年やりました」

「子どもたちと一緒に叱られていました(苦笑)」

──阪口監督は東邦監督時代は「鬼の阪口」と呼ばれていました。萎縮などはしませんでしたか?

「最初は怖かったですよ(笑)。僕も大垣日大に来たばかりの頃は、子どもたちと一緒に叱られていましたから(苦笑)。最初の頃は東邦時代とあまり変わらなかったと思います。勝負にはとにかく厳しいけど、寛大でもあった。情が深く、性格もユニーク。僕はよく『阪口先生はチャーミング』と表現しています(笑)」

──阪口監督の指導で印象に残っていることはありますか?

「高校生はまだ未完成だから失敗もある、とはよくおっしゃられていました。だから、失敗しても許す、責めない、と。『野球はあくまで教育』という考えで、生徒たちのことを絶対に『選手』とは呼ばない。ただ、本当に勝負事が好きでしたね。阪口先生とはよく将棋で対戦しました。強かったですけど、通算では僕がちょっと勝ち越したくらいかな(笑)。でも、麻雀は先生の方が強かった(笑)。そういう意味では、僕も野球以外でも勝負勘を学んだのかもしれません」

──阪口監督の下、様々な強豪校と対戦。印象に残っている学校、指導者はいますか?

「僕が最も参考にさせていただいているのが、亡くなられましたが常葉菊川の森下監督です。細かい技術はもちろんですが、思い切りのいい打撃や積極的な走塁など、失敗を恐れない野球が特徴。大垣日大の進化に必要なのはこれだ、と感銘を受けました。今治西から松山商業に移った大野監督には、子どもたちの教育について多くを学ばせていただきました。神村学園の小田監督は僕と同じ年齢ですが、野球がきちっとしているので学ぶものが多いですね」

──阪口監督と比較されて、プレッシャーを感じることはありますか?

「それはありますよ。監督就任当初は学校関係者も不安に思っていたはずです。だから僕も子どもたちと一緒に成長していこうと思っています。威厳からして違うので、阪口先生と同じことはできませんから。阪口先生の野球を継承しつつ、子どもたちの自主性、主体性を生かしたいと考えています。その意味では2年連続センバツ出場は安堵の気持ちもあります。間が空くと『低迷している』と思われてしまいますから。突出した子はいませんが、チーム力で戦っています」

🎤【馬淵史郎 我が道25】高嶋さんに学んだ勝負への執念…今も続く智弁和歌山との定期戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/fffd484dcdb7be3a751d087fae4d4eb2e1f1666c

智弁和歌山の高嶋仁さん(現智弁学園、智弁和歌山名誉監督)も勝負に対する執念が凄い人だった。そのスタイルは剣に例えたら、薩摩の示現流。相手が刀で止めようとしても、刀ごと頭から斬ってしまうような迫力があった。加えて、ノックもうまい。智弁和歌山のシートノックは、いつも欠かさずに見ていた。

 星稜(石川)戦での「松井5敬遠」の後、なかなか高知で勝ち上がることができなかった時期に、練習試合をさせていただいたのが交流の始まりだった。確か94年(平6)。高知の土佐と試合をするとうのを聞いて「明徳義塾ともお願いします」と申し込んだ。以来、定期戦を毎年させていただいている。時期は夏の地方大会が始まる前の6月。高嶋さんも俺も夏に向けて、チームを徹底的に追い込む。その成果を試すのが智弁和歌山戦だった。結果で夏のメンバーが決まるから、選手も必死で臨む試合。中谷仁監督になっても、定期戦は続いている。

甲子園では高嶋さんと2度対戦した。明徳義塾が初優勝した02年(平14)の決勝戦が最初の試合だった。森岡良介主将(元中日、ヤクルト、現楽天コーチ)を中心に強いチームに育ったという手応えがあったから、あとはそれを信じて戦うだけと思っていた。高嶋さんが4回1死二、三塁から仕掛けた3バントスクイズにもバッテリーがしっかり反応して、外した。「ここまで来たら、あとは選手に任せるだけだった」と話したことを聞いた高嶋さんは「馬淵監督もようやく気づいたみたいやな」と自分のことのように喜んでいただいた。

2回目は14年(平26)の選抜1回戦。1―1のまま延長に突入。智弁和歌山は12回にソロ本塁打が飛び出したが、その裏に1番の尾崎湧斗が1死一、三塁でカウント2―1からの同点スクイズに成功した。高嶋さんの顔を見たら、同点は仕方ないというように見えたので、取れる点は取ろうとサインを出した。引き分け再試合目前の15回1死満塁からの暴投でサヨナラ勝ち。じゃんけんに勝って後攻を取ったことが実った試合だ。

02年の決勝戦の後に、選抜チームで一緒に米国遠征をしてから、本当に親しくなったな。よく飲んだし、よく食べた。ロスでは朝の散歩にもお供した。高嶋さんは行き交う人に「グッドモーニング」と言い続けて歩いていた。「敵じゃないということを示すためや」と笑ったのも高嶋さんらしかった。

08年(平20)に謹慎処分を受けたときには四国八十八カ所を高嶋さんはお遍路さんとして徒歩で巡っていた。相当な苦行だ。それを知って高知で接待させていただいた思い出がある。高嶋さんの行程にあたる地域の監督にも、みんな連絡して出迎えてもらったな。昨年12月の「古希を祝う会」にも来ていただいた。甲子園で解説される高嶋さんをうならせる試合を、これからもしてみたいね。

☟「チェックすべき選手がいない」センバツ甲子園からプロ球団スカウトが軒並み撤収のウラ側
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/385729

「昨日、スカウト部長から急きょ、担当地区の春季大会をカバーするように言われたので帰りますよ。チェックすべきタマがいないから、いても仕方ないだろうって」

25日、セ・リーグのあるスカウトはこう言って、センバツが行われている甲子園球場を後にした。各球団は大会前に担当地区のスカウトの推薦をもとに、センバツで見るべき選手をリストアップ。そこに載った選手を中心に、編成担当者や複数のスカウトがクロスチェックをする。例えば、この球団のリストをこっそりのぞかせてもらったところ、

【投手】中谷嘉希(北照)、菰田陽生(山梨学院)、吉岡貫介(大阪桐蔭)、杉本真滉(智弁学園)、徳丸凜空(崇徳)、木下瑛二(高川学園)、末吉良丞(沖縄尚学)

【捕手】吉岡伸太朗(専大松戸)

【内野手】池田聖摩(横浜)、古城大翔(花巻東)

【外野手】赤間史弥(花巻東)、川中鉄平(神戸国際大付)

以上、12人の名前があったものの、前出のスカウトはこう言うのだ。

「今年のセンバツはただでさえ不作の上、リストアップされていたほとんどの選手が初戦敗退で姿を消した。残っているのは菰田、吉岡貫介、杉本、吉岡伸太朗の4人だけです。このうち菰田は22日の長崎日大戦で左手首を骨折、2回戦以降は欠場の見込み。ただでさえ1回戦終了と同時に多くのスカウトが引き揚げるのに、2回戦以降も甲子園に残ってチェックすべき選手が3人しかいないんじゃ、スカウトがいなくなるわけです」

それでも甲子園の収穫はあったのか。

「初戦で本塁打を放った二刀流の菰田、昨夏の優勝投手の末吉、ドジャースも注目する織田の3人は評判通りの好素材、今年のドラフトで1位指名されるでしょう。あとはきょうの帰り際に見た智弁学園の杉本は、初戦で144キロだった最速が2キロほどアップ。馬力があり、スタミナも豊富。カーブ、スライダー、チェンジアップと変化球も豊富だけに、上位で指名される可能性もある」とは前出のスカウトだ。

📝迫る“甲子園の定年”…53歳審判員が諦めぬ夢 夜勤明けに現場直行、「命」と向き合う日々
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b41c6d7bb18c0206f3e3dbeac0899091877468a

休日は審判員、普段は救急救命士として人命救助にあたる松原光春さん

高野連のマークが刺繍されたウエアに身を包み、「僕たちだって試合が終われば、ただのおじさんですよ」と笑みを浮かべたのは、香川県で高校野球の審判を務めている松原光春さん。20日から行われている香川県春季大会、3日目の第1試合で選手と交錯する場面があったが、起き上がり、最後まで球審の役目を全うした。


松原さんは25年前、高松東から甲子園を目指したが、夢を叶えることができなかった。卒業後は消防士になり、朝8時30分から翌日8時30分までの24時間勤務をこなしながら、休みの日には草野球に興じた。消防士として働き始めてから8年後、松原さんに転機が訪れた。「その頃、ちょうど高校時代の恩師が、香川県・高野連の理事長をされていました。消防士は、勤務日が1日おきで、休日が一般企業と異なるんです。平日に動けるので夏の大会に行きやすいし、そこまで野球が好きならちょっと審判をやってみないかと声をかけてもらったんです」。

今度は審判として、恩師と甲子園に立とう。迷いはなかった。26歳のときに総額10万円の防具を自費でそろえた。3月から11月まで、休日になると練習試合で球審を務めた。ストライクとボールの判定、他の審判員とのフォーメーション、しっかり静止して判定しているかなども確認した。「昔は審判の数も多かったし、地方大会の球審をするなら5、6年は下積みですね」。スコアボードに球審として名前が刻まれたときは30歳を超えていた。

仕事と両立して続けてきた審判員、まだ諦めていない夢「春は55歳なんですよ」

本業では国家資格に合格し、現在は救急救命士として救急車の中や救急現場で、傷病者に救命処置を行っている。朝8時半に勤務を終え、消防署から球場やグラウンドへ直行。9時の時点で練習試合の審判を務めていることも珍しくない。

「公式戦ではちょっと配慮してもらっていて、夜勤明けは昼からの試合となる2試合目や3試合目に入れてもらっているんです」と松原さん。過去には火災が発生し、他の審判員に代わってもらったこともある。決して容易ではない“両立”を続けてきた。

それだけ苦労しても、甲子園にはなかなか手が届かない。息子が中学野球を始めた2013年から、高校を卒業するまでの6年間は審判員を控えた。規定にはないが「自分の子どもが野球をしよったら、審判はちょっと……」と言葉を濁した。“暗黙の了解”があるのだろう。この空白の6年がきっかけで審判員を辞める人も多いという。

「僕もね正直、その時にもうやめようかなと思ったんです。甲子園に行けないし、40歳を過ぎて体力的に審判もつらいし、仕事(救急救命士)もハードになってきてついていけないし。やめようかなと思ったんやけど、審判を6年間できてないぶん、審判部のみんなに迷惑をかけているから。動体視力の衰えを感じる日まで頑張ろうと思ったんです」

53歳になった今も、走行中の車のナンバープレートを読むなど、影の努力を重ねながら審判を続けている。審判員の定年は60歳。松原さんは「甲子園は、夏が50歳までしか出られないんですよ。だからもう無理なんです。でも春は55歳なんですよ」と穏やかな表情で語った。

夢を叶えるより先に動体視力が落ちれば、潔く身を引く覚悟だ。それまでに母校の悲願でもある聖地に、立つことを願っている。

👣 花咲徳栄が8点リードから無念の逆転負け エース・黒川の投入時期に岩井隆監督「春を取る気持ちだった」1週間500球以内の球数制限意識
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebe6b9119dab65a16312519362c829694e38041c

◆センバツ第9日▽準々決勝 智弁学園12―8花咲徳栄(27日・甲子園)

花咲徳栄(埼玉)は、2回表までに8―0と大きくリードしながら智弁学園(奈良)に逆転負け。過去のセンバツでの最大点差逆転負けの記録(7点)を上回る“大どんでん返し”を喫し、初めての4強入りを逃した。

1回に打者11人の猛攻で一挙6得点。2回にも2点を加え8点差とした。1、2回戦で計16イニング、220球を投じたエース・黒川凌大(3年)をベンチからスタートさせた試合ではあったが、十分なリードにも見えた。岩井隆監督(56)のゲームプランは「5回くらいまで黒川以外の投手でいきたい」。先発の古賀夏音樹から長谷川陽汰、石田凜作と2年生投手を次々に送り込んだが、智弁学園の力強い攻撃の前に4回終了時で8―6と2点差まで迫られた。

迎えた5回。1点差に追いつかれ、なお2死一、三塁の場面で、ついに黒川を投入。しかし、智弁学園の2番・志村叶大(3年)に右中間への2点二塁打を浴びて8―9と逆転された。黒川は6回にも3失点し、8―12で敗れた。

「甲子園は甘くない。勉強させていただきました」と岩井監督。黒川の投入時期に関しては「6回からと決めていた。『もう少し早くてもいいかな』とも思ったが、他のピッチャーも悪くはなかったので…」。この考えの裏には、1週間で500球以内という球数制限への意識もあったという。「『この春(の優勝)を取る』という気持ちだったので、5回から行くと球数が最後にもたなくなる。球数制限のアヤもありました。負けてしまったら意味はないのですが」と複雑な表情で話した。

🎤【専大松戸・持丸修一監督と一問一答】大会最年長77歳の指揮官が初のベスト4進出「一生懸命の結果」
https://news.yahoo.co.jp/articles/88e6ba94530d91d7c87e2f41768861c7d9c2cedc

◇第98回選抜高校野球大会 専大松戸2―1山梨学院(2026年3月27日 甲子園)

専大松戸の持丸修一監督(77)は甲子園春夏11勝目を飾った。自身にとってもチームにとっても初の甲子園ベスト4進出となった。77歳は今大会の最年長。以下は指揮官との主な一問一答。

持丸監督「本当にありがたいですけど、別にベスト4がどうのこうのというわけではなくて、一生懸命やった結果がこれだったというだけのことです」

――秋の関東大会では決勝で5―14で大敗した山梨学院にリベンジ成功した。

「そこはうれしいですね!やっぱり3連敗くらいしていましたから。何とか勝ちたいなと思ってたんですけど、向こうも洗練されたチームですから、そう簡単には勝たせてくれません」

――先発の門倉が成長した。

「やっぱりコントロールも良くなったし、スピードもついた。やっぱりやることをやってる選手は成長しますね。筋トレなんかも、すごく進んでやる子でした。10本走れって言ったら、11本走れとか。これが限界だって言うのはそこからを言うんであって、9本は限界じゃないよ、という話はしました。

――決勝打は期待していた瀬谷が放った。

「あれはああいう性格をしてるんですよ。面白い性格をしています。僕はああいう、ちょっとヤンチャっぽいのが好きなんで。ああいうのが2、3人いると面白いですね」

――8回、勝ち越し前の二盗には?

「普通にやっていたんじゃ点数にならないと思ったんです。だから走らせて、打たせたら三振で(笑い)。あそこは転がすくらいしてほしかったんですけど。何かしないと点にならないと思って。エンドランではなくランエンドヒットでしたね」

――スクイズを外したり、ロースコアの技術戦になった。
 
「向こうも洗練されてますよね。スタートがちょっと遅くなっただけでアウトになっちゃう。ピッチャーがミスなく取ってアウトにした。やっぱり素晴らしいですよ。そういうチームに勝てるようになったというのは、成長ですね」

――このチームの強さはどこに?

