自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

ようこそいらっしゃいました。監督(管理人)の宏鈴法師です。当掲示板は全国どこの話題でもOKですのでどうぞ野球談義・よもやま話をお楽しみ下さい!なお、ご意見ご要望はメールでお願いします。悪しからずご了承くださいませ。


紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
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⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(4日目 1・2回戦)
紀三井寺球場
 ☆☆ 09:00~  星 林 -日高 中津   
  ☆ 11:30~ 和歌山南陵-和歌 山東    
    14:00~ 串本 古座- 粉 河

上富田球場
    09:00~ 南部 龍神- 熊 野
    11:30~ 有笠 紀貴- 新 宮    
 ☆☆ 14:00~ 和歌 山工-智弁和歌山      

マツゲン有田球場
  ☆ 09:00~ 紀 央 館-高 野 山     
    11:30~  耐 久 - 橋 本 

⚾明日の兵庫大会組み合わせ(初日 1回戦)
明石トーカロ球場
    10:00~ 武庫荘総合- 明 石
    13:00~  滝 川 - 高 砂

ウインク球場
    10:00~  龍 野 -姫 路 西
    13:00~ 須 磨 東-市 西 宮

G7スタジアム神戸
    10:00~ 姫路 飾西-須磨 翔風
    13:00~ 尼 崎 工-豊岡 総合

ReFillスタジアム
    10:00~ 北摂 三田- 洲 本
    13:00~ 川西 緑台-東洋大姫路 

ベイコム球場
    10:00~ 小 野 工-神戸鈴蘭台
 ☆☆ 13:00~ 滝 川 二-関西 学院

📣安濃球場の改修を 三重県野球協議会、津市に要望書
https://news.yahoo.co.jp/articles/da6e6a05cb6d8a4bde1415b48d8af4510bdb5ee6

三重県内12の野球団体が加盟する県野球協議会が10日、「津市における野球場などの整備及び持続可能な野球環境の構築」に関する要望書を津市の前葉泰幸市長に提出した。

加盟団体の意見をまとめたもので、施設面では安濃中央総合公園内球場の改修を中心に要望。アクセスの良さなどで学童から社会人まで幅広い層の利用がある一方、令和6年の完成以降ほぼ手つかずで老朽化が著しいという。

市は来年度以降、外野芝生の張り替え、スタンド棟の雨漏り修繕などに取り組む計画だが、「この機会に施設全体の劣化状況を調査し、大規模修繕・改修を求めています」としている。

令和3年に、大規模改修を行った津球場公園内球場も溝蓋の老朽化、観客席の熱中症対策などの課題が残るという。関係者は「華美なものを求めているのではない。最低限のところから」と改善への理解を求めていた。

☟第79回秋季東海地区高等学校野球三重県大会 2試合目の観覧について
https://mie-kouyaren.com/2026/09/11/%e7%ac%ac79%e5%9b%9e%e7%a7%8b%e5%ad%a3%e6%9d%b1%e6%b5%b7%e5%9c%b0%e5%8c%ba%e9%ab%98%e7%ad%89%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e9%87%8e%e7%90%83%e4%b8%89%e9%87%8d%e7%9c%8c%e5%a4%a7%e4%bc%9a%e3%80%802%e8%a9%a6/

今大会の秋季県大会は3回戦まで第1試合9時、第2試合15時00分の2部制で行います。
その際、第1試合終了後は一度観客席を空にするため退出していただきます。

再入場は13時30分からとなります。
また、午後の入場券販売は14時00分からとなります。

📣熊本県高等学校野球連盟への支援について
https://www.jhbf.or.jp/topics/detail/620

熊本県高等学校野球連盟に対して、日本高等学校野球連盟と46都道府県高等学校野球連盟は支援金1,000万円を9月8日付で送りました。

これは、令和8年7月28日に発生した熊本地震などで、特に熊本県内の城南地区(八代市、八代郡、宇城市)で甚大な被害が発生し、その影響で、県内各大会で使用している一部の球場の使用が難しく、秋季熊本県大会ならびに本年主管される秋季九州地区大会開催にあたって、追加の経費負担が想定されているからです。

1連盟5万円×46連盟=230万円
日本高等学校野球連盟=770万円  合計1,000万円

📝ドラフト1位候補・菰田陽生の今…山梨学院監督が語る「強豪社会人チームから“メジャーレベルだ”と絶賛された」「菰田級のスケール感ある野手はいない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8eac62170219fc99218c44bd596f0b7830123432

菰田陽生を初めて見た日

――菰田陽生選手は、昨夏の甲子園で二刀流として大きなインパクトを残しました。身長195センチ、体重100キロ超え。「逸材」との2年4カ月を振り返っていただけますか? 

吉田洸二監督(以下、吉田) 出会いは、幕張総合(千葉)の監督だった柳田大輔さんからの紹介でした。私が清峰(長崎)にいるころから交流がありまして。かつて私が彼に「監督を辞める前にもう一度、今村(猛/元広島)級のピッチャーに出会ってやりたいんだよね」と漏らしていたようで。それを覚えていた柳田さんから「自分の出身シニアにいい選手がいる」と連絡をもらったんです。それが菰田でした。

――それはいつ頃ですか? 

吉田 中学2年の11月くらい。すでに身長が193センチあって、体重は90キロ前後でバランスはよかった。そこから、何度か会っていくうちに菰田自身が山梨学院で頑張りたいと。縁があったんでしょうね。

――他校からの誘いも多かった? 

吉田 いや、少なかったと思いますよ。何校か熱心に声をかけた学校はあったようですけど。というのも、初めて私が見た後、肘を剥離骨折して、その後手術までしてる。だから菰田は中3のほとんどをプレーできなかったんです。

1年夏はベンチ外…能力の開花

――世にバレずにいた「隠し球」ともいえた。

吉田 「隠し球」だったら良かったんですけど、入学してきた時は別の意味で驚きました。体重が108キロまで増えていて、しかも上半身が細いのに、下半身に肉がついていた。見るからにアンバランスな体形で、「これは時間がかかるな」と。とりあえずケガをしないように、ベンチの横にエアロバイクを購入して置いたんです。毎日1時間半漕がせてから練習に参加させていました。

――最初から戦力だったわけではなかったんですね。

吉田 たまに練習試合で打席だけは立たせると、場外ホームラン打ったりとか、すごいところは見せていたんですけど、当時はまだDH制もなかったし、守備のレベルも低く、そもそも体が動かない。1年夏も当然ベンチを外れていました。つづく秋もほぼ守るところはなかったと思います。

――でも、1年秋の関東大会で登板していますよね。東海大相模戦でした。

吉田 ピッチャーがいなかっただけなんです。それに、菰田は打席に立ったら、ドラフト候補だった福田(拓翔)君の147キロをセンターへバーンと打ったりもする。まだ菰田の能力を測りきれていなかったのが正直なところでした。

2年夏の甲子園でブレイク、8者連続三振…

――そうして2年春のセンバツ甲子園で存在感を発揮しました。

吉田 あの時も、まだ主力ピッチャーではありませんでした。でも、菰田が報道陣の前で「150キロ投げたいです」と言ったことで少し注目を集めてしまって。そのとき菰田を呼んで説教したんです。「150キロとか160キロとか、まだ投げもしない野球選手が言っちゃいけないよ」と。で、甲子園で経験だけでも積ませようかとマウンドに送ったら、いきなり152キロを出した。おいおいって(笑)。試合終わった後に「やるな」と声をかけたら、菰田は何て言ったと思います? 「室内で156キロ出てたんで。150はいけるかなと思いました」と言うんです。

――すでに150キロを超えていたのですね。

吉田 練習では投げさせてなかったので、自分で夜に測っていたのでしょうね。そこから春の関東大会では8者連続三振もあった。その後は肘に張りがあって休ませてたので、あまり投げてないんですよ。でも、甲子園に入ると県大会で奮闘した檜垣の疲労が出て、逆に菰田の調子がグッと上がった。それで全試合先発となりました。

――それが菰田選手の2年夏の甲子園。豪快な打撃も相まって、大会の顔の一人になりました。「NEXT大谷翔平」という見出しも躍りました。

吉田 でも、不思議なもんで「菰田がいるからチームが勝てる」と思ったことは一回もないんです。「あいつを気持ちよく投げさせれば絶対負けない」というタイプだった今村(猛)とは対照的で。ピッチャーとしては変化球を上手に操れなかったという部分があるからかな。ただ、とにかくすごいプロ野球選手になるだろうなという思いだけは、今でも1ミリも揺るがないんですよね。

「プロ野球を通り越してメジャーレベル」

――何がそう思わせるのですか? 

吉田 何だろうなあ……打者としては、木製バットとの相性がいい。なんで木のバットで打たせなかったのか後悔してるくらい。

――木製バットへの順応は高校生野手の多くが苦労する部分ですよね。

吉田 実はこの前、菰田がある強豪の社会人チームの練習に参加したんですよ。(3年夏の)甲子園に出られませんでしたし、実戦感覚を戻したいと思って。そしたら、チームの方々から、プロ野球を通り越してメジャーレベルだと絶賛されました。甲子園の打席には立てなかったけど、入部以来、今が一番絶好調。今大会を見ていても、菰田級のスケール感のある野手はさすがにいなかったと思いますよ。

――なんだか、ずっと吉田監督を“裏切り”続けていますよね。いい意味で。

吉田 おっしゃる通り。毎日4打席に立たせてもらえる世界に入った時の彼の成長はすごいと思う。本当に末恐ろしいですよ。

――吉田監督は打者でいったほうがいいと。

                 〈つづく/第4回へ〉

📝「メジャーはすべてお断りしている」山梨学院・菰田陽生、じつはメジャー20球団以上が興味…吉田洸二監督が語る“逸材の進路”「本人の意思を尊重」
https://news.yahoo.co.jp/articles/88acf675eec2c3fea1455ed5d76b6de02ad4bfd7

菰田は投手か、打者か?

――菰田陽生選手について吉田監督は打者でいったほうがいいと。

吉田洸二監督(以下、吉田) いや、それはわからないです。今でもわからない。打者かなと思うと、ブルペンですごい球投げるし、ブルペンを終わるとグラウンドでバッカバカ飛ばす。あれ、やっぱピッチャーだよな、バッターだよな、と揺れる。

――吉田監督はU18日本代表のコーチとして大谷翔平選手を指導されていますよね。菰田選手も二刀流に挑戦すべきか、あるいはどちらかに専念すべきなのでしょうか。

吉田 菰田本人はピッチャーが楽しいみたいですね。自分主導でやれるから。まあでも、大谷選手はMLBを含めて100年に一人、まさにベーブ・ルース級の選手なので、さすがに菰田と比べるのは避けた方がいいのかなと思っています。だけど、今の日本人野手で、投打で両方点数をつけられるとしたら、二刀流で成功する可能性が高いのは菰田だと思う。あくまで、点数化して考えた時の場合ですけど。

――プロ注目の逸材を育てるプレッシャーみたいなものはありましたか? 

吉田 いやいや、入学時は大した選手ではなかったので、そこの苦しさは私は感じませんでした。1年生からバリバリのレギュラーだったらあったかもしれないけど。途中、私も「球界の宝になる」と言ってしまったくらいですからね。それくらい、将来性というかロマンの塊だと思ってますよ。私がプロ野球の球団社長だったら絶対に取っておいてと言います。

「メジャー20球団以上が視察していた」

――MLBの数球団が熱視線を送っていると聞きますが。

吉田 数球団レベルじゃないですよ。20球団以上。本当に多くの関係者が視察に来られてて。でも、メジャーはすべてお断りしてるんで。

――吉田監督としては、プロ野球のほうがいい? 

吉田 私の意思よりもまずは菰田の意思を尊重しました。私もそれがいいと思ったのは、メジャーだと這い上がっていかないといけないじゃないですか。その力は菰田にはあまりないと思う。しっかり育ててもらわないと、伸びない選手なんで。メジャーと天秤にかけるのではなく、育ててください、よろしくお願いしますという気持ちで日本球界に行った方が彼にとってはいいと思った。菰田自身もそう思っているなら、しっかりと日本球界一本と言いなさい、と言いました。そこは菰田を2年4カ月見てきて確信があったんです。いずれメジャーのレベルに到達しないといけない選手だけども、まずは日本球界で勉強した方が伸びる。シンプルにそう思っているだけです。

甲子園の変化「絶対王者は出にくくなる」

――菰田選手らがいて、チームに手応えを感じながらも、今夏は県大会で敗退となりました。これを契機に、山梨学院も練習スタイルを大きく変えたというお話がありました。

吉田 ずっと勝利を優先してきた山梨学院がいま、どこを目指すかというところが大事です。ある程度のレベルの選手を絞って鍛えてきましたが、おかげさまで少しずついい選手が来てくれるようになった。育成力と、いい選手が集まる仕組み。その両方のバランスを意識しています。

――これからは、育成力がないと勝てない時代になっていく? 

吉田 中学生もそこを重視して選びますからね。甲子園だけでなく、その先も見据えて。ネームバリューだけでは人が集まらなくなってきた。

――甲子園の絶対王者が生まれにくくなってきた、ともいえるのでしょうか。

吉田 そうでしょうね。突出した高校が出にくい環境になってくると思う。敗戦を受け入れて新チームが始まったとき、もうタレントが集まるだけの学校に対してビビる必要はないなと思いました。それが一番の収穫です。

7回制はどう思う?

――最後の質問です。甲子園の7回制についてはどう思いますか。

吉田 仮に採用されたら、野球はずいぶん変わるでしょうね。それぞれの監督の考え方になるけれど、7回制だったら最初からバンバン投げさせないと勝てなくなる。戦い方がまったく違ってくる。かえってピッチャーを酷使する可能性だってあります。新しい施策はどんどん取り入れていいと思います。リプレー検証だって地方大会でもやってほしいですし、猛暑対策するんだから監督だってサングラスをしていいでしょう。でも野球そのものが変わってしまうルール変更はすべきではないと思いますね。

――今夏の敗戦を受けて、考え方が大きく変わった。吉田監督にとっても転機だったというのが、すごく伝わってきました。

吉田 この転機がいいほうに向かえばいいなと思います。

⚾岩手さんへ
山梨学院は県大会で負ける要素がなかっただけに関係者は大ショックだったでしょうね。ましてや勝った帝京三が決勝で負けて山梨代表・東海大甲府も鶴岡東には勝てたものの2戦目で健大高崎にエース温存で0-1と無抵抗主義で最後は1死1・3塁のチャンス作るも初球サードゴロゲッツーと。。。。。1試合限定で甲府を甲子園球場1塁内野席で熱烈応援していたボクはいたたまれなかったですね。

やはり菰田の骨折が尾を引いただろうし、選手層も厚いはずが。。。誰が投げても他校では充分エースが務まる逸材揃いの投手陣だったと思いますが。

智弁学園は熱中症で3人ほど途中離脱したらしいですね。橿原はあまり風が吹かないし、試合当日は相当熱かったらしいし、直射日光が当たる3塁側ベンチでしんどかったと。一応、ベンチには扇風機くらいあると思われますが、松阪のドリームオーシャンスタジアムのベンチはもっと熱いはずだし・・・・・。
あの敗退で近畿は京都・滋賀に続き奈良も期待できないと思いましたが、天理が上手くカバーしてくれたので助かったと。

桐蔭は2年生川本投手がベンチから外れたのが全てではなかったかと。エース・吉岡はセンバツもかなり苦しかったし大阪大会7試合勝ち抜ける力はなかったのかもしれません。
センバツでは西谷監督がエンドランかけまくって相手を揺さぶり、川本投手の好投にサヨナラ負けのピンチでレフトのバックホームなど守備で助けてどうにかこうにか面目を保ちましたが、メッキが外れたのかなと。ただ、思ったよりもかなり早く川本が戦列復帰したのでセンバツ連覇の可能性もあるし対戦相手にとって一番やりにくい相手ではないかと。

京都国際は最近秋が弱いですね。小牧監督いわく「野球のやの字も知らない」選手らしいし、平安は監督交代が相当痛いですね・・・。原田監督が復帰すればすぐに再建できるとは思いますが。
滋賀も多賀監督の勇退が本当に痛いですね!滋賀学園は早くもセンバツ絶望だし、近畿2~3校出てもあまり期待できないかと。

P・S 昨日は雨をかいくぐってどうにかこうにか奈良・平城宮跡をJR郡山駅前でレンタサイクル借りて散策しました。昼過ぎから雨降りましたが適当に雨宿りしつつ、間隙を縫って自転車返却しその役3分後から本降りの雨が・・・甲子園の阪神-広島も中止になったが、阪急電車で最寄り駅着いたら雨やんでいたので自転車で家まで帰れたと。