「やっぱり守りとピッチャーの成長ですよね。こんなに良くなるとは自分でも思っていなかった。“先輩のベスト8を超えたい”なんて言ってましたけど、“うそだろ?”と思ってましたよ(笑い)。何言うんだ、って」

💢4強入りの大阪桐蔭 勝負決めた4番谷渕のバスターエンドラン 前打席本塁打も西谷監督から指摘「ガッツポーズするところじゃない」気持ち引き締め勝負手決める
https://news.yahoo.co.jp/articles/98a6bbbf4896f8fa3602228c100f4c84a8d58137

「選抜高校野球・準々決勝、大阪桐蔭4-3英明」(27日、甲子園球場)

大阪桐蔭が激闘を制し、23年以来3年ぶりの4強入りを果たした。西谷監督は歴代単独トップをさらに更新する甲子園74勝目となった。
西谷監督は「本当に苦しい試合ばかりで体がもたないが、みんな一生懸命やっている結果。守りのミスがたくさん出てしまって、どれだけ修正して粘っていくか」と振り返った。

3-3の同点で迎えた八回に、3番内海が四球を選ぶと、続く4番谷渕がバントの構えを見せながら、バスターエンドランで二塁打を放ち、無死二、三塁の好機をつくり、5番藤田がセンターへの犠飛で勝ち越した。六回には一時勝ち越しとなる本塁打を放っていた谷渕。ただ、一塁を回った後と、三塁の手前で2度ガッツポーズする場面があり、西谷監督は「ガッツポーズするところじゃないと言った。勝ってないんで。嬉しそうに2回もガッツポーズしていたので」と指摘されていた。

気持ちを引き締めて臨んだ次打席でもしっかり結果を残し、指揮官は「バントのサインだったんですけど、内野の動きみて、打たした方が展開があるかなと」と語り、3安打1本塁打2打点という4番の働きを「いいところで打ってくれた」と称賛した。

谷渕も「最初バントのサインが出てたんですけど、1球ストライク取って、ボール取って、そこからバスターになって、ここで決めたらゲームの大きく動くところなので、しっかり4番としても場面によってのバッティングというのを意識してできました。ずっと練習でもバスターエンドランというのはやっていたので、よっしゃこいみたいな感じでした」と、充実した表情で振り返った。
2026/03/27(金) 21時49分56秒 No.2348 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(2回戦)
8日目第1試合 大垣日大(岐阜)-山梨学院(山梨) 8:33~10:12
          一二三四五六七八九十計HE
      大垣日大100000000 131
      山梨学院00000120X 370

8日目第2試合 英明(香川)-東北(宮城) 10:44~12:40
          一二三四五六七八九十計HE
      英  明100203000 682
      東  北001000110 391

8日目第3試合 大阪桐蔭(大阪)-三重(三重) 13:13~15:57
          一二三四五六七八九十計HE
      大阪桐蔭12110000016120
      三  重2002000100542
        
8日目第4試合 専大松戸(千葉)-九州国際大付(福岡) 16:29~18:34 17:54点灯 6回表から
          一二三四五六七八九十計HE
      九国大付110010000 371
      専大松戸01201013X 892

⚾明日のセンバツ甲子園組み合わせ(9日目 準々決勝)
  ☆ 08:30~ 中京大中京(愛 知)-八学 光星(青 森)
☆☆☆ 11:00~ 智弁 学園(奈 良)-花咲 徳栄(埼 玉)
    13:30~ 専大 松戸(千 葉)ー山梨 学院(山 梨)
 ☆☆ 16:00~  英 明 (香 川)-大阪 桐蔭(大 阪)

📝前 説・・・7度目の挑戦でついに・・・ 史上初準々決勝バースデーセンバツ甲子園で30回目を飾る
僕が高校野球ファンになったのは小学4年生の夏(昭和58年)ですが、あの当時のセンバツは3月26日開幕が定番でした。

ところが、阪神大震災の年に3月25日開幕となり、だんだん前倒しして今では3月18日開幕が定着しつつあり、MYバースデーは大会2日目と前半戦だったのが、後半戦の試合となってます。
もっといえば、94年までは10日間開催で2日目~4日目は4試合日でしたが・・・・・。

ただその恩恵で、まさかの準々決勝とバースデーがかち合う可能性も出てきました!

6年前コロナ騒動でセンバツ中止に追い込まれたのがケチの着け始めで、5年前には同じ大会日程で順延がなければ1年越しの悲願達成が21日の雨でフイに↓↓

4年前の9月15日に史上最速の3/18センバツ開幕で2022年MYバースデーは史上初の休養日に設定と。ところが大会初日雨の恩恵を受けて史上初の3/27準々決勝4試合が再設定され、たなぼたで幸運が転がり込んできました。
その後、大会4日目の3/22はなんと・・・試合開始3時間30分遅れ、開門4時間30分後にプレーボールして夢をつないだものの、バースデーイブに『春の嵐』予報にかく乱され、早々に中止決定で史上初の3/27センバツ準々決勝は幻と消え、おまけに広島商の出場辞退で9時から2試合↓↓

3年前は記念大会で順当に行けば準々決勝。仮に1日順延でも4試合日が2つ設定されていたので・・・・・93年・94年・01年・03年に続き5度目の4試合観戦の夢がありましたが、、、まさかの2日間中止で挫折。。。。

2年前は1日雨天順延があれば、その前年秋の福井&倉敷よろしく思いっきり雨の恩恵を受けてタナボタで史上初のバースデー準々決勝4試合が転がり込んでくる目論見でしたが、、、、またしても雨で2日順延となり1度は手にした夢がスルリと逃げて行った・・・・・。

そして昨年は・・・18日~26日のどこか1日全試合雨天中止となれば3度目の休養日回避でしたが、、、初日第3試合の延長で暴風雨があったものの順調に日程を消化してしまい史上初のバースデー休養日と↓↓

開き直って和歌山へ行きレンタサイクル借りてまず午前中に紀伊風土記の丘を散策し、返す刀で和歌山駅付近に戻り国道42号線を南下し、宮前駅付近の喫茶・センプレコンテにて『サンドルチェ』注文で好きなケーキとともに祝杯を挙げて、僕だけの聖地・紀三井寺球場をグルリ一周してから当面の間は入場無料の紀三井寺参拝。
18時の返却期限までにレンタサイクル返して久しぶりに井出商店の中華そば食べて帰るという代替企画を遂行しました。


そして紆余曲折を経て7度目の挑戦でついに悲願達成と!

基本的に晴れ男なのか?去年までの32年間で22度は雨に逢わず済んでますが、98年・02年そして20年と精神的ショックの大きすぎたつらい経験をしてきました。

それでは簡単に社会人になって以来のバースデーセンバツについて振り返ります。

1993年(19歳)・・・人生初めてのバースデー観戦
市 船 橋4-1川西 明峰 08:28~10:40 23000人
鹿児島商工4-2 南 部  11:09~13:20 33000人
 東 北 5-3 土 佐  13:50~15:53 35000人
長崎 日大5-3智弁 学園 16:19~18:24 23000人

1994年(20歳)・・・強豪揃いの激突は意外にワンサイド
PL 学園10-0拓 大 一 08:29~10:31 23000人
宇和 島東11-2 東 北  10:59~13:13 38000人
広 島 商7-3鹿児 島実 13:42~15:47 43000人
 横 浜 10-3 大 府  16:19~18:53 25000人

1995年(21歳)・・・阪神大震災で九死に一生を得て?感慨ひとしお
神港 学園4-3仙台 育英 09:30~11:27 16000人
 大 府 5-3 城 北  12:00~14:13 15000人
 伊 都 1-0 帝 京  14:46~16:44 15000人

1996年(22歳)・・・愛知の野球仲間と初対面した1日
浦和 学院9-0東海大仰星 09:30~11:37 22000人
 東 邦 9-8拓大 紅陵 12:06~14:27 21000人
宇都 宮工7-3松 山 商 14:54~17:21 19000人

1997年(23歳)・・・逆転サヨナラエラーが印象的だった
日南 学園3-2宇和 島東 09:30~11:25 15000人
春日部共栄8-1 城 北  11:56~14:00 12000人
函館大有斗6x-5 郡 山  14:32~16:58 13000人 逆転サヨナラゲーム

1998年(24歳)・・・バースデー初の挫折、、、無情の涙雨に泣かされる

1999年(25歳)・・・早朝の豪雨により約4時間30分遅れの試合開始!!
駒 大 高3x-2長崎 日大 13:58~16:01 15000人 サヨナラゲーム
 平 安 5-1  東  邦  16:31~18:30 15000人

2000年(26歳)・・・和智弁の大勝で最高のバースデープレゼント!!
智弁和歌山20-8 丸 亀  09:30~12:16 18000人
国 士 舘2-0高 岡 一  12:53~14:43 18000人
東海大相模6x-5今 治 西 15:12~17:45 14000人 延長10回サヨナラゲーム

2001年(27歳)・・・尽誠・椎江監督の半袖アンダーシャツと関西創価の大応援団が心に残る
尽誠 学園14-1 鳥 栖  08:30~10:52 15000人
関西 創価8-1 東 北  11:22~13:51 45000人
 市 川 5-2神戸国際付 14:26~16:21 25000人
 高 知 7-1岡山学芸館 16:53~18:51 10000人

2002年(28歳)・・・ワールドカップの年に雨天中止になるジンクス発生(涙)

2003年(29歳)・・・第3試合途中より小雨がぱらつく
遊 学 館16-8近 大 付 08:30~11:18 23000人
花咲 徳栄4x-3秀 岳 館 11:47~14:19 27000人 延長13回サヨナラゲーム
東洋大姫路4-2岡山 城東 14:51~16:33 31000人
明徳 義塾6-0 斑 鳩  17:03~18:53 19000人

2004年(30歳)・・・僕の生誕三十周年記念祭スタート
明徳 義塾10-0桐 生 一 09:30~11:27 19000人
八 幡 商4x-3常葉 菊川 11:59~14:10 28000人 逆転サヨナラゲーム
 金 沢 8-6佐 賀 商 14:40~17:04 24000人

2005年(31歳)・・・延長サヨナラゲーム2試合と大興奮の1日
 羽 黒 2x-1八 幡 商 09:31~12:12 23000人 延長12回サヨナラゲーム
東海大相模8-3三 本 松 12:42~14:57 35000人
 東 邦 1x-0 育 英  15:27~17:34 30000人 延長10回サヨナラゲーム

2006年(32歳)・・・嫌なジンクス吹き飛ばし雲一つない青空に逢う!!
PL 学園9-1真 岡 工 09:32~11:34 20000人
愛知 啓成4x-3金沢 桜丘 12:07~14:07 23000人 逆転サヨナラゲーム
今 治 北12-9延岡 学園 14:36~16:51 20000人

2007年(33歳)・・・ヘルニアによる足の激痛や第2試合前の雷雨に耐えて
創造学園付1-0旭 川 南 09:01~10:32 10000人
 関 西 4-2 高 知  11:15~13:04 12000人
都城泉ヶ丘2-0桐 生 一 13:39~15:47 23000人

2008年(34歳)・・・10年越しのリベンジ達成!6年連続バースデーセンバツ観戦
 平 安 3-2 成 章  09:01~11:01 17000人
北 大 津4-2 横 浜  11:38~13:46 24000人
宇治山田商4x-3 安 房  14:21~16:18 16000人 逆転サヨナラゲーム

2009年(35歳)・・・前人未到の7年連続は曇天模様でなんとかクリア
 利 府 10-4掛 川 西 09:02~11:16 13000人
中京大中京6-5倉 敷 工 11:50~13:48 18000人
報徳 学園15-2今 治 西 14:23~16:47 21000人

2010年(36歳)・・・最高の天気に恵まれ8年連続えびす顔
大阪 桐蔭9-2東海大望洋 09:02~11:09 22000人
大垣 日大3xー2 川 島  11:44~14:17 31000人 延長10回サヨナラゲーム
自由 ヶ丘4-2東海大相模 14:48~16:35 29000人

2011年(37歳)・・・東北大震災にもめげずに晴天続きのセンバツ
 城 南 8-5報徳 学園 09:01~10:52 34000人
鹿児 島実5ー3浦和 学院 11:22~13:38 35000人
東海大相模9-0 関 西   14:07~16:03 30000人

2012年(38歳)・・・文句なし!忘れられない空の青・悲願の10年連続バースデーセンバツ観戦
関 東 一1-0別府 青山 09:01~10:45  9000人
浦和 学院2ー0 三 重  11:19~13:00 20000人
大阪 桐蔭5-3九州 学院 13:46~15:28 24000人

2013年(39歳)・・・6年ぶりに雨が降るもサクラ咲く中、歴史をつなぐ
常葉 菊川4-3報徳 学園 09:01~10:40 14000人
山形 中央6ー2岩 国 商 11:15~13:12 10000人
県岐 阜商8-3花咲 徳栄 13:45~15:35  9000人

2014年(40歳)・・・社会人初のバースデーイブ雨天中止も温かい空気に包まれ40代スタート
八学 光星9-5 横 浜  09:03~11:28 20000人
福知山成美12-0神村 学園 12:00~13:53 22000人
履 正 社7x-6駒大苫小牧 14:27~16:49 32000人 逆転サヨナラゲーム

2015年(41歳)・・・41才の春だから快晴のスタートで門出を飾る
 静 岡 4-2木更津総合 09:03~11:18 15000人
敦賀 気比2-1仙台 育英 11:54~13:26 28000人
浦和 学院5-1大 曲 工 14:01~15:46 23000人

2016年(42歳)・・・永久も半ばを過ぎて・・・雨雲から逃げ切り成功
秀 岳 館16-0南 陽 工 09:02~11:25 21000人
高 松 商5-1創志 学園 12:03~13:59 41000人
 海 星 2-1敦賀 気比 14:35~16:28 22000人

2017年(43歳)・・・清宮フィーバー大観衆の祝福?!15年連続バースデーセンバツ観戦
秀 岳 館3-2作新 学院 09:02~11:25 30000人
東海大福岡11-8早稲 田実 11:37~13:47 43000人
大阪 桐蔭11-8 静 岡  14:21~16:39 41000人

2018年(44歳)・・・2年連続快晴 史上最高の暖かさで桜満開
東海大相模12-2聖光 学院 09:03~11:00 14000人
国学院栃木9-5延岡 学園 11:36~13:33 15000人
明秀 日立10-1 高 知  14:09~16:22 11000人

2019年(45歳)・・・3年連続快晴 明石商と啓新の快勝で4度目の記念祭最高のスタートダッシュ
明 石 商7-1国 士 舘 09:03~11:16 21000人
 大 分 4-1松山 聖陵 11:51~13:41 22000人
 啓 新 5-3桐蔭 学園 14:16~16:23 26000人

2020年(46歳)・・・新型コロナウイルスに18年連続バースデーセンバツ観戦の夢、断たれる

2021年(47歳)・・・コロナに泣いた球春から1年 2年ぶりの幸せを 3塁特別指定席から観戦
智弁 学園5-2広島 新庄 09:01~11:02 9000人
東海大菅生5x-4京都 国際 11:42~13:43 8500人 逆転サヨナラゲーム
中京大中京15-5常総 学院 14:21~16:39 8000人

2022年(48歳)・・・史上初のバースデー休養日~雨の恩恵 27度目はたなぼた甲子園
 星 稜 6-2大垣 日大 09:01~11:10 13000人
市和 歌山2x-1明秀 日立 11:43~13:36 12000人 サヨナラゲーム

2023年(49歳)・・・2日間雨天順延で史上初のバースデーセンバツ準々決勝の夢と20年ぶり4試合観戦がフイに
山梨 学院7-1  光   09:01~10:55   9000人
専大 松戸6-4 高 知  11:28~13:32  17000人
 広 陵 3-2 海 星  14:02~16:08  13000人

2024年(50歳)・・・2日間雨天順延と前日1試合延期の影響で、20年ぶり5度目の4試合日&18年ぶり8度目のナイター観戦

中央 学院7-6宇治山田商 08:33~10:42   4000人 
青森 山田6xー5 広 陵  11:18~13:51  13000人 延長10回タイブレークサヨナラゲーム
大阪 桐蔭4-2神村 学園 14:25~16:23  20000人
報徳 学園6-1常総 学院 16:55~19:21  18000人

2025年(51歳)・・・史上初のバースデー休養日のため、和歌山市内レンタサイクル観光

過去29回中8回もナイター観戦できておりますし、延長6試合サヨナラゲーム14試合と感動のドラマがありました。今年はどんな試合が観れるのか今から楽しみです!!