本来、火曜日に行きたかったが雨天順延したけど、昨日行かなければ2週間連続ほぼほぼ雨予報に週末は野球観戦あるので・・・ここしか行くタイミングがなかったと。

道中、大和郡山城に寄り道して時間の都合上すぐ横の郡山高校は横目で見ただけですが、大和郡山市から奈良市へ行く道中あの「森本バッティングセンター」の横を通りました。
私学全盛の昨今ですが、平成初期まで郡山も天理・智弁を倒して幾度も甲子園出てましたね。
2026/09/11(金) 22時24分47秒 No.2613 編集 削除
 山梨学院今夏甲子園優勝も夢じゃない!でも現実は。
 今夏は、選抜大会ベスト4が、すべて予選敗退だったね。
 山梨学院は投打二刀流菰田の選抜大会の死球が大きな痛手だったし、他にも主力のケガ人があったんだね。
 智辯学園もエースだったか4番打者がケガで欠場が大きく影響したみたいだね。
 桐蔭は投手力で他を圧倒するまではないけど、駒はあるよね。
 コロナ禍、低反発バットが桐蔭には強豪チームとの実戦経験不足にバットの影響が大きく出ちゃっているのかな?
 いまだに、桐蔭は得点力が無いかな?
 今夏の初芝立命館だったかな?
延長タイブレーク満塁でスクイズ決めたと思ったら反則打球を取られて得点Χになってしまい最後はしょうがないけど、以前ならスクイズなんてしないはずだけどね。普通打たせて得点取れていたのが、タイブレークになるって言う事は接戦だからね!
 弱くなったわけじゃないけど、2度の春夏連覇、選抜大会優勝しているしね!野球は分からないね!
 大阪もガラ〃ポンがいいかな?
京都も平安→国際になったかなと思ったがそうでもないし、滋賀も近江、学園がと思いきや八商だし分からないね!高校野球はね。
2026/09/11(金) 21時57分32秒 No.2612 編集 削除
⚾今日の和歌山大会一次予選試合結果(3日目 1回戦 紀三井寺球場)
紀 北 工3-1田 辺 工・那  賀8xー7南  部

☝PL学園高OB田中一徳氏、山口鴻城高監督に就任 1998年メンバー初の高校監督に
https://news.yahoo.co.jp/articles/03b2b128356ffe08a983a0ce469f5023396b6314

PL学園高(大阪)出身でプロ野球横浜(現DeNA)の元外野手、田中一徳氏(44)が山口鴻城高の野球部監督に就任したことが9日、分かった。昨年4月から同部部長を務めており、秋季山口大会(12日開幕)が公式戦初采配となる。

田中氏は、高校2年時の1998年夏の甲子園準々決勝の横浜高(神奈川)戦に「1番・左翼」で出場。延長十七回の末に敗れたが、松坂大輔投手から4安打を放った。2000年ドラフト1位で横浜に入団。1年目から1軍デビューを飾り、通算341試合に出場した。06年の退団後は、日本学生野球協会から学生野球資格の回復を認定され、拓大紅陵高(千葉)、日本経大、鹿児島第一高でコーチを歴任してきた。

山口鴻城高は夏の甲子園に3度出場した古豪で、田中氏がPL学園高時代に指導を受けた清水孝悦氏が総監督を務めており、昨夏はベスト8、昨秋は3位で中国大会に出場。今春はベスト4と徐々に力をつけている。98年の甲子園メンバーでは平石洋介氏がプロ野球の元楽天監督、大西宏明氏が独立リーグ・関西地域プロ野球リーグの堺で監督、松丸文政氏が近大監督を務めているが、初の高校野球監督となる。

田中氏はサンケイスポーツの取材に「やる以上は甲子園で勝てるチームを目指す。来年は甲子園に連れて行きたい」と意気込みを語った。
秋季山口大会の初戦は19日で、美祢青嶺-西京の勝者と対戦。前監督の田村智氏は部長に就任する。

📝“甲子園優勝候補だった”山梨学院の誤算「主力4人が夏に復帰したが…」吉田洸二監督が明かす「落とし穴があった」絶対王者はなぜ地方大会で敗れたか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/b711662ce7ad7b76d363de54b1856f91e1d65121

今夏、甲子園優勝候補にも挙げられながら山梨大会で敗れた山梨学院。なぜ県で敗れたのか。吉田洸二監督に訊く、王者の異変。【全4回の1回目】

「甲子園優勝狙えるんじゃないかと」

――昨秋の関東大会で優勝、春は甲子園で8強。夏はまさかの山梨大会敗退となりましたが、甲子園の優勝候補とも目されていたチームに手応えはあったのではないでしょうか。

吉田洸二監督(以下、吉田) 予想以上に伸びたチームだった、というのが正直な思いですね。その大きな要因となったのは、菰田(陽生)・檜垣(瑠輝斗)・木田(倫大朗)という3年生のピッチャー陣が急成長を遂げたことです。もともと、“谷間の世代”とも呼ばれ、私自身もそこまで大きな期待をかけてはいなかった。でも、彼ら3人が見事な成長を遂げてくれたことで、優勝を狙えるんじゃないかという思いに変わった。野球はやっぱり投手力ですからね。

――吉田監督としても、甲子園優勝を狙う夏だった。

吉田 もちろん、狙ってました。でも今だから話せるのですが台所事情がとてつもなく苦しかったんです。

――それは、センバツ初戦で左手首を骨折した菰田選手の長期離脱が大きかったということですか。

吉田 たしかに菰田の骨折は痛手でした。けっこうな大ケガでしたからね。ただ、投手力の心配よりも、点が入らないと思いました。菰田がいるから小技を使える選手が活きる。彼らがいて菰田も活かされる。そんな打線でした。実際に、センバツで次に勝った試合(大垣日大戦)は3-1。その次の試合(専大松戸戦)も1-2で負けてるんでね。菰田の不在がまさに結果として表れている。でもチームとして、「おやおや?」と一抹の不安を感じたのは、センバツの前でした。

誤算…故障の連鎖があった

――というと? 

吉田 実は、左腕の檜垣の状態がよくなかったんです。公にはコンディション不良としましたが、それは対戦相手に「投げるかもしれない」と思わせたかっただけで、実際のところ間に合っていなかった。檜垣は気の毒で、センバツ前の疲労骨折から、復帰に向けて頑張りすぎちゃって、キズが広がったんですよ。復帰が夏まで長引いてしまった。檜垣の不在、菰田のアクシデントがあったなか、センバツは木田と2年生の渡部(瑛太)の2人の左腕が頑張ってくれたことが収穫でした。とくに渡部は大会中に急成長し、その後の関東大会もすごくいい投球をしました。ただ、その渡部も夏の山梨大会を前に足を肉離れで離脱。よくなるがゆえの肉離れといいますか、出力が上がりすぎたんですよね。

7月に4人復帰…「落とし穴があった」

――春季大会の後、「最後のひとり」木田投手も欠場しています。

吉田 木田も関東大会の前に疲労骨折していたんです。もともと彼は喘息持ちで、走り込みをそこまでやらせていなかった。アップも別でやっていたくらいの時もありました。ただ、喘息がだいぶよくなり、本人もメキメキ自信をつけて、頑張っていた矢先の疲労骨折でした。木田も離脱。渡部も離脱。世間には言わなかったけど、対戦した高校は投げてこないからみんなわかっていたと思います。

――春先に投手を“4枚”も欠いていたということですか。

吉田 しかも、4人とも7月に戻ってくるという状況。ぶっつけ本番です。さらに、菰田とクリーンアップを組む2年生の杉村(空飛)と1年生の倉田(雄星)までもがケガで実戦を離れていた。こんなことは監督人生で初めてでした。ここまで選手のケガで苦労したことはなかったものですから。

――ただ、夏の山梨大会ではいずれもメンバー入りを果たしています。

吉田 まさにそこに“落とし穴”がありました。

「練習は好調。しかし…」

――落とし穴? 

吉田 夏に向けて練習してきた選手たちには一定の疲労感がありますよね。そこから疲労感をなくして、夏の山梨大会に入っていく。一方で、7月に復帰した主力メンバーは、状態も気持ちも上向き。クリーンアップの3人にフリーバッティングさせたらすごいんですよ。投手陣もなんとか間に合った。周りからすれば山梨学院は結局、盤石じゃないかと思っていたはずです。

――吉田監督もそれを見て、いけると思った。

吉田 そう。私もやってくれると信じていたし、選手たちもいけると信じていました。ところが、大会に入ると全然違った。1回戦、2回戦、先発した檜垣もリリーフした木田も球がきてなかった。菰田もホームランを打ってるんですけど、コンタクト力がかなり落ちていると感じました。

「勉強になった」チームの異変

――つまり、異変があったと。

吉田 そうです。準々決勝は駿台甲府を相手に、今夏の軸になる渡部を先発させて7-0で勝ちました。結果だけ見ると、力のある相手を一蹴したように見える。けど、よくよく考えてみると、杉村・菰田・倉田のクリーンアップが打ててないんですよ。下位打線がつながって、なんとか点数が入っているだけ。ケガ人は戻ってはきたけど、戻ってくることと実戦で活躍することがイコールではないということを身をもって経験しました。これが今年の夏に私がした一番の勉強。ケガ人が出たから、と言い訳したいわけではなく、これまでその経験が私にはなかったんです。

――実戦感覚が欠けていた、と。彼らが復調するまで、既存のメンバーで挑むという選択肢もあった? 

吉田 ピッチャー全員がリハビリ明けだったわけですから。打線にしても、杉村・菰田・倉田をクリーンアップではなく、下位打線に置いても良かったかもしれない。でもね、誰を使うとか使わないとかって、練習や今までの実績が基準になるものなんですよ。菰田が復帰したのに、7番や8番に置けるかというと、それは難しかった。“練習”では好調でしたからね。

                〈つづく/第2回へ〉

📝王者・山梨学院まさかの敗退ウラ側「甲子園4強がまやかしに…」甲子園優勝監督が語る敗因…敗れた相手校監督に電話、ガラリ変えた“チームの体制”
https://news.yahoo.co.jp/articles/34813032a0537be331fe80a4183c0dd1dcc49499

疑問視された投手起用ウラ側

――山梨大会の準決勝・帝京三戦は、長期離脱明けの菰田陽生投手でも檜垣瑠輝斗投手でもなく、先発に木田倫大朗投手を起用しました。

吉田洸二監督(以下、吉田) 檜垣を投げさせることは、実はもう頭になかったんです。1、2回戦は投げさせたんですけど、まだ本調子とは程遠いことがわかった。この起用を疑問視する声もありましたが、私は一番安定感のある木田がなんとか3回まで粘って、あとは今夏の主軸として期待していた2年生・渡部に託そうと。そういうプランでした。

――3回表に4失点。逆転を許しました。

吉田 1イニングに4失点とか、県内の公式戦で過去10年くらい遡ってもないんじゃないかな。そこが勝負の分かれ目でした。でも、帝京三の野球はすごく良かった。

――どのあたりにそれを感じました? 

吉田 うちのバッターの苦手なところを徹底してついてきましたね。

敗れた監督に電話「そんなことしたことはない」

――研究されていた、と。たしかにこの日の山梨学院は4安打止まりですね。

吉田 翌日、帝京三の監督(大牧大輔氏)に電話したんです。今までそんなことしたことはないですよ。でも自分の中で「やられた」という思いがあったので、なぜ負けたかということを深く理解したかった。聞くと、とにかく1年間、私に「お前強くなったな」と言ってもらいたくてやった、と。そもそも、向こうは勝てるなんて思ってなかったそうなんですよ。認めてもらいたい一心だった。そんな純粋な思いが、生徒さんにいい形で乗り移ったのかなと。

――帝京三はすべてをかけて挑んできた。

吉田 うん。逆にこちらは、そこまで研究できていなかった。帝京三への準備は他のチームよりも少なかったというのはあったと思います。電話の時、木田を先発させたことに驚いたと言われました。というのは、1年前の練習試合でまったく木田を打てなかったそうなんです。向こうは打ち取られてるから覚えてますよね。でも私は忘れていてね。同じ山梨で、いいなと思っている監督さんだったんで、敵対する気持ちがあまりなかったんです。ただシンプルに檜垣の調子が上がってなかったから木田にしたということだったんですけど。それに木田のような変則投手は、何がなんでもくらいつこうとするバッターからしたら、意外と打ちやすかったのかもしれないですね。

記者の質問「奢りはなかったか?」

――ひねくれた言い方になるかもしれませんが、チームに“驕り”はなかったのでしょうか。

吉田 いや、驕りはないです。でも、チームの内情を誰よりも知っている私からすると、決して番狂わせではなかった。そんな敗戦でした。あと、もう一つ言うと、前日に大阪桐蔭が敗れたというニュースが飛びこんできて、あれで選手たちが硬くなった部分はあるかなと。地方大会って、どこかで番狂わせがあると、連鎖反応するもんなんですね。

――試合後に吉田監督は「申し訳なかった」と報道陣の前で言葉にしました。その真意は? 

吉田 選手たちは甲子園で上位を狙えるという思いで私についてきてくれたし、3年生の保護者の方々のまとまりも素晴らしい世代でした。試合に出た選手だけでなく、控えメンバー全員が号泣している姿を見て、チームが一つになって出場した大会だったと感じました。信じて、任せてもらってきた中で、いくらアクシデントがあったにせよ、「西宮で終わろう」ということを掲げてやってきたんで、それができなかったから素直に申し訳ございませんという言葉が出ました。その思いは今でも変わりません。

――ミーティングでは頭を下げたとか。

吉田 下げました。本心だったので。頭を下げるというのは、そんなたいそうなことじゃないのかもしれないですね。本気で思っていれば。

ガラリ変えた…チームの作り方

――この敗戦は吉田監督にとっても大きなものだった。

吉田 チーム作りを底上げしないといけないと学びました。ケガ人が出ても代わりの選手が頑張る。ケガ人が復帰しても、頑張った選手たちを軸に地方大会を戦って、ケガ明けの選手は代打か打順を下げてやるというぐらいのチーム作りを今後はしていこうと思います。今まではレギュラーを固定して特化していくのが山梨学院。9人をガチって決めて。そんなイメージがあるでしょう?  新チームからガラリと変わりました。

――それは吉田監督の発案ですか。

吉田 大会後にスタッフのグループLINEに投げかけました。すぐに部長からも返事があって、システム的なところで限界があるんじゃないかという意見でした。

「メンバー絞って特化…をやめた」

――新チームでは、実際どのように変革があったのですか? 

吉田 昨夏の甲子園4強がちょっとまやかしになっていた部分もある。甲子園で上位にいくようなタレントがいる学校に勝つためには、ある程度メンバーを絞って特化しないといけないと思って練習してきた。5回連続で関東からセンバツに出ることってすごい記録ですよ。特化しないとここまでの成績を出せなかったとも思う。けれども、それだと最後の地力がつかない。それを学びました。

 これまでは明確な役割分担があったのですが、今はAチームを見ていたメインのコーチがBチームをみています。Aチームを私ともう一人のコーチで見る。Aチームで動きが悪かったり、サボってるなと感じた選手がいたら問答無用でBチームに送り、Bチームで調子のいい選手をAチームに上げる。二軍には厳しいコーチが待ってるというのは、まさにプロ野球の原理ですよね。

 入ってきた生徒に平等に機会を与え、その中から成長した選手を並べて力で勝負する。練習の指針も「ウサギとカメ」で言えば、私たちはずっとウサギでやってきた。この秋にすぐ成果が出るとは思ってません。でも、ジリジリ進んで、最後はカメがいくような、そういうチームに、と思っています。こちらがケツを叩くのではなく、勝手に選手が頑張るシステム。だから今はすごく楽しいです。今までは菰田の練習を見るのが楽しかったですけどね(笑)。

               〈つづく/第3回へ〉

⚾岩手さんへ
浦和学院は父子で監督・部長をされ数年後に息子に禅譲と。なんだか神港学園や関西学院を見ているようですが、なかなかうまくいかないようで・・・・・。
まだ、浦和学院は息子さんが部長から監督になってすぐにセンバツ4強入りされたので結果を残したと思いますが、いかんせん激戦区・埼玉ならびに関東大会を勝ち抜かなければ甲子園に出れないので・・・・・。

花咲徳栄は赤よりも熱い「水色の炎」のアンダーシャツを着用しているし、🎵サスケなどハイカラなブラスバンドの応援もあり、最近はやらないけれどアルプスに『花』の人文字を作ったりと一目置いております。

和智弁に関してはここでも書いておる通り、古参の和智弁ファンはナカタニ野球を快く思っていないことは紛れもない事実ですよね・・・・・。本当に高校時代はイイ奴だったんですが。。。。。
そのままプロ野球でコーチか球団職員している方が理にかなっているような気もしますが。
高嶋先生が3か月謹慎処分を喰らった時には80歳近い鈴木投手コーチが監督をされており、三宅部長が采配振ってましたね。本来ならば20数年間コンビを組んでいた林 守が監督引き継いでも不思議ではなかったのですが。。。。。高嶋先生がそれをヨシとしなかったんでしょうね!仮に実現していたらホンマに箕島と同等以上の長期低迷時代に陥っていたかもしれないですね↓↓

ただ、林 守にしても奈良・智弁学園で約2年半監督して夏は2年連続甲子園出場してともに2勝挙げたし、5年の予定が半分に打ち切られて和歌山に帰ってきてギクシャクした模様でいつの間にかクニの京都に戻って文教の監督させてもらっているので、、、、、ホンマかどうかは知りませんが・・・某サイトにわかさスタジアム京都で試合中ブチ切れてベンチ内で水をぶちまけたとか書いてましたね。

僕は奈良智弁時代に橿原で何度か采配観ましたが、紀三井寺の時みたいに常に怒声を張り上げて高嶋先生以上に怖いイメージも消え、諭すような口調で指導していたのが印象的でしたが。。。
文教の試合昨夏に初観戦した折はまだ冷静でしたが、昨秋の3位決定戦では終始ブチキレてましたね!

ナカタニはあまり試合中円陣を組まないし、塩部長に任せてサングラスかけてイキっているだけかもしれませんが、、、つい最近今の奥さんとは初婚ではない(お互い再婚同士)と知り思いっきり意表を突かれましたね。

しかし、野球スタイルを考えたらナカタニの2つ後輩で大分に行ってしまった川崎あたりが和智弁の監督していたらベストだったかもしれません。喜多は部長時代に何度も見ましたが、本当におとなしかったので・・・。
2026/09/10(木) 22時38分35秒 No.2611 編集 削除
 浦学監督 父→子の件ですが、父の時は徳栄がまだ〃強くなりかけて来た位で甲子園出れば一応優勝候補になっていた事があるが、結果は期待外れも多かったような気がする。
 徳栄は15回再試合や夏優勝。京都国際と共に7,8年連続でプロ指名があり、今夏は初戦敗退(しんがり)でしたが、投手育成は上手な印象。
 福本まだいるかな?
父浦学↗️徳栄ー 子浦学🔽徳栄⤴️かな?私個人の意見、徳栄は専松みたいなチームじゃないかな?
 他チームだと
常総学院 木内さん
帝京   前田さん
横浜   渡辺さん
日大三  小倉さんなど関東では長く指導していたので、私のような野球馬鹿は勝手にイメージがついていて、あれ?野球が違う!勝っていればいいが、序盤早々敗退が続くとやっぱり前監督がとなるから大変だね!
 智弁和歌山ファンも高島さんだったらなと思う人は相当いるんじゃない!
 中谷監督も大変だよ!
高島さんが御遍路さんした時、もし辞任していたら誰かな?
 たらればいかんけどね。
帝京も小林とか、智弁和歌山は喜多だったらと思うが今になるとどうだろうかな。
 明徳義塾馬淵さんの後は大変だね!
桐蔭西谷さんの後は人材はいるかな?
2026/09/10(木) 21時34分51秒 No.2610 編集 削除
第2話 決勝での三重対決に向けて三重高打線爆発

5/24 春季東海大会 2日目第1試合 ダイムスタジアム伊勢 三重(三重②)-岐阜城北(岐阜①) 9:58~12:25 

    一二三四五六七八九十計HE
岐 城 北103010000 563 水野、田立、長屋、吉村聖、横山、町田-瀧戸
三  重03020201X 8120 皿井、三好、吉井、有原-東出、大西

        第二試合
        津田学園
        豊  川

 大会初日の雨で日程が大幅に変更され、こちらも予定を大きく変えざるをえなかった↓↓皮肉なことに橿原のさとやくスタジアムで開催されている近畿大会は予定通り1回戦4試合こなしたようだが、、、、、

初日は開幕試合の身で打ち切られ昨日の2日目は12時30分から1試合のみということで、1日繰り上げて養老鉄道の旅に出た。そしてヤドは桑名にとっていたので、朝から桑名~伊勢まで通勤通学で移動される方々とともに近鉄電車に揺られて大移動・・・・・。
宇治山田駅からバスに乗ってようやくダイムスタジアム伊勢に到着したが、平日ということもありスタンドはかなり寂しく、アルプススタンドは保護者のみしかおらず試合中もメガホン叩くだけの応援でかなり寂しかった・・・・・。

第1試合は三重VS岐阜城北。岐阜城北と言えば・・・昨夏(24年)智弁学園と初日第3試合で対戦し本来ならば3-2で岐阜城北が勝っていたのだが、いわゆる『奈良判定』がさく裂し、セカンドゴロダブルプレーで試合終了のはずが1塁塁審セーフの判定で試合が続き、直後にレフト前ヒットで追いつかれ延長11回タイブレーク9-6で燃え尽きた。。。
あの悔しさを知るベンチ入りメンバーも数名残っているはずで今春は中京などを下して優勝して三重県に乗り込み初戦は東邦に5-4とサヨナラ勝ちして今日は三重高との対戦。

ただ、三重は2日前に初戦を戦い聖隷クリストファーに勝利したが、岐阜城北は連戦となるので投手のやりくりが難しくさながらブルペンデーとなった。三重はもともと継投を主流にして勝ち上がってきたようなんで問題なさそう。2年生主体の投手リレーで勝機を探りたいところ。

試合は序盤から激しく動いた。まず岐阜城北が1回表から四球を足掛かりにセーフティーバントで1死2塁。2死後に4番・太田陽がセンター前先制タイムリーヒットを放ち主導権を握る。すかさず盗塁を決め皿井投手動揺したのか?連続四球で2死満塁と大ピンチを迎えつつも、7番・瀧戸をフルカウントから外123kmのストレートで空振り三振を奪い最少失点で切り抜けた。
その裏、岐阜城北の背番号11水野投手は対照的に三者凡退で最高の立ち上がりを見せ明暗分かれた。

2回表2年生サウスポー皿井は下位打線を簡単に2アウトとったものの1番・長江に四球。しかし2番・今井をレフトフライに抑え尻上がりに良くなっていく兆候は見せた。
その裏、立ち上がり完ぺきだった水野投手だが2回1死からセカンド内野安打を打たれリズムを崩し、6番・秋山2ストライクから盗塁を許し、直後の4球目に3塁線をゴロで破られレフトもこれを後逸し同点に追いつかれなおも1死3塁。7番・皿井投手にライトへの逆転ツーベースを浴びたところで秋田監督は早くも2番手・田立投手にスイッチ。彼は背番号20の1年生だが大事な場面でのリリーフということは相当期待されているのだろう。代わりっぱなデッドボールでピンチを広げ、9番・東出センター前にゴロで抜ける打球を放つも1塁走者の反応鈍くまさかの2塁封殺でセンターゴロ・・・。それでも1番・加藤がレフト前タイムリーを放ち3-1と突き放したところで、マシンガン継投に入り3番手・長屋投手が火消しに走りサードフライで継投が決まった。

逆転を許した岐阜城北だが、逆に打線に火が点き先頭の3番・町野がセンターオーバーのスリーベース。4番・太田陽がセンター前タイムリーヒットを放ちあっさり1点差に迫るも直後にけん制死・・・。しかし、四球を与えたところで沖田監督も早めの継投に走り2番手に同じく2年生三好を投入。送りバントと四球で2死1・2塁とされ、8番・鷲見がチームを救う左中間逆転タイムリーツーベースで2者生還し4-3。
乱打戦の様相を呈し面白くなってきた3回裏先頭の3番・東川がセンター前ヒット。1点を追う三重・沖田監督は攻撃的姿勢を見せてクリーンアップにノーバント野球でノビノビ振らせるも連続フライアウト。しかし2死から暴投と四球でチャンスをもらったが、7番・三好投手ショートフライに倒れ1点ビハインドで序盤が終わった。

4回表岐阜城北は1番からの好打順だったが簡単に三者凡退。2番手・三好投手が守りからリズムを作り流れを変えてその裏、1死から9番・東出がセンター前ヒット。1番・加藤も初球左中間ツーベースを放ち2・3塁と逆転のチャンスをつかんだが、沖田監督はここも強攻策でガンガン攻め2番・早川初球まさかのピッチャーゴロで3塁走者が挟殺され2死1・3塁。しかし重い空気を振り払うべく、3番・東川が1-1からレフト前同点タイムリーを放ち4-4。さらに4番・厳原もライトへ痛烈な打球を放つもライト町野がランニングキャッチで同点どまり。。。

5回表追いつかれた城北はすぐさま四球とセンター前ヒットで無死1・3塁と好機を作り6番・吉村大のセカンドゴロの間に5-5同点。ただ、なおも続く1死2塁のチャンスは得点ならずまだまだ予断を許さない。
案の定、その裏先頭の5番・福田がセンター前ヒットを放ち、定石ならば送りバントの場面だが、よほど打線に自信があるのか?沖田監督は終始強攻してレフトフライ。1死1塁で三好投手に代打・堀を起用して初球5-4-3のダブルプレーで5回終了整備に入った。

やはりこの試合もスローテンポで前半5回で1時間28分消化。津の開幕試合が3時間ゲームでこの試合よりも5分早く5回が終わったのだが・・・。5-5だけに延長戦の可能性も十分ありうる。
お互いエース温存しているだけにある程度の乱打戦は覚悟の上だったかもしれないが、追いつ追われつのシーソーゲームで生観戦でこういった試合はめったに見れないので伊勢に来たかいがあったと。
城北はすでに3投手の継投に入っているし、三重も代打の関係で6回から3番手投手が登板となる。誰を抑えに回して逃げ切り体制に入るか?あるいは反撃の糸口を見つけるべく試合の流れを食い止めるか???

6回のマウンドにはまたもや2年生トリオの一角・吉井投手がマウンドへ。三重高の今年の投手陣は2年生主体なんだろうか?左-右-左と相手の目先を変える継投で大事な6回表三者凡退に抑えて三重の反撃が始まる。その裏8番からの攻撃でサードゴロエラーと送りバントで1死2塁と相手にお膳立てしてもらい当たっている1番・加藤に期待したがレフトフライ。2死2塁で2番・早川カウント2-1からライトポール際に大飛球を放つも惜しくもファール・・・・・。これで球運潰えたか?と思われたが、直後にセンター前タイムリーヒットを放ちホーム送球を焦ったセンターのエラーも重なり打者走者2塁進塁。そして3番・東川がレフトオーバーの逆転タイムリースリーベースを放ち3たび試合をひっくり返し7-5。ここで秋田監督はロングリリーフの長屋投手に代えて4番手・吉村興を送り三重も4番に代打・東山起用もセカンドゴロ。まだ反撃の余地を残して終盤3イニング。。。
 
これまで劣勢から2度劣勢を跳ね返した岐阜城北だけにまだまだ終盤ひと波乱もふた波乱もあると見ていたが、、、7回表先頭の3番・町野が四球で出塁し波乱の匂いを感じたが、4番・太田陽カウント1-2からヒットエンドランを賭けたと思われるが、三重バッテリーに外されバッター空振り走者は盗塁死・・・。2死からまた四球で走者が出塁するも無得点で過去2度は逆転直後に得点したが3度目のドジョウはいなかった・・・。
その裏、三重は1死から6番・秋山がレフト前ヒットで出塁したが、打席には吉井投手。ヘタに打たせてゲッツー喰らうよりもここは送りバントで形を作ろうとするが2塁封殺で結局得点ならず。

8回下位打線ということもありおとなしく三者凡退、、、その裏岐阜城北は5番手・横山をマウンドへ。いきなり四球~暴投と自滅し、送りバントで1死3塁とされ2番・早川センター犠飛で貴重な8点目が入った。さらに3番・東川に四球を与えたところで6番手・町田を投入。結局エースは登板せず思い出作り???もできたところで、町田投手は4番・東山を外125km見逃しの三振に抑え8点失いながらもなんとか・・・。

三重は9回表4番手投手として3年生・有原がマウンドへ。1番からの攻撃で先頭打者に四球を与え3点リードとはいえ雲行き怪しかったが、2番・今井をカーブで三振に取りホッと一息。しかし3番・町野2-2からエンドランが決まりレフト前ヒットで1・2塁。ホームランが出れば土壇場で8-8同点となるが、、、、4番・太田陽は外111km見逃しの三振。最後は5番・石井が1-2からショートフライに倒れて試合終了。

両チーム合わせて10投手が投げるブルペンデーというかマシンガン継投で8-5という乱戦。2時間27分のロングゲームで地元の三重高が決勝進出を果たした。
どちらも1勝しただけにあえてエース温存して控え投手のやりくりでどこまで通用するか?とテストしたような手探りの戦いだったようにも見受けられ勝敗よりも内容を重視していた感じだった。
特に三重は中盤まではノーバント野球でイケイケドンドンと攻め6回以降にバントを駆使して点差を広げて逃げ切った格好だった。
岐阜城北はエースがどこかでリリーフしていればまた違った展開になっていたかもしれないが、5回までは互角の戦いで6回頭からエース投入して勝ちに行くこともできたが、4日間で3試合と強行軍になるので、ここらで一段落してクニに帰って明日は火曜日ゆえに学校でお勉強を選んだのかもしれない・・・・・。

第2試合は津田学園-豊川。人工芝のグラウンドに改修されたのでインターバルも40分程度で終わらせて試合開始となる。外野コンクリート席に移動して昼ご飯。ここで帰るので決勝は観戦できないが、願わくば三重県同士の決勝戦で大会が終わって欲しいと願いつつ・・・それは次回の講釈で。

チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 犠飛 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
岐阜城北 水 野  1 1/3  7  29  3  0  0  0  0  1  0  3  3
岐阜城北 田 立   1/3 12   12  0  0  0  1  0  0  0  0  0
岐阜城北 長 屋  4  20   72   7  1  0  1  0  1  1  4  3
岐阜城北 吉村聖  1 1/3  5  15  1  0  0  0  0  1  0  0  0
岐阜城北 横 山    2/3  4  17   0  1  1  2  0  0  1  1  1
岐阜城北 町 田   1/3   1   8   0  0  0  0  0  1  0  0  0


三  重 皿 井  2 1/3 14  54  3  1  0  5  0  1  0  3  3
三  重 三 好  2 2/3 12  40  2  1  0  2  0  0  0  2  2
三  重 吉 井  3  10   33   0  0  0  2  0  3  0  0  0
三  重 有 原  1   8   28   1  0  0  1  0  1  0  0  0

                         (完)  
                     
                       🌟次回予告🌟                    
5/26 春季東海大会 2日目第2試合 ダイムスタジアム伊勢 津田学園(三重①)-豊川(愛知①)
2026/09/09(水) 22時00分04秒 No.2609 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(3日目 1回戦 紀三井寺球場)
    09:00~ 田 辺 工-紀 北 工
    11:30~  南 部 - 那 賀

📝令和8年度秋季鳥取県高等学校野球大会(兼)第147回秋季中国地区高等学校野球大会鳥取県予選
https://tottori-hbf.jp/data/data-r8/r8-koushiki-06-autumn-tottori.html

📣2030年開催「プロ野球オールスターゲーム」に向け倉敷マスカットスタジアムに大型ビジョン整備へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/d024d4da2c818bf44875756f4f4884d28d4e72ba

岡山県は倉敷市のマスカットスタジアムに大型ビジョンを整備する方針を明らかにしました。2030年に開催されるプロ野球オールスターゲームに向け、球場の設備を充実させます。

倉敷マスカットスタジアムは1995年の完成から30年がたっています。県によりますと、現在の電光掲示板にはスコアや選手名などしか表示できないため、映像を流せる大型ビジョンの整備を決めたということです。迫力ある映像やリプレーの検証を映せるようにすることで試合をより楽しんでもらえるようにします。

マスカットスタジアムでは天然芝への張り替えを済ませたほか、オールスターゲームまでに約5800席の内野観客席も順次、更新する予定です。
県都市計画課は、2030年のオールスターゲームに向け、全国から訪れる人に「来て良かった」と感動を共有してもらえる球場にしたいとしています。

📝「親の視野は狭い」と自覚することから【智弁和歌山・スーパー寮母】が語る、伴走する子育て
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ccd8a3f16f79577c5eab1ab123cb94caac41f1a?page=1

智弁和歌山高校野球部寮「智翔館」の寮母を務めるのは、監督の妻でもある中谷千保子さん(43歳)。日々、子どもたちと向き合うなかで信条としていることをお聞きしました。それは、思春期の子どもたちだけでなく、すべての世代に通じるアドバイスでした。