📝【センバツ甲子園】21世紀枠は必要か? 25連敗の現実と揺れる評価…その先に示す“新たな選考方法”
https://news.yahoo.co.jp/articles/3e748e5d7f4a5f2fb941db258466c8893a194965?page=1
春の甲子園で、またも繰り返された“21世紀枠の初戦敗退”。結果が伴わない現状を受け、制度の是非を巡る議論は大きく揺れている。果たしてこの特別枠は必要なのか――賛否が分かれる中、新たな選考の形を模索する。

21世紀枠は必要か? 続く敗戦と揺れる評価
 
第98回選抜高等学校野球大会(以下、センバツ)は1回戦の16試合が終了。再試合などがなければ、決勝まで残り15試合が行われる。春連覇を目指した横浜(神奈川)、夏春連覇を狙った沖縄尚学(沖縄)の2校が初戦で敗退する波乱はあったが、他の有力校は軒並み、順調に初戦を突破している。そんな中、21世紀枠で選出された2校が今年も早々と初戦で姿を消した。

21世紀枠に“新たな選考方式”を提案
 
まず、例年12月に地区候補として9校が選出されるが、北海道・東北で1校として計8校を選ぶ。その8校を東西で分け、センバツ直前の3月、練習試合が解禁された後に、近隣地区で“予選”を実施。東西で勝ち上がった2校がセンバツに出場するというものだ。

具体的には、東は北海道/東北と東京/関東、東海と北信越がそれぞれ初戦で対戦。その勝者が21世紀枠を懸けて争う。西は近畿、中国、四国、九州の4地区の候補校で争い、予選で2勝したチームが2つ目の21世紀枠を勝ち取るということになる。

センバツの直前に“予選”を実施することで、ある程度の実力が担保され、試合勘を取り戻すこともできるだろう。当該2校に関しては、“センバツ”ではなくなってしまうが、本大会で惨敗する可能性は軽減できるだろう。21世紀はすでに四半世紀が過ぎた。そろそろこの制度について、新たな在り方を考える時期に来ているのではないだろうか。

21世紀枠とは、第73回大会(2001年)から導入されているセンバツ独自の制度で、「ハンデを乗り越えて奮闘した学校」に甲子園への切符が与えられている。当初、2校からスタートした出場枠は、2008年から3校に。最大で4校が選出された年もあったが、2024年以降は再び2校に落ち着いている。
しかし、実力不足の高校が21世紀枠で選ばれるケースも少なくなく、21世紀枠同士による直接対決を除くと、2015年に松山東(愛媛)が勝利したのを最後に目下25連敗中。今年は長崎西(長崎)が滋賀学園(滋賀)と接戦を演じたものの4-5で惜敗。もう1校の高知農(高知)は日本文理(新潟)に1-8で完敗を喫した。

21世紀枠で選ばれた高校がなかなか勝てない現状に、SNSでは肯定派と否定派の意見が真っ二つに分かれている。

「もう役目を終えたような気がする」「人生をかけて甲子園を目指している高校球児の出場枠を削ってまでやるべきじゃない」といった反対の声がある一方で、「本来注目されていなかった高校や選手に目が向いてくれるこの制度は大切にしてもらいたい」「少なからずその後の甲子園出場に繋がった事例もあるから続けた方がいい」など意義があるとして、同制度を推す声も聞かれる。

そこで、制度の存続ありきで新たな提案をしてみたい。

21世紀枠に“新たな選考方式”を提案
 
まず、例年12月に地区候補として9校が選出されるが、北海道・東北で1校として計8校を選ぶ。その8校を東西で分け、センバツ直前の3月、練習試合が解禁された後に、近隣地区で“予選”を実施。東西で勝ち上がった2校がセンバツに出場するというものだ。

具体的には、東は北海道/東北と東京/関東、東海と北信越がそれぞれ初戦で対戦。その勝者が21世紀枠を懸けて争う。西は近畿、中国、四国、九州の4地区の候補校で争い、予選で2勝したチームが2つ目の21世紀枠を勝ち取るということになる。

センバツの直前に“予選”を実施することで、ある程度の実力が担保され、試合勘を取り戻すこともできるだろう。当該2校に関しては、“センバツ”ではなくなってしまうが、本大会で惨敗する可能性は軽減できるだろう。

21世紀はすでに四半世紀が過ぎた。そろそろこの制度について、新たな在り方を考える時期に来ているのではないだろうか。

🎤【馬淵史郎 我が道24】忘れられない野球人 携帯の「上甲正典」は消せない
https://news.yahoo.co.jp/articles/1b150df6fb70be3c572e0fe0b3e5dd73c3e74c2c

長い監督人生で、いろんな人との出会いがあった。お世話になった人、教えていただいた人、挙げればきりがないが、宇和島東と済美(ともに愛媛)で監督をされた上甲正典さんは、その中でも忘れられない野球人だ。

俺も愛媛の八幡浜の出身。海を見て育ったという共通点もあった。三瓶高校の選手だったころは、もう宇和島東でコーチをされていた。87年(昭62)から明徳義塾でコーチとなったころから、上甲さんにお願いして練習試合を組んでもらった。そのころから目指す監督であり、頼れる兄貴であり、仲のいい兄弟分という関係だった。
練習試合だったら100試合前後はやったはず。平井正史(元オリックス、中日)がいたころは何度やっても勝てなかったな。上甲さんは松山商に勝つチームを目指して、ど真ん中に投げても三振が取れる投手、ボール球でも本塁打にできる打者をイメージして、徹底的にパワー野球に向かっていた。

その情熱に教えられることが本当に多かった。トータルでは明徳義塾は練習試合の9割方は勝っていたと思う。負けるのが本当に嫌いな監督だった。明徳義塾が勝っていたら「これで終わり。さあ第2試合や」と途中でやり直しとなる展開も、珍しいことではなかった。わざわざ夜に電話をしてくることもあった。明徳義塾がまだ練習をしているのか確認するためだった。電話の後ろから、カンカンと打撃練習をする音が響いていた。

勝利に対する執念は人一倍で、頭も働く人だった。宇和島東のボート部がエルゴメーターという全身を鍛えるトレーニング機器を使っているのを見て「これはいい」といち早く採用していた。一方で新しいものを取り入れて、効果がないと分かったら、すぐに切り替えた。勝つためなら、朝令暮改もOKという姿勢だった。

済美の監督として選抜で初出場初優勝した04年(平16)の準決勝で明徳義塾が対戦した。その前の晩だ。「メシ行かんか」と電話がかかってきた。焼き肉を食べたら、今度は「サウナ行こう」と来た。翌日が準決勝。早めに切り上げようとしたら、「先発は誰や」と聞いてきた。いやあ困った。何度も何度も聞かれた。それが上甲さんの執念。試合も6―7で負けた。これが甲子園で最初で最後の対戦になった。

8歳年上の上甲さんは14年(平26)9月2日に胆管がんのため、67歳で亡くなった。薬剤師の資格も持っていて、健康には気をつけていたのにな。娘さんから連絡を受けて、亡くなる前に見舞いをしたことが忘れられない。「また来るからはよう治しよ」と言ったら、背中を向けたまま手を振った。顔を見ようとしなかった。あの別れがつらかった。携帯の「上甲正典」はまだ消していない。これからも消すことはできないな。
2026/03/26(木) 22時02分54秒 No.2347 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(2回戦)
7日目第1試合 智弁学園(奈良)-神村学園(鹿児島) 9:02~11:27
          一二三四五六七八九十計HE
      智弁学園0000000101291
      神村学園1000000000142

7日目第2試合 花咲徳栄(埼玉)-日本文理(新潟) 11:59~14:17
          一二三四五六七八九十計HE
      花咲徳栄004700060 17140
      日本文理000000000 025

7日目第3試合 専大松戸(千葉)-九州国際大付(福岡) 雨天中止
          一二三四五六七八九十計HE

⚾明日のセンバツ甲子園組み合わせ(8日目 2回戦)
  ☆ 08:30~ 大垣 日大(岐 阜)-山梨 学院(山 梨)
    11:00~  東 北 (宮 城)- 英 明 (香 川)
☆☆☆ 13:30~  三 重 (三 重)-大阪 桐蔭(大 阪)
 ☆☆ 16:00~ 専大 松戸(千 葉)-九州国際付(福 岡)

📝僕のタイブレーク球場観戦歴
① 15年 4月25日 佐藤薬品S  畝 傍 9-3奈良 大付(13回) 先攻勝利
② 15年 5月31日 倉敷 MS 創志 学園4-2松 江 商(13回) 先攻勝利
③ 18年 8月 6日 甲 子 園 佐久 長聖5-4旭 川 大(14回) 先攻勝利
④ 18年 8月12日 甲 子 園  済 美 13‐11 星 稜 (13回) 後攻勝利
⑤ 18年10月 3日 福井 県営  近 江 13‐12日 大 三(10回) 後攻勝利 (国体)
⑥ 18年10月13日 明石 トーカロ 報徳 学園3-2  社  (13回) 先攻勝利
⑦ 19年 5月 6日 皇 子 山 彦 根 東8-7 綾 羽 (13回) 後攻勝利
⑧ 19年10月26日 コカコーラ  矢 上 6-3 盈 進 (13回) 先攻勝利
⑨ 21年 7月23日 紀三 井寺 智弁和歌山3-2初芝 橋本(13回) 後攻勝利
⑩ 22年 3月20日 甲 子 園  近 江 6-2長崎 日大(13回) 先攻勝利
⑪ 22年 3月25日 甲 子 園 金光 大阪4-3木更津総合(13回) 後攻勝利
⑫ 22年 4月 9日 シティ 信金S 奈良学園大4-2神 戸 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑬ 22年10月 2日 ウイ ンク   社  4-2 育 英 (13回) 先攻勝利
⑭ 22年10月15日 倉敷 MS 周南公立大3-1環太平洋大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑮ 22年10月15日 倉敷 MS 東 亜 大2-1吉備国際大(10回) 後攻勝利 (大学)
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⑯ 23年 3月28日 甲 子 園 報徳 学園5-4 東 邦 (10回) 後攻勝利
⑰ 23年 3月29日 甲 子 園 報徳 学園5-4仙台 育英(10回) 後攻勝利
⑱ 23年 4月16日 ダイムS伊勢 皇 學 館4ー3昴 学 園(10回) 後攻勝利
⑲ 23年 5月 1日 HMF神戸 関西国際大5-2天 理 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑳ 23年 5月13日 わかさ京都 京都 国際2-1龍谷大平安(10回) 後攻勝利
㉑ 23年 7月17日  浜 山  出 雲 工9-8 安 来 (10回) 後攻勝利
㉒ 23年 7月28日 紀三 井寺 市和 歌山5-4和歌 山北(11回) 後攻勝利
㉓ 23年 8月 6日 甲 子 園 土浦 日大8-3上 田 西(10回) 先攻勝利
㉔ 23年 8月13日 甲 子 園  山 陽 4-3大垣 日大(10回) 後攻勝利
㉕ 23年 8月16日 甲 子 園  慶 応 6-3 広 陵 (10回) 先攻勝利
㉖ 23年 8月26日 紀三 井寺  那 賀 6-2 桐 蔭 (10回) 先攻勝利
㉗ 23年 9月10日 G7スタジアム  彩星 工科4-3篠山 鳳鳴(10回) 後攻勝利
㉘ 23年10月15日 福井フェニックス 敦賀 気比11-5帝京 長岡(10回) 先攻勝利
㉙ 23年10月22日 シティ信金 京都 国際3-2 田 辺 (10回) 後攻勝利
㉚ 23年10月22日 シティ信金 京都外大西7-5彦根 総合(10回) 先攻勝利
㉛ 24年 3月18日 甲 子 園 八学 光星5-3関 東 一(11回) 先攻勝利
㉜ 24年 3月18日 甲 子 園 熊本 国府2-1 近 江 (10回) 後攻勝利
㉝ 24年 3月22日 甲 子 園 報徳 学園3-2愛工大名電(10回) 後攻勝利
㉞ 24年 3月27日 甲 子 園 青森 山田6-5 広 陵 (10回) 後攻勝利
㉟ 24年 4月27日 紀三 井寺 市和 歌山6-3 田 辺 (10回) 先攻勝利
㊱ 24年 4月29日 ウイ ンク 須磨 翔風5-3神戸学院付(11回) 先攻勝利
㊲ 24年 5月 3日 HMF神戸 大阪体育大6-5甲 南 大(10回) 先攻勝利(大学)
㊳ 24年 5月 6日 マイネット皇子山 八 幡 商3-2比 叡 山(10回) 先攻勝利
㊴ 24年 5月19日 長 良 川  菰 野 6-5県岐 阜商(10回) 先攻勝利
㊵ 24年 7月22日 紀三 井寺  田 辺 9-8新宮/新翔(10回) 後攻勝利
㊶ 24年 8月 7日 甲 子 園 智弁 学園9-6岐阜 城北(11回) 先攻勝利
㊷ 24年 8月17日 甲 子 園  大 社 3-2早稲 田実(11回) 後攻勝利
㊸ 24年 9月 8日  高 砂  神 戸 一6-5 滝 川 (11回) 先攻勝利
㊹ 24年 9月28日 明石 トーカロ 東洋大姫路10-4神戸国際付(10回) 先攻勝利
㊺ 24年10月27日  浜 山  米子 松蔭4-3 盈 進 (11回) 後攻勝利
㊻ 24年11月 9日 甲賀 市民  河 南 3ー2 天 理 (11回) 後攻勝利(軟式)

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㊼ 25年 3月18日 甲 子 園 健大 高崎3-1明徳 義塾(10回) 先攻勝利
㊽ 25年 3月26日 甲 子 園 浦 和 実12-4聖光 学院(10回) 先攻勝利
㊾ 25年 4月26日 岡山 県営 福 山 大7-4川崎医療大(10回) 後攻勝利(大学)
㊿ 25年 4月27日 ウイ ンク 明 石 商5-4神戸学院付(10回) 先攻勝利
51 25年 5月11日 GOSANDO   履 正 社4-2関大 北陽(11回) 先攻勝利
52 25年 6月 1日 倉敷 MS 創志 学園2-1岡山 東商(10回) 先攻勝利
53 25年 7月 6日 わかさ京都  京都 文教9-8京都すばる(10回) 後攻勝利
54 25年 8月 6日 甲 子 園  開 星 6-5宮 崎 商(10回) 後攻勝利
55 25年 8月 7日 甲 子 園 津田 学園5-4 叡 明  (12回)後攻勝利
56 25年 8月 9日 甲 子 園 佐 賀 北5-4青藍 泰斗(10回) 後攻勝利
57 25年 8月24日 紀三 井寺  向 陽 8-7 海 南 (10回) 後攻勝利
58 25年10月 6日 わかさ京都 龍谷大平安2-1 乙 訓 (11回) 後攻勝利
59 25年11月15日 ウイ ンク  天 理 2-1あべの翔学(10回) 先攻勝利(軟式)

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60 26年 3月19日 甲 子 園 八学 光星15-6 崇 徳 (10回) 先攻勝利
61 26年 3月25日 甲 子 園 智弁 学園2-1神村 学園(10回) 先攻勝利

💢天候不良で第3試合は今大会初の中止 SNS上では「このグラウンドならしょうがない」「福岡と千葉の応援団はどうするのか」と心配する声も
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5d565ad3e1738973720500fea3d5e8cbcf5653a

第98回センバツ高校野球大会は25日、天候不良のため第3試合に予定されていた2回戦の専大松戸(千葉)対九州国際大付(福岡)が中止に。大会第8日の26日の第4試合に組み込まれた。この日は第2試合の途中から雨が降り、グラウンドに砂が入れられる措置が取られていた。26日は、第1試合の開始が30分早まり、午前8時30分となる。

第2試合を終え、第3試合が中止されることがアナウンスされると、観客は納得した様子で足早に引き揚げた。敗れた日本文理(新潟)ナインがグラウンドを後にすると、銀傘の下に退避した観客からは温かい拍手が送られていた。

SNSでは「このグラウンドならしょうがない」「第2試合の試合中から雨ひどかったから仕方ないかな」「さすがにこの雨だと今日のセンバツ第3試合中止だよな」など同情する声も多くあったが、「(第3試合の)福岡と千葉の応援団はどうするのだろうか」と応援団を心配する声も寄せられた。

💢甲子園経験の野球部で暴力 長野の東京都市大塩尻高
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ae8fb9ba6868c415db5c24fc7e38ad51b44111e

夏の甲子園に出場経験がある東京都市大塩尻高の硬式野球部で、2年生が1年生をベルトでたたいていたことが25日、学校への取材でわかった。学校は「不適切な行為で、重く受け止めている」としており、加害生徒に指導した上で県高校野球連盟に報告した。

学校によると、2月に学生寮の一室で、2年生2人が1年生4人を上半身裸にさせ、ベルトで複数回たたいた。室内には他の2年生2人もいた。第三者から通報を受け、関係する生徒と保護者に聞き取りをした。担当者は取材に「8人は普段から仲がよかった。悪ふざけの延長だった」と説明。被害生徒がけがをしたかどうかは明らかにしなかった。

同高は2011年に夏の甲子園に出場した。

✌英明 粘り野球のパワーの秘密は〝セルフうどん〟 冬場の昼食はうどん作り
https://news.yahoo.co.jp/articles/923ebca42df4561cd8f1942ce5af7bfd80412261

第98回選抜高校野球大会の第5日(23日、甲子園)第2試合で英明(香川)が高川学園(山口)に5―3で勝利し、2回戦進出を決めた。

エース左腕の冨岡(3年)が9回に2点差に迫られながらも6安打3失点で完投し、144球を投げ抜いた。打線は4回に矢野(2年)、榎本(2年)の連続適時打などで3点を先制。試合中盤の強い雨の影響で失策が続く場面もあったが、5回、8回と追加点を挙げ、リードを守り切った。