受け身でいることが当然の子どもたち 人生を切り開くために必要なのは、思考力と強さ

「私が今の子どもたちに対して一番危機感を持っているのは、全てに対して受け身という姿勢です。智弁和歌山野球部員として、寮に入ってくる子どもたちでも変わりはありません。その原因の一つだと感じているのは、それまで受けてきた教育。今の日本の教育って大前提として大人の理想とする答えが示され、その答えに対してマルバツ(=成績)がつけられる受け身の教育構造になっているんです。大人から言われたことを素直にこなす子どもがいい成績をとり、評価される。でも、人生って受け身なだけでは切り開いていけないんです。目標を設定してそこまでの道筋を自分の頭で考える思考力と、行動に移し、いざというときに踏ん張れる力を持って生きていかなければ、壁を乗り越えられません。そのためには常々、今、何をすべきかを子ども自身に考えさせることが大事だと思っています。私は常日頃から「今日は何を思って、グラウンドへ行くの?」と、声掛けをしているとお話しましたが。もし、子どもが「何って、なに?」という状況ならば、自分で考えられるようにいろいろ質問をなげかけていきます。子ども自身が目標とすべき未来の輪郭が見えてきたら、そのために今やるべきことも明確になってくるはず。あとは、その何かに向かって自走できるようになれば、もう大丈夫。子どもの未来は大きくひらけてくるはずです。」

思春期は子どもと向き合うラストチャンス、どんな時も応援する姿勢を忘れずに

「私から思春期のお子さんのいるSTORY読者のお母さん方に子育てのアドバイスをするとしたら第一に『自分自身の人生を含めて全てを受け入れ、楽しむこと』を伝えたいですね。
子どもに対して過剰な期待を持って親目線でこうなって欲しい、こうあるべきと思い出すとキリがないです。必要なのは、子どもがどうなっても伴走して一緒に楽しむ覚悟と愛情。
子どもが親の思い通りの道に進まなかったとしても、それを悲観することなく愛情を持って接し、どんな状況になっても一緒に歩む覚悟を持って欲しい。
親は子どもたちの目標とする未来や、やりたいことを心から応援する覚悟と姿勢を示し、それを子どもたちがしっかりと受け止ることで強く進んでいけるのではないでしょうか。

子育てって、手間はかかります。私は何人もの子どもを預かっている立場ですが、時には「これが自分の子どもだったらどうしよう」という局面になることもあります。そんな時も愛情を持って接し、常にポジティブな言葉を浴びせ続けていくことで子どもは少しづつ変わっていくと実感しています。大学生の年代になると、親元を離れる子どもさんも多いし自身の考えも固まってきてしまう。高校生って大人になる前に親が子どもに深く関わることのできるラストチャンス、このタイミングを逃さないで欲しいです。

付け加えるならば、お母さん自身の経験に基づいて考えた、子どもにはこうなって欲しい理想の姿って視野が狭いと自覚して欲しい。我が子だけに目が向いていると見えてこない部分があるかもしれませんが、子どもの可能性と未来は親が想像するより遥かに大きい!
子育てに正解なんてないです。学歴があっていい会社に入ったら、一生安定していい暮らしができるというという根強い指向がありますが、これから先は通用しなくなると私は思っています。ステレオタイプに拘らず、本当に子どもたちがやりたい生き方に向かって進める力こそ人生にとってマスト。そんな生き方ができる力を持った子どもは、豊かで幸せな人生を送れると私は確信しています。」

STORY世代のスーパー寮母・中谷千保子さんが描く これからの自分の将来

◆寮母となって7年。圧倒的なメンタルサポートで、その間チームを2度の甲子園優勝に導いた千保子さん。ご自身は描いている未来は?

「監督がどう動くかが第一で、監督が智弁和歌山に関わっている限りは今の状況が変わることはないです。チームが勝っても負けても、それは変わりません。一方、自分の中ではこの状況で終えることはないなという感覚もあります。酵素浴のある複合施設やヨガスタジオの経営もほったらかしになっている部分もあるので、それもきちんとやっていかなければいけないですし。何かのきっかけがあれば、智弁和歌山野球部の部員だけでなく、もっと多くの人たちに向かってメンタルトレーニングやアスリートの食事面も含めた健康管理などを発信することがでたらという思いもあります。インスタもそんな思いから始めました。ここからは、体力・時間・事業のバランスを改めて整えて、次のフェーズへ。誰もやっていないことにも、躊躇なく挑戦していきます。」

🔥夏の甲子園で投げられなかった149キロ右腕、最後の舞台は国スポ 三重高・古川稟久投手「高校野球の集大成」
https://article.yahoo.co.jp/detail/d29249076e00f9b228dafa2227d384b6da513806

夏の甲子園のマウンドには立てなかったが、最後の舞台は残っている――。三重県四日市市出身の三重高校3年、古川稟久投手は、春のセンバツでは最速149キロを記録し、優勝した大阪桐蔭を3イニング無安打に抑えた右腕だ。夏の甲子園は右肘の肉離れで登板はかなわなかったが、10月に青森県で開かれる国民スポーツ大会での復帰を目指している。「高校野球の集大成を示したい」と、悔しさを胸に最後の舞台を見据える。

センバツで登板した古川投手=三重高野球部藤本恵一OB会長提供
 
野球を始めたのは小学2年、日永フェニックスへの入団がきっかけだった。四日市市立南中学校では陸上部に所属しながら桑員ボーイズで投手として活躍。3年時には中日本選抜に選ばれ、中部地区トップレベルの投手として評価された。県内外の強豪校から声がかかる中、「三重県から甲子園に出るには三重高が一番近い」と進学を決めた。
入学後は寮生活に戸惑い、やる気を失った時期もあった。しかし、同級生の秋山隼人選手から「何のために三重高に来たんだ、真剣にやろう」と声をかけられ、気持ちを立て直した。1年夏には目標だったベンチ入りを果たし、三重大会4試合に登板した。

投球フォームのイメージをつくる古川投手
 
軸足の右脚に体重を乗せ、左足を高く上げて重心を低く保つフォームを磨き、球威と安定感を高めた。183センチの長身から投げ込む140キロ台後半のストレートと鋭いスライダーが持ち味だ。課題が見つかると東海滋コーチに相談し、東コーチは自主練習にも付き合ってくれた。「東コーチがいなければここまで成長できなかった」と語る。
 
2年夏の三重大会、三重高は昴学園に敗れた。5回まで登板していた古川投手は、先輩からセンバツと翌年夏の連続出場を託され、責任の重さを強く意識した。重圧に押しつぶされそうになりながらも立て直し、センバツ出場をかなえた。大阪桐蔭戦では149キロの球速を記録し、変化球で4三振を奪った。「全国でも通用する」と実感した瞬間だった。

今夏の三重大会決勝で登板した古川投手

夏の三重大会決勝では5回から登板し、1安打無失点。しかし、右肘に激痛が走り降板した。診断は肉離れで全治1カ月。甲子園では背番号20をつけて伝令としてチームを支えた。スタンドからの応援の声がよく聞こえ、「こんなに応援してくれていたんだ」と胸が熱くなったという。選手たちは古川投手を再びマウンドに立たせようと勝ち進んだが、強豪・天理に敗れ、最後の夏が終わった。
10年以上野球を続ける中で、野球が嫌になった時期もあった。しかし、一度距離を置くことで、また野球が好きになれた。「苦しくなったら一度離れてみてもいい。楽しかったことが思い出せれば、またやり直せる」と、今苦しんでいる後輩たちにエールを送る。

四日市に帰省していた8月20日、三重高が国民スポーツ大会の出場校に選ばれたことが発表された。国スポの高校野球は全国でわずか8校しか選ばれない狭き門だ。古川投手は「甲子園で投げられなかったが、チームが国スポに導いてくれた」と話す。

球速はプロも視野に入る水準だが、プロ志望届は提出せず進学を選択。大学でプロで通用する体を作り、さらにプレーに磨きをかけるつもりだ。

「国スポで150キロ台を記録し、三重高校で積み重ねてきた3年間のすべてを集大成として示したい」。最後の舞台に向け、静かに闘志を燃やしている。

📣「覚悟していたが…」桐生第一の野球部長が見た故郷・熊本の被害
https://news.yahoo.co.jp/articles/98c45afeb4a0335ab28c9cd2f7ce66da84803dac

7月28日の熊本地震の発生から半月後、桐生第一高野球部長の坂田光由さん(48)は故郷に向かった。震度6強を観測した熊本県八代市の出身。被害を目の当たりにし、無力感にとらわれながらも「常に前向きに」との思いを強くした。

坂田さんは八代市で生まれ育ち、熊本工高に進んだ。1996年夏の甲子園決勝で、愛媛・松山商高にサヨナラ勝ちを阻まれた「奇跡のバックホーム」の瞬間、グラウンドにいた1人だ。10年前の熊本地震では「地元の力になりたい」とチームメートらと結集し、松山商高との再戦を企画。熊本市の藤崎台県営野球場で対決し、9―8で雪辱した。

◇無力感に襲われ

4人きょうだいの末っ子。両親や兄姉は皆、八代市に住んでいる。それだけに今回の地震は気が気でなかった。めいの勤務先は、9人の犠牲者が出た日本製紙八代工場だ。家族は無事だったものの、地震発生後は無力感に襲われ、「うつなんじゃないか」というほど落ち込んだ。すぐにでも故郷に戻りたかった。だが、高速道路や新幹線などの交通網はまひ。部長を務める桐生第一高の野球部も秋の県予選を前に、動き出していた。

選手らも坂田さんを案じた。いち早く「大丈夫ですか」と声をかけたのは藤間蒼士朗投手(2年)。授業で「実家が熊本」と話したのを覚えていたといい、「いつもより表情が暗く、落ち込んでいるように感じた」と話す。境南瑠投手(同)は、震度7を観測した氷川町に祖父がおり、自宅は全壊した。祖父は経営する特別養護老人ホームの入所者のために奔走し「元気に振る舞っていたけど、きつかったと思う」と語る。秋の県予選は「時間ができたら見に来る」と言ってくれたといい「頑張らなくては」と気を引き締める。

◇育った場所の変わった姿

「行かないと後悔する」。背中を押そうと、監督の今泉壮介さん(46)は、水を用意した。非常食、ウエットティッシュ、家具転倒防止器具など他の物資も一緒に車に積み込み、坂田さんは出発した。

地元に入ったのは8月12日の朝。懐かしい建物の多くが、倒壊していた。JR八代駅近くの老舗菓子店「田代福進堂」の旧店舗、小中学校の通学路のそばにあった日本製紙八代工場の煙突。母校の市立第二中は避難所となった。敷地には、中学3年時の軟式野球の全国大会出場の記念碑があったが、それも崩れていた。

実家近くで、旧知の近所の人を見かけた。しかし、声をかけられなかった。家が倒壊していたからだ。「覚悟して行ったんですけどね。自分が育った場所が崩れているのに、何もできない自分がいる。どうしようもできないとは分かっているけど、こんなふうになっちゃったと思うと涙が出てきました」

◇「常に前向きに」

両親や兄姉の家も被災し、ライフラインは次姉の自宅の電気が使えただけ。両親は余震を恐れ、一時は夜に車中泊した。自宅は瓦が落ちて雨漏りがし、壁などにもひびが入っている。市による家屋の被害認定調査は、まだ受けられていない。

両親は、10年前とは比較にならないほどの被害の大きさや恐怖を感じているという。「八代で生活していくしかないと、皆で助け合って前向きに頑張っている。でも、前回から10歳年をとっている。10年前は乗り越えられたけど、今、乗り越えられるか心配はあります」

滞在できたのは2日間。家族で食事をし、両親と中学時代の試合の映像を見た。思い出の場所を訪れ、濃密な時間を過ごした。「これからも家族や故郷に、常に寄り添っていたい」と実感し、自身の意識も変わった。「前向きな両親たちの姿を見て、常に前向きにやっていきたいと思いました。グラウンドにおいてもですね」

📝「奇跡のバックホーム」の甲子園決勝で劇的同点弾も敗戦 元熊本工選手が30年後に語る「銀メダル」の意味
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/2026090100001-spnavi?p=1

作新学院で主将を務めた澤村友真には、手元に置いていないメダルがある。2025年夏、2年生だった友真は栃木大会決勝で青藍泰斗に敗れた。試合後に受け取った準優勝メダルは、今も埼玉の実家に置いたままだ。実は父・幸明にも、似た経験があった。1996年夏、熊本工の1年生レギュラーとして甲子園決勝を戦い、準優勝。さらに3年夏も熊本大会決勝で敗れた。その時に手にしたメダルは熊本の実家に置いたままだという。

父と息子は、ともに決勝で敗れ、銀メダルを手にした。もちろん、二つの敗戦は別のものだ。ただ、その経験がその後の野球に何を残したのか。幸明の野球人生をたどっていくと、一つの生き方が見えてくる。
準優勝とは何か。「あと一つ」で負ける悔しさは、その後の人生にどう生かされるのか。

1年生で経験した甲子園決勝

高校野球ファンなら、1996年夏の甲子園決勝を覚えている人も多いだろう。
熊本工―松山商。松山商に1点をリードされた9回裏2死走者なし。熊本工の打席に立ったのは、1年生の幸明だった。初球を振り抜くと、打球は左翼席へ。同点本塁打となった。

高校1年生が、甲子園決勝の土壇場で試合を振り出しに戻す。のちに「松坂世代」と呼ばれる世代の一人として、早くから全国に名前を知られる存在となった。しかし、試合はそのまま熊本工には傾かなかった。延長10回裏1死満塁。熊本工の右飛で三塁走者が本塁を狙ったが、松山商の右翼手・矢野勝嗣の好返球でタッチアウト。後に「奇跡のバックホーム」と呼ばれるプレーとなった。
11回表には、左翼を守っていた幸明が左翼前への打球を処理できず、記録は二塁打。この回に熊本工は3点を失い、3-6で敗れた。本塁打を打った選手として脚光を浴びる一方、守備では失点につながるプレーも経験した。幸明は試合後、泣いていた。

「悔しかったですし、みんなに申し訳ないという気持ちもありました。あれだけ泣いたのは、後にも先にもあの時くらいです」

ただ、現在の幸明が自身の野球人生で原点として挙げるのは、この甲子園決勝だけではないという。より自分自身と向き合うことになったのは、3年の夏だった。

主将として再び決勝で敗れる

2年夏は熊本大会2回戦で敗退。3年では主将を務め、再び甲子園を目指した。しかし最後の夏も熊本大会決勝で九州学院に敗れた。幸明は当時の自分について、はっきりとこう話す。

「あの頃の自分は、とにかく『欲』が強かった。ヒットが欲しい、自分が結果を出したいという気持ちばかりでした。欲ではなく、積極性だったら良かったんですが、欲がありすぎちゃって……。自分の結果しか考えていないと、勝負所でのつなぎだったり、周囲への気配りだったりができなくなるんです。自分の数字を残すことより優先しなければならない仕事がある。主将として最後の夏を終えたとき、決勝で負けてそこに気づきましたね」

この経験は、その後の幸明のプレースタイルにも表れていった。熊本工卒業後、幸明は法政大へ進み、日本通運で13年間、35歳までプレーした。
高校を卒業したあとは違う野球を求められた。2番打者として走者を進める。送りバントを決める。自分がアウトになっても、チームにとって必要な役割を果たす。

「自分が打つことより、チームがどうしたら点を取れるかを考えるようになりました。自分に求められている役割は何なのか、ということですね」

甲子園決勝で本塁打を放った幸明が、その後は「つなぐ」技術を磨いた。高校時代には、自分の結果を求める気持ちが強かったが、その反省があったからこそ、大学、社会人では別の価値を持つ選手になることができたと考えている。1996年の決勝を振り返りながら、幸明は「悔しい敗戦は、後の人生に必ずつながってくるんです」と言い切った。

「チームのために何ができるかを考えろ」

その幸明が父となり、2人の息子も野球の道へ進んだ。長男・友真は作新学院で主将を務めた。「5回行くと思っていた」(友真)という甲子園には1度も届かなかった。自身の骨折、小針崇宏監督の謹慎もあり、最後の一年も順調ではなかった。友真が怪我でプレーできない時期、普段は息子の野球に細かく口を出さない幸明が、一度だけ激しく叱ったことがあった。「自分がいないチームがどう戦うのか見てみたかった」と口にした時だった。

「お前、何様だよ。どれだけチームに迷惑をかけているんだ! 怪我をして試合に出られなくても、できることはある。キャプテンだったら、チームのために何ができるかを考えろ」と幸明は厳しく叱った。

試合に出られなくても、キャプテンとしてできることはある。自分が出るか出ないかではなく、チームのために何ができるかを考える。その一点について、幸明は妥協しなかった。

「お父さんは普段は別に怖くないんだけど、ガチギレした時は本当に怖いです」友真はそう苦笑した。

小針監督が復帰すると、幸明はこう背中を押した。

「分からないことがあったら、小針監督に怖がらずに聞け。監督としっかり会話をしろ」

友真は当初、監督に自分から質問することに遠慮があった。それでも、守備位置の意図など、疑問に思ったことを自分から聞くようになり、小針監督と1対1で野球について話す機会も増えたという。
幸明は答えそのものを教えたのではなく、指導者に自分から問い、自分で理解するよう息子に促したのだ。

日本通運で掲げた「一心」

2020年、幸明は日本通運硬式野球部の監督に就任した。スタート時に掲げた言葉が「一心」だった。一つの心になる。社会人野球には、高校、大学で実績を残した選手が集まる。個々の能力は高い。その中で幸明が重視してきたのが「周囲への気づき」だった。

「今の選手たちは、自分のことには一生懸命です。ただ、他人に興味がないと感じることが少しあります。例えば、グラウンドにボールが落ちている。自分の近くでなければ拾わない。ゴミが落ちていても気づかない。そうした日常の行動を、野球と切り離して考えてはいけないと思うんですよね。周りを見られない選手は、試合でも周りを見られないんです。自分の結果だけを考えていると、そういう判断ができなくなる。だから普段から周りを見ることが大事なんです」。

就任当時、そう話していた。監督になって今年で7年目を迎え、チームは都市対抗に12年連続51回目の出場。「心ひとつ」で戦う姿勢に変わりはない。8月31日。夏休み最後の日、幸明が監督を務める日本通運の都市対抗野球大会初戦を、友真は東京ドームのスタンドから見つめていた。
1番打者の添田真海は作新学院の先輩。スタンドには作新学院の1、2年生52人も応援に訪れていた。日本通運はNTT西日本と対戦し、延長10回、タイブレークの末に1-3で敗れた。

高校野球を終えたばかりの息子が見守る中、今度は幸明が指揮官として敗戦を経験した。30年前に甲子園決勝で敗れた幸明は、監督となった今も、勝敗の中に身を置いているのだ。友真は無言でゲームセットを見つめ、夏の終わりを確認するかのように東京ドームを後にした。幸明が息子に求めてきたのは、自分の結果だけを追わず、チームの中で自分に何ができるのかを考えることだった。それは幸明自身が、二度の決勝敗退を経験し、その後、大学、社会人と野球を続ける中で身につけてきた考え方でもある。その考えを伝えてきた息子も、2年夏の決勝で敗れ、翌年は主将として仲間を見る立場になった。甲子園には届かなかったが、すでに大学野球へ向けて動き始めている。

幸明と友真が手にした銀メダルは、今もそれぞれの手元にはない。銀メダルの色は、金に変えられない。だが、その敗戦から何を学び、次の場所でどう行動するかは変えられる。30年前に決勝で敗れた幸明が、選手として、監督としてたどってきた道を見れば、そのことがよく分かる。今度は友真が、大学野球で自分の答えを出していく番になる。
2026/09/09(水) 21時58分52秒 No.2608 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日の和歌山大会一次予選試合結果(3日目 1回戦 紀三井寺球場)
田 辺 工-紀 北 工・南  部-那  賀

全試合雨天中止。。。

📝令和8年度秋季兵庫大会組み合わせ表
http://www.hyogo-koyaren.or.jp/homepagedata(R8)/26aki.pdf

💢東京学館の部長が6月15日から1年の謹慎 審査室会議で高校3件処分
https://news.yahoo.co.jp/articles/fe77f8a321d081d74338e7323df12399e0b0c20a

日本学生野球協会は8日、都内で審査室会議を開き、高校3件(うち1件は非公表)の処分を決めた。

東京学館(千葉)は昨年7月に当時2年生部員が起こした不祥事の報告義務違反で、部長(41歳・教諭)が26年6月15日から1年の謹慎処分となった。
今治南(愛媛)は監督(25歳・講師)の部内での不適切行為で26年8月12日から1カ月の謹慎とした。

☝人生は一度きり 中学教員から52歳でプロ球団副寮長→高校野球監督
https://news.yahoo.co.jp/articles/00a2d6235ce702e3f7fe68750b4b10df2d86b0a2

中学校教員から52歳でプロ野球選手寮の副寮長となった男性がいる。方谷学舎高校(岡山県高梁市)の硬式野球部監督、山本克也さん(59)。プロ選手と接した経験を生かして生徒たちを励ます。

兵庫県内の公立中学校で社会科を教えながら、軟式野球部の顧問を長く務めた。「野球を通じて子どもたちに色々なものを伝えてこられた自信があった」。だが最後の方では部員減や、練習時間の制限など時代の流れの中で、力を出し切れていない思いを抱いていた。

その頃、プロ野球のオリックスが若手選手の教育係を求めていると知った。学校現場で培った己の力は通用するのか。プロの世界にも興味があった。履歴書を送り、数回の面接を経て採用された。2020年4月、選手寮「青濤館」の副寮長に就いた。52歳での転身。「ためらいは全くなかった。1回きりの人生なので」

寮管理の雑務のほか、15人ほどの若手選手一人一人と毎月のように面談した。コーチとは違う立場の年配者として向き合い、精神面を支えた。高卒の新人も多くいた。
いまやエース級となった宮城大弥投手もその一人だ。1軍の公式戦で登板して帰寮後、その日の投球内容を一緒に振り返った。立場をわきまえ、助言めいたことは一切言わない。ただ感想を伝える。「とてつもなく最高の経験だった」

いまや中心選手となった紅林弘太郎選手もいた。ヤクルトとの日本シリーズ第1戦が近づく夜、室内練習場で、先発が予想される相手投手のカウントを取りに来る外角直球を右前に打つためだけの練習に汗を流していた。最初の打席で見事に実現した。プロ選手たちと過ごして得た確信がある。「メンタルをコントロールできる選手だけが、何年も続けて結果を出せる」

縁あって23年から方谷学舎高の教壇に立つ。高校野球の指導をしてみたい気持ちは前からあった。接したプロ選手たちの「息づかい」を引き合いに出しつつ、生徒たちと向き合っている。

「子どもたちと青空のもと野球をする幸せ」はかけがえのないもの――。兵庫県西宮市に住む家族と離れた単身赴任が続くが、この思いは消えることがない。

              ◇

山本さんに今の高校生に伝えたいことを聞いた。「なりふり構わず本音でやり合ってほしい。『愚かさを出すくらいならごまかしたい』『傷つかなくて格好悪くなかったらオーケー』という逃げ方をせず、誠実に生きていってほしい」

📝持ち帰らなかった銀メダル 作新学院主将を変えた、甲子園目前でのタイブレーク敗戦
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/2026083100001-spnavi

地方大会の決勝で敗れ、甲子園にあと一歩で届かなかった選手がいる。そんな選手たちに「敗戦の美学」をテーマに話を聞いた。一人目は2025年夏、2年の時に栃木大会決勝で敗れ、今年は主将として戦った澤村友真(3年)。澤村は、1996年夏の甲子園決勝で1年生ながら劇的同点弾を放つも延長の末に敗れた、熊本工・澤村幸明氏(日本通運硬式野球部監督)を父に持つ。ちなみに父も3年夏には熊本大会決勝で敗れている。「負けた者は何を掴むのか?」。同じ「決勝での敗北」を経験した親子が、挫折の先で見出したものとは?

「大学1年から絶対にベンチに入って神宮でプレーする」

「もう、私だけなんですよ。まだロスなのは(笑)」2026年の夏を振り返りながら、母・慶子さんがそう笑った。

作新学院の主将・澤村友真(3年)の高校野球は、栃木大会準決勝で終わった。佐野日大に0―5。甲子園まであと2勝だった。埼玉の自宅へ戻ってからも、慶子さんはなかなか気持ちを切り替えられなかったそうだ。ところが、当の本人は違った。

「僕はもう次です。大学1年から絶対にベンチに入って神宮でプレーする。4年後にはプロに行きたい。そのために何をしなきゃいけないかを考えています」

関東の大学へ推薦入学するための準備に切り替えていた。夏休みの取材日だったこの日も1日練習を自主的にしてきたという。すでに木製バットを振り始めていた。

なぜ、これほど早く切り替えられるのか。話を聞いていくと、友真には一年前の夏から持ち続けてきた「宿題」があった。
2025年夏。作新学院の2年生レギュラーだった友真は「2番・遊撃」で栃木大会に出場した。決勝の相手は青藍泰斗。もちろん、勝てば甲子園だった。
1点リードしての5回裏、2死一、三塁の好機で打席が回ってきた。友真はここまで2打席無安打。前の打席では無死二塁でセカンドゴロに倒れ、好機を潰していた。
「あの打席ははっきり覚えています。完全に興奮していました。『絶対に俺が決めてやる』『初球から打ってやる』って。それしか考えていなかったです」

結果は初球を振って、二ゴロ。

「狙いを絞るとか、そういう冷静さが全然なかった。決勝の雰囲気に自分が飲まれていました」

作新学院は延長10回、タイブレークの末3-4で敗れた。友真は誰よりも泣き崩れ、立つことができなかった。

「先輩となら絶対に甲子園に行けると思っていた。負けるなんて、これっぽっちも思っていなかったんです。5回の場面は、『自分が決めてやる!』という欲と、球場全体の押せ押せムードに完全に飲まれていました。頭の中は絶対に初球から打ってやるということだけで、狙いを絞る余裕も、冷静さもありませんでした。結果、無理やり打ちにいって力ないセカンドゴロ。実はその前日にバットのグリップを変えて、感覚がいつもより太くなっていて、バットが出にくい感覚があったんです。でもそれは言い訳でしかなくて、結局は決勝の雰囲気に自分が負けていたんです」

持ち帰らなかった準優勝メダル

試合後に渡された準優勝メダル。悔しさが上回り、この時は価値のあるものとは思えなかった。「準優勝」という響きは澤村家にとって苦い記憶でもあった。父・幸明が1996年夏の甲子園、閉会式でかけたメダルも「銀」だったからだ。

「試合のあとも、銀メダルは見たくなかったんです。僕にとっては屈辱のメダルでした。周りは『準優勝でも凄い』と言ってくれるかもしれないけれど、僕にとっては自分の未熟さと弱さを示すものでしかありませんでした。『なぜ、神様は俺たちを甲子園に連れて行ってくれないんだ』と、最初は神様のせいにしていました。結局メダルは家に置いたまま。寮には持って行きませんでした」

当時の正直な気持ちを打ち明けた。

「でも、後からよく考えて、小針監督とも話して気づいたんです。『冷静さ』が足りなかった。タイブレークに入り、相手の代打が出た緊迫した場面で、仲間が浮き足立っている時にタイムをかけて、一声かけて落ち着かせてあげられる選手が、あの時の作新には誰もいなかった。指導者も選手も、みんなが決勝の雰囲気に流されていたんだと思います」
「どんなに状況が熱くなっていても、気持ちだけは絶対冷静じゃなきゃいけない。自分がキャプテンになったら、試合の流れを客観的に見て、スッとタイムを取って仲間の肩の力を抜いてあげられるリーダーになろうと思いました」

それまでの友真は「自分が打てばいい」という意識が強い選手だった。それが持ち味でもあった。しかし敗戦によって初めて、状況を見つめる客観性や冷静さの必要性を痛感した。「もうこんな思いはしたくない」。野球に向き合う姿勢が変わった。

監督不在、主将として迎えた試練

当たり前だった日常が、突然変わった。夏の大会を前に、作新学院は大きな転換点を迎えたのだ。2025年5月23日、小針崇宏監督が練習中に部員へ不適切な指導を行い、その部員が右手薬指を骨折したとして、6月9日に小針監督を指導から外した。日本学生野球協会は同20日、小針監督に6カ月間の謹慎処分を科した。
12月8日まで小針監督が謹慎となったため、夏の大会も新チームの始動後も、作新学院は小針監督不在の体制で活動していた。その中で、友真と上野大翔一塁手によるダブルキャプテン体制が組まれた。

「正直、最初はチームも不安というか、グラグラしていました。小針監督のときにあった張り詰めた空気がなくなって、甘えが出た部分もありました。緩いというか......。このままで大丈夫かという不安もありました」

監督がいなければ、自分たちで決められる。しかし、それは必ずしも「主体性」と同じではなかった。仲間にどこまで厳しさを求めるのか。何を基準に行動するのか。誰がチームの方向を決めるのか。友真は初めて自分たちで考え、自分たちでチームを動かさなければならない環境に身を置くことになった。

「俺たち、何のためにやっているんだ、と選手間で真剣に考えました。目標は小針監督をもう一度甲子園に連れていくことだろ!と言い合ったんです」

監督がいないから緩むのではなく、自分たちでやるしかない。

「主体性という部分では、あの時期があったことは大きかったと思います」

しかし、その友真自身にもアクシデントが起きる。2026年1月、練習中に左足小指を骨折。手術でボルトを入れ、春はプレーできない期間が続いた。

「キャプテンなのに自分が動けない。焦りはありました」

監督不在の期間を経て、今度は自分自身がグラウンドに立てない。光を見いだせない時期が続いた。

小針監督は謹慎期間終了後、2025年12月下旬から段階的に指導へ戻り、2026年4月に硬式野球部監督へ正式復帰。春季栃木県大会から再び公式戦で指揮を執ることとなった。友真も5月に戦列へ復帰。そこで意識したのが、小針監督との距離だった。

「先輩から『キャプテンがベンチの端にいたらダメだ。監督の近くにいろ』と言われ続けていたので、ベンチでは監督の隣にぴったりとついて、指示を聞いていました。父からも『分からないことがあったら、小針監督に怖がらずにどんどん質問しろ』と言われていたんです」とはいえ、最初は怖かった。ある日勇気を出して聞いてみた。

「『なんで、あの場面であの守備位置なんですか?』と思い切って聞いたんです。そしたら、ちゃんと答えてくれました。そこから1対1で野球の深い話ができるようになりました。監督がグラウンドで、僕に笑って声をかけてくれることも増えて、もう怖くないと思いました」

監督の右腕として考えを理解し、自分の考えも伝える。小針監督がいない時間を経験したからこそ、指導者との向き合い方も変わっていた。しかし、最後の夏にも試練は続く。準々決勝の守備で、イレギュラーバウンドしたボールが顔に当たり、額から出血。痛みは気にならなかったが、準決勝は病院で手当てした止血用ネットを額に巻いて出場した。結果は、佐野日大に敗れ、準決勝敗退。またもや甲子園の夢は破れた。試合後のミーティング。小針監督が話す前に、友真は3年生の仲間たちへ自分の言葉で話した。一つは感謝だった。

「僕は埼玉から来た、いわばよそ者です。それでもみんなが認めてくれて、キャプテンとしてついてきてくれた。本当にありがとう」

もう一つは、ベンチに入れなかった3年生への思いだった。

「夜遅くまでバッティングピッチャーをやってくれたやつもいた。肩や肘が痛いのに『明日も俺、準備できてるから』と言ってくれたり、メンバーを外れたやつが後ろから『雰囲気悪いぞ!』って声を出してくれたり。本当に支えてもらいました」

だからこそ、「スタンドのやつらに甲子園の景色を見せてあげたかった」それができなかったことを謝った。
2年夏の決勝では「俺が決める」と自分中心になっていた友真だったが、3年夏の最後には、自分の結果ではなく、試合に出られなかった仲間について話していた。それが成長の証だった。

「みんなと甲子園に行きたかった。だけど、悔いはありませんでした。強く思ったのは、甲子園に出た同級生には絶対に負けたくないです。5回行くつもりだった甲子園には、結局1度も行けなかったけど、大学で、結果を出します。僕が作新でやってきたことが間違っていなかったと証明したいです」

決勝敗退、監督の謹慎、自身の骨折、監督の復帰、最後の夏の負傷。思い通りにならないことの多い1年だった。しかし、その一つ一つを乗り越える中で、友真は「自分が打つ選手」から「仲間を見て、チームのために動けるキャプテン」へと成長した。敗戦は、甲子園への道を閉ざしたが、勝つことだけを追いかけていた選手に、仲間の存在と自分の役割を教えてくれた。だからこそ、高校野球が終わった今、友真はもう次へ向かっている。

「私だけまだ高校野球を引きずっている。切り替えが早くて置いてけぼりな気分です(笑)。もう作新のユニフォームを着て、みんなで野球をするところは見られないんだなと思うと、やっぱり寂しいです。作新学院の保護者の皆さんが本当にいい人ばかりで。作新に入って良かったって、心の底から思っているので。やっぱり寂しい......」

再び涙ぐむ母の言葉を聞きながら、友真は少し照れたように笑った。

「でも、大学でも野球を続けるから。まだ応援できるよ」

その一言に、慶子さんの表情が和らいだ。

「まずは大学で結果を出します」

そう言った友真は、すでに次の舞台を見据えていた。

💢熊本地震で八代野球場の芝生が隆起・ブルペンに亀裂、藤崎台球場も空調落下…高校野球大会の会場が変更
https://news.yahoo.co.jp/articles/932a6a40df29ea0544d4e8f022e2571231eea6e3?page=1

最大震度7を観測した7月の熊本地震では、熊本県内の運動施設も被災し、発生から1か月が経過した今も利用できない状況が続いている。再開の見通しが立たない施設もあり、スポーツ界への影響が長期化する恐れがある中、一部では復旧に向けた動きも出てきている。