香川監督は「天候やエラーが続いて雰囲気が(変わる)そういうムードになりますから、よく辛抱してよく守ったと思います。冨岡はいろんなことが起きても淡々と投げることができる。エースらしくなってきた」と目を細めた。

粘り野球のパワーの秘密は〝セルフうどん〟にある。香川と言えば「うどん県」としても知られる讃岐うどんの本場。ナインも幼少期から食の源としているが、選手の一人は「みんな学校の食堂で自分でうどんをゆがいて食べています」と明かす。
冬場の練習日の昼食時間は学校内の食堂に集合し、それぞれが自分のうどん作りに専念する。わかめ、かまぼこ、レンコン、ナス、しょうがなどトッピングも豊富だそうで「昼ごはんはだいたいうどんと日替わりのどんぶりです。みんなゆでるの、めっちゃうまいです」と得意げに笑った。

讃岐うどんはモチモチとした食感とコシが特徴。香川では注文した麺を自分でゆがいて湯切りし、だしを注いで薬味も自由にトッピングするセルフスタイルのうどん屋が主流。ナインも昼食時には手慣れた手つきで仕上げ、アツアツをすするというわけだ。

ピンチをはね返す弾力と粘りでつかんだ1勝。讃岐パワーでさらなる上位進出を狙う。

🎤2026年春のセンバツ 監督突撃インタビュー
「遅刻横行」「新入生は練習禁止」…かつての神村学園を変えた小田監督が語った指揮官の矜持
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/385605

小田大介監督(神村学園/43歳)

25日は初戦で優勝候補の一角である横浜(神奈川)を倒した神村学園(鹿児島)が智弁学園(奈良)と対戦する。チームを率いる小田監督は2013年7月に就任。当初は「子どもたちの遅刻は当たり前だった」と話す同監督を直撃した。

──初戦で強敵の横浜を破りました。

「息つく暇もない試合展開でした。ただ、DHを使ったおかげで、先発の龍頭(3年)が力を発揮してくれた。打席に入ると、どうしてもマウンドのことがおろそかになりやすいですから」

──小田監督が就任した当初の野球部は、雰囲気が緩かったそうですね。

「就任前から野球部関係の方から『こんな感じのチームです』と言われ、えっ? と驚きました。実際に練習に遅刻する子もいて、部員も『これが当たり前なんで』という感じだったんです。それでいて、新入生は入部してしばらくはボール拾いなどの雑用ばかりで、練習禁止なんてルールもあった。すぐに『1年生も練習しろ!』と言いましたよ」

──どのようにチームを強化していったのですか?

「僕は2つの『目』を大事にしています。ひとつは『目標』。甲子園に出たいとか優勝したいとか、プロ野球選手になりたい、などですね。これはしっかり設定しなければいけない。そして『目的』です。野球をする最大の目的は人間形成、そのために必要なのが日常生活をおろそかにしないことです。長嶋茂雄さんが以前、『野球とは人生そのもの』と話していたことがあった。僕も若い時は『何のことだよ』と思っていましたが、色々と本を読んだり学んだりすると、『野球は日常生活が出るスポーツ』と気付いたんです。グラウンドは日常生活を映す鏡。監督の目は誤魔化せても、プレーは誤魔化せない」

──具体的にどういうことですか?

「野球は直感が大事じゃないですか。例えば、風向きが変わったことに気付けば、守備位置を変えられる。相手の普段とは違う動作に気付いたら、何かサインが出ているのでは、仕掛けてくるのではとピーンときて、警戒もできる。こうしたことは日常生活で五感を大事にし、養ってこそ磨かれる。だから日ごろから当たり前のことを当たり前にやる。(帽子の横の刺繍を見せて)ここにも凡事徹底って書いてあるでしょ? これが就任当初から貫いている僕の信念です。まあ、理屈で説明するのは難しいですが……」

──以前、一軍の練習試合中、二軍の選手たちを説教していたこともあったそうですね。

「そういえば、そんな記憶もありますね。誰かに何かを伝えることは、言うタイミングも大事なんです。その時、その場でなくては意味がないこともある。たとえ試合中でも、です。でも、その時は一軍をほったらかしにしていたわけじゃありませんよ。試合も大事なので、そっちも見ながら『お前、何やってんだ!』と声を飛ばして、二軍のこっちも注意しつつ……。そんな感じだったのを覚えていますね」

──それでも中には「野球さえ上手ければ日常生活なんて……」という子もいませんか?

「いますけど、それで社会に出て一番困るのは自分です。卒業して5年10年経って、『監督が言っていたのはこれか』と気付いてくれたら、それでもいい。それが僕の仕事でもある。もちろん、今気付くのが一番ですけど、僕だって学生時代は日常生活の大切さなどは理解していませんでしたからね」

──厳しい監督と言われませんか?

「(通りがかった部員に)おい、監督厳しいか?」

部員「はい、愛のある厳しさだと思います」

「よう言うわ(笑)。できた回答やなあ。いい回答ありがとう(笑)。でも、実際厳しいと思いますよ。誰でもそう言うと思います。当たり前のことを当たり前にやらないことには厳しくします」

──練習時間も相当長いのでは?

「午後3時過ぎから、3時間くらいですね。それから食事、点呼、掃除。夜の8時過ぎから9時半くらいまで夜間の課題練習をします」

──課題練習とは。

「自分で自分の今やらなくてはいけないことを探し出し、その練習をする。だから全員、練習内容は違います。僕やコーチは基本、あれをやれと指示はしません。自分で自分をコーチングし、課題を与えることが大切なんです。重要なのは自主性と主体性。自主性とは『誰かに言われてから、自分で考えること』で、主体性は『誰かに言われなくても、自分で考えてやること』です。中には楽なことや、自分がしたい練習をする子もいます。でも、それは自分勝手。厳しく指導してくれる人が減った現代だからこそ、自分で考えて動き、自分で自分に厳しくする必要がある」

──見当違いの練習をする子にはどう対応するのですか?

「例えば明らかに守備が課題なのに打撃練習をする子には『なんでその練習をしているの?』と聞きます。向こうも色々と理由を言ってきますが、『でも、今日も守備ができなかったよな?』と。そうやってある程度は誘導し、また1週間ほど黙って様子を見ます」

🎤専大松戸の名将・持丸監督 九国大付戦が天候不良で延期に「50年間で初めてです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/bafbab2e10162b8547465076ac566ebc54a5fa35

第98回選抜高校野球大会第7日(25日)第3試合は九州国際大付(福岡)と専大松戸(千葉)の2回戦が予定されていたが、天候不良のため中止に。明日第8日(26日)16時からの第4試合に延期となった。

専大松戸の持丸修一監督(77)は「ここに来たからには、ちゃんとしたグラウンドで野球をやらせてあげたい」と選手を思いやりつつ「明日の4試合目ということで、余裕があるので戦術をもう少しゆっくり考えて出直そうかな」と説明。「自分のできる限りの力を出して、選手たちには思いっきり戦ってもらえれば」と意気込んだ。

専大松戸だけでなく、これまでに竜ケ崎一、藤代、常総学院(すべて茨城)の3校を甲子園へ導いた名将だが、「延期は50年間で初めてです」と明かす。「(監督人生の)新たな1ページ、勝ったでも負けたでもなく帰るっていうね」と笑顔を見せた。

☝三重高ナインにエール 気合入れ応援席鼓舞 応援団長の奥谷君が奮闘
https://news.yahoo.co.jp/articles/fcf41f344e329fb6e16122e7077266fc8e7189ce

23日に兵庫県の阪神甲子園球場で行われた第98回選抜高校野球選手権大会の三重高(三重県)対佐野日大(栃木県)の一戦。同校にとって〝晴れの舞台〟で輝いたのはナインだけではなかった。アルプススタンドでは応援団長として、三重県松阪市宝塚町の奥谷将大君(3年)が奮闘した。

8年ぶりの春の甲子園出場となった三重高。佐野日大との初戦には、在校生、保護者、OBら総勢約400人が駆け付け、アルプス席を埋めた。その最前線で声を張り上げ、周りを鼓舞し、応援を盛り上げたのが奥谷君だった。
 
奥谷君は弓道部と演劇部、人権サークルフレンズ部に所属しながら生徒会長を務めるなど努力家で、多忙な学校生活を送っていた昨春、応援部の顧問から入部の誘いを受けた。生徒会長として、全国の舞台に挑む選手らへ激励を行う中で入部を快諾した。入部後はOBらの指導を受けながらパフォーマンス技術を磨いた。指先の動きにまで意識を行き届かせ、全身で表現する応援を追求した。
しかし、最近まで奥谷君だけの〝一人応援部〟だった。それでもセンバツ激励会で全力のパフォーマンスを披露し、ナインの背中を押した。この姿に感銘を受けた2人が入部を希望し、大会開幕前に3人体制になった。
 
大会初戦となったこの日も奥谷君はアルプススタンドで気合の入ったパフォーマンスを披露し、応援をリード。入部したばかりの2人もこれに続いた。試合は2─0で勝利。ほかの生徒らと喜びを分かち合った。
 
奥谷君は「大きな声でみんなを支え、選手の皆さんに届くように応援をし続けたい。次戦の大阪桐蔭は8年前の前回大会では準決勝で敗れた相手。だからこそ三重が勝てるよう、しっかりエールを送りたい」と力強く語った。三重高はあす26日の第3試合(午後1時半予定)で、大阪桐蔭(大阪府)との2回戦に挑む。
2026/03/25(水) 22時18分28秒 No.2346 編集 削除
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お知らせ

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⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(1・2回戦)
6日目第1試合 熊本工(熊本)-大阪桐蔭(大阪) 9:01~11:19
          一二三四五六七八九十計HE
      大阪桐蔭100000021 471
      熊 本 工000000000 031

6日目第2試合 帝京(東京)-中京大中京(愛知) 11:52~14:16
          一二三四五六七八九十計HE
      中  京00112000059161
      帝  京0000400000471

6日目第3試合 滋賀学園(滋賀)-八戸学院光星(青森) 14:49~16:47
          一二三四五六七八九十計HE
      滋賀学園001102000 481
      八学光星01110101X 581

⚾明日のセンバツ甲子園組み合わせ(7日目 2回戦)
☆☆☆ 09:00~ 神村 学園(鹿児島)-智弁 学園(奈 良)
    11:30~ 花咲 徳栄(埼 玉)-日本 文理(新 潟)
 ☆☆ 14:00~ 専大 松戸(千 葉)-九州国際付(福 岡)

📝甲子園優勝からガラリ低迷…崇徳は“なぜ強くなった”のか? 広島の私立、専用球場、寮の完成…崇徳OB・山崎隆造が証言する、他界した“ある熱血監督”の話
https://news.yahoo.co.jp/articles/b77fc774878b28b4dda986bed17f8a4991f10b96?page=1

崇徳の監督に就任した経緯について應武(おうたけ)篤良は生前、「OB会長が監督に……っておかしいでしょ!」と私に漏らしていた。しかし、それは本音ではなかったかもしれない。 現監督の藤本誠の証言だ。

「早稲田(の監督)を終わられてからかな。『崇徳に戻る準備をするから』と、ずっと言われてました」

應武と同学年で、広島カープで活躍した山崎隆造もその意思を感じ取っていた。

「本人から直接聞いていたわけではないですけど、OB会長になった時点で、監督になるんだろうなと思っていましたよ。母校を再び甲子園にという思いが強かったので」

應武は早稲田大監督としてのラストシーズンとなった2010年秋、斎藤佑樹(元・日本ハム)らを擁して明治神宮大会優勝という最高のフィナーレを飾った。勇退直後に、複数の高校、大学から監督就任の話があった。それらのオファーをすべて断りながら、最終的に母校の監督に就いた。

空気変えた熱血監督、64歳で他界
 
應武は乗り気ではなかったのか。それとも、心のどこかで望んでいたのか。その真偽を確認する術は、今や存在しない。ただ、断言できるのは、「監督・應武篤良」が、崇徳野球部再興の足掛かりとして最善手であったことだ。人や組織を動かすものは何か。利害関係もあるだろうが、最後は“熱意”だろう。

應武が監督に就任して、「それまでは集まることも少なかった」という山崎らセンバツVメンバーが昂った。それに後輩たちも続き、OB会全体で現役を支援する機運が高まった。
環境面も大きく改善した。2021年、地元銀行の福利厚生施設だった運動場を学校が買い上げ、野球部専用グラウンドとして整備した。学校から自転車で20分程度の距離にあり、平日も使用できる。山崎が感慨を込める。

「理事長が、ものすごく野球部に対して理解を示してくださった。間違いなく應武が持ってきてくれた流れですよ」

グラウンドの完成から1年が経った、2022年の9月7日。應武は、64歳の若さでこの世を去った。甲子園出場は叶わなかった。志半ばで亡くなった盟友を山崎が偲ぶ。

「絶対にグラウンドに戻る、と」

「体が悪くなっても、最後の最後まで前向きでした。『絶対にグラウンドに戻る』と言い続けていました」

部長だった藤本誠は、應武の後任として再び監督に就任した。

「應武監督と一緒にやらせていただいて、価値観が変わりました。野球観、人生観。本当にあらゆる面で。だから、自分が目指すのは『應武野球』で勝つことなんです」

闘将の遺志を継ぐ。そのまたとない機会が訪れた。学校が創立150周年のメモリアルイヤーを迎えた、昨夏である。主将の石丸琉心(大阪ガス)ら、好選手が集った“勝負の世代”だった。

専用球場につづき寮も完成…
 
2024年には同じ敷地内にあった研修施設を改装した専用寮が完成。以前は自宅から通っていた選手も入寮し、全体練習後も寮で食事を摂った後にグラウンドに戻って自主練習ができる環境が整った。
さらに指導者陣の充実も図った。広島カープでプレーした岩見優輝が、2024年から投手コーチに就任した。熊本工のエースとして3年春夏の甲子園に出場し、藤本と同じ亜細亜大出身の岩見は、“外様”として忌憚のない視点から、崇徳の改善点を探した。

「最後の夏の甲子園から50年近く経って、春も30年以上遠ざかっている。この状況から甲子園に行くのは、初出場より難しいと思いました。何かを大きく変えないといけないので」

岩見の見出した「変えるべき何か」は、選手たちの練習に取り組む姿勢だったという。

「僕が来てすぐのときは、選手同士で雑談しながらアップをやっていたんです。そういうのは一切許さないようにして。寮監督もしているので、グラウンドと寮生活での態度を一から見直していきました」

指導体制や練習環境が変わる以前、広島県内のある指導者は「崇徳は選手を大人として扱うからね」と評した。

高校生を分別のある大人として扱い、自主性を尊重する。その風土から自分で考える姿勢が養われた結果、自主性が求められる大学以降で力を伸ばす。山崎らセンバツVメンバー以降にも、井上晴哉(元・ロッテ)ら7人のOBが大学や社会人経由でプロ入りできたのは、この恩恵もあるだろう。一方で、自主性は扱いを間違えれば隙を生む。甲子園を知る岩見は、そこに勝ち切れない要因があると捉えた。

勝負の代だった…昨夏の結果
 
監督の藤本は手応えを感じていた。昨夏の広島大会、準決勝まで危なげなく勝ち上がり、19年ぶりに決勝へ進出。3連覇を狙う広陵との頂上決戦に臨んだ。

2年生エース左腕の徳丸凜空と、相手の主戦格だった本格派右腕の堀田昂佑が、互いに譲らない投げ合いを見せ、崇徳の1点リードのまま9回に突入した。あと1イニングしのげば、49年ぶりの夏の甲子園出場。関係者の誰もが祈るように見つめたが、結末は残酷だった。
2死二塁から、相手エースの堀田が左翼手の頭上を越える同点二塁打を放ち、延長10回タイブレークの末に1-2で競り負けた。堀田に同点打を浴びたのは、内角に投じた初球の直球。敗戦から半年が経とうとする今も、この場面について、藤本の自問自答が続く。

「それまでの3打席、インコースで抑えられていたので、自分がキャッチャーでもそこを攻めていたと思います。でも、初球でなく、変化球で入ってから、勝負球として使うべきだったのか。それ以前に、あそこで堀田君と勝負すべきだったのか。何が正解だったのか、ずっと考えています」