震度6強を観測した八代市の県営八代運動公園では、八代野球場の芝生が隆起し、ブルペンでは地面に亀裂ができた。陸上競技場も同様の被害を受けたが、施設の安全が確認できたとして一部が隆起するなどしたトラックを除き、12日から利用を再開する。野球場は被害調査を進めているが、再開時期は見通せていないという。公園長の平田彰臣さん(45)は「早く八代地域が日常を取り戻せるよう、日々の練習や体を動かす機会が失われている時間を一日でも少なくしたい」と早期再開に向けた思いを語った。

高校野球の会場などで親しまれている熊本市中央区のリブワーク藤崎台球場でも、地震で空調が落下するなどしたほか、外野の照明に設置してある約5メートルの避雷針が折れ曲がり、地震発生から利用できない状況が続いている。
同球場を本拠地とするプロ野球の独立リーグ・九州アジアリーグに加盟する「火の国サラマンダーズ」は地震の発生以降、ホーム戦6試合は延期となり、8月下旬から山鹿市民球場や大分県で振替試合を行うなど影響を受けている。野島雄大球団代表は「熊本のファンの近くで試合ができず、非常に悔しく感じている。厳しい状況でも変わらず応援してくださるファンの皆様に少しでも恩返しできる機会をつくっていきたい」とコメントした。

県高校野球連盟は、12日から藤崎台球場と八代野球場で九州地区高校野球熊本大会を開催する予定だったが、八代野球場から山鹿市民球場に会場を変更して開催することを決めた。藤崎台球場は再開に向けて補修を進めており、管理している一般財団法人「県スポーツ振興事業団」は「秋の県大会に間に合わせるように復旧に努めたい」としている。
県高野連の斎藤輝久理事長は「メイン会場の藤崎台球場が使えるめどが立ち、安心した。限られた環境の中で最大限のことをやっていきたい」と話した。

1960年に完成した藤崎台球場は施設老朽化などの理由で、県が2025年に移転再整備を決定。熊本市、玉名市、菊陽町、甲佐町の4市町が誘致先に名乗りを上げ、県は今秋をめどに移転先を決める予定だったが、熊本地震の発生を受けて年内の選定作業を凍結した。
2026/09/08(火) 22時25分57秒 No.2607 編集 削除
⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(最終日 決勝戦 紀三井寺球場)
市和歌山9-3日  高
市和歌山は7年ぶり10度目の優勝🏆

⚾今日の和歌山大会一次予選試合結果(2日目 1回戦 紀三井寺球場)
和歌山商11-2箕  島(7回)

⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(3日目 1回戦 紀三井寺球場)
    09:00~ 田 辺 工-紀 北 工
    11:30~  南 部 - 那 賀

📝甲子園8強の三重、準々決勝で敗れた天理と初戦で再戦 横浜は甲子園V智弁和歌山と激突 国スポ組み合わせ
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d5c4644a0de75672194227e3e7d27965e52dc72

日本高野連は7日、青森県で開催される国民スポーツ大会の高校野球硬式の部(10月3日~6日、弘前市・はるか夢球場)の組み合わせを発表した。
最速157キロを誇る織田翔希投手を擁する横浜(神奈川)は、今夏の甲子園を制した智弁和歌山と初戦で対戦する。大会は昨年に続いて7イニング制で実施する。

◇1回戦の組み合わせ
第1試合 健大高崎(群馬)―青森山田
第2試合 天理(奈良)―三重
第3試合 智弁和歌山―横浜
第4試合 花巻東(岩手)―有明(熊本)

📝甲子園名門“番狂わせ敗退”から1年…浦和学院・森大監督35歳が明かす「父と違って僕にカリスマ性はない」自律か、管理か? 揺れる指導現場
https://news.yahoo.co.jp/articles/9376bd42bcdc2ad693485cc0c320aa0df3dd8ff9

「1週間、高校野球を見られなかった」。浦和学院最強世代の番狂わせ敗退から1年、森大監督(35歳)は野球指導をどう変えたのか。今夏の結果をどう受け止めるのか。ノンフィクションライター・樫本ゆき氏が訊いた。

これほどまでに「高校野球の監督」は疲弊しなければならないのか――。そう感じさせられることがたびたびある。特に夏は。勝てば選手が称えられ、負ければ監督の責任が問われる。まして「全国制覇を狙える」と評されたチームが、甲子園どころか地方大会の序盤で敗れれば、矛先は容赦なく指揮官へ向かう。采配が悪かった。選手起用を間違えた。育成できていない……。批判の声を耳にしながら、しかし敗戦の翌日には、次のチームを率いて選手の前に立たなければならない。

1年前の夏「番狂わせ」敗退
 
2025年夏、浦和学院は埼玉大会3回戦で県立滑川総合に1―4で敗れた。プロ注目選手を擁し、「全国制覇を狙える」と評されたチームが、県大会序盤で姿を消した。監督の森大は「1週間、高校野球を見られなかった」と落ち込んだ。

森大は2021年秋、父・森士(おさむ)前監督から浦和学院の指揮を引き継いだ。森士氏は同校を全国屈指の強豪へ育て、2013年春にはセンバツで全国制覇。甲子園通算28勝を挙げた名将だ。その後を継いだ大は当時31歳。監督就任1年目の2022年春にセンバツ4強へ進出し、2023年夏にも甲子園出場を果たした。二世監督としては順調なスタートだった。 ただ、大は父と同じタイプの指導者になろうとは考えていなかった。

カリスマ父を継いで…後継者の苦悩
 
森士氏は強いカリスマ性でチームの方向を示し、反復練習によって浦学の野球を選手に徹底させてきた。その点、大は自分に父と同じカリスマ性はないと考えていた。そこで、選手やスタッフの意見を聞き、自分たちで考えさせるチームづくりを進めた。「監督が言ったからやる」のではなく、「なぜやるのか」を理解して行動できる選手を育てる。父のトップダウン型とは異なるボトムアップ型の組織を目指した。

ところが、監督就任から数年が経つと、その方法にも課題が見え始めた。「好きなことを言っていい」と伝えれば、建設的な意見だけでなく不満も同じように出てくる。「自分で考えてやれ」と伝えれば、「何をしてもいい」と受け取る選手もいる。自主性を尊重し、対話し、自分で考えさせることは現代のスポーツ指導で重視されているが、自由を与えることと自主性が育つことは同じではなかった。森は2025年夏の敗戦を通して、自由と放任の違いを突きつけられた。

「甲子園に招かれるべきではない組織だった」
 
昨夏の滑川総合戦は風速7〜8メートルの強風が吹く難しいコンディションだった。浦和学院は5回裏に満塁のピンチを迎えた。森は「嫌な予感」がして、この回2度目の守備タイムを取り、守備位置について指示を出した。しかし大観衆と強風の中、ベンチの意図はグラウンド全体に十分共有されなかった。センターへの判断が難しい打球に外野手が飛び込んだが、ボールは後方へ抜けて走者一掃の三塁打となり、一挙4点を失った。浦和学院はその4点を最後まで取り返せなかった。

森は後に「去年は力があったけれど、自分たちで負けた」と振り返った。一つの守備ミスだけを敗因にしているわけではない。大事な場面で指示を徹底できず、チームとして対応できなかった背景に、それまでの組織づくりの問題があったのではないか。森は敗戦後、自身の指導方法まで検証することになった。

コーチの今栄尚人は、当時を振り返り、さらに厳しく言い放つ。

「率直に言えば、甲子園に招かれるべきではない組織だったんだと、僕は思います」

問題として挙げたのは、挨拶や授業への向き合い方、寮生活など日常の部分だった。野球がうまければいい、試合で結果を出せばいいという甘さが、チームの中に生まれていたという。150キロを投げる投手やプロから注目される選手、全国クラスの打者がそろっていても、それだけで強い組織になるわけではない。個の能力が高い集団だからこそ、「野球で結果を出せばいい」という意識が生まれ、集団として守るべき基準が曖昧になっていた可能性があった。

OBの証言「自律か、管理か?」
 
似た経験をした浦学OBがいる。2017年に主将を務めた赤岩航輔だ。当時のチームも各地でエースや4番を務めていた選手が集まる個性派ぞろいの世代だった。

「僕らの代は『俺が世界で一番、野球がうまい』くらいに思っているような奴らの集まりでした。謙虚さのかけらもないような代でした。でもそういう選手だったからか、火が付いたときは物凄い力を発揮することもありましたけどね」

背番号16の主将。試合での役割は主に、サードコーチャーだった。秋は県大会で結果を残し、春も優勝。夏も優勝候補として決勝まで進んだが、花咲徳栄に敗れて甲子園には届かなかった。赤岩は当時について、厳しく管理される中で「バレなければいい」という発想が生まれることもあったと振り返る。大人に言われたからやるだけでは、指導者が見ていない場面で自分自身を律することが難しくなる。敗戦後には「自分たちは勝っちゃいけないチームだったのかな」と考えたという。コーチの今栄の言葉が、ここで重なる。勝った花咲徳栄は、その勢いのまま甲子園で全国制覇を果たした。

赤岩は当時の浦和学院の指導を全面的に否定しているわけではない。25人の仲間が最後まで辞めずにやり切った高校生活について、今でも「浦学でよかった」と話す。管理には管理の強みがあり、自由には自由の価値がある。問題は、どちらか一方を選べば組織がうまくいくという単純な話ではないことだった。同級生の山本晃大は、1浪して野球部から初めて慶応義塾大に合格し、JR東海で活躍している。他の選手たちもそれぞれ立派に社会生活を送っているそうだ。

「この『束になる野球』、あの驚異的な結束力は、間違いなく大将(森士前監督のあだ名)が何十年もかけて作り上げてくれた財産、その賜物だと思っています。あんなに選手と熱く向き合ってくれたからこそ、OBになってもみんなの話が通じるし、結束できるんです」

「トップダウンは古い」は本当か?
 
森士氏のカリスマ型指導には、卒業後もOBを結びつけるほどの求心力があったということだろう。「昔の指導だから悪い」「トップダウンだから古い」と単純に評価することはできない。森大に必要だったのも、父の指導を全面的に否定することではなく、その中から現在も必要なものを選び直すことだった。

「一度、考えをリセットしたからこそ、父のやり方の中で『これは今の時代も必要だ』と思えるものを取り入れられるようになりました。試合中、無意識に反応できるまでの徹底力だったり、生活を整えることだったり、規律だったり。そこは継承しようと思っています。だからいまは、浦学の指導法が、ハイブリッドになってきた感じがします」(森大)

2025年の年末、夏の敗戦から5カ月がたったころ、森は野球部寮の神棚にある鏡が、くすんでいることに気づいた。

「これ、今の俺たちを映し出しているなと思ったんです。やばいよな、これって」

スタッフを集め、慌てて大掃除をしたという。

「いろいろなことに余裕がなくて、足元を見れていなかったんです」

大人側に“緩み”はなかったか?
 
森が問題視したのは、選手に細かなことを求めながら、大人側が身近な変化や乱れに気づけていたのかという反省だった。そこから鏡を磨き、掃除、靴、時間、挨拶など、日常の基準を改めて確認していった。野球の技術とは直接関係しないが、チームとして同じ基準を共有し、必要な場面で行動できる組織をつくるには、日常の積み重ねが欠かせないと考えた。

 
森は2025年夏の敗戦を、今では「質の高い挫折をさせてもらった」と表現する。自分が進めてきた改革の失敗を認めた上で、父の時代から残すべきものも見直した。自律と管理、その両方をどう組み合わせるのか。浦和学院の再建は、そこから始まった。

                〈つづく〉

📝「スマホ回収しない」「野球部“ムラ”作らない」甲子園強豪・浦和学院の35歳監督が語る、“野球部を特別視させない”方法「進路指導は現実を伝える」
https://news.yahoo.co.jp/articles/028a795ec9b3787b5d8802cd1bf927e31f205911

浦和学院を変えることは、過去を捨てるということではなかった。

「ボトムアップにも、制限をかけなきゃいけないんだなと思ったんです」

自律と管理…二択を捨てた
 
2025年夏、浦和学院は埼玉大会3回戦で県立滑川総合に敗れたあと、森大監督は、自分が進めてきたボトムアップ型の指導そのものを見直した。ただし、結論は「やはり父のようなトップダウンに戻ろう」ではない。選手の自主性を尊重する考え方も捨てていない。むしろ森が気づいたのは、ボトムアップを機能させるためには明確な「枠」が必要だということだった。
自由には責任を伴う。自主性には基準がいる。そして組織には、最後に方向を決める人間が必要だった。そこで「第3の考え」にたどり着いたという。

「ある日、心理学や指導行動の論文などを読んでいたら、サーバント・リーダーシップという言葉に出会いました。サーバント・リーダーシップとは、リーダーが上から命令して人を動かすのではなく、相手を支援し、個々の強みを引き出しながら組織を前へ進める考え方だそうです。僕には父のようなカリスマ性はない。ならば、自分にできる方法で人を動かす。サーバント・リーダーになろう、と思いました。その一つが『信頼』。今の子たちは、『何を言うか』だけじゃなくて『誰が言うか』を見ていると思うんです。この人が言うことなら聞こうと思ってもらえる自分をつくった方が早い」

「父のコピー」「父の野球を捨ててる」狭間で…
 
正しいことを言えば人がついてくるわけではない。指導者自身がどんな人間なのかが見られている。時には謝る。分からなければ認める。選手の意見も聞く。自分の弱さも隠さない。

「滑川総合戦の敗戦後、この1年は『監督として、僕はこうしたい』という意思をより明確にするようになりました。聞く。任せる。支える。それでも、最後に方向を示す責任は監督にある。サーバント型の指導者である自分が、父がやっていたトップダウンの価値を知った。それが、この1年で気づいたこと。大きな変化でした」

「名将」を引き継いだ二世監督の難しさは、偉大な先代と比較され続けることだ。森の場合、同じことをすれば「父親のコピー」と言われ、違うことをすれば「父親の良さを捨てた」と言われる。八方ふさがりだった。森も就任当初は「父とは違う」ことを強く意識していた。しかし数年間チームを率い、滑川総合戦での敗戦を経験したことで、父と違うことをすることと、父を否定することは違うと考えるようになっていた。それが「サーバント型」という気づきだった。

「スマホ回収しません」
 
森大の原点が、監督になる前から大きく変わっていないことがわかるエピソードがある。2017年。当時の主将・赤岩航輔(前出)は、個性の強いチームメイトをまとめることに苦しんでいた。各地でエースや4番だった選手が集まり、それぞれが強い自負を持つ。全員を同じ方向へ向かせようとするほど、うまくいかなかった。泣くほど悩んだ赤岩に、当時コーチだった森大は言った。

「意外と結果を出すのは、そういうやんちゃな奴だったりするんだ。最後に打つのは、そういう奴だったりするんだよ。だから、全部同じようにしようとしたり、押さえつけたりするんじゃなくて、そういうキャラクターなんだから、うまく乗せてあげることが大事なんだ」

赤岩は「あれで僕は変わりました。そこからコツをつかんで、無敵になったかもしれないです(笑)」と振り返る。人を型にはめるのではなく、その人の強みを引き出す。現在、森が語るサーバント・リーダーシップの種は、監督になるずっと前からあったのだ。
森大の改革は、グラウンドの中だけの話ではない。今の強豪校を取り巻く環境への適応だ。SNS、スマホ、寮生活、保護者との関係など、勝敗以外のリスク管理も増えている。浦和学院は現在、夜に選手のスマホを一律回収していない。

「今は『縛っていいところ』と『縛っちゃいけないところ』がはっきりしてきています。ルールで縛っても破る子は出てくる。隠れてスマホを2台持つとかね。だったら逆に、禁止させない」

野球部ムラをつくらない「基準は学校のルール」
 
もちろん、自由放任ではない。SNSに不適切な投稿をすれば、マナーの問題として教育する。森が重視するのは、問題が起きた時に野球部の中だけで処理しないことだ。

「全部、学校に報告します。うちは学校教育の中の部活動ですから」

強豪校では「野球部のことは監督に一任する」という形になりやすい。しかし森は、それを危険視する。

「『監督に一任するよ』となりがちなんです。でも、それが一番怖いんですよ。野球部も学校の中の一組織なんです。問題が起きれば学校へ報告し、学校の生徒指導の枠組みの中で判断してもらう。野球界独特の不文律だけで処理しない。スマホのルールも一般生徒と同じで『学校では使わない。家(寮)では自由』に合わせています。あくまでも学校のルールが基準です」

筆者が「それって、学校生活の中に『野球部ムラ』を作らないということですね?」と聞くと、即答した。

「そうです。そうです。学校組織としてのチーム運営です。その方が風通しも良くなるし、野球部に対しても、正しいジャッジが入ります」

進路は甲子園次第、を変えた
 
森もコーチの今栄も、一人の教員である。野球部監督である前に、学校教育を担う教師だ。監督が神様みたいになり、先生ではなくなった時が危ない。森は「学校として、正しい組織であることが大事だと思っています」と答えた。