失意の崇徳にあって、好材料があったとすれば、広陵に手痛い一打を浴びたバッテリーが2年生だったことだ。

甲子園出場を決めた日
 
エースの徳丸は、夏の1球を心に刻み、秋は「最後のアウトを取るまで、気を緩めないように」と、左腕を振った。秋の広島大会決勝では、再び広陵に苦杯をなめたが、中国大会では4試合を一人で投げ抜き、33回をわずか1失点にまとめた。高川学園との決勝でも、主将で捕手の新村瑠聖のミットに鬼気迫る表情で投げ続け、チームを33年ぶりの頂点に導いた。左投手として師弟関係にある岩見も、徳丸の力投を称える。

「ボール自体は夏の方がよかったとは思うんです。秋は夏の疲れもある中で、いい意味での抜き方、メリハリを覚えてくれたかなと。強くなりましたね。夏の経験が生きていると思います」

チームをひも解くと、徳丸らの学年の入学と同時に専用寮が完成。入学直後から心技体を鍛え抜かれた選手たちが、とうとう殻を破ったと言える。ここに至るまでの道のりを知る同校OB山崎隆造の喜びもひとしおだ。

「昔は同級生と、『オレらが生きている内に甲子園はないかもしれない』とまで言っていましたからね。うれしいですよ。この前、高校の同期と集まったんです。10人来たかな。應武が戻ってくるまで疎遠になっていたので、縁をよみがえらせてくれたという意味でも、應武と後輩たちに感謝ですよ」

センバツ初優勝から50年…変化
 
1976年センバツ初出場初優勝の代は、應武だけでなく、エースだった黒田真二も2020年に鬼籍に入った。12人が存命の優勝時の3年生メンバーは、個性派集団らしく「センバツの応援に行く、行かない」で二転三転している者もいるという。

彼らの優勝は奇跡性があった。山崎ら好選手たちが偶発的に崇徳に集い、恵まれているとは言えない環境にもかかわらず能力を高め、謎多き指揮官である久保和彦の“豪運”までも味方につけ、頂点を極めた。そこから50年後にセンバツに出場するチームには再現性がある。奇跡を起こしたOBたちの情熱的なサポートによって生まれた環境がある。その中心に應武がいた。
母校に携わるようになり、いつのころからか、應武の口癖となった言葉があった。現野球部の横断幕にも掲げられる「ALL崇徳」である。選手、指導者、学校、OB。すべてが一枚岩となることで、強い組織が完成する。

應武の後を継いだ藤本は、監督室にある在りし日の笑顔を収めた遺影を見やったとき、「應武監督が生きておられたら、何を言われるだろうか」と思いを巡らせる。藤本の胸の奥に應武は生きている。

「まだまだ、と言われるでしょうね」 
 
33年ぶりのセンバツ出場については、應武から労いがあるのではないか。私がそう投げかけると、藤本は首を横に振った。「『まだまだじゃな』と言われると思います」この話を山崎に伝えると、「ははっ!」と笑った後、盟友として補足した。

「想像つきますね(笑)。素直に喜ぶと思うんですけど、それだけじゃなく素直にけなしもするというかね。『まだまだ』と言うでしょうね。今回の出場は大きなことだけど、これがゴールではない。あのときに作り切れなかった黄金時代であり、常勝軍団を作るためのスタートに立ったところだよ、と」

2018年夏、生前の應武が、複数の部でごった返した崇徳の校庭の片隅で、熱っぽく語っていた言葉を思い出す。

「校歌が歌えない指導者でいいのかって。本当の情熱がないのに指導ができるのか。自問自答したら、やっぱり母校じゃないとダメだなって」

この春、天国で勝利の校歌を口ずさむ應武の姿が目に浮かんだ。

🎤【馬淵史郎 我が道22】打者ビッグ3外しに賛否両論噴出 10日間で最大9試合というハードな日程
https://news.yahoo.co.jp/articles/d33389181bb11d2c674df92c8fc6053b2feb274f

目標は世界一。23年(令5)のU―18W杯は8月31日から台湾で開幕。前回3位に終わった反省と経験をどう生かすか。明徳義塾と同じく守りを中心にした野球を基本にして、7回制、DH制に対応できるチームの編成に取り組んだ。

 W杯はかつての親善試合とは意味が全く違う。参加国は勝つために、時間も資金も投入して、チームをつくってくる。夏の甲子園で上位に入った学校を中心にしたオールスター的な編成では、真剣勝負の場では通用しない。チームとして適材適所の選手をピックアップすることに主眼を置いた。各地を担当する選考委員にも、自分の考え方をしっかり伝えた。こうしてできたのが23年のチームだ。

監 督 馬淵 史郎(明徳義塾監督)

ヘッド 岩井  隆(花咲徳栄監督)

コーチ 小坂 将商(智弁学園監督)
    比嘉 公也(沖縄尚学監督)

投 手 武田 陸玖(山形中央)
    高橋 煌稀(仙台育英)
    木村 優人(霞ケ浦)
    安田虎汰郎(日大三)
    矢野 海翔(大垣日大)
    中山 優月(智弁学園)
    前田 悠伍(大阪桐蔭)
    森  煌誠(徳島商)
    東恩納 蒼(沖縄尚学)

捕 手 尾形 樹人(仙台育英)
    新妻 恭介(浜松開誠館)
    寺地 隆成(明徳義塾)

内野手 山田 脩也(仙台育英)
    高中 一樹(聖光学院)
    緒方  漣(横浜)
    森田 大翔(履正社)
    小林 隼翔(広陵)

外野手 橋本 航河(仙台育英)
    丸田 湊斗(慶応)
    知花慎之助(沖縄尚学)

前回の経験から、日本が勝機を見いだすためには、投手を中心とした守り、そして走力を最大限生かした緻密な野球の実践にあると判断した。だが、発表すると、賛否両論が噴出した。特にこの年の打者ビッグ3として注目された佐々木麟太郎(花巻東)、真鍋慧(広陵)、佐倉(人ベンに峡の旧字体のツクリ)史朗(九州国際大付)を外したことに関しては、打力不足ではという声も届いた。20人という選手枠で、10日間で最大9試合というハードな日程を乗り切るためには、まず投手が必要。球数制限もあるからなおさらだ。連戦も考えて、投手9人、捕手3人を選ぶと、これで12人。残り8人で内野と外野、そしてDHをまかなう必要がある。

だからこそ、捕手を含めて、野手は複数ポジションを守る能力が必要。そして監督として重視した動ける選手、走力がある選手を優先した。賛否の否の声に対しては、結果で応えるしかない。「全国の野球部員を代表して戦うという誇りをもって臨む」という決意とともに台湾入りした。社会人の阿部企業監督時代から縁のある場所だった。

🎤【馬淵史郎 我が道23】勝つために1%でも確率の高い作戦に徹する 馬淵流を貫き日本初の世界一
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5e02eb978a3b9ecdc6b6af7083e6de90ef0fa13

台湾でのU―18W杯に出場するメンバーを前に「全員にバントを指示する可能性がある。そのつもりで準備しろ」と20選手に訓示した。真剣勝負の世界大会はホームベースの踏み合い。パワーで対抗しようとしても、うまくはいかない。そう考えて編成した。監督を受けた以上、自分の考えは貫かせてもらう。大型選手を入れるべきだと考えるなら、そういうのが得意な監督にすればいいと割り切った。

自主性を尊重するタイプの慶応や仙台育英の選手もいたが、勝つために1%でも確率の高い作戦に徹するという、こちらの考えを全員がしっかり理解してくれた。起床、点呼といった団体行動も国内合宿、台湾でも誰ひとり遅れない。甲子園で注目されても、チヤホヤされるのが当然というのもいなかった。世界一という目標をみんなが共有してくれた。「最後は人間やな」と開幕前から手応えがあるチームになった。

23年(令5)のW杯。オープニングラウンドは4勝1敗で突破した。前回優勝した米国戦では前田悠伍(大阪桐蔭、現ソフトバンク)が5回2/3を4安打無失点無四球と最高の投球を展開。4―3で勝利できた。前田は夏の甲子園に出られなかった悔しさをバネに、W杯に準備をしてきたものを出してくれた。

決勝進出をかけたスーパーラウンドでも韓国に7―1、プエルトリコに10―0で連勝し、決勝進出を決めた。決勝の前哨戦となる台湾戦は2―5で負け、2位での決勝進出となったが、完全アウェーの雰囲気はしっかりつかんだ。あくまで目標は翌日の決勝で勝つこと。前哨戦ではバントも封印した。

決勝は9月10日に台北・天母野球場で行われた。先発は前田。初回に1点の先制を許したが、日本は4回に小技や機動力を発揮した。先頭の緒方漣(横浜)が四球で出塁し、武田陸玖(山形中央)の犠打で1死二塁から、丸田湊斗(慶応)が自分の判断で、一塁側へセーフティーバント。アウトの判定も、ビデオ判定でセーフに覆った。1死一、三塁から髙中一樹(聖光学院)が同点のスクイズに成功。さらに三塁手の悪送球の間に一塁走者の丸田は、一気に本塁を陥れて逆転に成功した。少ないチャンスを得点につなげる。目指した日本の野球の姿だった。

このリードを前田が7回4安打1失点完投で死守。全員が与えられた役目を果たし、日本の高校野球の代表として世界一を果たしてくれた。U―18W杯では日本史上初の優勝。スタッフと選手が目標をひとつにして、目指した野球を貫いた結果だと感激した。

MVPには打率・571で首位打者となった緒方が輝き、前田とともに先発の柱になった東恩納蒼(沖縄尚学)がベスト9に選ばれた。チーム打率・303、長打率・408は参加12チームでトップ。スモールベースボールだけではない、強いチームだった。

🎤2026年春のセンバツ 監督突撃インタビュー
帝京・金田優哉監督にズバリ聞いた「あの前田三夫前監督の後任という重圧はありますか?」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/385559

金田優哉監督(帝京/40歳)

24日は帝京(東京)が中京大中京(愛知)と対戦する。初戦で昨夏の優勝校でメジャーも注目する左腕・末吉良丞(3年)を擁する沖縄尚学(沖縄)を撃破。長年チームを率いてきた前田三夫前監督(76)が2021年に退任。後を託され、16年ぶりのセンバツ出場を果たした青年監督を直撃した。

──末吉を擁する沖縄尚学に勝利。

「開幕戦という組み合わせに加えて、16年ぶりの出場で誰も甲子園を経験していない難しさはありました」

──沖縄尚学は昨夏の王者です。

「抽選会で当たったときから、『夏の優勝校と試合ができるぞ』と選手には言っていました。末吉くんはかなりの好投手。チャンスはつくれても、ギアが上がったときのボールがなかなかちょっと打てなかった。ボールの質は凄かったですね」

──前田前監督の後任というプレッシャーはありますか?

「それは常にありますよ。でも、それ(監督が重圧を感じていること)を選手たちに感じさせてはいけない。そんな中でも甲子園にまた来られたというのは自信になります」

──前田前監督からアドバイスなどは?

「特にありません。『思い切ってやれ』とは言われました」

「監督の難しさはコーチと全然違う」

──監督就任の経緯を教えてください。それまでは帝京でコーチを務めていましたが、なぜ金田監督が後任に選ばれたのですか?

「そのあたりの事情は私にもわかりません。前田さんもいろいろ考えがあったのでしょう。ただ、打診の際はすでに退任を決めていた前田さんに、『俺は辞めるから後を頼むぞ』と言われたんです。これがもし、『辞めようと思うんだけど、後のことを……』と言われたら、いやいやもう少しお願いしますよ、と言っていたと思います(笑)」

──金田監督は筑波大を卒業後、一般企業に就職してから再び高校野球界に復帰した。

「大学卒業後も選手としてプレーしたかったんですが、それができず……。例にならって就職活動し、2年間、野球とは無縁のサラリーマンをしていました。でも、やっぱり野球、高校野球で勝負したいという思いが強くなってきた。母校に戻ってこれたことは本当に幸せですね」

──監督業の難しさは。

「コーチとは全然違いますね。常に全責任を負って、勝ちに導かなければいけない難しさがある。幸い、ウチはコーチたちがかなり考えて私を支えてくれています」

──19年に学生寮が完成。有望選手は増えましたか?

「遠方の子を勧誘しやすくなったのは利点ですね。私の頃は全員が通い。私も家から学校まで2時間弱かけて通っていましたよ」

──監督が地方に勧誘に行くことはありますか?

「場合によっては行きますよ。ウチにはスカウトなどのスタッフがいないので……。ただ、寮ができて全国から選手が集まってきたからといって、すぐに甲子園に出場できたわけではありません。その意味では甲子園出場の壁を破ってくれた子たちに感謝ですね」
 ──これまでの苦戦の理由は?

「ひと言では言えませんが、周囲の学校、高校野球全体のレベルが上がっている。東京都もベスト8、いや、ベスト16あたりはどの学校も実力差はほとんどない、紙一重だと思っています」

☝滋賀学園の奥間賢が好投 背番号「15」がエース争いに名乗り
https://news.yahoo.co.jp/articles/29e35ca842c1662c9116941dc2ebd65910c62dc7

(24日、第98回選抜高校野球大会2回戦 八戸学院光星5―4滋賀学園)

強打の八戸学院光星(青森)を相手に、試合をつくったのは、先発のマウンドに立った背番号15だった。
滋賀学園の奥間賢投手(3年)。身長183センチの左腕だが、制球力に課題がある。昨秋の近畿大会では、智弁学園(奈良)との準決勝で先発。無失点だったが四球を五つ与え、二回で降板した。

先発を山口達也監督から言い渡されたのは前日。エースらが本調子ではなく、出番が回ってきた。奥間投手はこう言ったという。「人に見られるとテンションが上がる」
マウンドに立つと、言葉どおり気分が高揚した。緊張はなかった。心配された立ち上がりも、2者連続三振で最高のスタートを切った。
変化球を低めに集めるだけでなく、高めの直球を効果的に使った。昨秋の近畿大会での教訓を糧に、島尻琳正捕手(2年)と話し合って投球を組み立てた。

当初は三回までの予定だったが、公式戦では初めて1人で投げきった。「期待以上です」と山口監督。6四球は今後の課題だが、夏に向けては「1番でいきたい」。甲子園のマウンドで自信をつけた背番号15は、エース争いに名乗りをあげた。
2026/03/24(火) 22時07分03秒 No.2345 編集 削除
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⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(1回戦)
5日目第1試合 帝京長岡(新潟)-東北(宮城) 9:03~11:00
          一二三四五六七八九十計HE
      東  北220000100 562
      帝京長岡010000000 143

5日目第2試合 高川学園(山口)-英明(香川) 11:37~13:47
          一二三四五六七八九十計HE
      英  明000310010 563
      高川学園000001002 362

5日目第3試合 三重(三重)-佐野日大(栃木) 14:25~16:02
          一二三四五六七八九十計HE
      佐野日大000000000 060
      三  重00000200X 2101

⚾明日のセンバツ甲子園組み合わせ(6日目 1・2回戦)
    09:00~ 熊 本 工(熊 本)-大阪 桐蔭(大 阪)
  ☆ 11:30~  帝 京 (東 京)-中京大中京(愛 知)
 ☆☆ 14:00~ 八学 光星(青 森)-滋賀 学園(滋 賀)

📝センバツ21世紀枠チームが“25連敗”…それでも「そこにある意義」は? 長崎西「野球の偏差値は40切っている」高知農「うちでいいの?」からの甲子園
https://news.yahoo.co.jp/articles/ecc9751e114541339b1704784f64a2ddf3d48ec6?page=1

今年も21世紀枠で出場した2校が、センバツの初戦で敗れた。同枠同士での対戦を除くと、これで2015年に松山東(愛媛)が勝利したのを最後に25連敗となり、不名誉な連鎖を断ち切れなかったことになる。文武両道や環境面などのハンディキャップを乗り越えたチームに甲子園出場の機会が与えられることは、実に意義のあることだ。しかし、こうも負け続けてしまうと21世紀枠に対する疑念が深まり、いずれは「不要論」が強まってくるかもしれない。

そこを一度、踏みとどまってほしい。甲子園が「高校生が輝ける場所」である以上、やはり色彩は必要なのだ。強豪校にはない個性。21世紀枠のチームにはそれがある。今年は特にそうだった。長崎西と高知農。両校には甲子園でプレーするに値するだけの独自性と歩みがあった。

大会2日目の第1試合。長崎西の野球に、目を覚ましたばかりの甲子園球場が揺れる。1回表。1アウト満塁から5番バッターの岡崎憲信がボールを見極め、押し出しのフォアボールを選ぶ。滋賀の強豪である滋賀学園のお株を奪う先手で観衆を沸かせたのだ。長崎西は制球に苦しむ滋賀学園の先発、土田義貴に対し、今度は脚を使って煽る。2-2の3回に2アウトからヒットで出塁したキャプテンの桑原直太郎が2盗、3盗と成功させてチャンスを広げ、勝ち越しを演出した。

強豪・滋賀学園に“僅差の敗退”だった長崎西
 
チームは5個の盗塁を記録した。最終的に4-5と惜しくも敗れたが、長崎西は目と脚で滋賀学園を揺さぶり、追い詰めたのである。初回に先取点のきっかけとなるヒット。逆転を許した直後の4回にはフォアボール、盗塁と一時同点をアシストした4番の細波慶吾は、長崎西の野球をこのように誇る。

「相手ピッチャーの投げるボールですとか牽制球の傾向とか、いろんな情報をかき集めて自分たちのプラスにするっていうのをモットーとしてやってきたので。データとかから得られる数字的なものが自分たちに思い切りの良さを与えてくれるというか、後押ししてくれる材料にはなっています」

東京大や京都大の現役合格者を輩出する、長崎県随一の進学校。45年ぶりの甲子園で見せたのは、まさに頭脳が光る野球だった。だが、それは最初から備わっていたものではない。日々の学習によって養われたものだと語るのが、監督の宗田将平である。

「偏差値が60、70とか勉強のできる子ではあるんですけど、野球の偏差値で言うと最初は40切っているので。そういうところからのスタートなので大変ですよ」

野球偏差値は低い。加えて平日は7時限の授業があるため、全体練習が1時間半程度と短い。選手たちはスタート時点で他のチームよりも出遅れてしまうわけだが、宗田は「学び」を与えることでそれを補っている。代表的なものがアプリの活用だ。山口陽大をはじめとするマネージャーが開発したアプリで、打球速度や飛んだ位置などを可視化する。ほかにも一般に普及する動作解析などのツールを使って情報を収集し、チームで共有していくのだという。

「そこを強みにできていると思います」

宗田は自信を覗かせながら言う。「いろんな視点から分析し、学んでいくという作業が好きな子たちなので。それが『野球の楽しさに繋がる』とわかれば、自分たちで勝手にやりだすんで。そこでうまくプレーに反映されれば、彼らの大きな成長になっていくと思うんですよね」

高知農が見せた「甲子園への挑戦」
 
野球への理解を深め「探求する楽しさ」を体現するのが長崎西なら、厳しさを経て「楽しい野球」に価値を見出したのが高知農だ。

大会3日目の第2試合。高知農は先発の山下蒼生が、外角や低めへ丁寧にボールを集めようとするが、日本文理打線にことごとく捉えられ10安打8失点を喫した。それでも攻撃では、4回にチームの歴史を刻む「1」を、甲子園のスコアボードに点灯させた。スコアは1-8。完敗という印象を与えたとしても、監督の下坂充洋は胸を張った。

「未来に繋がる試合だったと思います。大観衆のなかでプレーできた子供たちにとって、大きな財産になりました」

この財産を得るため、19年に監督となった下坂が選んだ道が「厳しい野球」だった。平日は日が暮れてからもバットを振らせ、ボールを追わせた。野球部の過酷な日常は部員たちの心身を摩耗させ、次第にグラウンドから遠ざけていく。年々、部員数は減り、21年には新入部員がひとりも現れなかった。夏の大会が終わり、3年生が抜けるとチームには3人しか部員が残らなかった。単独チームで公式戦に出られず、連合チームで戦う現実を突きつけられる。ここで下坂は、指導方針を180度、転換させた。厳しい野球からの脱却である。

「怖さはありませんでした。もう、変えるしかなかったので」

一方通行だった監督が、選手に歩み寄る。練習時間は短くなり、ミスをしても頭ごなしに叱責することもなくなった。チームは自然と明るくなっていった。変革を遂げたチームの空気感に魅了され、高知農への進学を決めたのが山下である。

「中学3年の秋に高知農業の試合を見て。その時の試合前ノックで、下坂先生の前向きな声掛けに惹かれました」

その山下と少年野球でチームメートだった、2年生キャッチャーの山本滉壬朗も同じ動機で高知農に入学したひとりだ。

中学で日本一の選手が…ナゼ高知農に?
 
山本は高知中のレギュラーとして、チームの日本一に貢献した選手だった。本来ならば、高校も強豪で知られる系列の高知高校に進むはずだったが、最終決断を躊躇した。理由は「厳しさについていけるか不安だった」からだと、山本が明かす。

「中学では、プレーでミスが出るとすぐに代えられるくらい競争が激しくて。高知高校は県外からも人が集まってくるので、そういう怖さがありました。高知農業には山下さんがおって、下坂先生も指導してくれるということで、この学校に行くことを決めました」

全国制覇経験者に思わず…監督「うちでいいの?」

山本は中学でチームメートだった永吉斗和を誘い、ともに高知農へ進学した。監督からすれば心強い戦力である。しかし、下坂はふたりにこう告げた。

「本当にうちでいいの?」

山本と永吉は「ここでやりたい」と言ってくれた。ふたりを突き動かしたもの。それこそが下坂が新たに築き上げる楽しさだった。監督が頭を下げる。

「先輩たちが楽しく野球をする姿を見て『行きたい』と言ってくれた。もう、本当に感謝しかないですよね」
光が差したチームに導かれるように有望選手が集まり、結果が生まれる。

昨秋の高知大会準々決勝。44度の甲子園出場を誇る明徳義塾を相手に、延長タイブレークを戦う接戦を演じた。2-3で惜しくも敗れたが、この試合が21世紀枠での甲子園への大きな弾みとなったのは事実だった。厳しさだけでは届かなかった場所。自らのスタイルを変えることで甲子園にたどり着いた下坂は、大観衆で膨れ上がった一塁側アルプスで声援を送る、「厳しき時代」の教え子たちに答え合わせを求めていた。

「俺たちの目指していた場所って、ここだよな?」

甲子園に出場する、いやこの場所を目指す全てのチームには物語がある。
長崎西と高知農。そのことを高校野球に再認識させてくれた存在こそ、21世紀枠だったのである。

📝ナゾの甲子園監督、初出場で初優勝…“広島史上最強チーム”から50年、崇徳高を復活させた重要人物とは? 元カープの伝説的OB・山崎隆造の証言
https://news.yahoo.co.jp/articles/4682aec03d3f0209ecec81e23e9ae784c25a9207

今春の甲子園に出場する崇徳高校(広島)。センバツ初出場初優勝を果たした「広島史上最強チーム」から50年、低迷した古豪の復活劇に“ある重要人物”がいた。当時メンバーだった山崎隆造らの証言。

それまで淡々とインタビューに応じていた崇徳の監督、藤本誠の頬を涙がつたった。昨秋の中国大会、33年ぶりのセンバツ甲子園出場を決定的にした準決勝の勝利後に、「應武前監督への思いは?」と問われた瞬間だった。

「指導者としてのいろはをたたき込まれて、私自身が成長することができましたので。本当に感謝しています。誰よりも勝つことにこだわっていた方だったので」

カープOB山崎隆造の証言

應武篤良。2022年9月にこの世を去った闘将は、崇徳の歴史と今回の復活出場を支えた最重要人物である。 崇徳は今回が4度目の春出場で、夏を含めると計6度目の甲子園となる。出場回数では突出していないにもかかわらず、広島で強豪として認識されているのは、ひとえに“ある1年”が劇的だったからである。應武が正捕手を務めた1976年、センバツ初出場初優勝の快挙を成し遂げたのだ。当時、主将としてチームを束ねていた、山崎隆造が述懐する。

「全国制覇なんて夢のまた夢じゃないけど、そういうイメージでみんなやっていたと思いますよ」

山崎、應武らの学年は、わずか14人しかおらず、練習場所も他部と共用の校庭だった。

「野球部だけじゃなく、ラグビー部がいる。アメフト部もいる。サッカー部もいたかな。狭いグラウンドに色んな部活が入り乱れてましたね」

謎の監督がいた「オレは運を持っている」
 
加えて、崇徳の初代監督で、当時チームを率いていた久保和彦は、「野球経験の有無が不明」の指導者だった。山崎も「久保先生の野球歴について、あまり聞いた記憶がない」と言う。それでも、脳裏にこびりついた記憶が一つある。山崎ら選手を前に久保はこう壮語したというのだ。

「『オレは非常に運を持っている人間なんだ』と。『占い師に1000人乗った船が沈没したとしてもあなたは生き残るというお墨付きをもらっている。だからオレを信じて乗っかってこい』と言っていたことを、覚えています」

山崎はたしかに久保の“豪運”を見た。同年センバツの2回戦、鉾田一(茨城)に9回2死まで1点ビハインドで追い詰められるも、土俵際から4点を奪って逆転勝ちした試合である。

「久保先生が監督になった秋にポンポンと勝ち進んで甲子園が決まって、甲子園でも負け寸前から奇跡の大逆転という。その流れでバーンと優勝してしまった」

山崎は運を強調するが、選手たちも粒ぞろいだった。同秋のドラフトでは、広島から山崎が1位、中堅手の小川達明が5位で指名。さらに、入団は拒否したものの、エース右腕の黒田真二が日本ハムから1位、應武も近鉄から3位指名を受けた。

伝説的優勝→低迷…なぜ?
 
部員ら最上級生は14人。最初から少数だったのではなく、「70、80人くらい」(山崎)の新入生が、猛練習で削がれ、研がれて生まれた精鋭だった。実力だけでなく、性格に一癖も二癖もある個性派集団は、試合となると自然と各々の仕事を完遂した。

「広島史上最強チーム」とも称されたこの世代は、広島の野球少年たちの心をつかみ、2学年下の後輩たちが主力となった1978年春にも甲子園の土を踏んだ。いよいよ崇徳に黄金時代が到来する――。誰もがそう思った。が、現実は異なった。
1978年春以降の甲子園出場は、1993年春のみ。夏にいたっては、山崎らセンバツ優勝チームで乗り込んだ1976年を最後に遠ざかる。2006年までに夏の広島大会決勝に6度進出しながら全敗。一時は最強と称されたチームは、いつしか“悲運”の象徴へと姿を変えた。甲子園から遠ざかれば、OBたちの熱気も下がる。山崎が「僕の大反省でもあるんですが」と伏し目がちに続ける。

「甲子園への道はすんなり行かないよね、となり、僕自身もプロでやっていくのに精いっぱいで、現役が終わってからも(プロで)指導者をやらせてもらって。大変申し訳ないのだけど、“母校離れ”じゃないけど、気持ちの上で疎遠になってしまったんですね」

その中でひとり、ふつふつと炎をたぎらせる男がいた。先述の應武である。

優勝メンバー・應武が母校に帰還した日
 
2010年に母校である早稲田大を明治神宮大会優勝に導き、新日鐵君津(現・日本製鉄かずさマジック)時代から続いた監督生活に終止符を打った。その應武が崇徳のOB会長に就任する。2012年のことだった。應武は真っ先に練習環境の改善を訴えた。生前、「学校に“異議申し立て”をしたんですよ」と、私にも熱弁をふるっていたものである。

「こんな狭いところで練習させるなんて、私立として条件が悪すぎるよ。田舎の私立でこれは『(甲子園に)出なくていいよ』って言っているように思える。おかしいだろって」

学校との度重なる折衝の果てに、2018年夏の広島大会終了後から應武が監督をすることになる。監督就任間もなかったころに取材へ赴くと、マネージャーと思われる部員と校庭の状況について打ち合わせていた。

「今日は(午後)6時にラグビーが終わって、そこからは全面使えます」
「サッカーはいないの?」
「サッカーとアメフトはいなくて、ラグビーが6時までです」
「じゃあ、全面使えるところからノックしよう」

夏で日没が遅く、他部が練習を早く切り上げたこの日は恵まれた方で、バックネットに向かっての打撃練習やベースランニング程度しかできない日もあった。甲子園優勝校とは思えぬ環境に、應武は憤っていた。
山崎が「その時々の理事長、校長によって考え方はそれぞれだと思うんですけど」と前置きをして、背景を語る。

「学校にある部活動が野球部だけではないのでね。バレーボール部が全国大会の常連だったり、野球部だけを特別扱いすることはできないというのが、学校の基本的な考え方だと思います」

野球部を強化すべき? 現場の反応
 
ラグビー部は度々「花園」に出場する強豪で、軟式野球部も全国大会常連だ。硬式野球部だけを優遇するのは学内で不公平感を生むという見立ては納得できる。だがそれ以上に説得力があったのが、1990年代前半に卒業したあるOBの推測だった。

「崇徳は学校の立地を含めて、生徒が集まりやすいですからね。野球部に力を入れなくても生徒が集まる」

公立校とは異なり、私立校が野球部を強化するのは、学校経営においてメリットがあるからに他ならない。たとえば同県の如水館は、「毎年夏になると、他校の出身者が野球の応援で盛り上がっているのがうらやましい」という卒業生の待望論から野球部が生まれたという。学校も専用グラウンドを建設するなど、支援を惜しまなかった。新しい校名を広めたい経営的視点にも合致したのは想像に難くない。

ほかにも広島新庄は、人口の少ない県北部に位置するハンディの打開策として、「甲子園を狙える野球部」という、生徒募集のフックが必要だった。野球部強化に明確な目的があるそれらの高校と違い、崇徳は学校経営上、野球部を強化する理由が希薄だった。

広島市内の中心部に校舎を構え、広島駅から電車で15分足らずで到着でき、立地に恵まれる。年々進学重視の路線を強め、昨年度は難関の一橋大に2人、地元の広島大に11人が合格するなど、国公立大合格者を95人も生み出した。私大に目を向けても、早慶に複数名、MARCHや関関同立といった名門に続々と合格している。現チームで主将、正捕手を担う新村瑠聖は、崇徳を選んだ理由を次のように明かしたものだ。

「崇徳は野球だけじゃなく、勉強も頑張れる環境だと思ったので。(推薦の)指定校に魅力的な大学がそろっているのも決め手の一つでした」

應武と理事長の“言い合い”
 
それでも應武は、OB会長に就任した2012年以降、学校のトップに野球部強化の必要性を訴えつづけた。時を同じくしてOB会副会長となった山崎が記憶をたどる。

「僕も何度か應武と一緒に校長室に行きました。『ヤバいな』と感じるぐらい、應武と理事長、校長との間に火花が散ったことは何度かありましたよ。僕と違って血気盛んなんでね(笑)。同級生ながら、『こいつ本気なんだな』と圧倒されましたね」

野球部を強化するか否か。話し合いが平行線をたどったある日、学校サイドから應武に「甲子園の優勝メンバーが協力して、野球部を強くしてください」と提案があった。應武が監督となり、山崎らの助力を仰ぎながら、再び甲子園に導けという趣旨である。

監督就任の経緯について應武は生前、「OB会長が監督に……っておかしいでしょ!」と私に漏らしていた。しかし、それは本音ではなかったかもしれない。現監督の藤本の証言だ。

             〈つづく〉

☟山梨学院・菰田陽生は左手首骨折 2回戦以降の出場絶望的に 22日の1回戦で負傷
https://news.yahoo.co.jp/articles/6a1ca1486ca294ae40502c7f66acd55ca89729f9

山梨学院の「二刀流」、菰田陽生投手(3年)が、第98回選抜高校野球大会2回戦以降の出場が絶望的となった。22日行われた1回戦の長崎日大戦で打者走者と交錯した際に、左手首を負傷して途中交代。一夜明けた23日、左手首付近の骨折だったことが判明した。今後の出場は回避することになった。。

194センチ、102キロの恵まれた体を生かし高校通算本塁打は36本を記録し、投げては最速152キロに到達する本格派。沖縄尚学・末吉良丞投手と横浜(神奈川)の織田翔希投手(3年)と並び「高校BIG3」に呼ばれ、今秋のドラフト上位候補として評価が高い。

1回戦の長崎日大戦では初回に左越え先制ソロを2安打をマークしたが、4点リードの5回2死一塁の守備で悪送球を捕球しようとした際に打者走者と交錯し左手首を負傷。治療を受けた末にプレーを再開したが、6回裏の守備から交代となった。試合は5-3と逃げ切り初戦突破したが、試合後の菰田の左腕にはテーピングと簡易な添え木を施されていた。「投げるのは多分大丈夫だと思うんですけど、(ボールを)取ることであったり、バットを振るのも多分痛いかなと思います」と説明し、軽症であれば次戦以降に投手としての出場ができるかどうかだった。