同じ考え方は、選手の進路指導にも表れている。名門野球部に入る選手は、「甲子園へ行きたい」「プロ野球選手になりたい」「強豪大学で野球を続けたい」といった夢を持っている。しかし、その進路が3年夏の結果だけで大きく左右されるのはリスクが大きい。甲子園に行けたか、行けないかで進路が決まるという問題だ。
森は監督になる以前からキャリア教育や進路指導に関心を持ち、監督就任後の5年間で浦学の進路指導を見直していた。

「昔は夏が終わってから進路を考えることもありました。『甲子園に出れば進路はなんとかなる』という考えもどこかにあったと思う。それはやめました」

現在は、2年生の秋が終わった段階から進路指導を始める。3年夏の結果とは切り離し、スポーツ推薦、指定校推薦、AO入試、一般入試など、本人の野球の実力や学力に応じた選択肢を早くから探していく。2025年夏、浦和学院は3回戦で敗れたが、それでも卒業生42人のうち40人が、大学などで野球を続けているという。スポーツ推薦ではない選手も多い。

「面談を早くしたことで、レギュラーかどうかに関係なく『大学でも野球を続けたい』と言ってくれる選手が増えました。それは今の浦学の良さだと思います。負けても勝っても、野球を嫌いになっていないんですよね」とほほ笑んだ。

進路面談で“現実を伝える”
 
森は、入学したばかりの1年生にも進路の話をするそうだ。「甲子園へ行きたい」「プロへ行きたい」という夢を否定するわけではないが、現実も伝えるという。

「今の君の野球の実力なら、このあたり。今の学力なら、このあたりだよ」

だから評定も重視する。野球だけをやっていればいいとは言わない。

「高校野球は学校生活の中では大きなものです。でも人生全体で見れば、キャリアプランの中の一つです」

この考え方は、新しい浦学改革とつながっている。スマホを一律回収しない。問題が起きれば学校組織で教育する。進路を夏の甲子園の結果に賭けない。部活動を「野球部ムラ」にしない。
共通しているのは、選手を野球だけで評価せず、一人の高校生として扱うことだ。

番狂わせ敗退から1年後…決勝の結果
 
2026年7月26日、浦和学院は全試合コールド勝ちをして、埼玉大会決勝まで上がってきた。最後の相手は花咲徳栄だった。
3回に浦学が先制し、先発・西村虎龍は5回まで徳栄打線を無失点に抑えた。6回に追いつかれ、8回表に3点を奪われて1―4。それでもその裏2点を返し、4―3と1点差まで戻した。
9回に3点を追加され、3―7。その裏、代打として打席へ向かったのが主将・蜂巣祥万だった。背番号18。突出したスター選手ではないが、仲間たちが早くから「キャプテンはこいつしかいない」と考えていた選手だった。背中で引っ張るキャプテン。2017年の赤岩主将のチームとどこか似ている雰囲気があった。蜂巣は中前打を放った。一塁へ到達すると、ベースコーチの2年生が、エルボーガードを受けとりながら泣いていた。

「お前、何で泣いてんの? まだ終わってないよ」

そう声をかけると、自然に笑みがこぼれたという。4点差の9回裏でも「まだ終わってない」と言える。それは、この1年、チームが積み重ねてきたものの一つだった。浦和学院は3―7で敗れ、甲子園には届かなかった。

「私の実力不足。大人の責任」
 
試合後、森は「勝たせてあげられなかったのは、私の実力不足。大人の責任以外、何者でもない。それが率直な思いです」と話した。言い訳はしなかった。采配を問われることも受け入れた。ただ、2025年夏とは違った。

「去年は力があったけれど、自分たちで負けた。今年は力がないと言われながら、バッテリーを中心に成長して、決勝まで来た」

負けは負けである。「良い敗戦」という言葉で、選手たちの悔しさを美化することはできない。彼らは甲子園へ行きたかったし、森も連れていきたかった。ただ、2025年夏にできなかったことが2026年夏にはできた。苦しくなっても自分たちから試合を手放さなかった。最後のアウトまで、主将が後輩に「まだ終わってない」と言えた。その違いを、森は気づいていた。

森は2025年夏の敗戦を「質の高い挫折をさせてもらった」と表現した。野球を強くすることと、一人の高校生を育てることを分けない。それが、現在の森が考える浦和学院なのだろう。「これがベースになる」。この夏のチームを完成形とは考えていない。

⚾岩手さんへ
宮城県高野連は・・・今さら表現を変えてもプレーには差し支えないし、、、普通にTV・ラジオで実況聴いている分には怖い言葉はあまりないけど、文章にしたら「殺」は多用されますね。
トリプルプレーなんて『三重殺』ですから。。。。。漢字表記よりも英文字・横文字の方が軽く感じられるのかもしれませんが、、、

西谷監督ですが僕は2008年夏に優勝するまでは甲子園で全国制覇に縁が無い監督と思い込んでましたが、、、、、1つ殻を破ると一気に突き抜けましたね。
初代の長澤監督時代に創部4年目でセンバツ8強・夏優勝したもののそこから約10年甲子園から遠ざかってましたが、、、、、
07年までは関東のチームよろしく勝つときは豪快だが負けるときはモロさが出て勝てる試合を落とすケースが目立ちましたが、西谷監督がよく言う「粘って、粘って」接戦にも強くなりました。

ある意味、高嶋先生が和智弁に異動されてから甲子園初戦5連敗しながらも93年夏に東北相手に延長サヨナラ勝ちで初勝利してから一気に全国トップレベルにまで駆け上がったのと似ているようなところもありますね。

大阪は最近夏シード権を取り入れましたが、97年までは南北関係なしにフリー抽選だったし、僕が高校在学中は4回戦以降は毎回抽選で長雨で日程詰まれば決勝まで5連戦でしたね、、、、、
だんだん抽選方法も変わり98年からは南北3回戦までは分離しているし、以前は1~3回戦・4・5回戦・準々決勝~決勝と3度抽選してましたが去年か2年前くらいから4回戦~決勝までヤグラを決めているので2回抽選に変わりました。

藤井寺、日生そして大阪球場はプロ野球本拠地で使用されてましたが相対的に狭い球場でしたね・・・。駅から降りてすぐなんでアクセス抜群ではありますが、舞洲のようなきれいな球場ではなかったので。。。。。ただ、未だに万博・久宝寺・住之江といったところを夏も使っているので、他県(他地区)のゴージャスなスタジアムを使用しているのが大阪の球児は羨ましいのではないかと。

P・S 箕島は新人戦に続き一次予選も初戦敗退でした。昨年集団いじめがあったらしく、あるいは夏の大会出場辞退もあり得たところをゴリ押しして強行出場しつつも初戦・慶風にまさかのサヨナラ負けと。

新チームの野球部員は6人しかいないらしいですが、連合チームを組む気もなく、他の運動部から助っ人借りて出場した模様で。4月から市和歌山の舩津投手コーチが監督就任したとのこと。
前の北畑監督はよくベンチで怒鳴ってましたが、尾藤監督の息子さんは朗らかな表情でしたね。会社員なんで二足のわらじは難しかったかもしれませんが、外部監督の息子さんを重用することに反発していた教職員もいたらしく・・・。

田舎の公立高校はこの先、本当にしんどくなりますね・・・。
2026/09/07(月) 22時35分51秒 No.2606 編集 削除
 宮城県高野連の野球用語見直し提起。
以前野球用語は、刺殺、捕殺、死球、盗塁、暴投等漢字表記だと、怖い言葉ですねと。新聞の投書欄だったか、テレビの情報番組で見てこちらで書き込みしたと思うけど、この事が影響しているのかな?
 横文字だといい言葉に聞こえたりするのかな?リベンジは日本語表記は復讐だよね。
 昨今は漢字表記~カタカナ表記~さらに縮め表記?若者言葉はね!
 テレビ番組で見ていて分からないな!
 野球以外の話題このくらいにします。

 西谷さんの苦労話で中田翔の事がありましたね。
 万博球場で辻内を見るつもりで行った試合でしたが、中田~辻内か辻内~中田だったか忘れたが中田投手を見ましたが、まさか1年生だとあの時は知りませんでしたね。
 野球仲間から広島出身でOOで桐蔭の門をくぐる事に色々巷ではね!
 あの年が西谷さんの甲子園大会初勝利だったとはね!
 春日部共栄戦で中田のホームラン、藤代戦だったけ?辻内の19奪三振。
共に観戦していましたが、甲子園大会の7~9年位かな?いつも隣で見ていた方が朝日新聞記者から19奪三振の事の感想を翌日の新聞記事に載っていたな!
 しかし大阪って凄いよね。最近は舞洲あるから(屋根🈚)だけど、当時からPLのKK時代も南北地区分けあるからしれないが、万博球場で強豪チームの試合がバンバン組んでいるようだったみたい?
抽選1~3回戦、4,5回戦、準準、準決の5回抽選だったかな?
 藤井寺、日生は名前知っているが、
舞洲、南港などと比べてどうなのかな?
 甲子園大会の試合終了から次試合開始までの間とか降雨中断中の白球の詩ではいまだに逆転のPL、星稜ー箕島12裏嶋田、14裏隠し球、16裏落球からの一発18裏40度の高熱だったの!サヨナラ安打。
 箕島高校はどうだったのかな?試合結果。
2026/09/07(月) 21時51分40秒 No.2605 編集 削除
⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(9日目 準決勝 田辺SP球場)
市和歌山23ー1神  島(5回)・日  高10-9桐  蔭

⚾今日の和歌山大会一次予選試合結果(初日 1回戦)
上富田球場・・・・和 智 弁11-0和 高 専(5回)・串本古座4-3海  南・粉  河12xー2和歌山北(5回)
田辺SP球場・・・向  陽1-0県和歌山

⚾明日の和歌山大会新人戦組み合わせ(最終日 決勝戦 紀三井寺球場)
    10:00~ 市和 歌山- 日 高

⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(2日目 1回戦 紀三井寺球場)
    13:00~  箕 島 -和歌 山商

📝持丸修一 78歳名将の高校野球論
宮城県高野連「野球用語見直し」のバカバカしさを徹底的に語ります。何より引っかかることは…
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/392600

もう勘弁してほしい。バカバカしいと思いませんか?ニュースを見て、驚き呆れました。

宮城県高野連が、野球用語の「見直し」を提起した一件。資料には、「試合中に『刺せ~』『殺せ~』『盗め~』という言葉が出るのは、『犠牲バント』『併殺』『死球』『盗塁』などの用語があるからだと思われる」とあり、「現代では相応しくない用語も含まれる」として、「代わる言葉を考えてみよう」というわけです。

もちろん、「すぐに変えると決めたわけではない」「今は議論する段階だ」という説明は承知していますが、やはり腑に落ちない。「議論することすらバカらしい」という本心をひとまず“押し殺し”、話を進めます。

わざわざ「問題化」する必要性があったのでしょうか。言葉尻を捕まえて、悪い方へ、悪い方へと持っていかれている気がしてならないのです。そもそも、試合中にそんな物騒な言葉が飛び交っているなんて信じがたい。私が指導してきた茨城、千葉では、試合中に「殺せ」なんて一度も聞いたことがありません。関東大会や全国大会でもそうです。まさか、宮城県では日常的に使われているのでしょうか。「初めて野球を見た子どもに影響がある」との主張にすら、違和感を覚えます。

仮に、グラウンドに「殺せ」が響いているのであれば、まず行うべきは「声援や指示の出し方を見直そう」という呼びかけではないか。
次に、野球用語について。私たち日本人は、日常で「息を殺す」や「刺身」といった言葉を、場面や文脈に応じて使い分け、誰もが理解しています。「現代では相応しくない」と槍玉に挙げられた「刺殺」にしても、野球というスポーツにおいては意味が確立された専門用語です。日常生活の「人を刺し殺す」と混同する人はまずいません。

何より引っかかるのは、県の高校野球を束ねる県高野連がわざわざ問題提起したことです。どこかの著名人が言い出したのならともかく、県高野連は大会を運営し、加盟校に通知を出し、高校野球のあり方に一定の基準を示す組織です。その組織が全国で使われてきた用語を「教育的配慮が必要」「現代では相応しくない」と位置付ければ、単なる意見交換では済まなくなる。禁止や罰則がなくても、指導者は「この言葉を使ったら……」と萎縮してしまうでしょう。「考えてみませんか」という柔らかな呼びかけでも、発信者が県高野連である以上、現場に余計な緊張感を押し付けることになるのです。

教育や指導現場はただでさえ制約が増えているのに、宮城県の指導者が気の毒です。指導者の野球離れにもつながるのでは。他県ではありますが、心配です。

宮城県高野連はなぜこのような提起をするに至ったのでしょうか。野球用語をわざわざ変えることで、いったい何が良くなるのか。社会にどんな変化をもたらすのか。何の根拠も説明もないままに、いきなり「野球用語を見直そう」というのは、いかがなものかと思ってしまいます。「何かを変えなきゃいけない」という思想に駆られているのではと、勘繰りたくもなってしまいます。

批判はこのくらいにしておきましょう。さて、来春センバツにつながる秋季千葉県大会は9月19日に開幕します。我々専大松戸は、攻撃では積極的に犠牲バントや盗塁を仕掛け、守備では併殺の機会を逃さず、一死、二死と着実にアウトを積み重ね、死に物狂いで勝利を目指します。

📝「どうしたらええんや...」 甲子園初采配で追い詰められた大阪桐蔭・西谷浩一を救った"スーパー1年生"
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2026/08/22/post_81/?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_campaign=%2Fclm%2Fbaseball%2Fhs_other%2F2026%2F08%2F22%2Fpost_80%2F&utm_medium=referral

名将たちの甲子園初出場物語 西谷浩一(後編)

2005年、大阪桐蔭の3年生にはその秋のドラフト1位でプロへ進むことになる辻内崇伸、平田良介がいた。そこに「無敵の1年生」中田翔が加わった。指揮官である西谷浩一が語る。

「どうしても甲子園に届かない、つかめないという流れが続いた時に、僕と違って"持ってる男"・中田が入ってきたんです。中田との出会いがなかったら、辻内、平田が3年でそろったあのタイミングでも、甲子園に行けてなかったんじゃないかと思います」

【"スーパー1年生"中田翔が開いた甲子園への扉】
 
"スーパー1年生"というフレーズが広く使われるようになったのは、この中田からだったように記憶している。それほど特有の華やかさ、オーラがあった。何より桁外れのパワーとエネルギーがチームを押し上げ、西谷の運命までも切り拓いていった。中田が桁違いの二刀流として颯爽と高校球界にデビューした2005年夏、大阪桐蔭は大阪大会を初戦から危なげなく勝ち上がった。
大阪市立に14対0、守口東に12対2、茨木に9対1、汎愛に10対0。そして迎えたPL学園戦。相手のマウンドには、2年生でエースとなった前田健太が上がっていた。

「万博でね。もちろん、ここが勝負と思って入っていったんですけど、マエケンに(死球を)当ててしまって......。『うわっ!』となったのはたしかでした。あれはね......」

1対0とPL学園リードで迎えた6回だった。前田は5回まで、強打の大阪桐蔭打線をわずか2安打に封じていた。ところが、辻内が投じた渾身のストレートが前田の右ヒジを直撃する。場内が騒然となるアクシデント。それでも前田は平然とその裏のマウンドへ上がった。だが、直後に平田が試合をひっくり返す2ラン。大阪桐蔭は7、8回にも追加点。前田も9回の最終打席で辻内から意地の一発を放ち、強烈なスピリットを見せつけたが、4対2で大阪桐蔭が勝利した。

「試合が終わって、藤原(弘介)監督のところへ謝りに行ったんです。『デッドボール、申し訳なかったです』と。さすがに無視はされなかったですけど、顔は真っ赤で、怒ってましたね。監督としたら、それはね......。あのPL戦が大きなポイントだったのはたしかで、よく覚えています」

その後、大阪桐蔭は準決勝で履正社を11対3、決勝では大商大堺を15対3と圧倒。ついに西谷は、監督として初めて甲子園への切符をつかんだ。
なかでも中田はおもに5番を打ち、大阪大会7試合で打率.458、2本塁打、チームトップの13打点。投げても14回2/3で17三振を奪うなど、投打でチームを牽引した。

【西谷を襲った甲子園初采配の重圧】
 
そして大きな注目を集めて迎えた甲子園初戦の春日部共栄との一戦。待っていたのは、思いもよらない展開だった。
先発・辻内の制球が定まらない。ストライクを取りにいったところを弾き返され、2回に3失点。3回にも1点、5回にも2点を追加され、降板した。試合後、辻内は「心臓がバクバクして......」「どう投げているのかもわからなかった」と振り返った。初回、スコアボードに「152キロ」と表示され、スタンドがどよめいた。その雰囲気にも「パニックになった」とも言った。

マウンド上では何度も頬を膨らませ、大きく息を吸っては吐いた。まさに青息吐息だった。エースの乱調に、攻撃もかみ合わない。5回表の春日部共栄の攻撃を終えたところで3対6。苦しい展開のなか、ベンチの西谷にも「甲子園初采配」の重圧がのしかかっていた。