💢第2試合途中で突然のゲリラ豪雨 スタンドの観客が一斉に避難 グラウンドに水が浮く 五回終了後にスタッフが整備
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad5d2ec0989d224580637def83038abad3645b95

「選抜高校野球・1回戦、高川学園-英明」(23日、甲子園球場)

五回表、英明の攻撃中に甲子園がゲリラ豪雨に襲われた。試合開始時には晴れ間ものぞいていたが、突然の大雨となった。

五回の攻撃が始まると、大粒の雨が聖地に降り注いだ。内野スタンドの観客が一斉にコンコースへ移動するほどの強烈な雨で、内野には次第に水も浮いてきた。
高川学園の木下もしきりに右手の指を気にするしぐさを見せ、スパイクの土を落とすシーンも。1死二、三塁から犠飛で4点目を許した。

雨が弱まったところで五回裏も試合は続行。英明の冨岡もマウンドのぬかるみを気にするシーンはあったが、しっかりと無失点に抑えた。五回終了後にグラウンド整備が行われた。

👣「偉大」名将の孫、佐野日大・中村盛汰「全力で頑張った」観戦“じい”もねぎらう
https://news.yahoo.co.jp/articles/1222508a54f306dcbeca8496b7bb5f8bc76041b0

<センバツ高校野球:三重2-0佐野日大>◇23日◇1回戦◇甲子園

佐野日大(栃木)は三重に0-2で敗れた。主将の中村盛汰内野手(3年)は、PL学園(大阪)を春夏合計6度の優勝に導き、甲子園通算58勝を納めた中村順司さん(79)を祖父に持つ。中村は「この舞台で何回も戦って勝ってきた。祖父は偉大だと感じました」と、唇をかんだ。

それでもPL学園を率いた名将の孫の意地は見せた。2回、1死から左前へチーム初安打。9回にも2死から右前に運び計2安打。大阪入りから毎日、順司氏から電話でアドバイスをもらった。「“気負わずに自分たちらしく粘り強いプレーをしなさい”と言われた。気持ちに余裕を持って試合に入ることができました」。祖父とのホットラインが支えになった。

野球を始めた時から、祖父は専属コーチだった。「いつも優しい祖父が、野球には厳しかった」。幼心に偉大な存在を独り占めできる喜びは格別だった。バッティングセンターに連れて行ってもらっては、アドバイスしてくれたことを忘れずにノートに書きためた。

順司氏から聞く昔話にも目を輝かせた。「清原(和博氏)はな、いつも室内練習場で1人で練習していたんだぞ。打球音は銃撃の音みたいや。それくらいのスイングやぞ」。この日の2本は、自分らしくミートして外野に運んだ。「『全力で頑張った』と。それは伝えたいです。そして、夏は、祖父に校歌を聴かせたいと思います」と夏の勝利を誓った。

○…中村順司氏が孫の佐野日大・中村盛汰の観戦に訪れた。バックネット裏から勇姿を見届け、「キャプテンで試合にも出してもらって、レギュラーとして頑張ったのはものすごく成長した。選手としては“じい”とおやじを飛び越えたかなと思いますね」とねぎらった。初戦敗退に終わったが、「この悔しさを(バネに)高校最後の夏、頑張ってほしい」と期待を寄せた。
2026/03/23(月) 22時14分09秒 No.2344 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(1回戦)
4日目第1試合 九州国際大付(福岡)-神戸国際大付(兵庫) 9:03~11:50
          一二三四五六七八九十11121314151617181920計HE
      神国大付00000101001            362
      九国大付10000001002x            4110

4日目第2試合 近江(滋賀)-大垣日大(岐阜) 12:23~14:50
          一二三四五六七八九十計HE
      大垣日大0000000002270
      近  江0000000001161

4日目第3試合 山梨学院(山梨)-長崎日大(長崎) 15:25~17:40 17:13点灯 8回表から
          一二三四五六七八九十計HE
      山梨学院500000000 592
      長崎日大100000200 372

⚾明日のセンバツ甲子園組み合わせ(5日目 1回戦)
    09:00~  東 北 (宮 城)-帝京 長岡(新 潟)
    11:30~ 高川 学園(山 口)- 英 明 (香 川)
    14:00~  三 重 (三 重)-佐野 日大(栃 木)

📝巨大な「応援旗」はどこに? 変わるアルプス席の景色 センバツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/fe92d0a68516cc091a195e55c3ba29e547eb410e

熱戦が続く第98回選抜高校野球大会。阪神甲子園球場のアルプスの景色が、この春から少しだけ変化した。選手を見守る巨大な「応援旗」を掲げる位置だ。これまで各学校の校旗や応援団旗はアルプス席の最上段で、風に乗って悠然となびく姿が一般的だった。しかし、今大会からアルプス席の上段は全て一般席へと区分が変更された。

そこで観衆の視界の妨げにならないよう、旗を掲げる位置はグラウンド近くの下段、アルプス席の最も外野寄りへと場所が移った。
九州国際大付の応援団員で旗手を務める谷野元基さんは「選手に近い場所で、他の応援団員や野球部員、学校の生徒・関係者とともにより一体となってエールを送れている気がします」と笑顔でナインを見守った。

👣近江、8回のチャンスも本塁タッチアウトで先制逃した 杉本将吾主将「審判さんが近くで見ているので…」小森監督に初白星贈れず
https://news.yahoo.co.jp/articles/ff7f9d651b860ae430dd8c080dfb879e068ce228

◆センバツ第4日 ▽1回戦 大垣日大2―1近江=延長10回タイブレーク=(22日・甲子園)

近江は大垣日大との“隣県対決”に惜敗。両校は毎年のように練習試合を行うが、現チームでは対戦なし。甲子園では2023年夏の1回戦で対戦し2―7で敗れており、3年ぶりの聖地での“再戦”でも涙をのんだ。

0―0で迎えた8回。2死走者なしから4番の杉本将吾主将(3年)が左中間へ二塁打で放つと、5番・箕浦太士(3年)が三遊間を破る。杉本が三塁を蹴って、本塁へヘッドスライディング。途中出場の大垣日大・松井満詩左翼手(3年)の好返球でクロスプレーに。微妙なタイミングだったがアウトとなり先制のチャンスをものにできなかった。

延長10回タイブレークで敗戦。杉本主将は試合後に「(8回のプレーは)審判さんが近くで見ているので、アウトです」とコメント。チームとして本塁突入の走塁練習を重視していたことを明かし「当たりゴーとか、打った瞬間の判断を練習していました。セーフにならないということは、まだまだ足りないということです」と唇をかみしめた。

昨春に、甲子園28勝(23敗)の多賀章仁監督が退任。19年間コーチを務めていた小森博之監督(42)が後任となった。「小森監督に甲子園の勝利を―」を合言葉に奮闘した近江ナイン。目標達成は夏に持ち越された。

👣近江・小森監督「最高の打順だったんですけど…」 
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8705fae4f9a04fb9a0f8439ddab5a360c201cf6

選抜高校野球大会第4日は22日、阪神甲子園球場で1回戦があり、近江(滋賀)は大垣日大(岐阜)に延長十回タイブレークの末に1―2で敗れた。試合後の近江・小森博之監督の主なコメントは次の通り。

◇近江・小森博之監督 ◇何か足りないものがある

勝負ごとなので勝ち負けはありますが、ナイスゲームができました。

<勝敗分けたポイント>

やっぱり大垣日大さんの(竹岡)投手ですかね。最後(押し出しを含む2連続四球で1死満塁の場面となり)本来であれば崩れるケースが多いと思うんです。うちも打順が良くて、4番、5番と最高の打順だったんですけど、それを上回った。うちの何とかしたいという気持ちを大垣日大さんのピッチャーが上回ったんじゃないかなと思いますね。

<先発の上田投手は9回3分の2を自責点0の力投>

今シーズンに入って一番良い投球だった。練習試合の解禁後は全然出力が上がってきてなかったんですけど、今日は真っすぐの最速が142キロだったでしょうか。四球がなかったのも初めて。そこも良かったと思いますね。

<八回の攻撃で本塁でのクロスプレーは際どいタイミングだった>

(三塁コーチャーが)回したのはOKです。あれがセーフになるように結構やってきたんです。でもセーフを取れなかったということで、やっぱり何か足らないものがあると思うんですね。大垣日大さんに上回られたということと、今度は逆に夏に向けて上回れるようなものを作っていかないといけないです。

<監督として初めて甲子園で指揮した>

前任の多賀監督からは、浮ついた気持ちというか、雰囲気にのまれたらあかんぞというアドバイスをいただいた。普段通り、入ることができたと思います。
特に三回が終わった時に、ちょっと自分の中でも地に足がついたなって感じですね。少しそこまでは、甲子園ってすごいなと思いながら。現役の時を思い返しながらじゃないですけど、少しそういう面も入っていたんじゃないかなと思います。

💢山梨学院-長崎日大戦で野球規則適用の誤り 大会本部が謝罪「規則を正しく適用できず申し訳ありません」 七回に本来続投すべき山梨学院の投手交代を認めるミス
https://news.yahoo.co.jp/articles/b3404058a066324aaaed22cae42570c3fb255f8a

「選抜高校野球・1回戦、山梨学院5-3長崎日大」(22日、甲子園球場)

大会本部は試合後、投手交代について公認野球規則適用の誤りがあったと発表し、謝罪した。
七回の長崎日大の攻撃で、先頭打者に対して2ボールとなったところで山梨学院が投手交代を申告。「公認野球規則5.10(i)は、既に出場している投手について『そのイニングの第1打者がアウトになるか一塁に達するまで、投球の義務がある』と定めています。申告に対し、球審は交代できない旨を山梨学院側に伝える必要がありましたが、認めました」とし、本来は先発の渡部が続投すべき場面で、2番手・竹下への投手交代を認めてしまう誤りがあったとした。

一方で「なお、5.10(h)には『万一、誤って出場した投手が、指摘されないまま打者へ1球投げるか、または塁上の走者がアウトになった場合には、その投手は正当化されて、以降のプレイはすべて有効となる』と規定されており、試合への影響はありません」とし、試合結果などへの影響はないとした。
大会本部は「規則を正しく適用できず申し訳ありません。引き続き、審判委員の技量向上に努めてまいります」と謝罪した。

規則適用の誤りは、スタンドから観戦していた複数の審判員が投手交代時に気づいたというが「あっという間に(投手が)代わってしまって、試合が進んでしまった」と指摘できなかったという。攻撃していた長崎日大からは交代時もその後も質問などはなかった。

大会本部は「全国大会に委嘱を受ける審判としては、ルール通り対応して『その交代は受け付けられませんよ』と山梨学院さんにお伝えすべきところを、現場で気づけずに投手交代を受け付けてしまったという事実がありました。大変申し訳ありません。両チームにもお詫びしました」なとどコメント。「今回はレアケース。こうしてお知らせすることで再発防止に努める」とした。

☟「今までにない痛み」山梨学院・プロ注目の菰田陽生、次戦出場は厳しい状況、監督「ドクターストップかも」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b600c9e50894a0cf9d8f523067d04b3b994236d4

◇22日 第98回センバツ高校野球大会1回戦 山梨学院5―3長崎日大(甲子園)

「2番・一塁」でスタメン出場し、5回の守備で相手選手と接触して6回の守備から交代したプロ注目の菰田陽生投手(3年)の状態について、吉田洸二監督が次戦以降を欠場する可能性があると言及した。

菰田は左手首に包帯を巻いた状態で取材に応じ「今までにない痛み。いったん守ったが、相手の太ももがあたった」とコメント。「守備に就いたが、守るだけで痛かったので、交代した。これから病院に行って診察してもらう。このけがを少しでも良くして出られるようにしたい」と出場への意欲を語った。

菰田は普段はめったに痛がる様子を見せないが、珍しく強く痛がるしぐさを見せたという。吉田監督は本人の出場への意欲にかかわらず「ドクターストップがかかるかもしれない」と話した。「菰田があんなに痛がっているのも初めて見た。なんだかんだ大丈夫かと思ったけど…甘かったです」とも話した。

🎤【馬淵史郎 我が道21】W杯で7回制、DH制を初体験
https://news.yahoo.co.jp/articles/ca7e6fec1f310ef5f08017ea2f4b12fe7a7c45f4

高校日本代表チーム、U―18の監督就任要請を受けたのは、20年(令2)だった。夏の甲子園で優勝した02年(平14)に全日本選抜チームの監督は経験させていただいたが、いわゆる「侍ジャパン」のチームを率いることになるとは思っていなかった。

05年(平17)に野球部員の不祥事のため、監督を辞任し、1年間の謹慎処分を受けていた。そういう資格は自分にはないと思っていた。それでも「W杯で勝てるチームをつくりたい」と強く要請された。本腰を入れて取り組むなら、明徳義塾の野球部にも迷惑をかけることになる。要請があったことを学校に伝えたら「名誉なことじゃないか」とバックアップされた。「今を頑張る」を信条として、ここまで野球に取り組んできたことが評価されるなら、とお受けした。

W杯がコロナで延期となり、U―18監督としてのスタートは22年(令4)になった。開催地は米国フロリダ。明徳義塾でもU―18でも自分の野球は変わらない。守備を重視し、バントができて、機動力もある選手を中心にメンバーを編成した。主将は近江の山田陽翔(現西武)。大阪桐蔭の松尾汐恩(現DeNA)、高松商の浅野翔吾(現巨人)が中心メンバーになった。

7回制、DH制は初めての経験。しかもW杯はそれぞれ参加国の威信がかかっている。手探りの中で迎えたオープニングラウンドは2位で通過。しかし、決勝進出をかけて臨んだスーパーラウンドでは初戦で韓国に0―8で完敗。雨で継続試合となった米国戦も3―4でサヨナラ負けを喫した。両国の本気度を目の当たりにした。「日本代表として最低でも3位で帰らんといかん」と背水の陣で臨んだ韓国との3位決定戦。初回に先制した日本は2回に押し出し四球、松尾の2点左前打などで5点を追加。興南の生盛亜勇太から大阪桐蔭の川原嗣貴のリレーで6―2で勝利し、2大会ぶりの3位、銅メダルを獲得した。

最低ラインは果たしたが、ルールの違い、10日間で9試合という日程、そして強化に取り組む対戦相手にどう立ち向かうかという課題を感じた。大会後は「7イニング制は3回までが勝負。先手必勝のオーダーなど、もっとその中での戦いを考えていかなくてはいけない。オープニングラウンドからスーパーラウンドへの戦いを考えることも必要となってくる」と総括した。
隔年開催が基本のW杯だが、コロナで延期になったことで、23年(令5)も連続開催が決まった。どんな選手でいかに戦うか。明徳義塾を指導しながらも、日本代表監督として、全国の選手たちの情報を集め、チーム編成をイメージした。

W杯で勝つチームをつくる。そこにこれまでの経験を集中した。23年4月には候補選手を集めた合宿を行い、一段階上のチームにする青写真を描いた。

📝「審判がいないから試合できない」 危惧する“後任不足”…高校野球が直面する問題
https://news.yahoo.co.jp/articles/5cc0e96d2b53f9c03acbd5da5919a6da1fbf8c79

香川県高校野球連盟は今春から指導者10人を“審判”として動員

厳しさを増す夏の暑さは、大会運営にまで影響を与えている。「第98回選抜高校野球大会」の開幕から一夜明けた20日、香川県でも甲子園遠征に出た英明を除く36校による春季大会が開幕した。ダイヤモンドを見渡すと、ほとんどの試合で三塁審だけ白い帽子を被っている。その正体は香川県高校野球連盟がこの春から動員した、硬式野球部を指導し、審判登録がない教員である。

導入のきっかけは昨夏。審判員が1日で複数の試合を担当することが体調面でも難しく、人数がそろわず試合の延期を検討した。最終的にはどうにか揃え、日程通りに大会を終えたが、同連盟の桑嶋裕二理事長は「雨などの天気や人数不足だけでなく、審判がいないから試合ができないという時代が近付いてきている」と危機感を感じている。

「2年前から検討はしていて、最初は監督や部長にお願いしようと思っていました。だけど、監督は勤務校のチームをみないといけないし、部長は大会の運営に当たらなければならない。学校の仕事もあり、あまり動くことができないんです。若い先生の方が動きやすいので、監督、部長の他に3人目の指導者がいるチームに対して、その方に審判員を担っていただくようお願いして、経験にもなると思い、若い教員を10人選びました」