「何をやってもうまくいかないなかで試合が進んで、気づいたら折り返しの5回。『どうしたらええんや。選手になんて声をかけたらええんや......』と。これだけみんなで頑張って、やっとつかんだ甲子園が初戦で終わるんか......。焦りしかなかったです」

そんなエースと指揮官の窮地を救ったのが、中田だった。5回表、3点差とされ、なおも満塁のピンチ。辻内を救援すると、1年生とは思えないボールと堂々たる投げっぷりで後続を断った。

「球場の雰囲気が変わった」西谷はそう振り返る。そして5回裏、甲子園に快音が響いた。

「先頭の謝敷(正吾)が右中間に強烈な当たりの二塁打を打ったんです。あれでハッと目が覚めたというか、『監督がこんな弱気じゃアカン』と気持ちが入り直したんです」

すると、大阪大会7試合で75得点、チーム打率.449を叩き出した打線も目を覚ます。一死後、平田が三塁打。中田が三塁強襲安打で続き、米川(千貴)が左翼へ二塁打。さらに辻内が四球を選び、川本(健人)がライトへ犠飛。一挙4点の猛攻で7対6。大阪桐蔭が試合をひっくり返した。

「どのタイミングだったかは、はっきり覚えてないですけど、ベンチで『この試合は絶対負けへんぞ!』みたいなことを言ったら、選手が『よっしゃー!』って応えて盛り上がったのは覚えています。ただ、戦術的なアドバイスは何もなくて、『頑張るぞ』『負けへんぞ!』としか言えなかった。
今の自分なら、もう少し何か言えると思うんですけど、当時は辻内が打たれて、5回になって、『アカン、アカン』『やばい、やばい』となっただけで......。まったく余裕がなかったですね」

【幻のウイニングボール】
 
7回に一度同点に追いつかれたが、その裏、中田が今度は自らのバットで左中間へ決勝本塁打を叩き込み、西谷に勝利をプレゼントした。
これが、今では意外に思えるほど遅かった、西谷浩一の甲子園初采配、初勝利だった。のちにその事実を伝えると、「そうだったんですか」と驚かれることも少なくないという。

「前に(春日部共栄の監督だった)本多(利治)さんと話をさせてもらった時に、『あれが甲子園初勝利だったの?』と意外そうに言われました。この間、東京ガスにいる中川卓也(2018年に春夏連覇を達成した時の主将)の結婚式に出た時も、『春日部共栄の時に大阪桐蔭戦で投げました』と難波(剛太)くんがあいさつに来てくれて、『覚えてもらっていますか?』と言うから、『よく覚えてるよ。あの試合に先発して、中田と同じ1年生で......』という話になったんです。それで『あの試合、俺の甲子園初戦やってん』と言うと、『本当ですか!?』と驚いてました」

じつは、この試合を前に選手たちは、ようやく甲子園初采配を迎える西谷のために「勝ってウイニングボールを渡そう」と話していた。ところが、苦しみながらその目標を達成した夜。西谷の部屋を訪ねてきた主将・小林晃徳の表情は沈んでいた。

「試合に負けたあとのような雰囲気で、『西谷先生に話があるんですけど......』と言うから、『どうした?』と聞いたんです。そしたら、『試合に勝ってウイニングボールを渡そうと、みんなで話して頑張ったんですけど、あんな試合になって、最後もバタバタで二死満塁。終わったあと、ボールがどこへ行ったかわからなくなって......』って。申し訳なさそうに言うから、『いやいや、ありがとう。次に勝ったら頼むわ』と言ったんです」

その5日後。別人のようになった辻内が、藤代(茨城)を相手に大会タイ記録となる19奪三振の快投を演じ、大阪桐蔭も勝利した。
試合後、西谷は満面の笑みを浮かべた小林から、ウイニングボールを受け取った。ところが帰りのバスに乗ると、西谷のうしろの席に辻内が座っていた。

「おまえ、タイ記録やったってなあ」
「はい」
「ウイニングボールをもらったけど、最後も三振で決めたし、おまえがもらったほうがいいんちゃうか」
「いいんですか?」

遠慮気味に答えた辻内に、西谷は記念球を渡した。

「それから、あとは誰もくれないんです(笑)」

【甲子園通算75勝の名将が語る原点】
 
今や通算75勝。堂々の甲子園歴代最多勝利監督である。しかも、最初の1勝からわずか21年で積み上げた75勝だ。あまりにもハイペースな勝利の積み重ねが、「西谷監督の初勝利はもっと前だろう」という錯覚を生むのかもしれない。こちらが持参した2005年夏の甲子園大会を特集した当時の雑誌を懐かしそうにめくりながら、西谷は小さく笑った。

「人のことなら『21年で75勝』と聞くと、すごいと思うんですけどね。自分のことだと思わないですねえ」

そして不思議なことに、甲子園初采配、初勝利の喜びや感慨を尋ねても、西谷の口から出てくるのは、自らの「未熟さ」だった。

「本当に『どうしよう、どうしよう』ばっかりで、何の策も打てない。言葉もかけてやれなかった。準決勝で負けた駒大苫小牧(南北海道)戦も、完全に監督の力の差で負けたと思っています。もちろん準備はしていたんですけど、試合が始まって動きだすと、駒大苫小牧戦も春日部共栄戦も何もできなかった。うまく選手たちを導いてやれなかった。初めての甲子園ということで思い出すのは、『何もできなかった』という、そのことばかりです」

話を聞いたのは、この夏の大阪大会前だった。その後、大阪桐蔭は4回戦で敗退。「波乱」と大きく報じられた一戦のあと、西谷はやはり「選手たちを導いてやれなかった」と、自らの力不足を繰り返し口にしていた。どれだけ勝っても、どれだけ結果を積み上げても、その思いは変わらない。いや、変わらないからこそ、勝ち続けてこられたのかもしれない。
大阪桐蔭を常勝軍団へと育てた名将の原点は、2005年夏、甲子園で何もできなかったと悔やんだ、あの日の姿にある。

☟18人中17人が甲子園経験者…U18侍ジャパンは「甲子園偏重」でいいのか? 現役監督からも漏れる“本音”
https://news.yahoo.co.jp/articles/c17a67468bbbe4bb36543cc72eed9e98241dc8f0?page=1

夏の甲子園は終わったが、選ばれた選手たちにはもう一つ大きな舞台が待っている。9月7日に台湾で開幕するU18アジア選手権だ。

高野連から話が来たら断ることは難しい
 
8月29日には壮行試合として大学日本代表との交流試合が行われ、会場となった明治神宮野球場には2万人を超える観客が詰めかけた。甲子園で活躍した高校生が、レベルの高い大学生に挑む。このイベントは2015年にスタートし、注目度も高まっている。これだけ注目されるイベントになった一方で、U18侍ジャパンのチーム運営には以前から気になる点がある。監督人事もその一つだ。

2015年以降の代表監督を見ると、いずれも甲子園で優勝、または準優勝を経験した指導者で、現役監督が起用されるケースも少なくない。2024年から2年間は日大三の監督を退いていた小倉全由氏が指揮を執った。2025年12月に就任した岡田龍生監督は東洋大姫路の現役監督である。コーチ陣にも高校の現役指導者が並び、今回の首脳陣で高校の現場を離れているのは、関大北陽の前監督、新納弘治ヘッドコーチ(日本高野連技術・振興委員)だけだ。

問題は代表活動の時期である。8月末から9月は各校の新チームが本格的に動き出し、全国各地で秋季大会が始まる。代表に参加する監督は、その間、自校の指導から離れざるを得ない。
2022年には花咲徳栄の岩井隆監督がU18侍ジャパンのヘッドコーチとして不在だった期間に、チームが秋季埼玉県大会の初戦となった2回戦で敗退。翌春の選抜出場を逃した。甲子園で十分な実績を持つ、ある監督に代表チームについて話を聞くと、率直な答えが返ってきた。

「正直、自分のチームのことを考えると、新チームがスタートする時期にチームを離れるのは避けたいですね。そう思う監督が大半ではないでしょうか」

さらにこう続けた。

「実際に高野連から話が来たら断ることは難しい。できればコーチも含めて、現役の監督以外で首脳陣を固められるのが理想だと思います」

本当にベストメンバーなのか
 
前任の小倉氏のように、直前まで高校野球の現場にいた指導者を毎回確保できるとは限らない。高校の現役監督に限定しなければ、人材の選択肢はもっと広がるだろう。U12やU15ではNPB経験者が代表監督を務めている。社会人野球にも監督経験者は数多く、NHKの高校野球中継で解説を担当するなど、高校野球への理解が深い人材もいる。代表チームの首脳陣を高校の現役監督を中心に編成する必要があるのかは、一度検討してもいいはずだ。監督人事だけではない。選手選考にも同じような問題を感じる。

今年のU18侍ジャパン18人のうち、今夏の甲子園に出場していないのは前田侑大(高岡第一・投手)と福島陽奈汰(東海大熊本星翔・内野手)の2人だけだ。福島は今夏こそ甲子園に出場していないが、2年夏に出場を経験している。つまり、甲子園未経験者は前田1人である。甲子園出場選手に実力者が多いのは当然だ。ただ、代表入りしても不思議ではない選手が他にいなかったわけではない。

代表選外となった選手を見ると、最速152キロ、高校通算39本塁打を誇る二刀流の菰田陽生(山梨学院・投手)、最速150キロ左腕の高部陸(聖隷クリストファー・投手)、夏の甲子園で151キロを計測した平田玲翔(大分商・投手)らがいる。菰田は春の選抜で左手首を骨折し、負傷の影響で4月の代表候補合宿メンバーから外れたが、夏には復帰していた。個々の能力だけで代表を編成できるわけではなく、ポジションやチーム全体のバランスも考える必要がある。それを踏まえても、18人中17人が甲子園経験者という顔ぶれを見ると、本当の意味で全国からベストメンバーを選べているのかという疑問は残る。

選考合宿が理想だが…
 
今年は末吉良丞(沖縄尚学)の選出についても、一部で疑問視する声が上がった。昨夏の甲子園で優勝投手となった左腕は、今年4月に左肘痛を発症して長く実戦登板から遠ざかった。夏の甲子園では横浜戦に先発したものの、3回3失点、最速143キロで降板している。

末吉は昨年、2年生で唯一U18侍ジャパンに選ばれた投手でもある。ただ、18人という限られた人数で戦う大会だけに、春から故障で登板機会が少なかった投手を招集することにリスクがないとは言えない。末吉の将来を考えても、選出について議論が起こるのは理解できる。

なぜ、甲子園出場選手に偏りやすいのか。過去に代表チームの選考に関わった関係者に話を聞くと、そもそも全国の候補選手を把握する難しさがあるという。

「代表チームを選考するといっても全国くまなく視察に行けるわけではありません。4月に行っている代表候補合宿についても各都道府県、各地区の高野連から推薦を募っていますが、正直、地区によって温度差があるのは確かです」

さらに難しいのが、夏の地方大会で敗退した選手のコンディション把握だ。

「国際大会は夏の甲子園が終わった9月に行われていますが、地方大会で敗れた選手は実戦からかなり遠ざかっており、どんな状態かが分かりづらい。そうなると、どうしても直前まで甲子園大会でプレーしていた選手が中心になります」

直前まで実戦を続けている選手は状態を把握しやすい。一方、甲子園を勝ち上がった選手ほど疲労が蓄積している恐れがある。

「甲子園での疲労が残っていて、パフォーマンスが落ちている選手もいます。本当は大会前に候補選手を多めに集めて、選考合宿をできると良いと思うのですが、スケジュール的にも難しいのが現状ですね」

より幅広く人材を集める仕組みを
 
甲子園に出場していない選手を増やせば解決するほど単純な話ではない。過去には夏の甲子園を逃した選手を選出したところ、調整不足が明らかで、本来の力を発揮できなかった例もあったという。
逆に、甲子園を勝ち上がった選手には疲労の問題がつきまとう。2018年のU18アジア選手権では、地方大会と甲子園で計11試合、1517球を投げた吉田輝星(金足農・現オリックス)が招集された。代表合宿では疲労を考慮して別メニューでの調整が続き、本大会では2試合に登板して2敗に終わっている。

日程上の制約が大きいのは確かだ。それでも、地方大会で敗れたチームの有力選手について、夏の大会終了後に候補者を集めて状態を確認する機会を設ける方法は考えられる。国際大会直前に人数を絞る選考合宿が実現すれば、甲子園での活躍だけに左右されないメンバー編成につながるだろう。

日本の高校野球で最大の舞台が甲子園であることに異論はない。国際大会はどうしても「甲子園後のおまけ」と見られがちである。しかし、同世代のトップ選手が集まり、一緒に練習し、海外の強豪と戦う経験は簡単に得られるものではない。実際、代表チームでレベルの高い選手と過ごした経験が、その後の成長につながったと話す選手を何人も取材してきた。

それだけ価値のある代表活動だからこそ、甲子園を中心に据えた現在の仕組みが最善なのかは考える必要がある。監督人事も選手選考も、甲子園という枠にとらわれず、より幅広く人材を集める仕組みを検討する時期に来ているのではないだろうか。

⚾岩手さんへ
本屋は僕の近所でも相次いで閉店しておりますね・・・。街(都会)に出ないと大型書店はあまりないかな?

和智弁は辯天宗ということもあってか?かなり球運に恵まれるタイプのチームですね。高嶋先生時代から窮地に追い込まれながらも、信じられない幸運がやってきて終盤猛打で大逆転勝ちを幾度も目にしました。猛打に霞んでしまいますが、打線爆発前にイレギュラーバウンドやベースに当たってただの内野ゴロがラッキーなヒットに変わることもしばしで。。。。。

あの決勝も僕は8回表の逆転2ランで負けを覚悟しましたね・・・。8回頭から抑えの久葉投手につないでも早すぎることはないと思ったが、2ラン浴びてさらにピンチを招いてから継投したので遅きに失したきらいはありましたが・・・・・。
8回裏スコア集計に手間取り初球のデッドボールを見逃してしまいましたが、球審によっては『避けていない』と判断され、ただのボール球と判定される可能性もあったし、5番打者が送りバント失敗し2ストライクと追い込まれ・・・バントはできそうにもなかったが、ああいうケースだったらしゃーなしに打たせて内野ゴロゲッツーという目も当てられない結果になりかねなかったが、運よく詰まった打球がセンター前に落ちたし、1死2・3塁で初球スクイズが相手捕手の急所直撃でツキがきましたね。

基本的に高嶋先生も相手が強ければ送りバント多用していたし、スクイズも結構やってきましたが外されるシーンもよくみてしまいました・・・。それ以上にスモールベースボールがナカタニ野球なんで。。。県大会でも格下相手に送りバントしてアウト1つ献上するシーンは何度も見ており、5-0や6-0でコールド一歩手前で手加減する?優しさは何度も見ましたね。

沖縄の子は以前から岡山県や滋賀学園に結構来ますね!
2026/09/06(日) 22時24分03秒 No.2604 編集 削除
 雑誌購入ですが中〃大変なりました。
 🚲で2,3分の本屋さんが、6月30日で閉店になり、🚲だと1H30~45分位かな?PC教室で利用する施設の近くにある本屋さんからの購入で、最後1冊でした。
 バス代が往復で640円だから結構な出費ですね、以前なら隣のコンビニのついでに立ち寄っていたのが640円かけて行くか、🚲で1H30余りかけて行くかになってしまいました!
 PC教室で情報収集も三カ月以上かな?管理人さんのアメブロだっけ?写真とか見ていたが、野球観戦も出来ないし施設利用もシフト休みの変更もあり。いつの間にか夏の甲子園大会も終わり時は秋季大会の季節になったんだね☺

 最後の最後ですが、夏の決勝戦は智弁和歌山のツキが凄かったね!
 8回表和気君から2ランで3-2になって和気君も疲れがあるんだねと思ったが、8回裏の智弁和歌山の攻撃は、山田君の死球が流れが変わる一因かな?
 テレビ観戦していたけど、ボールになっても違和感ないが、やはり流れが変わる一因だね!その後バント空振りだったけ?ファールだっけ?捕手の股間に直撃で悶絶!ベンチに下がって治療?頑張って戻ってくるもスクイズ警戒の投球が暴投になり3塁走者がホームインで決勝点!
 タラレバだが、股間直撃がなかったら体に当てて止めていたかもと思うがタラレバだね!
 中谷監督は送りバント、スクイズなどするんだね!中谷野球スタイルが変わった印象。
 部員も少し増やすとか!
少子化争奪戦!
 今でも大阪勢が各地に散らばるが、近年愛知勢が席巻しつつあるね。
 沖縄ではそろそろ中3生が硬球に慣れてもらう事や高校入学までの体力向上とかで各地域事でリーグ戦みたいにしていると聞いています。
 ここで本土の有力チームがスカウト活動しているらしい。
2026/09/06(日) 21時04分32秒 No.2603 編集 削除