選ばれた教員審判は、勤務校や母校の試合を担当することはできない。10人それぞれが違う高校に勤務し、違う高校を卒業している。春になると人事異動があるため「毎年選び直さないといけない可能性があります」と桑嶋理事長。教員が審判員を務める仕組みは、徳島県や北海道でも導入されており、どちらも監督が務めた例がある。

現在開かれている春の香川県大会では、準々決勝までの試合で教員が三塁審を務める場合がある。三塁審である理由は、新人審判員も三塁審として経験を積み、ランナーと逆方向に、二塁、一塁、球審とステップアップしていくからだ。

審判員・審判を務めた教員の声…高校野球は審判員の協力があって成り立っている
 
21日、第3試合で三塁審を務めた尽誠学園の橘孝祐コーチは、審判講習会を受講し、「こんなにいろんな動きがあるのかと思いましたし、審判員さんがいなければ試合ができないことに気付けました」と目を輝かせる。公式戦のジャッジを終え、「現役時代は、審判員さんに悪態をつかないようにと指導されましたが、キャッチャーだったこともあり、アピールプレーや打席でも悪態をついてしまったことが正直あります。審判員さんに対して、それはやってはいけないことと選手たちに強く伝えたい」と襟を正した。

同じ試合で球審デビューを果たし、農協に勤めながら土日祝で高校野球の審判をしている高松工芸OBの高橋翔真審判員は「練習試合や紅白戦の審判として、三塁審になる先生方がいらっしゃる学校に行ったときは、三塁に入って練習するなど、すごく熱心な先生が多かった」と語り、同世代の教員の姿から刺激を受けた。
秋季大会でもこの制度を実施する予定にしているが、昨夏の状況を踏まえ、桑嶋理事長は「夏も指導者の方に三塁審として入っていただくことになるかもしれない」と悩む。全国的に審判員の高齢化、審判員の成り手不足が叫ばれ、少年野球を含めさまざまな取り組みが行われている。しかし、香川県の本施策の目的はそうではない。

「審判員さんは会社員をしていたり、それぞれが働いていらっしゃる。中には消防士さんで、夜勤明けに審判をしにきてくださっている人もいます。こちらはお願いをしている側で、審判員さんのご協力があって高校野球が成り立っています。ご負担をかけないように、自分たちでできることはしようということです」

猛暑や過労から守らなければいけないのは生徒たちだけではない。香川県高校野球連盟に所属する教員たちは、負担を分け合いながら、持続可能な高校野球の道を探っていた。
2026/03/22(日) 22時13分18秒 No.2343 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(1回戦)
3日目第1試合 東洋大姫路(兵庫)-花咲徳栄(埼玉) 9:03~10:55
          一二三四五六七八九十計HE
      花咲徳栄000000030 331
      東洋姫路000001010 292

3日目第2試合 日本文理(新潟)-高知農(高知) 11:31~13:25
          一二三四五六七八九十計HE
      日本文理020231000 892
      高 知 農000100000 163

3日目第3試合 専大松戸(千葉)-北照(北海道) 14:02~15:40
          一二三四五六七八九十計HE
      専大松戸000400000 491
      北  照000000000 040

⚾明日のセンバツ甲子園組み合わせ(4日目 1回戦)
    09:00~ 神戸国際付(兵 庫)-九州国際付(福 岡)
 ☆☆ 11:30~  近 江 (滋 賀)-大垣 日大(岐 阜)
    14:00~ 山梨 学院(山 梨)-長崎 日大(長 崎)

📝<センバツプレーバック・和歌山>向陽(2010年・21世紀枠) 伝統を力に、45年ぶり勝利 
https://news.yahoo.co.jp/articles/10c28c0235b3fd2f7fe59de2fd0c4f8c418f0cce

36年ぶりに21世紀枠で出場した向陽は旧制海草中時代の1939、40年に夏の全国連覇を達成した。特に39年夏には嶋清一投手が全5試合を完封。準決勝、決勝は無安打無得点試合まで記録した。嶋さんは学徒出陣で戦地へ向かい、45年3月にベトナム沖で戦死した。21世紀枠の選考では嶋投手の生涯から、生徒が平和について学んでいる点も評価された。

1回戦の相手となった開星(島根)は好投手と強打者を擁した強豪だったが、投手戦の均衡を破ったのは向陽だった。四回に四死球と暴投で2死一、三塁とし、大槻司選手が右前に運び先制。長田龍誠選手の打球も左前に落ちる二塁打となり、2点を先行した。味方打線はこの試合3安打だったが、確実に好機をものにした。開星は走者を再三出したが、右腕・藤田達也投手がスライダーを低めに集めて力投。1点差に迫られた九回1死三塁は連続三振に仕留めて、試合を終わらせた。

2―1で競り合いを制した藤田投手は「伝統を力に変えようと、嶋さんを思い浮かべながら投げた」。石谷俊文監督は「バッテリーが成長した。こんなに伸び伸びやるとは思わなかった」とたたえた。同校としては45年ぶりの甲子園勝利だった。

敗れた開星の監督が試合後に「21世紀枠に負けて末代の恥」と語り、発言の責任を取って辞任したことが話題になったが、「世間からの脚光も浴びてチームとしては勢いに乗ることができた」と振り返る選手もいた。2回戦で準優勝の日大三(東京)に敗れたが、全国屈指の強豪相手に1―3と大接戦を演じて世間を沸かせた。

👣「すごいサイン」百戦錬磨の東洋大姫路・岡田監督もうなった花咲徳栄の奇襲
https://news.yahoo.co.jp/articles/21a51cd1085ae2b82008adf487ad1a46bd48402a

<センバツ高校野球:花咲徳栄3-2東洋大姫路>◇21日◇1回戦◇甲子園

百戦錬磨の東洋大姫路・岡田龍生監督(64)も、8回の花咲徳栄の攻撃に意表を突かれた。1点リードを追いつかれ、なおも1死満塁。相手2番・鈴木の1ストライクからの2球目で、前進守備から内野を下げた。「(バットの)芯に当たる確率が高いから、前にいる方がヒットゾーンに飛ぶなと。それなら芯食って正面に行ってゲッツー取れる方が確率が高い」と読んだ。だが相手はランエンドヒットを仕掛け、遊ゴロの間に二塁走者もホームへ。この3点目が勝敗を分けた。

二塁走者の生還は「三塁コーチャーの判断がよかったのか。ちゅうちょしていたら回っていないでしょうから。あの辺の練習もされているのか。あそこでエンドランていうのは、ちょっと僕の中では選択肢がないんで」と想定外だった。

学校初の3季連続出場の今春。下山の好投に勝利で報いることができず。「あのエンドランはすごいサイン」とうなった一方で、ピンチを招いた守備のミスを悔やんだ。

▽東洋大姫路・下山(6回1死まで無安打無得点投球を続け、岡田監督から満点以上と評される)「甲子園ってこともあって気持ちも高ぶって、球はすごく良かった。(8回は味方が)エラーしても抑えるのが投手だと思うので、力を入れたんですけど」

👣【センバツ】21世紀枠が初戦25連敗 15年松山東の勝利が最後 最高成績4強2度も…近年は苦戦続く
https://news.yahoo.co.jp/articles/91cc3805cffc0be95ba4af0f89c0233ad7852d1f

◆センバツ第3日▽1回戦 日本文理8―1高知農(21日・甲子園)

21世紀枠で選出され、春夏通じて初出場の高知農は、日本文理(新潟)に敗れ、甲子園初勝利はならなかった。後攻で0―4の4回1死一、三塁、6番・栗山典天(のあ)右翼手(3年)が、日本文理の先発右腕・染谷崇史(3年)から右前適時打を放ち、記念すべき同校の甲子園初得点。だが、その後さらに点差を広げられ、聖地初勝利は遠かった。エース右腕の山下蒼生(3年)は8点を失うも、133球を投げ抜いた。

これで21世紀枠での選出校は、長崎西に続いて敗退。一般枠での選出校相手の初戦で25連敗となった。2015年に松山東(愛媛)が二松学舎大付(東京)に勝利したのが最後となっている。
21世紀枠は2000年からセンバツ大会に導入された特別枠。秋季都道府県大会ベスト8以上(参加校数が128校以上の9都道府県はベスト16以上)で、部員不足や過疎などの困難な条件を克服したり、他校の模範になるなど、戦力以外の特色も加味して選ぶ。

都道府県連ごとに推薦された候補校をさらに9校に絞り、選考委員会で例年は2校が決まる。同枠出場校の最高成績は00年の宜野座(沖縄)、09年の利府(宮城)のベスト4。だが、近年は苦戦が続いている。

✌77歳11カ月4日の専大松戸・持丸監督「甲子園の校歌って本当にいいな」 穏やかな笑み センバツ最年長監督勝利記録
「選抜高校野球・1回戦、専大松戸4-0北照」(21日、甲子園球場)

77歳の持丸修一監督は「甲子園の校歌って本当にいいなって思いました」と穏やかな笑みを浮かべて勝利を喜んだ。

エースの門倉が119球を投げ4安打完封。「もうちょっと悪いかなと思ったが、思った以上に良くて、リリーフの用意は全然しませんでした」とたたえた。九回はピンチを迎えて伝令を送ったが「別に1点取られてもいいんで、アウトカウントを優先した方がいいんじゃないかっていうことで、一応タイムを取って伝えました」と説明。「本人らも分かってましてね。分かってる、分かってるって感じで」と頼もしい選手に目を細めた。

茨城県の竜ケ崎一、藤代、常総学院、千葉県の専大松戸を率いて甲子園に出場。「やっぱり人間的に良くなるも悪くなるも、結構甲子園のグラウンドっていうのは教えてくれますね」と大舞台に感謝した。

4月17日には78歳になる持丸監督。77歳11カ月4日でのこの日の勝利は、選抜での最年長監督勝利となったが「別にそれは全然感じてなくて。ただやってるだけで。やってる人がいれば、できそうな感じがしますけどね。みんなに頑張ってほしいですね」と謙遜。あらためて甲子園での勝利について「うれしいですよ、いつまでも甲子園の勝利は。でも九回が終わってからでないとそういう感覚は持てませんからね。最後の1球まで」とかみしめた。

🎤【馬淵史郎 我が道20】夏の甲子園初優勝 星稜・山下監督、松井秀喜から祝意
https://news.yahoo.co.jp/articles/f354c87910540a223dc5455c0843f33121e97f79

02年(平14)の夏の甲子園、3回戦で常総学院(茨城)に2本塁打で逆転勝ちしてから、もうミーティングはする必要がないと決めた。厳しい練習を経て、チームは強くなったという手応えはあった。「あとはお前らでやってみい」と森岡良介主将(元中日、ヤクルト、現楽天コーチ)らに試合を任せた。ずっと立ち続けていた甲子園のベンチでも、守備の間は座ることが多くなった。

明徳義塾にとって鬼門だったベスト8、ベスト4の壁も突破した。準々決勝では西村健太朗(元巨人、現巨人コーチ)がいた広陵(広島)に7―2で勝つと、準決勝では鎌倉健(元日本ハム)がエースだった川之江(愛媛)に10―1。練習試合で5点ビハインドの9回に6点を取ってサヨナラ勝ちしていた。選手たちも「普通にやれば勝てる」と自信を持っていたね。

監督として初めて甲子園の決勝に進んだ。8月21日の決戦の相手は智弁和歌山。高嶋仁監督とは何度も練習試合をしてきたが、甲子園で対戦するのは初めてだった。先発の田林正行くんも、準決勝で攻略した鎌倉と同じ右のサイドハンド。球筋もイメージできていた。

決勝前夜はいろいろ取材もあって、夜が遅くなった。選手には「ゆっくり寝とけ」と起床も遅らせた。でも自分は眠れなくてな。宿舎を出て、24時間営業の喫茶店で時間をつぶしたりしていた。朝も早めに集合場所の公園に行ったら、もう選手は集まっていた。ジョギングをしていた森岡が言った。「監督、今日は男にします」。感動するよな。大人が演出したんじゃなく、子供たちが自然にやってくれる。どんな結果になろうと、もう悔いはなかった。

1点リードした4回の守備が分岐点になった。1死二、三塁。相手5番にカウント1―2となったところで高嶋監督が3バントスクイズを仕掛けた。全く頭にはなかった。それでも田辺佑介―筧裕次郎(元オリックス)のバッテリーは冷静やった。しっかり外して、三振ゲッツー。「バッテリーの呼吸で外すんや」と言ってきたことをやってくれた。その裏に田辺、山口秀人の本塁打も飛び出し、7―2で初優勝を果たした。
 
監督としては一生、優勝できないんじゃないかと思ったこともあった。選手たちが男にしてくれた。男として生まれてきて良かった。明日死んでもいい。そう思ったら、涙が止まらなかった。宿舎では優勝旗に頬ずりして、一晩だけ抱いて寝た。

あの時、92年(平4)の星稜戦での「松井5敬遠」から10年。「帰れ」コールを浴びた甲子園で拍手を受けることができた。長かった。優勝の翌朝8時半に星稜の山下智茂監督から「おめでとう。先にやられたな」と電話を頂いた。松井秀喜からも関係者を通じて「おめでとうございます」のメッセージが届いていた。10年目の悲願達成だった。

🎤2026年春のセンバツ 監督突撃インタビュー
元プロ野球選手の九州国際大付・楠城祐介監督に聞いた「給料」「世襲の損得」「指導法」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/385530

楠城祐介監督(九州国際大/42歳)

22日に神戸国際大付(兵庫)と戦うのが、監督交代後、初の甲子園出場となった九州国際大付(福岡)だ。前監督は西武や楽天で長年スカウトや編成担当として活躍した楠城徹氏(75)。2023年に退任し、元プロ野球選手でもある息子の楠城祐介監督に後を譲った。そんな楠城監督を直撃した。

──楠城監督は08年ドラフト5位で楽天に入団し、ヤクルトに移籍して13年までプロでプレー。指導する上で、プロと高校生との違いは感じますか?

「高校生というかアマチュアとプロとの一番の違いは、基礎練習の反復です。これはプロの方が圧倒的に多い。メディアではプロ野球選手の華やかな部分が多く紹介されますが、実際は地道な反復練習をひたすらこなすのがプロ。僕は実績はありませんが、いろいろと見聞きはしている。そこを今の子たちに伝えることが、僕にできる一番のことと思っています。特に今の時代はSNSや動画で、情報があふれ過ぎている。それを見ただけでうまくなる、と思っている子も多いんです。僕の小学生の息子も野球をやっていますが、『今日は練習したか? 素振りしたか?』と聞くと、『YouTube見たよ』と、動画を見て勉強した……そんな感じなんですね。でも、反復練習の大事さは僕が口を酸っぱくして言っているので、部員は理解しています」

──監督就任の経緯を教えてください。父親の楠城前監督が学校に推薦したのですか?

「それもあったでしょうけど、父が70歳を越えた時に学校から監督の打診があったんです。僕は16年に『コーチが足りないから来てくれ』と父に言われ、3年間だけの約束でコーチになったんですけどね(笑)。だから学校側の『そろそろ若い指導者に』という打診にも、最初はノーと言いました。その後は何度も話し合い、父からも『ぜひともやってくれ』と言われたので……」

──結果として世襲であることに非難はありましたか?

「直接言われることはあまりないですけどね。仲のいい人は冗談で言ってきたりしますが……。日本は世襲を嫌がる風潮なので、そこもわかります。ただ、僕もずっと父と比べられ、プロに入ってからも、常に父の名前がついて回りました。はじめの頃は相当悩みましたよ。でも、いろいろと考えるうちに『父の息子であることに悪い部分もあれば良い部分だってある』と思うようになりました。どんな立場でも良い悪いは半々だと」

──恩恵も?

「僕が高校野球の監督をする上で、一番大事にしているのが卒業生の進路です。そこは父が長年、スカウトで培ってきた人脈、つながりがあり、そこは僕も恩恵を受けられる。『ああ、楠城さんの息子か』と可愛がってもらえることもある。卒業生の進路という点では大きいですね」

──現在、楠城前監督は何をされているのですか?

「野球部顧問として残ってもらっています。普段は中学生を見て回ったり、試合や練習でアドバイスをもらうこともあります」

──現在は事務職員。給料はどうですか?

「給料まで聞くんですか?(苦笑) 父や(前々監督の)若生さんはいわゆる職業監督でしたけど、僕は正規の事務職員ですから、普通の私学の事務職員と同等の額しかもらってませんよ」 
2026/03/21(土) 22時12分40秒 No.2342 編集 削除